水晶剣伝説 U ジャリアの黒竜王子

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  公爵の訪問 

 そうして、また十日あまりが過ぎたころ。
 その日の稽古を終えたレークは、いつものように丘の上の花畑で軽く昼寝をしてから、夕鐘の響きとともに家路についた。口笛を吹きながら、石畳の坂道を軽やかに下り、もうすっかり自分たちのすみかとなった、二階建ての家の青屋根が見えたところで、彼はふと足をとめた。
「ん?誰か来てんのか……」
 このあたりは、宮廷内でも大貴族の屋敷が集まる辺りからはやや離れた、どちらかというと林や木立に囲まれた閑静な場所である。騎士団の宿舎や稽古場にも近いこともあって、元は小貴族の離れかなにかだったろうこの屋敷が彼らの住まいになったのであるが、ここに住みはじめてから誰か、他の貴族や騎士などの来客があったことはなかった。
 今その屋敷の前には、意味ありげに黒塗りの馬車がとめられていた。レークはいぶかしげにその馬車を横目に、家の扉に近づいた。
「おや、お帰りなさいませ」
 扉を開けるとすぐにマージェリが出迎えた。家政婦兼炊婦として一緒に屋敷に住みはじめたこの大年増の陽気な女は、すっかりかれらの乳母でもあるかのようになにかれとなく世話をやき、てきぱきと働いていた。はじめのうちはそれに慣れず、うっとおしくも感じたレークだったが、今ではマージェリの作る豆のスープを食べないでは出掛けられないし、毎日騎士の練習服を汚してきても、翌日にはしっかりと真っ白な肌着やしわのないマントが差し出されると、彼はこの手際のいい家政婦へのひそかな感嘆を覚えずにはいられなかった。
「誰か来ているのか?おもてに馬車がとまっていたが」
「ええ。オライア様ですわ。いま上でアレイエンさまとお話なさっています」
「オライア?ええと……だれだっけ。どっかで聞いたような名だが……」
「すぐにお食事にしますか?アレイエンさまからは、レークさまが戻られたらすぐに部屋にお通しするようにということでしたが」
「ううむ、ハラはへってんだが……ま、とにかく上行ってみるわ。客が誰なのか気になるし。一応スープあっためといてくれ」
「はいはい」
 炊婦が台所へ向かうのを見送って、レークは階段を上がった。
(うーむ、オライア、オライア……たしか、そんな名の貴族がいたよなあ)
 その名前がいっこうに思い出せない。二階の廊下を歩いて、扉の前に立つ。
(ま……いいや、会ってみりゃわかるだろ)
「オレだ。入るぜ」
 居間の扉を叩くと、中からアレンの声がした。
「レークか。ちょっとまて……」
 しばらく間があってから、内側から扉が開いた。いつもと変わらぬ穏やかな表情でアレンが出迎えた。
「待っていたぞレーク」
「なんだ?扉に鍵かけていたのか」
「ああ……念のため、な」
 レークが部屋に入れると、アレンはまた扉の鍵を閉めた。
「客が来ているそうだが、いったい誰が……」
 言い終える前に、向かいの椅子に座っていた人物がすっと立ち上がった。
「レーク。こちらは……」
 レークは目を見開いた。アレンが紹介するまでもなく、それが誰なのかを一瞬で思い出したのだ。
「わしのことは覚えておいてもらえたようだな」
 目の前に立つのは体格のよい四十絡みの貴族だった。見事な口髭をたくわえたその顔つきには、ある種の人間にのみ備わる、おおらかな重厚さというものがあった。
「オ、オライア……公爵」
 そこにいたのは、トレミリア王国の宰相、オライア公爵その人だった。
「さて、堅苦しい紹介は無用。こちらにかけるがよい」
「ああ、じゃあ……」
 レークが向かいの席につくと、オライア公は二人を面白そうに見比べた。
「ふむ。こうして並んでいると、あのときの剣技会のことが思い出されるようだな」
 驚いたことに、公爵は供の者一人すらつけず、ここにやってきたようだった。
「わしもいろいろ面倒な役職を持った身でな、このように忍びで抜け出してこないことには、いつまでたってもおぬしらに会えぬのよ。さすがに御者は仕方ないが、それでも口の固い者を選んだ。身なりも目立たぬよう普段着のままでな。そのようなわけで、いつもの宮廷服ですらないが無礼は許されよ」
 レークの目には、剣技会での赤い縁無し帽と藍色のマント姿の堂々たる風貌が、印象的に焼きついていたので、上等だが簡素なベージュの短ローブ姿の公爵は、一見するとごく普通の貴族にしか見えなかった。しかしながら、やはりそのどっしりと落ちついた物腰や、なにものをも見逃さぬかのような深いまなざしは、この温和な紳士が決して名のみの宰相ではないことをまた物語ってもいた。
横にいるアレンはやわらかな微笑みを浮かべていたが、たった今帰ってきたレークにすれば、いきなりトレミリア宰相たる公爵が目の前に現れたのだから、なかなか驚きが消えぬのも無理はない。
 なにしろ、あの大剣技会における、モランディエル伯への告発劇に際し、公爵はその進行役として立ち振る舞い、二人とも多くの言葉を交わしていた。そしてまた、すべての陰謀があばかれ、宮廷騎士の地位を受けたレークが、その叙任式で騎士となったのも、国王の横に立つ公爵に見届けられてであった。つまり、レークにとってみれば、オライア公はひとかたならぬ縁ある人物といってよかったし、あの陰謀劇のさなかにも、公爵が常に公正であったことに、密かに好感を覚えてもいた。
「あ……えーと、いつか、その……お礼を申し上げようと、思っていたんだが……いや、ですが……。オレ……いや自分も、あの事件ですっかり世話になったし……」
 慣れぬ敬語を使い、必死に言葉を探すレークに、オライア公は口元をゆるめた。
「どうもおぬしは丁寧な言葉は苦手なようだの。こちらのアレンとは違って」
「は、はあ、すまね……いや、もうしわけござ……り」
「よいよい。慣れぬ言葉は使わずとも。それにおぬしから礼をいわれるすじもない。剣技会でのいきさつは、改めて細かな事情などをさきにアレンより聞いたが、おぬしらは要するに被害者、モランディエル伯に利用されたわけだからな。わしはわしで、あのときは自分の直観に導かれて行動し発言したわけだ。それが正しかったのだから問題ない。あのビルトールより、なぜかおぬしたちの方が信じられるように思えたのは不思議だが、今考えれば、それではこのわしの直感もまんざら捨てたものではないというわけよ」 
 髭をなでながらそう言うオライア公に、アレンは改まって礼を述べた。
「おそれいります公。我々があの窮地を脱し、おそれ多くもこの大トレミリアの宮廷人となる栄誉を授かりましたのも、やはり公のお力、その公正さと至誠のお蔭かと。あらためまして、私からもお礼を述べさせていただきます」
「ふむ。おぬしからそう言われると、自らのしたことを誇らしく思えるようだの。これは驚いた。それが単なる媚びへつらいではなく、なんというか、おぬしには人としての深い品のようなものを感じる」
 うやうやしく頭を垂れるアレンを見て、感じ入ったように公爵はつぶやいた。
「顔を上げられよ、アレイエンどの。そのような礼にはおよばぬことは今申したはず。それよりも今は……」
「そうでした。お時間をおとらせしたからには、必要な事項の確認をいたしましょう」
「うむ。そなたは頭の回転が早くて助かる。さて、レークどの……いや、今はもう騎士であるから、卿、とよんだほうがよいのかな」 
「ああ……ええと」 
 レークは少し困ったように、ちらりと横のアレンを見た。
「レーク。お前が戻る前に、もう俺たちのことはすべて話してしまったよ」
「すべて……って」
「そう。すべてな。俺たちがこの国に来た目的も、剣技会に参加した理由も、もちろん剣技会での陰謀に関することもあらいざらいな」
「そ、そうなのか……」
 レークは驚いた。これまで自分たち二人の胸のうちにしまってきたもの……水晶剣のことやその魔力のこと……それらをアレンがいとも簡単に他人に話すなど、ありえないことだったからだ。
「おい、それじゃ……すい」
「ああ。俺たちが、あの剣を探していることもな」
 レークの言葉を遮るように、アレンは言葉をかさねた。
「俺たちが、実は東の帝国アスカの出身で、親父の形見の剣を探して旅に出たこと。旅を続けるうちにとある商人からそれらしい剣の噂を聞き、このトレミリアにたどり着いたこと。首都で開催される大剣技会の告知を知り、それに参加するためにフェスーンに入ったこと。それからの数日間、俺たちの巻き込まれた陰謀や、その経緯についても知るかぎりはお話ししたよ」
「そうか……」
 相棒の顔を見て、レークにもようやく察しがついた。どうやら、アレンは水晶剣についての具体的な話を除いては真実を語ることにしたらしい。確かに全てを嘘で固めてしまってはほころびも出やすいだろう。ある程度の真実をもって接することで、まずは相手の信頼を得ることこそが肝心なのだと。
「そうだな。なにもかも話しちまったなら……その方が楽かもしれねえな」
 レークは、少々わざとらしかったが……そうつぶやいた。
「ああ、だから俺の方からはもう、ほとんどすべての事情を公爵にお話しした。あとは、お前から聞きたいことがいくつかおありになるそうだ。レーク、偽りなくお答えしろ」
「ああ、分かったよ」
 二人のやりとりをじっと窺うようにしていたオライア公は、あらためてレークに向かってうなずきかけた。
「わしがここに来た理由は、別に剣技会でのあの陰謀の後始末というわけではないのだ。それについてはもう終わったこと。先日にビルトールを訪ねて、あやつからいくつか確認をとったが、おぬしたちが嘘を言っておらなかったことは確かなようだ。じつは正直、あの剣技会でのアレンの答弁は、ひどく出来すぎておると感じなくもなかったのでな。だが、他の何人かの人間にも話を聞き、今日こうしてアレイエンから再び事の詳細を聞いて、あれがまことに真実であったこと、このアレンという若者が類まれな才知の持ち主であることが分かった。してみれば、すべてはまことであった。あの陰謀を見事解決してみせた機知と勇気も、そして剣の腕前も。そう考えれば、逆にモランディエル伯の方こそ、このような二人の才覚ある剣士をそれと知らず巻き込んだのが運の尽き。自らの失態に加え、おぬしらの冷静な働きが、計らずともあのような結末をよんだのだろうよ」
 公爵は髭をなでながら、二人の剣士を見比べた。
「それにしても見事だ。さきほどアレイエンが話した物語は、まるでどこかの英雄譚を聞くように手に汗握ったわ。剣を取っては、この国の英雄ヒルギス、ブロテをもしのぐレークと、さかしまな陰謀を見抜いたアレンの機転と勇気ある立ち振る舞い、その論理的な弁舌、おぬしこそまるで伝説の騎士宰相エイリオンのようだな」 
「それはあまりに身に余るお言葉。かえって恥じ入るばかりです。この私も、レークも、しょせんは一介の浪剣士。このような雅びな宮廷にて、恐れ多くもトレミリア宰相閣下のお言葉をいただくだけで、身も固くなります」
「如才ないな。その言いよう、振る舞いも、どう見てもただの放浪剣士とは思えぬ。やはりそちの言うとおり、そなたらが、かの東の大国アスカの貴紳であるというのは、本当らしい」
 それにアレンは黙って頭を下げた。
「さて、残念ながらあまり余分な時がないのでな、さっそくいくつか聞かせてもらうが、レークどの。よろしいか」
「は……ああ」 
 レークはいくぶん緊張して顔を引きつらせた。ちらりと横目でアレンを見るが、澄まし顔の相棒は黙って茶をすすっている。 
「大体のことはもうアレイエンから聞いた。あとはいくつかの……そうほんの些細なことにすぎん。よいかな」
「はあ」
「まずは、おぬしらが探しているという、その剣のことだが……父君の形見、ということだが、それはおぬしの父上のかね?」
「いや。アレンのです」
「すると、そなたは単にアレイエンの友人で、血のつながりはないのだな」
「そうです。こいつとは幼いころから一緒に育った仲で、まあほとんど兄弟のようなもんですがね」
「ではその剣とは、おぬしにとってはさほど特別なものでない、こちらのアレイエンが探す手伝いをおぬしはしているにすぎないと、こういうわけだな」
「まあ、そういっちまえばそうですがね。ただアスカの宮廷貴族だったこいつの親父さんにはオレもずっと世話になったし、ほとんどオレにとっても実の父みたいなもんだったんで……」
 レークはどこまで話してもいいものかと、またちらりとアレンの方を見たが、相棒変わらずは穏やかな微笑を浮かべうなずいている。
「だから、アレンのやつが、ちょっといろいろあって国を出るときも、その形見の剣を探すという目的もあったんで、当然のようにオレも供をしたわけで」
「なるほど。では、おぬしはその剣をじっさいには見たことはないわけか」
「ええ、まあ。アレンの話にいつも聞いてはいましたが」
「その剣が、おぬしらにとってそれほど重要なわけはなんなのだ?単に父親の形見というだけで、国を飛び出して、今までの生活をすべて捨て浪剣士の身になってまで、探し回るほどの価値があるとも思えんが?」
「まあ……そういわれりゃ、そうかもしれませんが……」
「レーク。かまわん、もう話してしまってもいいんだ。いまさらとりつくろったところで仕方ない」
「では、あの力のことも、言っちまっていいんだな?」
「いいさ。もう、隠しておいても……俺たち自身には何の力もないんだから」
 アレンの言葉を受けて、レークはいくぶん顔つきを変えた。
「オレもじっさいにはその剣を見たことはなくて、アレンは小さい頃に見たらしいですが……オレは話に聞いただけなんですがね。その剣にはアスカの古代王国から受け継がれた不思議な力があるということなんですよ」
「ほう」
「一説には、その剣に埋め込まれた宝石の力は国を滅ぼすほどの力があるとか。その他にも、その剣を手にしたものは相手を触れずして倒せるとか、そんないろんな言い伝えがありまして。まあオレたちにとっちゃあ、そんな力にも興味はなくはないけれど、一番の目的は、その剣を持てば世界最強の剣士になれるってことですな。なにせ、俺たちゃ浪剣士。旅から旅へと国を渡り歩き、自らの剣技で金を稼ぐわけで。そんな最強の剣がありゃあ、賞金もがっぽりかせげるし、生活には困らない」
「しかし、おぬしらはなにもそのような剣に頼らずとも、今回の剣技会のように二千人の剣士たちの中でも見事に勝ち抜き、こうして優勝し騎士にさえなったのだ。いまさら、いくら親の形見とはいえ、そうまでしてその剣を探し出すこともないのではないか?また、この広大なリクライア大陸で、ただの噂を頼りに一本の剣を見つけ出すなど、到底かなうことではないとも思うが」
「そうですねえ……オレもずっとそう思ってはいたんだが」
 レークはもっともらしく腕をくみ、うーむと唸ってみせた。
「なあ、どうするアレン?なんならそろそろやめるか。剣探すのをさ。なんかさ、最近は宮廷暮らしも慣れてきたし、このままこうやって騎士でいるってのも、まんざらでもねえかなって思ってきたんだが」
「でも、あれは親父の……」
 不服そうにアレンは唇をかんだ。 
「もういいじゃねえか。いくら大事な形見だっつったって、それを探すのに何度も危険にあってさ……今回のことだって、そのためにあわやオレは売国奴にされかけて死ぬとこだったんだぜ」
「だが、ちゃんと助けただろう」 
「ああ、それについちゃ貸し借りなしだってこの前も言ったよな。しかしそれにしたって、オレたちはもうこの宮廷にやっかいになってんだぜ。オレは礼儀だ忠誠だってのは嫌いだがよ、一飯の義理ってやつあ返さにゃならんだろう。仮にもオレは騎士ってやつになったわけだし」
「それは……そうだが」
 腕を組みうつむいたアレンを見て、公爵が口をはさんだ。
「まあ、今ここでそのことを言い合っても仕方なかろう。確かにレークの言うとおり、おぬしらはすでに宮廷人なのだから……好むと好まざるとにかかわらずな。軽はずみな行動、とくに今の情勢だからな、他国を刺激するようなことになるのは、我が国としてはばかられる。そう、おぬしらはそれらをよくわきまえて言動に責任をもつべき立場にいる」
「はあ……」
「ただ、アレンの気持ちもあるだろう。おそらく立派な父君であったのだろうな。その形見を探し旅を続けてきたその一念は、跡取りとしては行動力ある得難い息子と、きっと父君もあの世でお喜びであろう。しかし、先も言ったように、今現在のリクライア大陸の情勢は、さよう、かつてないほどの危険をはらんでおる。おそらくもうそなたらも、多少は知っておろう。またそうだからこそ、モランディエル伯のようにそれを利用し金を稼ごうなどと企む輩も出てくるのだが」
 公爵はひとつ間を置いてから、それを言った。
「つまり、それは北からの脅威……すなわちジャリアの進軍のこと。これについておぬしらはどこまで知っている?」
 すでに、窓の外は夕闇に包まれてはじめていた。木々に囲まれたこの屋敷からは、青の砦と呼ばれる南側の城壁に灯る松明の火が望見できる。
「ジャリア……。北の大国ジャリアが、トレミリアの友好国であるウェルドスラーブに対して兵を差し向けたのは知っています」
 慎重に、言葉を選ぶようにアレンが切り出した。
「といっても、町の酒場などで商人たちが噂しているのを耳にした程度ですから、その信憑性は測りかねますが。自分なりにそれを整理しますと、先の剣技会のさらに十日ほど前、ジャリア軍の約二千の兵がウルド山地の南側、すなわちウェルドスラーブ北端の都市バーネイの、ヴォルス内海を挟むその対岸に陣をはった。今年に入ってからジャリアとアルディとが相次いで大陸間相互援助会義から脱退したことは、すでに広く知れ渡っていましたから、このような状況もいずれはくるかと予想はしていましたが。しかしこのジャリアの行動は非常に迅速でした。また、これも確かな情報かは分かりませんが、そのジャリア軍の先鋒隊にあの残虐王子と呼ばれるフェルス・ヴァーレイ王子の姿を見たという噂も、とある商隊から聞きました。ジャリア、アルディ、ウェルドスラーブの三国はかねてよりヴォルス内海を囲んで三すくみの状態にあり、互いに牽制し合っていましたが、ここでジャリアとアルディが手を組んだ……少なくともなんらかの条約を結んだであろうことは明白です。ヴォルス内海北側の都市は自治都市ではありますが、事実上アルディにその統治権があったわけですから、ジャリア軍がそれらの都市を素通りし、ウェルドスラーブにこれほど接近するまで、アルディ側がまるで声を上げないというのはありえません。つまりアルディはジャリア軍に自国領内を通過させた。これはこの二国による共謀であり、大陸間相互会議の取り決めを無視した軍事行動であるとみなさなければならないでしょう」
「ふむ……フェスーン宮廷内にさえ、そこまで事態を把握している者はほんの一握りなのだが。情報は城壁を越えるというがまさにそうだな。市民たちの間では、もうそこまで具体的な話題が頻繁に交わされているのか」
「たしかに個々の情報は、あてのない流言飛語とともに町にはあふれております。ただ、それらの真偽を多くの人々は確かめるすべはもってはおりません。ですから、たとえどれが真実でどれが虚言であっても、市民たちにとってはみな等しくそれらは情報であり、噂であるにすぎないのです。生意気なことを申しました」
「いや、そなたの言うとおり」
 公爵は大きくうなずいた。
「噂はしょせんは噂でしかない。しかし、どのような噂にもそこに一片の真実も含まれぬというわけではない。それを見抜く、おぬしのような者にこそ、まことの相が読み取れるのだろうな。続けてくれ」
「はい。ですから、このフェスーンで行われた大剣技会も、それらジャリアの脅威に際してトレミリア側がうった傭兵集めの算段……市民たちの間ではそうしたことも話されていました。実際に我々が戦った試合においても、各地からやってきた傭兵志願の剣士たちが大勢おりました。そうして大剣技会は行われ、途中例の陰謀劇はありましたが……トレミリアとしてはおおむね当初の目的どおり、数百名の優秀な傭兵を集めることができた。今のところ私が知っている事情はそれくらいのところです。ただ、これはまったくの私の推測ですが……」
「うむ」
「おそらくすでにジャリア軍はすでにもう次の動きを、兵員の増大なり、陣地の増強、あるいは拡大など……を行っているのではないかと。また、そろそろウェルドスラーブに対して……ということは、その友好国であるこのトレミリアやセルムラードに対して、なんらかの働きかけをしてくる頃だと思われますが」
「その、とおりだ……」 
 目の前の金髪の若者をじっと見つめ、公爵はひとつ咳払いをした。
「ここでは、まだおぬしらに詳しい事柄を話すわけにはいかんが、そう、そこまで事態を読んでいるのなら話が早い。アレンの言うとおり、事態は非常に切迫している……というより切迫しつつある。それも急速にな。おそらくは近いうちに、この国も出兵することになるだろう。それについては全ての騎士団が例外ではない。おお、むろん、宮廷騎士団が出兵に加わることはないだろう。あれは若者の集まり、実戦向けの騎士団ではないからな。ただし、そう……その中でも腕のたつもの、騎士として十分な訓練を受けている数名を徴集することにはなるやもしれんが」
 レークのほうを見て、意味ありげに言った公爵だったが、すぐに言いなおした。
「もうこのような持って回った言い回しは無用だな。お互い腹のうちを見せてしまった方が無用な時間をつぶさずに済むか。さよう、つまりおぬしの剣の腕だ。レークどの。あの剣技会でとくと見せてもらった。ヒルギス、ブロテを倒し……おそらくローリングとてかなうまい……この国の名だたる騎士たちを見事に打ち倒したあの剣技。おそらく、実戦でも相当鍛えたものと見えるが?」
「はあ……そりゃまあ、旅のあいだは毎日が実戦のようなもんだったし……」
 レークはぼりぼりと頭を掻いた。
「その力をこの国のため役立ててはくれぬかな」
「それは……オレに傭兵になれってことですかい?」
「傭兵……とはいわぬ。そなたは騎士となったのだからな。また、いますぐにどうというようなことでもない。ただ、騎士団への徴集があるような場合には、そなたもその対象となるということじゃ。そしてそのときには騎士として、国のために共に戦ってくれるかと訊きたかったのだ。わしが今日ここに来た理由も、こうして直接におぬしらに会い、その真意を確かめるためだったのだから。剣技会での陰謀解決の手際を見ても、おぬしらがそこいらの浪剣士でないことは分かっていたが、こうしてじかに話してみて、それがあらためて確認できた。また、おぬしらそれぞれに質問をさせてもらったが、少なくともそこに虚言と思えるものはなかった。わしの方も、できる限りは率直に話をさせてもらったので、お互いの信頼を少なからず得られたと思うが、いかがかな?」
 二人の剣士を交互に見ると、公爵はにやりと笑った。
「まあいい。それほど急ぐこともあるまいな。今日はこの辺で帰ることにしよう。それからアレン、先程の件はなんとかしよう。宮廷内で何か仕事をもちたいというが、おぬしならきっと問題なかろう。どんな貴族とでもやってゆけそうだ。モスレイ侍従長に話を通しておくゆえ、いずれ直接会って相談するがよかろう」
「は、有り難うございます」
 立ち上がった公爵は手を差し出した。アレンはうやうやしくその手を握り、レークもあわてて稽古で汚れた手を服でぬぐって握手した。
 公爵とともに二人が階下に下りると、炊婦のマージェリが見送りに待ち構えていた。
「どうだね?このマージェリはよくやっているかな?」
「え、ええ、まあ……」 
「彼女の作るスープは絶品だからな。またあらためて御馳走になりに伺おう。マージェリはな、元はわしのところの侍女だったのだよ。子供のころからのな」
 公爵の言葉に、恰幅のいい家政婦はうれしそうに頭を下げた。
「またのお越しをお待ち申しております。オライア公爵さま」
 そうして公爵が去っていったあと、部屋に戻ったアレンは低い声で切り出した。
「どう思う?」 
「どうって、なにが?」
「公爵は、俺たちの言葉を全て信じたかな」 
「ああ……、どうかね。しかし、まあ驚いたぜ。部屋に入ったら、いきなりあのオライア公がそこに立ってるんだもんな」
 レークは台所からくすねてきたワインを開け、それをなみなみとグラスに注いだ。ここに来てからはガラスの器にも馴染み、今では愛用のワイングラスまで決めている。
 がぶりとワインを一飲みすると、レークはほっと息をついた。
「でもまあ、おおむねうまくいったんじゃねえのか?以前から口裏を合わせることにしておいたのが役に立ったな」
「ああ……しかし」  
 アレンの方は、能天気な相棒ほどには安心してはいないのか、部屋の中をゆっくり歩きながらなにかを考え込むふうだった。
「さすが、知謀に長けたトレミリア一の切れ者宰相といわれるだけはある。自分の手の者を使って俺たちに見張らせていたとはな」  
「ああ、マージェリのことか」 
「うかつだったな。何かあの女に聞かれていなければいいが」
「大丈夫だろ?あのおばさん、そんなにあくどい奴じゃなさそうだし」
「お前は気楽でいいよ」
「だって、どっちにしてもさ、オライア公がそれを自分からばらしたってことは、もうオレらを信用したってことなんじゃねえか?それに、今日だってオレたちは何も嘘は言ってねえし……アスカの貴族うんぬんはつい口を滑らせたが」
「いや、それはいい。そうした背後があると思わせておいた方が、ただの放浪剣士よりも案外信用を得られることもある」
「そういうもんかね」
 レークはふんと鼻をならし、またどぼどぼとワインを注いだ。
「お前も飲むか?さすが貴族サマの飲まれるワインだ。ただの浪剣士にはもったいない味だぜ。これだけでも騎士になったかいがある」
「いや……とにかく。今後も色々と宮廷の貴族たち、騎士たちに何事かを訊かれたり、調べられてもいいように、公爵に話したことを基本にして、俺たちの目的、出身、素性などについては話を統一しよう」
「それはいいがよ。すいしょ……、いや……剣のことはさ、どうする?さっきみたいに親父の形見で今後も通すのかよ」
「そうだな……」
 アレンはそっと懐に手を入れた。そこから小さな革袋を取り出すと、慎重な手つきで中から小さな短剣を取り出した。短剣の柄の先には、小さな紫水晶がはめ込まれ、うっすらとあやしい光を放っている。アレンはそれをろうそくの炎にかざした。
 目を閉じたままアレンはしばらく動かなくなった。のぞき込むようにレークがそばに寄る。
「……やはり、ないか」
 目を開けるとアレンはつぶやき、相棒に訊いた。
「今、水晶には何も見えなかったか?」
「ああ。ちょっと青く光ったようにも見えたがな……オレには分からん。お前みたいに魔力を見る力なんぞないからな」
「ここに来てひと月近く、毎日のように宮廷内を歩き回りながら探しているんだが……」
 口惜しそうにじっと水晶を見つめてから、アレンはまた短剣を革袋に入れ、大切そうに懐のかくしにしまいこんだ。 
「ならやっぱ、他の国にあんのかね」
「そう、国だ。しかも大国にある。それは間違いない。剣の魔力にひかれ、そして剣が人を選ぶのだ。地位ある者、そして力ある者に剣はとりつくはず……」
「それも、マーゴスの言葉ってやつか?」 
「気安くその名を口にするな、レーク」  
「はいはい。そうでした」 
「空気が揺らぐ。彼らは敏感だ。自分の名が空気を揺るがし、その言霊の力で相手の存在をはかる。我々は彼らを利用するが、ときには逆におびやかされもする……」
「けったいな連中に乾杯……」 
 レークはにやりとしてワインの杯を上げた。アレンの方は笑いもせず、ただ窓の外の暮れゆく夕闇の風景にじっと目を凝らすようだった。
        


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