水晶剣伝説 U ジャリアの黒竜王子

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慟哭

 そこには、信じられないような光景が広がっていた。
「ここが……本当に、レンゼー村なのか」
 つぶやいたのはシャネイの若者……ラビだった。
 横にいたドーリとサビーも、その問いに答えられるはずもなく、ただ呆然と、目の前の恐るべき光景を見つめていた。村を焼く炎はよほど下火になっていたが、それでもまだもうもうとした黒い煙と熱風が上がりつづけ、彼らが近づくのを拒んでいた。
「なんて……ことだ」
 村の家々は跡形もなく崩れ、辺りには焼け焦げた木材が散乱していた。そのところどころにはまだ、ちろちろと炎のくすぶりが見えている。
 目の前に黒々と焼けただれた死体を見つけると、サビーは悲鳴を上げて飛びのいた。
 だがよく見ると、崩れた家の残骸のなかや、道に転がっている一見ただの焼けぼっくいのようなものも、それらは全て、村人たちの死骸や死体の一部であることがわかった。だが、それが死体だと見て取れるものはまだよかった。ほとんどは、それが男なのか女なのか、子どもなのか大人の死体の一部なのか、それすらもまったく分からない有り様だった。
「ひどい……ひどすぎる」
 沈痛にドーリがつぶやいた。死体から目をそむけたラビは、心配するようにサビーを見た。少年の顔は強張ってはいたが、恐怖に声を上げたり泣きだしたりする様子はなく、気丈な様子で辺りに目をやっていた。
「どうするかね……ラビ」
「とにかく……、村を回ってみて、もし……誰かが……」
 彼は言いかけて口を閉じた。この無残な焼け野原で、まだ生きているものが発見できるとは到底思えなかった。
 三人は無言のまま、それでもかすかな希望を求めるようにして、瓦礫と焼け焦げだらけの通りを歩いていった。しかし村の中ほどまでくると、まだくすぶっている炎の熱気と煙がひどく、引き返さざるをえなかった。いったん村の外に出て、外から村の周りを回ってみようとラビは言った。
「あまりこういう話はしたくないが……、どうも妙だ」
「なにがだい?」
 村の外を囲む木柵にそって歩きながら、ラビは考え込む様子でドーリに言った。
「うん。村で見た死体の数が、どうも少ない気がする」
「そういえば……そうだね。でも、どこかへ逃げ延びたのかもしれないよ」
「……だといいが」
「どうしたのさ?なにが少ないって?」
二人の後ろを歩いていたサビーが寄ってきた。
「うん……いや」
 困った顔をしてラビが言葉をにごす。ドーリが立ち止まった。
「ちょっとまって」
「どうしたのさ、ドーリ……」
「しっ」
 ドーリはぴんと耳を逆立てていた。なにかを聞きつけたように耳を澄ます。
「今ね、声が聞こえたんだ」
「声?」
 ラビとサビーも耳を澄ましてみる。 
 風の音、炎のくすぶりの音に混じって、確かに声のようなものが聞こえる。
「あっちだ」
 ドーリが指さした。
 村の外壁にそってそちらに走ってゆくと、辺りには焦げ臭さとも異なるような、異臭がたちこめはじめた。それが血の匂いであると、ラビとドーリには分かった。
「ああっ、見て!」
 サビーが指さした地面には、無数の馬蹄の跡が残っていた。
「これは、きっとジャリア兵のものだね」
「あっ、見て、あっちにもなにかが……」
「おい、待てサビー」
 走り出したサビーの後を二人も追う。
「わあああっ」
 いきなり、少年が悲鳴を上げた。
 追いついたドーリとラビも、息を呑んだように立ち止まった。
「な、なんだ、これは……」
 彼らの前に、「それ」があった。
「あああ……あ」
 言葉にならない呻きが、自然と口からもれる。
 そこに積み重なっていたもの……
 それは、死体だった。
 ジャリア兵が凌辱し、まるで獣を狩るようにして殺していった、女たちの死体……裸にされて乱暴され、耳を切り落とされた女たちの、ぼろぼろにされた見るも無残な死体がそこにあった。
「こんな……こんなことが」
 無造作に積み重ねられた死体は五十以上はあったろうか。どれもがその顔に苦悶と恐怖の表情を浮かべている。大人の女も、まだいたいけな少女のシャネイも、同じように暴行され、傷つけられて、血だらけでこと切れていた。
「ひどい。ひどすぎる……
「う……ううっ」
 顔を歪ませるドーリの横で、少年は地面に突っ伏して嗚咽した。
 皮肉なことに、村の外までは火が届いておらず、遺体がそのままの形で残っていたのだろう。切り落とされた首や手足、耳などが、そこかしこに散乱し、辺りには大きな血だまりができていた。
「こんな……ことは」
 唇を震わせてドーリがつぶやいた。
「許されない……こんな、こんな残酷な仕打ちはないよ……」
「これが、ジャリアの……残虐王子のやり方か……」
 ラビは放心したように、青ざめた顔で首を振った。二人の横では、サビーが地面に手をついてまだ吐き続けている。その背中をさすってやることも忘れ、彼らはしばらく、この悪夢のような光景を前にして、ただ立ちすくんでいた。
 この中に生存者がいないかと、ドーリは死体の山を探しはじめた。だがすぐに、とても生きているものはいそうもないことに気づかされた。首を落とされたもの、胸を深々とえぐり取られ、血の海に横たわる恐怖に歪んだ顔、両手両足を切り落とされ、芋虫のように投げ出されているもの……そこに知っている顔を見つけると、彼女は顔をくしゃくしゃにして嗚咽した。
「なんてことだ……なんてことだ」
 だがサビーやラビの手前、年長者の自分がしっかりしなくてはと、かろうじて自分を抑えると、彼女は気丈に探索を続けた。
「確かに、声がしたんだよ……誰かの」
 自らへ希望をもたせるようにつぶやきながら、彼女は月明かりを頼りに、血の匂いの中を探し回った。だが、どこにも、息のある者は見つからなかった。
 顔を上げふと見ると、ここからやや離れたところにも死体があった。
「あれは……」
 そこに転がった首が見えると、彼女はひどくいやな予感にとらわれた。
「ああ……まさか」
 見たくなかったが、自分が確かめるしかなかった。
 ぶるぶると体が震えた。
 両手の拳をぎゅっと握りしめ、彼女はそちらに近づいていった。
 土の上に十人あまりの遺体が並んでいた。女たちのように服を剥ぎ取られたり、体に傷はつけられてはいなかったが……そのすべてが、首を切り落とされているようだった。
「ああ……神様」
 口の中でつぶやきながら、ドーリは恐る恐る死体を覗き込んだ。
 おそらく押さえつけられたまま、次々に首を刎ねられていったのだろう。一列に並ぶようにして転がった、その首のひとつを見ると、彼女は思わず呻きとともに顔をそむけた。
「ああ……」
 その顔には確かに見覚えがあった。嗚咽をこらえながら、なんとか全員の顔を確かめると、その中にはサビーの友達のリンジの顔もあった。こちらの村にも何度か遊びに来ていたので知っている。まだ少年めいたその顔が、今は血の気を失い、恐怖に引きつった目を見開いて地面に転がっているのだ。
 サビーの話によれば、このリンジを中心とした少年たちが、ジャリア兵の襲撃を計画していたということだった。すると、ここに並んでいる首を落とされた少年たちが、計画に加担した仲間たちなのだろうとドーリは理解した。
「なんて、ことだろう……」
 切り落とされた少年たちの頭を一人ずつ撫でて、目を見開いている者は閉じさせてやり、ドーリは何度か息をついた。ここで声を上げて泣いてしまえば、サビーに知られてしまう。
「う……」
 ドーリは込み上げてくものをぐっとこらえ、胸の中に飲み込んだ。
 結局、ここにも生存者は見つからなかった。
 この場を離れて、いったいん落ち着こうというラビの提案にドーリも同意した。これ以上ここにいたら、どうにも気がおかしくなりそうだった。すべての遺体を葬るのは自分らだけでは無理だろうし、いったん村に戻ってオダーマにも報告するべきだろうと、ラビは言った。
「さあ、サビー。立って。村へ帰ろう」
「リンジは……リンジたちは、どうなったの?」
 ドーリは何も言わず首を横に振った。少年の頬が涙に濡れた。
「ラビ。サビーをお願い。先に村に連れて帰っておくれ」
「あんたはどうするんだ、ドーリ」
「ちょっと……あとちょっとしたら、帰るから」
「わかった」 
 サビーを背負ったラビが歩きだすのを見送ると、ドーリは、再び女たちの遺体に駆け寄った。
「……」
 もはや動くもののない同族の亡骸を前にして、彼女はぐっと唇を噛みしめた。
 しだいにこみ上げてくる感情に、ぶるぶるとその身を震わせ、
 そして叫んだ。
「ああああ!」
 近くにあった少女の遺体を抱え、ドーリは大声で泣いた。転がった女の首を見つめて絶叫し、乱暴に犯された娘の血の滲んだ体に怒りをみなぎらせた。
「あああ……ああああ」
 血に濡れた土に顔をつけ、叫びながら、彼女は何度も地面を叩いた。
「何故だ。ああ、何故……こんな、年端もいかぬこどもまでを……」
 血に濡れた少女の裸体に覆いかぶさると、先程まで抑えていた涙がとめどなく溢れ出た。
「許さない。こんなことは……許されるはずがない。何故……どうしてだ!」
 猛烈なる怒りと悲しみ、そして不条理への憤り、やるせなさが、体の内側から一気に吹き出すようだった。彼女は今ここで、自分の体が砕けることを願った。
「ああ……、あああ!」
「ジャリアども、許さないぞ。悪魔どもめ……、こんなことを……絶対」
 目の前の殺戮の跡が、これまで彼女の経験してきた全ての悲惨な情景、その記憶と重なり、そのときの怒り……ジャリア兵士への、そして人間への憎しみの、それらすべてが、頭の中でまざまざと甦った。
「決して忘れぬ……。決して……、きさまらのやったことを……けっして」
 彼女は、叫んでは息をはき、また涙を流した。
 自らが流すのは血の涙に違いないと、彼女は疑わなかった。女たち、少女たちの、今はもうなにも映さぬ、うつろに見開かれたたくさんの目が、彼女を見つめていた。恨みをのんだ顔、苦悶の顔、なにが起こったのかすら分からぬような、まだあどけない少女の顔……それらから、どうしようもない悲しさと、何かを呪いたくなるような、どろどろとしたどす黒い思いが、ドーリの中に伝わってくるようだった。
「ああ、あ……、なんで……、神様……こんなことを、おお……お」
 彼女は、そう苦しそうにつぶやき、また地面に突っ伏した。彼女の顔や体も、死体からついた血でべったりと濡れていた。
「うう……、うーっ……ふ……ぐうう」 
 夜闇の中を、声を押し殺した呻き声が響いた。
 彼女はときおり呪いの言葉をつぶやき、また地面に伏せて煩悶した。頭も体も熱くなり、自分がこのまま狂うのではないかと彼女は思った。 
 どのくらいそうしていたのか、
 冷たい風が吹きつけるのを感じ、彼女は顔を上げた。
血と涙で濡れた自分の頬を触ってみる。
 ふと見上げると、黒々とした木々の枝が風に吹かれ、さわさわと揺れている。空には星が見えていた。
「……」
 彼女は地面に座り込むと、血だらけの自分の手を見つめ、静かにすすり泣いた。
「わ……わたしたちは……」
 それは、ひどくしわがれた、年老いた老婆のような声だった。
「なぜ……生きているんです?このような世界で……なぜ?」
 誰も答えるものはない。
「どうして……こんな、ことが……」
 まだこちらを見ているかのような、死せる少女の顔を見つめながら、
 彼女はつぶやいた。
「わたしたちは、なんなのです……。人間でもなく……動物でもなく……」
 姿のない、なにものかに問いかけるような、静かな言葉。
「どうして……こんな目に。どうして、こんなふうに、なんの価値もないように殺され、わたしたちは、辱められなくてはならないのです。どうして……」
 もがくように手を伸ばし、力なく土をつかむと、
 彼女は再び嗚咽した。静かな、とても悲しげな泣き声で。
 そうして、激情の時間は過ぎ、
 彼女は空を見上げて横たわっていた。まるで他の死体と同じように。
 じっと身じろぎひとつせずにいた、その彼女の耳が、ぴくりと動いた。
こんなときでもシャネイの感覚は鋭敏である。耳をたてたドーリは、なにかの気配を感じて身を起こした。
「……」
 それは確かに生きているものの気配だった。だが、まだ彼女はその場を動かなかった。
 ジャリア兵が戻ってきたのだろうか。それでも、隠れることも、逃げることも頭に浮かばなかった。
 殺すなら殺せばいい。
 彼女は本気でそう思った。
 すぐ近くの茂みが、かさかさと音を立てる。
 ドーリは身構えた。
 だが、次に彼女が聞いたのは、思いがけぬものだった。
 すすり泣くような子供の声……
 そして、茂みからひょっこりと顔を出したのは、シャネイの少女だった。
「ママは?」
 少女はドーリを見ると、涙にぬれた目を向けた。
 それはまだ年端のゆかぬ、ほんの小さな少女だった。土や灰に汚れたボロボロの服を着て足は裸足、茂みでこすれたのだろう、顔にはいくつもすり傷がついている。
「あんたは……」
 ドーリは驚きながら、ゆっくりと少女にいざりよった。 
「ママがいないの……」
「あんたは……、この村の子かい?」
 少女はうなずいた。そしてまた「ママがいない」とつぶやくと、しくしく泣きだした。
「あんたは、どうして……」
 助かったんだい……などと訊いても分かるはずがない。ドーリは言いなおした。
「ずっとここにいたのかい?」
 少女は首をふった。
 その目が動いて、女たちの死体の方に向いても、その表情は変わらない。ここでなにが起こったのか、理解していないのだろう。
「ママにひっぱられておうちの外にでたの。それから、大きな音がして……それで、気がついたらママがいないの」
「他の……他の大人たちはどうしたんだい?」
 少女は小さく「分からない」と言った。
「でもこわいから、戻ってきたの。そしたら火が怖かったの。村が赤くなってたの。熱くて、怖くて……だからずっと隠れていたの」
「そうかい……そうか」
 少女を怖がらせないよう、ドーリはその体をそっと抱いた。
「よく……、よく助かったね……よく」
「ねえ、ママは?ママがいないの」
「ああ……大丈夫さ。探してあげるから……ね」
 そう囁いて、ドーリは強く少女を抱きしめた。
「本当?」
「ああ……本当さ」
 ドーリは泣いた。
 小さな少女を抱きしめて。
 その暖かな、小さな命にすがりつくようにして、
 彼女はいつまでも泣いた。

 有色肌に長耳のシャネイ族が、リクライア大陸で最初に発見されたのは、いまから二百年ほど前のことである。
 当時はまだ新興の国家であったジャリアの首都ラハイン、その北東にそびえる「天山」クレシルドの麓で、彼らの住む村を最初に見つけたと伝えられている。
 手足が長く、褐色の肌で長い耳を持ち、灰色の目をしたシャネイ人は、きっと無骨なジャリア人の目にはまるで妖精のように見えたのだろう。最初に捕らえられたシャネイたちは、都市として完成されつつあったラハインに連れて来られ、人々の見せ物にされた。外見は人に近いが、言語もろくに通じない彼らを、ジャリア人は蔑みを込めて「シャネイ」と呼んだ。
 シャネイたちは、主に山岳地帯、それも木々の生い茂った川べりに村を作り、小さな共同体で生活していた。一説によると、シャネイ族は大陸のなかでも、オルヨムン連山とバルテード山脈に挟まれたこの土地独自の気候でしか生きられないとも言われる。夏になっても高地ゆえ気温はさほど上がらず、北から南へ流れる山脈ぞいの風が独特の冷気をもたらす、この気候こそが彼らの生命をはぐくむ必要な条件であるのだという。またある説では、大陸でもっとも標高の高いクレシルド山、天山の異名を取るこの霊峰の魔力が、このような特異な種族を生み出し、彼らはその霊気の届く範囲でしか生きられぬのだとも、まことしやかに言われた。
 着実に領土を広げつつあった当時のジャリア人たちは、その後も各地でシャネイ族を次々に発見してゆく。はじめのうちこそ、妖精かなにかのような好奇の目で見られていたシャネイだったが、連れてこられたシャネイたちがしだいに町や人間に慣れ、ある程度は言葉を覚えはじめると、人々は彼らを人間としても見なすようになった。
 そのような、シャネイとジャリア人との奇妙な共生の時代がしばらくは続いた。ジャリアが大陸間相互会議に加盟し、正式にリクライア大陸の一国家として認められると、シャネイ族の存在は噂とともに大陸中に広まってゆき、大陸各地から神秘の種族といわれる彼らを見物にやってくる者まで現れた。
 このころになると、シャネイ族はすっかり人間の社会に溶け込み、互いに同じ言葉で会話をし、人と同じように都市の中で暮らすものも増えていた。同時に、人々はこの異人種の持つ特異性と、その能力について知り始めていた。シャネイ族の子どもが、いつまでたってもその外見が変わらず、三十歳ほどになってようやく手足が伸びきり成人すること。そして彼らの寿命が百五十年近くもあることなどを知ると、人々は大変驚いた。また、シャネイはは非常に鋭敏な感覚を持っていて、視覚、聴覚などは野性動物のように優れ、空気と風の流れを読み、ときには相手の表情から、その考えまでも読み取ることに、人々は興味を通り越して、ある種の恐れをも覚えはじめた。シャネイたちのその深い灰色の瞳でじっと見られると、人々はまるで、自分の心の奥底まで覗かれているような気分にさせられるのだった。
 事件は、今からちょうど五十年ほど前におきた。
 町に住んでいたあるシャネイの女が、その町の都市貴族の子供を宿したのである。その噂が広まるにつれ、人々は心の中には奇妙な違和感が起こり始めた。いままでは努めて対等に接してはきたが、やはり外見も、声も、思考も、文化も違うシャネイ族を、人々は完全に受け入れるまでには至らず、それが人の子を産むということになると、なんとなく嫌悪にも似たものを感じてしまうのである。
 この噂はやがて都市を越え、当時のジャリア国王、ランディーム二世の耳にまで届くこととなった。ジャリア王ランディームは、子供時代からすでにシャネイ人たちと身近に接してきた世代であったので、首都ラハインの宮廷にも多くのシャネイの女を住まわせていた。しかし、その噂を聞いたランディームは顔をしかめて身震いしたという。王は、異人種であるシャネイとの間に子どもできようとは、それまで考えもしなかったのだ。王は宮廷にいるシャネイたちを集め、その全員を医者に見せた。そして、一人のシャネイの娘が懐妊していることを知ると、王はその場で女を処刑した。
 王はその年のうちに、シャネイの女と交わることを禁ずる布告した。布告はすぐに王国全土に広がり、町のいたるところでシャネイの女の取り調べが行われた。大きな町では相当の数の妊娠したシャネイが見つかり、ただちに留置所へ送られた。そしてそれは珍しいことではなく、どの都市にも、あるいは田舎の小さな農村にすらも、懐妊したシャネイが幾人も見つかったことで、各地での取り締まりはいっそう厳しくなっていった。ある町では、自分の夫がひそかにシャネイの女との間に子をもうけていたことをその妻が知り、怒りのあまり妻がシャネイの女を殺すという事件まで起こった。妊娠したシャネイたちを見つけて、撲殺するということも都市では頻繁に起こった。中にはシャネイ同志の正当な子どもを授かった者もいたかも知れなかったが、人々はそんなことにはかまわず、ただ見つけたシャネイたちを捕らえて、処刑した。
 国王はそうしたシャネイへの理不尽な襲撃を黙認した。そうしてたった数年のうちに、首都ラハインとその近隣の町や村からは、ほとんどのシャネイが一掃された。この頃には、人々は彼らの持つある種の神秘性や、その能力を、不吉なる悪霊の力とみなしはじめていた。その独特の長い耳や、背中に伸びたたてがみのような毛は、野蛮人の証となった。
 シャネイは人間の町から消えていった。
 さらにそれから何年かがたつと、ジャリア領土の鉱山事業の活性化から、早急に労働力の増員の必要に迫られたいくつかの都市が、シャネイたちを労働に就かせることへの許可を国王に求めた。国王はこれを認可した。いくつもの都市がこれに習い、労働奴隷としてのシャネイたちを再び町に受け入れはじめた。
 シャネイとの姦通は禁じられたままだったが、家畜同様の労働力として畑を耕させたり、下僕として仕えさせたりする貴族が多くなるにつれ、若く美しいシャネイの娘を密かに屋敷に囲う者も出てきた。また、禁じられているにもかかわらず、町の下層部の娼館などではシャネイを働かせ、珍しいもの好きの旅人や都市貴族を相手に稼ぐようなものも増えはじめた。つまり皮肉にも、シャネイの地位を奪い、彼らを人間以下の存在とみなすことで、人々は安心し、彼らのいる生活を再び受け入れるようになったのである。
 それから二十年あまりが過ぎた。
 リクライア大陸において、ジャリアは、西のトレミリア、セルムラード、海洋国アルディ、ウェルドスラーブと並んで、リクライアの五大大国といわれるまでに成長した。国内の重要資源である、錬鉄、銀の採掘は国土に大きな富をもたらし、代々の国王は軍事政策に力を入れ、強力な騎士隊が誕生した。今はもはやどの国も、軍事的にも経済的にも、ジャリアの動向に気をかけないでは対外政策をできない時代になったのである。
 現国王であるサディーム王が戴冠したのが、今から十八年前。
 サディームは前国王のやり方にのっとり、強靱な体力と強固な意志の力によって、自らが戦いの陣頭に立ち、次々に小都市群を合併し、着々とその領土を広げていった。そうして現在の版図のように、北は大陸北端の沿岸一帯、南はヴォルス内海付近まで、実に南北二百エルドーンの長大な支配地を形成するに至ったのである。
 サディームが次にしたことは、シャネイのさらなる引き締めである。王は数十項目にも及ぶシャネイに対する権利の規制と、その扱いに関する事項を記した条例を作り、それを施行させた。シャネイは人間の誘導なく単独で町を歩いてはならない。シャネイは我々都市の人間に話しかけてはならない。シャネイによる暴力や、決起、反抗はいついかなるときも許さず。その他……土地の規制、村の数の規制、労働力提供の義務、等々。それはもはや、彼らを人間とはみなさぬという宣言であった。
 このシャネイ追討令が国中にゆき渡ると、ジャリア人のシャネイに対する扱いはますます厳しく、かつ陰惨になっていった。労働を拒んだシャネイはただちにその場で処刑された。出入りの禁じられた町にまぎれこんだシャネイは捕らわれ、収容場へ送られた。宮廷で仕えるシャネイの娘は、暗黙の認可で貴族たちの慰み物となり、妊娠したものはすぐに殺された。
 シャネイが村を作るのを許された土地はごく一部に限られ、町に住めば非人間的な扱いをされたが、それでもシャネイたちは国外へ出てゆくことはできなかった。涼しい空気と、森と山々に囲まれたこの国でしか、彼らは生きられなかったのだ。彼らにはただ、人間の奴隷として町で生きるか、それとも定められた小さな村のなかで、畑を耕して細々と暮らすかの選択しかなかった。
 町ではシャネイの女が暴行され、あるいは殺され、村からは少年や少女のシャネイが連れ去られるといった事が何度となく起きた。人々は労働力に不足するとシャネイの村から少年を拉致して連れ出し、都市貴族や領主の慰み物として少女たちをさらった。シャネイへの虐殺も何度も起きた。作物が不足だった年や、厳しい冬の時期などには、その腹いせにシャネイの村が襲われ、食料が奪われた。抵抗したものたちは殺され、村は焼かれた。
 本来は温厚な性質で、争いを好まぬシャネイたちも、あるときついに立ち上がり、反乱を起こした。各地で蜂起したシャネイたちが集結し、首都ラハインを目指す事件が起きた。ジャリア王は、即座に強力な騎士隊を配備し、彼らを迎え撃った。戦いは……実際には戦いにもならなかった。武器を持つことを禁じられたシャネイには、戦うための剣もなく、彼らは棒切れやクワなどの農器具を持ってただ突っ込んでくるだけだった。訓練されたジャリアの騎士たちは、馬上から彼らに次々に剣を振り下ろし、長槍で突き刺した。首都ラハイン郊外で起きたこの反乱は、シャネイたちをほぼ皆殺しにすることであっけなく終結した。かろうじて生き残った者たちは、どこかの村や山奥へと逃げ延びた。
 この反乱以降、シャネイへの迫害はいっそう強まることとなり、第一王子のフェルス・ヴァーレイが将軍として全軍を指揮するようになると、首都の近隣の村に住むシャネイたちは、四六時中恐怖に脅えながらの生活を余儀なくされた。
 王子の軍は、ラハインを出陣すると、しばしばごく些細な理由で手近な村を襲撃した。王子の四十五人隊と呼ばれる側近たちは、その冷酷にして残忍な行為により、シャネイたちにとってはまるで地獄の悪鬼にも等しい存在だった。シャネイによる小さな反乱は、その後もしばしば起きたが、その全ては王子の軍によって征伐され、反乱に参加したシャネイは全員が殺された。
 たった十数年のうちにシャネイの人口は激減した。
 今ではジャリア国内に、居住地域と認められた十数箇所の村があるが、どの村においても残っているのは女と子供、そして老人がその大半だった。夫や恋人、親兄弟を殺されたシャネイたちは、ジャリアの王子を憎悪した。その中で育ったシャネイの少年たちで、自分もいつか反乱を起こし、憎い王子の首をとるのだと考えないものはいなかったろう。
 近年になって、ジャリア国内におけるこのよう悲惨な迫害の事実が、大陸諸国の知るところとなった。各国からは幾度となく非難の声が上がり、シャネイの解放を訴える動きもあったが、ジャリア王はそれに応じなかった。
 こうした背景もあって、今回のジャリアの大陸間相互会議からの脱退と、ジャリア軍のウェルドスラーブへの軍事行動に対しては、西側諸国からの圧倒的な非難が上がり、同国に対して厳しい姿勢をとることで、各国は一致するところとなった。
 本来は山中でひっそりと平和に暮らしていたはずのシャネイたちは、今や大陸間の騒乱の狭間にさらされることとなった。諸外国からの対ジャリアへの反感の中には、そうしたシャネイ族への虐待の事実が少なからず作用していたのだが、当のシャネイたちにとっては、それらが実際の助けになるわけでもなかった。
 亜人種のシャネイが発見されてから二百年、忌まわしきシャネイ追討令が発せられてから、現在は十六年がたっていた。


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