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  水晶剣伝説 XIII 北へ、


Y

「おや、今日も道場へゆくのかい?」
「うん」
 店の前で立ち止まったロンは、嬉しそうにうなずいた。
「今日はさ、いよいよ本物の剣を持っての稽古なんだよ」
「そうなのかい。まあ、せいぜい気を付けるんだよ」
 焼き立ての大きなパンを店先に並べながら、ヘレンは少年の方に目をやる。ロンは、この店の二階に住んでいる。住み込みで店子をしている、アンナの弟であった。
「あんたは、まだ十三歳なんだから、そんな剣なんて持って、振り回したり、危ないからね」
「平気だよ、おばさん。それに、十三歳はもう騎士見習いになれる歳だよ」
「騎士見習いって」
 ヘレンは思わず笑いを浮かべた。
「おやまあ、そんなことを考えていたのかい。小さなぼうやだとばかり思っていたら」
「そうだよ」
 ロンは勇ましげに胸を張った。
「ジャリアが、こんなことになっちゃって、なんとかって騎士団に占領されたからって、僕はまだ納得いかないんだ。剣を習って、いつかジャリアの騎士になって、国のために戦いたいんだよ」
「おやまあ」
 ヘレンは目を丸くした。少年の気持ちはどうやら本物らしい。
「そりゃあね。アナトリア騎士団とかいう連中が、首都のラハインを占領して、このジャリアをわがものにしているってのは、全然実感がないし、私も納得がいかないけどさ」
「そうだろう。だから、僕はレイエン先生からいっぱい剣を習って、早く強くなりたいんだよ。そしたら、まずこの町の自警団になれるだろう」
「そうだねえ。それにしても、そのレイエン先生の道場は本当に人気だねえ。あんただけでなくて、向かいのバリーさんの息子も、習いに行っているって言うし、なんでもバリーさんの奥さんが、レイエンさんをとても気に入ったみたいさね」
「そりゃあ、レイエン先生は恰好いいからね」
「みんなそう言うねえ」
「おばさんも、一度見においでよ。このあたりのやつらは、みんな来てるぜ。ケイも、バボも、それに女の子とかもけっこういるし」
「おやまあ、そうなのかい。もしかして、あんたの気に入りのセスやティムもかい?」
「いや、」
 少年は頭を掻いた。
「気に入りなんかじゃないよ。その……」
「あら、そうだったかい」
「セスは一度見に来ただけだよ。ティムは来るよ。自分ではやらないけどさ。やっぱレイエン先生が恰好いいからだろう」
「そうなのかい」  
 ヘレンは首をひねった。パンを並べ終わると、ロンの方に顔を向ける。
「でも、その先生はイグレア村から来たんだろう。そんな素敵な剣術の先生が、あの村にいたかねえ」
 イグレア村には何年か前に、一度パンを売りに行ったことがあった。このトラウベの町から、馬車で半日くらいの距離にある小さな村である。そんな国境外の貧しい村に、うわさに聞くような美男子の剣術師範がいたなんて話は、ついぞ聞いたことがない。
「それに、この最近、ほんの十日ほどのうちに、ずいぶんと人気におなりだよ」
「そりゃあ、そうだよ」
 少年は勢い込んで言った。
「レイエン先生は恰好いいだけでなくて、剣の腕前もすごいんだ。それに教えるのも上手くて、一日習っただけで、たくさんの型を覚えられるんだ」
「そうなのかい」
「ああ、だから、僕も早く剣を上達させて、騎士見習いになりたいんだよ。なんでも、レイエン先生は元々は大きな国の騎士だったそうだよ。剣が上達したら見習いにしてくれるっていうんで、ケイなんかと、もっともっと頑張ろうって互いに言ってるんだ」
「まあ、剣もいいけどね。怪我したりして姉さんを悲しませるんじゃないよ。それに、たまには勉強も……あっ」
 ヘレンが言い終える前に、少年は手を振って颯爽と走り出していた。背負った木剣をカタカタ言わせて。
「剣術にあんなに熱心になるとは、あのロンがねえ」
 なんとなく釈然としない気分で、ヘレンはつぶやいた。すでに通りの向こうに姿が見えなくなった少年の背中を見つめながら。
 ここトラウベの町は、ジャリア最南東の国境の町である。すぐ東側には、雄大なオルヨムン連山がそびえ、東の超大国アスカとを隔てている。町の南には自由国境地帯が広がり、草原や森林地帯には遊牧民が自由に暮らしている。同じく国境の町としては、もっと西よりにあるプセの方が、ヴォルス内海からほど近いとあって、交通の面でも物資の面でもにぎやかだ。ジャリアの南の入り口はプセの方であると言えたので、このトラウベの町というのはさほど重要視されない、国境の都市としては比較的のんびりとした町なのであった。
「まあ、こんなご時世だしねえ。若い連中が、血気盛んになるのも無理はないさね」
 ヘレンは独り言ちながら、新しく焼きあがったパンを取りに、店の奥へ入って行った。

 ジャリアの首都、ラハインが占領されたと伝わってきたのは、草原のいくさが終わってからずいぶん経ってのことである。いくさに敗れたという話はすぐに伝わってきたし、敗走したジャリア兵たちが散り散りになって、この町にも何十人かの敗走兵が入ってきた。いまでは、それらの元兵士たちは、人知れず町に溶け込んで市民として暮らしているらしいが、そうではない連中は、山賊のように森で暮らしているというような話も聞く。
 年が明けた頃に、アナトリア騎士団なる輩がラハインを占拠し、あろうことか国王と王妃を処刑したという噂が伝わってくると、市民たちの不安はいや増した。町中はざわめきたち、市庁舎では、町の役人たちが集まって幾度も会議が開かれたのだが、町としてこれからどうしてゆくべきかという指針はいっこうに示されなかった。
 もともと、このトラウベの町は首都のラハインからはずいぶん遠く、たとえばプセのように、フェスル王子の軍勢がよく通行するようなこともなかったので、国王が処刑され、王子が行方不明となったというニュースを聞いても、いまひとつ現実感が湧かないのである。もちろん、これは大変なことになったと騒ぎ立てるものもいたが、だからといってすぐに、そのアナトリア騎士団の兵士たちが、このトラウベの町に征服者としてやってくるようなこともなく、いくさの後も町はいたって平和そのものであった。草原のいくさに志願して加わったものを持つ家族にとっては、とても他人事ではなかったであろうが、町全体としてみれば、ジャリアに属した都市ではあっても、首都近郊の町や主要な国境都市に比べれば、さほどいくさの爪痕というのは感じられない。ここはもとよりそういう町なのである。
 だが、ここ最近になってから、一部の若者たちの間で、新たな動きが起こりだしていた。もともと町には自警団の組織はあったのだが、それはあくまで市中見回りを中心にした、犯罪行為を取り締まるためのものであった。いま若者たちを中心として、にわかに広がりだしているのは、さらに本格的な剣術を取り入れたグループであった。はじめは、町に新しく剣術道場ができたという程度の噂から始まったのだが、しだいにそこに出入りする若者の数が増えてゆくと、噂が噂を呼んで、ここ十日ほどのうちに、そのグループの話題は町中にまで広まっていた。
 剣術を志すその若者たちの集団には、やがて、反アナトリア騎士団を合言葉にした愛国主義の若者も集いだし、いまやたんなる剣術道場以上のにぎわいを見せていた。そして、その中心には、イグレア村から来たという美貌の剣術士の存在があったのである。

「へい、やあっ!」
「次、お願いします!」
 若者たちの威勢のいい掛け声と、木剣がぶつかる響きとが絶え間なく上がっている。
 ここは町の東側にある、領主である貴族の屋敷……その一角である。使われていなかった離れの建物を改造したという道場は、内側の壁を取り払い、広々とした空間になっていて、いまそこには、五十人ほどの若者がずらりと並んで、木剣を手に稽古に励んでいた。
「レイエン先生!」
「レイエン先生、こっちも見てください」
 若者たちに名を呼ばれて、道場を行き来しているのは、輝くような金髪の髪を肩に垂らした、ほっそりとした美青年であった。先生と呼ばれるには、まだずいぶんと若そうに見え、むしろ教えを乞う若者の方にはずっと年上に見えるものもいる。だが、木剣を手に稽古に励むかれらは、金髪の髪の若き師範がその近くに来ただけで、崇拝の込められたまなざしを向けるのだった。
「どれ、振ってみたまえ。次に横なぎに振って、そして突き上げるんだ」
「はいっ」
 なかなか体格のいい、若者が勇んで剣を振り込む。それをじっと見ていた金髪の師範は、
「なかなかいいよ」
 そう言ってうなずいた。
「剣を戻すときには手首を使って素早くだ。いったん剣を引くときは、同時に相手の攻撃を受け流すことをイメージして」
「はいっ、分かりました!」
 的確な指示を受け、若者はまた剣を振り始める。
「レイエン先生、はたき落としからの攻撃を教えてください」
「あっ、ずるいぞ。僕が先だ」
「おい、子供の遊びじゃないんだ。ガキはあとだあと!」
「ちぇっ、じゃあいいよ、カシル先生でも」
 道場には、若者たちにまじって少年の姿もあった。さきほどのロンも含めて、五、六人くらいは、まだ十二、三歳くらいの少年たちである。だが、木剣を手に目を輝かせる様子には、未来の剣士を本気で目指すのだという情熱が感じられる。
「カシル先生、お願いします!」
「どれ、ちょっと待って」
 振り向いたのは、長い黒髪を束ねた、こちらはさらに若き青年師範であった。
「やあ、ロンか。三日も続けて来るなんて、熱心だね」
「四日だよ」
 黒髪の師範はくすりと笑うと、木剣を構える少年のもとに近寄った。
「よし、もう少し力を抜くんだ。本物の剣はもっと重いから、そんなに高く構えてはダメだ」
「はい」
 少年は真剣な顔つきで、直された構えを体で覚えようとする様子だった。
「いいか、みんな」
 カシルという黒髪の師範は、若者たちに向かって言った。
「今日はあとで、みんなに本物の剣を持ってもらうからね。それまでに剣のというものの扱いを覚えてもらいたい」
「おおっ」
 道場の若者たちが、一斉に声を上げる。すぐにまた、威勢のいい掛け声と、木刀の素振りの音が道場内に響いてゆく。
 一刻ほどどののち、金髪の師範がいったん稽古の終わりを告げた。
「では、今日はこれから外に出て、真剣を手にしてもらう」
 それを聞いて若者たちから歓声が上がる。
「おお」
「待ってました!」
「仕事のあるものは帰ってもいい。持ってきている剣は三十本くらいだから、全員に渡せるわけではないのでね。今日の稽古を見て、剣を渡す者を決めさせてもらった」
「では諸君、外へ!」
 道場の外は、広々とした庭園となっていて、五十人や百人くらいが一斉に剣を振っても十分に余裕のある場所であった。敷地内には厩もあり、屋敷の都市貴族が邸内を馬で散歩したりもするのだろう、庭園はそのまま外の林や森に続いていた。国境の町とはいえ、外壁というものをあまり必要としないこのトラウベの町の地域性がよく表れていた。
 庭園の広場に、若者たちがぐるりと輪になった。師範であるアレンから名を呼ばれると、剣を渡されたものたちが誇らしげに輪の中に進み出る。歓声と拍手が起こり、やがて掛け声とともにかれらは剣を振り始めた。黒髪の師範……カシールは、皆の前で模範としてアレンと模擬試合をこなしてから、また若者たちの指導にあたった。本物の剣を持って相手と対峙するというのは、かれらにとっては初めてのことであったので、若者たちはみな緊張の面持ちで剣を構え、振り上げ、相手の剣を受けとめる感触を味わった。
「いいぞ。もっと腰を入れるんだ」
「無理して片手で受けるな」
「はい!」
 稽古の中で選ばれたものだけあって、本物の剣を扱うのにも、かれらはさほど戸惑いを見せることなく、その一振りごとに構える姿もずいぶんと様になっていった。
「おやロン、まだ帰らなくていいのか?」
 熱心に剣を振る若者たちを見回りながら、周囲の見学者の中に少年の姿を見つけると、カシールは声をかけた。
「店の手伝いもあるのだろう」
「いいんだよ。なんたってさ、本物の剣の試合を間近で見られるんだから」
 少年は興奮気味に言った。
「それにさ、」
「それに?」
 少年がちらりと見た方に目をやり、カシールはにやりとした。
「おや……お友達かな。あの子はよく来ているね」
 剣を振る若者たちから少し離れて、何人かの少年たちの見学者がいた。その中に黒髪を三つ編みにした、ロンと同い年くらいの少女の姿があった。
「なるほど。あの子の前で恰好いいところを見せたいのは分かるが、君はまだ剣はもらえないよ」
「分かってるよ。でもさ、」
 目を輝かせて少年は言った。
「たくさん練習して、レイエン先生かカシル先生に認めてもらって、そのうちにちゃんと本物の剣を使えるようになるんだ」
「そうか。よし、その意気だ」
 カシールは笑って、少年の頭を撫でた。若い日に特有の、訳もなく湧き起る情熱というものを、カシールも理解していた。そしてなんとなく、早くこの少年に自らの剣技を教えてやりたいという気がした。

「どうかな、見込みのありそうなのはいた?」
 稽古も終わり、人けのなくなった午後の庭園。
 肩を並べて歩くのは、長い黒髪を束ねたほっそりとした美青年……カシールと、金髪碧眼の美剣士……アレンであった。 
「そうですね。二、三人、筋のよさそうなのはいました。スウェンという体の大きなやつと、レオだったかな。素早く動けそうな。あともう一人くらいは」
「そうだね。あのレオは僕もいいなと思ったよ。ひと月もみっちり稽古すれば、それなりの剣士になれるだろう」
「はい」
「それから、一番最初に目についた、トッドですが」
「ああ。剣はまあまあという感じだが、話した感じがなかなか頭のよさそうな若者だね」
「そうです。彼はすでにレイエンさまに忠誠心を抱いているようなので、おいおいこちらの計画を話しても問題ないかと。頭もいいので、誰かにそれを漏らすということもなさそうです」
「君がいうのなら、そうなのだろう。それについては任せるよ。他には?」
「いまのところはそれくらいですが、明日はまた、違う連中が来るでしょうから、また見込みのありそうなのに剣を渡してみましょう」
「そうだね。ここまでリストアップしたのは五人くらい?」
「そうですね」
「では、十人になったら、かれらに剣士の称号を与えて、部下を付けようか。他のものにも励みになるだろう」
「ええ。いずれは千人の軍勢になるでしょう」
「それはまだ気が早いよ」
 アレンはくすりと笑った。そのソキアのような美しい横顔に目をやり、カシールは別のことを言った。
「イグレア村から使いが来ているようですね」
「誰だ」
「エドラン卿です」
「そうか、ふむ。ではお茶をしながら会おう。ちょうどいい。そろそろ彼をこちらに引き入れたいと思っていたところだ。道場の人数がさらに増えると、僕と君だけでは、とうてい稽古を見きれないからな」
「はい。ですが……」
「なんだ」
 屋敷の手前の木陰で、二人は立ち止まった。
「そうなると、タラントどのは、よい顔はしないでしょう」
「だろうね」
 タラントは、ジャリア軍の残党をまとめる、いわばリーダー的な存在であった。彼の意向を窺わぬまま、エドランをこちらに引き込むというのは、火種の元になるのは間違いない。
「だが、それも仕方ない。いちいち会議において提案して、賛同を得ていたら、あっという間に月日が流れてしまうだろう。だからといって、すぐにかれらと袂を分かつのはまだ時期尚早だ」
 アレンは涼やかな目をして宙を見据えた。ずっと先へと続く道のりを、実際に見ているかのように。
「当面は、かれらとはある程度、仲間としての信頼を保っておかなくてはならない。こちらの計画を進めながらね。そして、そのときがきたら……」
「……」
 カシールは無言でうなずいた。己の主が、どのような決断をするのか、彼にもなんとなくは分かっていた。だが金髪の美剣士の横顔には、残酷な冷たさはなく、むしろ楽しげな笑みが浮かんでいた。まるで、己の想像する世界を、少しずつ構築してゆくのが楽しいのだというように。
「おかえりなさいませ。お客人がお待ちでございますよ」
 屋敷に戻ると、出迎えた執事がそう告げた。
「ありがとう。では部屋にお茶を持ってきてもらえるかな」
「かしこまりました」
 執事はうやうやしく胸に手を当てた。ここはトラウベの町の領主、ブレナン伯爵の屋敷である。地方貴族の中でも、わりと古い家系であるらしいブレナン家は、もともとはこの土地を守る部族の長であった戦士が、当時の支配者であったアスカの皇帝によって騎士に叙されたことで始まったという。現在では、ジャリアの南の国境であるこの町を統治しながら、町のギルドをたばね、国境外の自由都市と交易をすることで主な財を得ている。
 そのブレナン伯爵の屋敷の敷地に、剣術道場を開くことを許されたアレンは、カシールとともに、屋敷の一室を与えられていた。なので二人は、イグレア村には帰らず、いまはこの屋敷で寝起きをしていた。
「やあ、エドランどの。お待たせした」
 二人が部屋に入ってゆくと、体躯のいい男がぬっそりと立ち上がった。背丈はさほど大きくないが、ずんぐりとした筋肉質の体格で、太い眉に鷲鼻、黒々とした口ひげを生やした、いかにも気の強そうなジャリア人の戦士である。
「アレイエンどの!」
 野太い声で名を呼ばれ、アレンは思わず苦笑いをした。
「まあ、エドランどの。おかけ直し下さい。すぐにお茶が来るので」
「お茶なぞどうでもよろしい!」
 眉間にしわを寄せ、鼻の穴を大きく開いたエドランは、顔を赤くしてさらになにか怒鳴ろうと口を開けたが、さすがにここが貴族の屋敷であると知ってか、腕を組んでどさりと長椅子に座り直した。
「失礼いたします」
 ちょうどそこへ扉がノックされ、侍女がお茶を運んできた。
「クオビーンだね。ありがとう。ジャリアといえども南の国境の町だけあって、これが飲めるのだから、ここはいい町だね」
「おそれいります」
 うっすらと頬を染めた若い侍女が、湯気の立つマグをテーブルに置き、ちらりとアレンの方を見て去ってゆく。
「さあ、ともかくこれを飲んでひと息つきましょう。私たちは稽古が終わったばかりなので、あまり怒鳴り合うような体力もないのでね」
 皮肉めいたアレンの言葉に、エドランは口を真一文字に結んだままマグに手を伸ばした。アレンも、ゆっくりと香りを楽しみながらクオビーンに口を付ける。
「ふむ。ジャリアでもこれが飲めるのなら、私はいっそのことジャリアに永住してもいい気がするな」
「そんなことよりも」
 戦士気質で気の短いエドランは、さっさと本題に入りたいようだった。
「どうなっておられる?」
「どう、とは?」
 クオビーンの芳醇な苦みを味わいながら、アレンは首を傾げた。
「それは、この……、これのことでござる」
 言葉につっかえながら、エドランはこの場所を指さした。アレンは、相変わらずとぼけたように首をかしげている。
「待てども待てども、いっこうに村に戻って来られず、音沙汰もなし。アレイエンどのの計画は、会議では了承されたが、その後は、逐一、経緯を報告するという取り決めだったはず。その役目としてカシルどののも同行したのではなかったのか。それを、十日あまりも過ぎてもなにも音沙汰がなく、ここにこうして自分が参った次第」
 エドランは、さらにまくし立ててた。
「それでこうして来てみれば、地方貴族の屋敷で、お二人は優雅に暮らしておられるとか。なんともそれは……こう言ってもよければ、身勝手ではないか。ただ待たされている我々は、いったいなにがどうなっているのかも分からぬまま悶々としておったのですぞ」
 椅子から身を乗り出さんばかりにして声を荒らげるその様子に、二人は顔を見合わせた。カシールが何か言おうとしたが、それを制して、先にアレンが口を開いた。
「それは申し訳なかった。ただ、我々としては毎日毎日が、それは大変な日々でもあったのです」
 アレンの声はつとめて冷静であった。
「エドランどののお怒りはごもっとも。しかし、このカシルが連絡役として、ここと村を行き来するというのは物理的に不可能だった。というのも、当初の予想をはるかに超えて、道場の入門者が増えので、とうてい私一人ではまかなえなくなった。カシルを連絡にやっていたら、その間に私は疲労して倒れていたことだろう」
「しかし、だからといって、まったく村にいる我々のことを無視をしていいとは……」
「無視などしていませんよ」
 アレンは鋭く切り返した。
「しかし、もしも齟齬があったのなら申し訳ない。私としては、ある程度は計画の成果が出たのちに、一度連絡をやらせるつもりだった。なにせ、なにもかも一から始めることになったのだから、三日や五日ではなにもできはしない。このトラウベの領主のブレナン伯爵に頼み込み、屋敷の敷地を使わせてもらい、道場を整備し、同時に町で剣士見習いを募集するという、その苦労をすべて想像してみていただきたい。この十日ほどで、ようやく形になってきたところなのですよ。そして、集まった若者の中で、少しずつ見込みのあるものを見つけられるようになってきた。なので、私としては、もう数日したら村に連絡をやらせようと思っていたところなのだ。それでは遅すぎると、あなたやタラントどのは言うのですかな」
「いや……私はともかく、タラントどのやクロースどのが、」
 エドランはいくぶん気勢をそがれたように、声を落とした。
「しかし、そうならそうと、最初のうちから言っていただかなくては、こちらとしてもまったく連絡がないと、どうなっているのかが分からず」
「それはそうですな。その点については申し訳ない。けれど、計画を始める前に、こうした状況がすべて分かるわけでもないので、明確に何日後に連絡をするという取り決めをしておかなかったことも、お互いに問題でしたな」
「それは、確かに」
 うなずいたエドランの顔からは、さきほどまでの怒りはすっかり消えていた。やはり、なんといっても、戦士である彼は、なにもせずにただ待つのみであった時間にじれていたのだろう。
 そもそも、このトラウベの町で、剣術道場を開くというアレンの提案に、はじめはタラントやクロースは難色を示していた。だが、ラハイン奪還のための兵力を密かに集められるという利点を、まず参謀であるマクルーノに説明して、彼を納得させたことで、会議においてもその提案が受け入れた。そして、まるでジャリア人には見えない外見をしたアレンであるからこそ、むしろ怪しまれることもなく、町に受け入れてもらえるということで、カシールとともにこの計画を任されることとなったのである。
「エドランどのには、大変気苦労をかけてしまい、申し訳なく思っています」
「いや、そんなことはないが」
 アレンの謝罪に、エドランはいくぶん困ったように首を振った。
「じつは、もうひとつ、エドランどのに厚かましくもお願いがあるのですが」
「というと?」
「先にもお話ししたように、この計画は順調に進み始めています。道場の人数もずいぶんと増えてきた。そこで、私としてはもう一人、腕の立つ師範が欲しいと考えています」
「それは、つまり……」
「ええ、ほかならぬエドランどのの剣の実力を見込んで、ここで一緒に道場で剣士たちを鍛えるための師範を務めていただけないかと」
 それを聞いたとたん、エドランの目がぱっと輝いた。
「それは、それは……興味深い、というか、嬉しいお申し出ですな」
 やはり、もともとが戦士の性質であるから、のんびりとしたイグレア村で、機会をじっと待っているというのは退屈であったのに違いない。エドランの顔つきは、明らかに生き生きとし始めていた。
「いかがでしょう。この道場はこれからも若者が増えてゆくでしょう。ぜひともエドランどのの力をお借りしたい。このカシールだけでは、いささか心もとなかったのです。その素晴らしい剣技を、見込みのありそうに若者たちに仕込んでやってくれませんか」
「それは、むろん……手伝いたいのはやまやまながら、これは自分一人の一存では」
 エドランは腕を組んで、困ったようなそぶりをした。
「分かっております。タラントどのををはじめ、方々への報告もあるでしょうから。しかし、再び村へ戻られて会議をして、決定をみてからでは、時間がかかり過ぎましょう。私としてはすぐに明日からでも、エドランどのに道場の師範長となってもらい、この計画を突き進めてゆきたいのです」
「ううむ、しかし……」
「こう申しては、僭越な物言いになりますが、」
 アレンはいくぶんその声をひそめた。
「首都ラハインを奪還するという目的への、重要な計画がいま確実に進んでおります。私が思うに、これに時間がかかり過ぎてはいけない。ただし急ぎ過ぎてもいけない。時間をかけすぎると、我々の計画がいずれは露見して、アナトリア騎士団の知るところとなれば、はっきり申せばそこで終わりです。かといって、性急すぎてろくに訓練もされない郎党を集めていくさを仕掛けたところで、敵に勝てるはずもありません。ある程度の戦える兵力として、まずは千人を集めるというのがひとつの目標です。そのためには、優秀な剣士がどうしても必要なのですよ。そして、エドランどの、それを育てるには、あなたをおいて他にできる人間はおりません」
「……」
 腕を組んでアレンの言葉を聞いていたエドランは、引き結んだ口元を何度かもぐもぐとさせて、一度、二度とうなずいた。
「なるほど。確かに、アレイエンどのの言う通り。この計画には、ラハインを奪還するという究極の目的があり、そのためには臨機応変に、かつ大胆に計画を遂行しなくてはならないというわけだな」
「その通りです」
「分かった。不肖このエドラン、我がジャリアのためならば、なんとしてでも計画を成功させるべくお手伝いをしよう。師範の役目、引き受けさせていただく」
「おお、分かっていただけますか。では、ぜひとも素晴らしい剣士をエドランどのの手で育てていただきたい」
「うむ。尽力しよう」
 頬を火照らせたエドランは、己の新たな目的を見出したように大きくうなずいた。
「それでは、あとでブレナン伯に、エドランどのもここに住まわせていただくよう、お頼みしてみます。じつは、前々から師範が増えることもあるかもしれぬのでと、お伝えはしてあるので、きっと大丈夫でしょう。それから、この件を報告するべく、カシルを村にゆかせましょう。きっとタラントどのたちも、我々の計画の順調な進行を聞けば、さほど問題なく許可してくださるはず」
「そうか。では、そうしてもらおうか」
「お任せを」
 言葉少なにカシルがうなずく。
「明日の朝一番に出立すれば、馬を飛ばして同日の夕刻にはまた戻って来られますので」
「ああ、頼むよカシル。あとで僕が書状を書いておくのでね、それにはエドランどのもサインしていただきますよ」
「承知した」
 そこへ、再びノックの音とともに扉が開かれると、さきほどの侍女が現れた。
「レイエンさま、伯爵さまがお呼びです」
「そうか。すぐゆくとお伝えください。それから、よければ、こちらのお二人にワインでもいただけますか」
「かしこまりました」
 立ち上がったアレンは、二人に向かって言った。
「では、ついでに先ほどの件も伯に話してきますので、しばしお待ちを」
 廊下に出ると、アレンは、案内をしたそうな侍女に首を振り、すでに見知った屋敷の廊下を一人歩いて行った。階段を上って二階へゆく途中、その踊り場に華やいだ色合いが現れた。


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