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水晶剣伝説 XIII 北へ、


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 その翌々日の夕刻、
 沈みゆくアヴァリスを背にして、街道を東へと進む一行があった。
 ジャリア南の国境都市ナンドから、北東へと伸びるこの街道は、近年ではずいぶんとすたれ、とくに草原のいくさ以降は、山賊化したジャリア軍の残党がよく出没することもあって、一般の隊商や旅人などの姿はめっきり少なくなっていた。
 いまその街道をゆくのは、二十騎ほどの騎士たちの隊列であった。鎧姿に長剣を帯びた馬上の騎士たちは、恐れる様子もなく悠々と夕暮れの街道を進んでいる。隊列の中ほどには二頭立ての馬車があり、騎士たちはその護衛を務めているようであった。
 おそらく、いかに山賊やジャリア軍の残党であろうと、このように見るからに正規軍の騎士たちを相手に襲い掛かるというリスクは犯すまい。訓練された二十数騎の武装した騎士たちと戦えば、それ相応の代償を覚悟せねばならないのだ。
 だが、いま、赤く染まった街道の暗がりから、ぬっと現れた馬影があった。
「そこの。何者だ。道を開けろ!」 
 騎士たちの行く手をふさいだのは、たった二騎であった。その馬上にいるのは、山賊ともジャリア軍の残党とも思えぬ、美貌の若者である。
「そちらは、エイナー伯ご一行と承るが、いかがか」
 通りのいい涼やかな声であった。
「何者だ、お前たちは。こちらをアルディの正騎士隊と知っての妨害か」
「そこをどけ。さもなくば実力行使で蹴散らすぞ」
 たった二騎で、二十数人の騎士を相手にできるはずはない。騎士たちはそう油断していたのだろう。
 いきなり、その二騎が、まっすぐに突進してきた。すれ違いざまに剣がひらめく。
「うわっ、」
 鮮血がしぶいた。
 よける間もなく、先頭の二人の騎士が、馬から転げ落ちた。
 続いて、次の二人が同じように、首を切られて転がり落ちる。
「な、なんと……」
 兜をかぶり直す暇もない。ようやく抜刀した騎士たちであったが、すでに隊列は混乱に陥っていた。
「敵襲!」
「ジャリアの残党だ!」
 隊列の両側をすり抜ける二騎は、次々に馬上の騎士を切り付けながら、素早く移動してゆく。その息の合った動きに、騎士たちは追いつけない。馬首を巡らそうとしてバランスを崩したり、あるものは馬から飛び降りて、馬車を守りに行ったりと、大変な混乱を極めていた。
 そこへ、今度は後方から別の一騎が現れた。
「気を付けろ、後ろからも来たぞ!」
 後方から隊列に突進してくるその馬には、いかにも屈強そうな剣士が乗っていた。重そうな長剣を振り回し、騎士たちに襲い掛かる。
「うわっ、なんなんだこいつらは!」
「気を付けろ、かなりのの使い手だぞ!」
 騎士たちは叫びながら、前と後ろを見回して、次に襲ってくる剣に備えなくてはならなかった。とくに、最初に現れた二騎の攻撃は恐ろしいまでに速く、巧みだった。いまではすでに、隊列の半数以上が落馬し、多くの騎士が傷を負っていた。
「落ち着け、相手はたった三騎だ。動きを見て挟み撃ちにするのだ!」
 隊長格らしい騎士が叫んだ。
 さすが訓練された騎士たちは、いっときの混乱から立ち直ると、ただちに体形を整えた。
「馬車を守れ!」
 馬を降りたものは馬車の周囲を取り囲み、戦う態勢をとった。
 またたくまに戦場に変わった夕暮れの街道、 
 辺りには叫び声と、血の匂いが充満し、この襲撃の迅速さと、そのすさまじさを物語っていた。
 夕闇に一瞬、静寂が訪れた。残った十数名の騎士たちが、緊張に息を飲んだその直後であった。
 街道の前後から、同時に騎影が突進してきた。
「来るぞ!」
 接近する馬蹄の音が、またたくまに交差する。
 すると、ひらりと馬上から人影が飛び降りた。軽やかに地面に降り立つや、騎士たちの意表をついて、低く切り込んできた。
「おおっ!」
「ぎゃあっ!」
 凄まじい速さの剣に、足や腕、首を斬られた騎士たちが地面に転がり、叫ぶ。
 さらにそこに、いままでどこに潜んでいたのか、道の両側から新たに数人の剣士が現れ、傷を負った騎士たちに一斉に襲い掛かってきた。そのうちの一人は恐ろしく背が高く、巨大な剣を振り下ろしてくる。他にも、すばしこい動きで、走りながら次々に短剣を刺し込んでくるものもおり、騎士たちは再び混乱に陥った。
「馬車を、馬車を守るのだ……」
 だがその声も、途中で途絶えた。
 残っていた騎士たちも、前後左右から、個別に襲い掛かってくるこの相手に、しだいに追い詰められ、恐怖の色を隠せなくなっていた。
「よせ、やめろ」
「助けてくれ……」
 襲撃の剣士たちは、夕やみの中に血の色を隠すかのように、命乞いをする騎士たちに容赦なくとどめを刺していった。
 いまや、残ったのはたった数人となった。騎士たちはすでに戦意を失ったのか、剣を構えるのをやめ、ただ呆然と襲撃者を見つめるだけだった。
「お前たちは、何者なんだ。なぜこのような……」
 だが、それに答えがあるはずもない。
「あとは、おまかせを」
 返り血を浴び真っ赤になった胴着の若い剣士が、隣の金髪の青年に告げた。アヴァリスの残照に黄金に輝く髪をもつその若者の姿を、騎士たちは最後の記憶にとどめたに違いない。
 剣を手にて恐れげもなく歩み寄るのは、しなやかな体つきと肩まで伸びた黒髪の、ほとんど少年めいた顔の剣士である。任務を遂行するだけの冷酷さを宿した目で、騎士たちに音もなく近づくと、空気を裂くような音とともに、その剣をひらめかせた。
 騎士の一人が声もなくその場に崩れた。残ったものも同様であった。技量が違い過ぎた。何度か剣を合わせるのが精いっぱいだった。
「これで全員ですね」
 剣先の血をぬぐい、戦いのあととはとても思えぬ静かな声で、彼は己の主に告げた。
「馬車にいるエイナー伯は、どうするのです?」 
「私がやろう。御者は片付けたな」
「はい」
 金髪の剣士は、騎士たちの遺体が転がる馬車の方へと近づいた。
「あわ、あわわ……」
 馬車の扉を開けると、そこには怯えきった様子で泡を吹く、中年の男が座っていた。額にはべっとりと汗をかき、顎髭にはよだれが滴っていた。
「ご無礼を。エイナー伯ですな」
「な、なに、なに……おまえらは」
 恐怖に顔を引きつらせた伯爵は、座席の上で後ずさり、震える声で言った。
「わ、わわ、私を殺すのか?」
「私は、レイエン。我々はあなたを山賊の手から守ったのです」
「な、なにを言っている……」
「さあ黙って。そしてこれを見てください」
 そう言って、金髪の美剣士は懐から小さな短剣を取り出すと、なにかをぶつぶつとつぶやいた。短剣を相手の顔の前に近づけてゆく。
「あなたは、我々に命を助けられた」
 そう言葉を続けると、奇妙なことに伯爵の身体がびくりと震えた。
「あなたは、助けられたのだ」
「た、たすけられ、た」
 抑揚のない声で、伯爵はぎくしゃくとそう繰り返した。
「あなたは、総督として、これからトラウベへゆく」
「とらうべ、へ、ゆく」
「何も考えず、総督として、のんびりしていなさい、それだけでけっこう」
「なにも、かんがえ、ず、のんびりと……」
 見開かれた伯爵の目に意志の光はなく、まるで操り人形のように口を動かすだけだった。
「それでいい。なにもせずに、なにもせずに、忘れてしまうのだ」
「なにもせず、わすれる……」
「そう。あとは眠っていなさい。目が覚めたらトラウベにいる」
 また短剣をかざし、何かをつぶやくと、伯爵はそのまま座席で目を閉じた。
「これでよし」 
 短剣をしまい、何事もなかったように馬車を降りると、彼は短く仲間に告げた。
「終わった。いくぞ」
 アヴァリスは最後の残照を残して、山間に沈みかけていた。夕やみの濃くなりだした街道に、伯爵を乗せた馬車が再び動き出した。手綱をとるものも、護衛役の騎士も、すっかり別の人間に替わっていたが、それが総督を連れた一行であるには違いなかった。



「お父様、今日も遅くなるの?」
「ああ、ここのところ市庁舎での仕事が増えたのでな。すまないがね、夕食は先に食べてしまっていいよ」
 玄関先で娘のメリッサにつかまったブレナン伯爵は、言い訳がましく付け足した。
「これというのも、あの金髪の悪魔のせいなのだが」
 そのつぶやきまでは娘の耳には入らなかったようだ。メリッサは首をかしげて、父親を見た。ここのところ、とても忙しそうに出かけてゆく父の姿に、奇妙な変化を感じ取ってもいたのだろう。伯爵のその顔は、これまでのような疲れた倦怠の空気をまとわせてはおらず、むしろ朗らかな笑顔を浮かべることも多くなっていた。
「だが寂しくはないだろう。屋敷にはレイエンどのとカシル、それに、いまはあの子もいるからな」
 伯爵は、嬉しそうにその名を呼んだ。
「ティム、いるかね、ティム」
 ややあって、いくぶんもじもじとしながら現れたのは、ブラウンがかった黒髪をきれいにまとめて背中に垂らし、刺繍の入った白の胴着に淡い薄紅色の長スカート姿の少女だった。
 伯爵の前に立ち、まだなんとなく恥ずかしい様子で、少女は身をよじった。
「少しずつ、そういう恰好にも慣れていかないとな」
「はい……」
 その様子は、すでに伯爵令嬢と言って差し支えない。見違えるように品が良く、そして可愛らしい様子だった。着ていたのはどれもメリッサのお古ではあったが、十分に綺麗で質の良いものであったし、ティム自身も母親から受け継いだアスカ貴族としての品のある顔立ちをしてもいたので、そうした服装がちゃんと似合いもしたのだ。
「まだここにきて三日も経っていないのだから、当面は屋敷の生活に慣れることだな。あとメリッサはお前の姉なんだからね。なんでも訊くといい」
「うん」
 メリッサの方をちらりと見て、ティムはうなずいた。いきなり自分に父親と姉という家族ができたのだから、戸惑うのも無理はない。伯爵は優しい目で、二人の娘に笑いかけた。
「ではいってくるよ。メリッサ、ティムのことをよろしくな」
「はあい」
 答えたメリッサの方も、最近伯爵と父娘らしい会話が増えてきたことが、嬉しくなくもないという様子であった。そしてなにより、歳の近い妹ができたことを、内心ではとても喜んでいるのだろう。
 伯爵が出かけてゆくと、二人は顔を見合わせた。
「じゃあね、ティム。今日はお屋敷の向こう側を案内するわ」
「うん」
 二人は手をとって、楽しげに廊下を歩き出した。やがて、フフフ、フフフ、と少女たちの華やいだ笑いが響いてきた。
 
 その夜、帰宅した伯爵の部屋には、数日ぶりに金髪の美剣士の姿があった。
 燭台には珍しく火がともされ、向かい合った二人は、すでに密約を交わした共同体であるとばかりに、親密に言葉を交わしていた。
「総督の仕事を押し付けられたせいで、毎日忙しくなってかなわんよ」
「お勤めご苦労様です」
 アレンは皮肉めいて頭を下げた。いまや、ほとんど作戦会議の場というべきこの部屋で、伯爵との時間を過ごすことが、すでに日課のようになっていた。
「ところで、新しい騎士の人選はもう済んでいるのかね。なにしろ、君たちがアルディの騎士たちを全滅させてしまったので、ともかく総督の護衛役という体裁をつくろうのに、そう十名ほどは必要になるのだ」
「ええ。明後日にも揃います。当初は、実行にあたってくれた四名を入れようかと思ったのですが、かれらはこの町の市民なので顔を知る者がいる。ですからやはり、イグレア村のジャリア騎士たちの中から十名ほどを呼んでくるのがよいでしょう」
「そうだな。これで、この町は事実上、ジャリアの残党騎士たちが自由に闊歩できるようになるわけだ」
「市民たちが不安がらぬよう、少しずつ人数を増やしてゆくのがよいでしょう。エイナー伯の方はいかがですか?」
「うむ。相変わらずだな。とくに自分から何かをしようとすることはなく、こちらの指示に素直にうなずいているよ。名のみの総督とはよく言ったものだ。おかげで、実務の方はすべて私が目を通すことになる」
 それがまんざら嫌でもないというような、笑い交じりのため息を伯爵はついて見せた。
「まさか、この私がこれほど勤勉な労働の徒になるとはな」
「この御恩はいずれ」
「では、君が皇帝か王にでもなったあかつきには、私をジャリアの宰相にでもしてくれるのかな」
「いいですよ」
「おいおい、さすがに冗談だ」
 伯爵は笑って言った。だが、アレンの方は、しごく真面目そうに繰り返した。
「いいですよ」
「そうかね。では、君の王妃にはぜひ、我が娘をもらって欲しいものだ」
「しかし、彼女はカシルに夢中のようです」
「おや、そうなのかい。ならば、」
 伯爵はにやりとした。
「もう一人の娘でもよいのだが」
「そうですね」
 曖昧に答えるアレンだったが、伯爵の方はすでに、己の壮大な夢をみるがごとく、想像の翼をはばたかせるようだった。 
「ああ……アスカ貴族の血を引く我が娘と、同じくその血を持った若者が、やがてこの国を統治する日がくるかもしれぬのだな。その秘密を知る私は、そのときいったい、どんな気持ちになるのだろうか」



 その翌日、
 屋敷の庭園では、なにも変わらぬように、今日も稽古が行われていた。
 剣を手にして掛け声を上げる若者たちを指導するのは、アレン、カシル、そしてエドランである。かれらも普段とまったく変わらぬ様子であったが、そこそこ注意深いものであったなら、エドランの腕に巻かれた包帯や、頬の擦り傷に気づいていたかもしれない。
「みな、こちらに集まってくれ」
 この日は、比較的早めに全体の稽古が切り上げられると、先日選ばれた四名……スウェン、レオン、トッド、ボバンが名を呼ばれた。
 この四人の顔つきは、数日前とは明らかに変わっていた。かれらは稽古においても、剣への取り組み方が非常に熱を帯びていたし、なによりその様子からは、まるでどこかで実戦を経験してきたかのような、ぎらぎらとした鋭い空気が感じられた。
「今日から、この四名を隊長として、それぞれに十名の部下を付ける。いまから名を呼ばれたものは、ただちに隊長のもとに整列せよ」
 アレンがそう告げると、横にいたカシールがすかさず名簿を読み上げた。名を呼ばれた者たちが、次々に隊長の後ろに整列してゆく。
「これですべてだな。明日からは、各隊ごとに稽古を行う。それぞれの隊長のもと、いっそう精進をして欲しい。名を呼ばれなかったものも、剣の腕を磨けばこれからも大いにチャンスはある」
 美しき金髪碧眼の師範の言葉を、誰もが聞き逃すまいというようだった。
「さほど時を待たずして、君たちが働く日々が来るだろう。ジャリアの復権は君たちの手にかかっている」
「おおっ」
 若者たちが意気軒昂に声を上げる。そこには、名を呼ばれなかったものや、ロンをはじめ少年の見習いたちもいた。彼らは同じように目を輝かせ、互いにうなずき合った。いずれは自分も、その隊の一員として戦ってやろうという意気込みとともに。
 まだアレンは気づいていなかっただろうが、各隊の人数とカシールを合わせると、計四十五人。それは、まるであの黒竜王子の四十五人隊を思わせるようだった。
「そして我々が目指すのは、北だ」
「おおおっ」
 力強く、そして若い雄たけびが庭園に響き渡った。
「北へ」
 目指すのは、北にある首都のラハイン……ここにいる誰もがそれを感じ取ったに違いない。
 剣を持つ若者たちは、すぐそこにある未来を思いながら、高らかに唱和した。
「北へ!」





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あとがき

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