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水晶剣伝説 ]II クリミナの旅


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「て、めえらは、なにもん……」
 みなまで言い終えぬうちに、男の口からゴボッと血があふれ出した。
 そのまま首ががくんと後ろに垂れる。赤黒い切り口からは、激しく血が噴き出してゆく。のけぞるようにして倒れた男の体は、ぴくぴくと痙攣し、やがて動かなくなった。床にはじわじわと赤黒い血が広がってゆく。
「……」
 返り血をよけて振り返ったのは、まだ二十歳になるならずというくらいの涼やかな目の若者だった。肩まで伸ばした黒髪に、なめらかな白い肌をした美少年である。
「山賊の頭をやりました」
「さすがだなカシル」
 そのそばにいたのは、細身の剣を手にした、こちらもたいそう美しい若者であった。一見して男性なのか女性なのかと判別にも困るような、金髪碧眼のただならぬ美青年である。
「このアジトはおおむね制圧したようだ」
 そう言って、細身の剣、レイピアを手に周囲を鋭く見回す、その様子はまるで、一幅の絵画のように凛然として優美であった。黒髪の少年剣士は崇拝のこもった目で、それを見つめた。
「少し血が付いているな。ケガはなかったか」
「はい、大丈夫です」
 頬についた血をぬぐうと、彼はにこりと笑った。そうすると、まだとてもあどけない、殺傷ごととは無縁の無垢な若者に見える。
「よし、ここは君の手柄だ。あとで、タラントどのにも報告しよう」
「恐れ入ります」
 剣を鞘に収めた少年剣士……カシールは、自らが屠った何人かの山賊の遺体を見下ろした。室内のあちこちに血だまりができてはいるが、ほとんどは一撃で即死させた。
「やはり生け捕りは難しいです」
「仕方あるまい。しかし、山賊の頭をとったのだからな、残ったものたちはすぐに降伏するだろう。よくやった」
「はいアレンさま」
「カシル」
 金髪の美剣士……アレンは涼やかな微笑みを浮かべた。
「二人でいるときはいいが、みなの前ではアレイエンと呼ぶように。そして君は、カシルだ」
「はい、分かりました」
 絶対の忠誠を誓った相手に見せるようなうやうやしい動作で、少年は胸に手を当てた。
「おお、こちらだったか」
 そこへ黒い鎧姿の騎士が駈け込んで来た。
「タラントどのか」
「アレイエンどの。おお、やはりここだったか」
 口ひげをはやしたそのジャリア騎士は、室内に倒れた大柄の山賊に近寄ると、その顔を確認する。
「山賊のドッグを倒されたようだな」
「ええ、ここにいるカシルがです」
「それは見事。他のものたちは大半がすでに降伏した。二十名ほどは生け捕りにできた」
「では、今日のところは、仕事は完了ですね」
 斬り合いの後とは思えぬほどの涼やかな顔で、アレンは微笑んだ。
「さよう。いったん陣地に引き上げてけっこう。あとのことは部下たちにやらせよう」
「頼みます」 
 タラントにうなずきかけると、アレンはカシールをともなって部屋を出た。
 部屋の外の廊下にもあちこちに血の跡が残り、そこかしこに山賊たちの遺体が転がっていた。ここは単なるアジトの小屋というよりは、およそ砦にも近いような、いくつもの回廊と部屋がある複雑な造りの建物であった。ここに五十人を超える山賊たちが寝泊まりしていたことを考えれば、たかが一介の山賊団とはいえ、それは軍隊にも近いような非常に組織された集団であったのに違いない。
「これは、アレイエンどの。お手柄でしたな」
 アジトの外に出た二人に、すかさず歩み寄ってきたのは、陰気そうな痩せた男であった。
「マクルーノどの」
「大山賊のドッグを見事に倒されたとか」
「いえ、倒したのはこちらのカシルですよ。私はただアジトの中を歩いていただけで」
「それはまたご謙遜を」
 いくぶん媚の含んだ目つきでアレンを見つめる。ひょろりと痩せたその様子は、騎士や剣士とは明らかに異なる、むしろ文人的な印象であった。年齢的には、もしかしたら見かけよりもずっと若かったのかもしれないが、その血の気の無い青白い顔は病人めいていて、ひどく老成した印象であった。
「いえ、このアジトの位置を正確に把握し、計画を具体的に立てられたマクルーノどのの才覚こそ、大変に見事なものだと言うべきでしょう」
「アレイエンどのにそう言っていただけると、嬉しい限りです」
 かれらの横を、生け捕りにされた山賊たちが、黒い騎士たちによって引っ立てられてゆく。
「これで、多少の兵力補強になりますな」
「ええ。依頼を受けた町からの食料提供も期待できますし、いまのところ計画はとても順調です」
「けっこうですね。では、またあとで」
 まだ引き留めたそうなマクルーノにうなずきかけると、アレンは馬にまたがった。カシールもそれに続く、 
 アヴァリスは山間の向こうに隠れ始め、空はすでに黄昏の色合いに変わりはじめている。木々や灌木が無秩序に生えた荒れた草地は見通しが悪く、確かに山賊が住処にするにはこのあたりはもってこいの場所であった。
「このような荒れ地のアジトをよく見つけたものだ。さすがはマクルーノどのだな」
 馬を歩ませながら、アレンはつぶやいた。カシールの馬が横に並んでくる。
「ですが、私はどうも、あの男が好きにはなれません」
「そうか。なぜかな」
「なんと申しますか……騎士とは違って、どことなくなよっとしていて、気味の悪い目でアレンさまを見ているからです」
 カシールは、もともとトレミリアの騎士である。かつてはレークの部下として草原の戦いに参加しており、その秀麗な見かけによらず大変な剣の使い手であった。貴族騎士として育ち、正規の剣術を訓練してきた身としては、あのような市民上がりの参謀というものは、よく理解できない存在なのかもしれない。
「ふむ。しかし、彼の智謀というのはたいしたものだよ。なるほど、さすがはかつて黒竜王子に仕えていたというだけはあると感心するよ」
「かもしれませんが、」
 カシールはそれ以上言うのはやめた。なにしろ、かれらは自らがトレミリアからやってきたことを隠しながら、敵であったジャリア軍に紛れ込んでいる身であったのだから。
「そうだな。どこで誰が聞いていないとも限らないからね。いまはいいが、周りに人がいるときは気を付けよう」
「はい」
 カシールは素直にうなずいた。
 二人の美貌の剣士を乗せた馬は、日暮れの薄暗さに覆われつつある、荒れた草地を静かに進んでいった。
 ジャリアの南部に位置する自由国境地帯には、どこの国にも属さずに、それぞれの都市ごとに自治を行う、いわゆる都市国家が多数存在している。比較的大きな城壁に囲まれた都市から、ほんの数十人が住まう小さな村に至るまで、そこではその大小にかかわらず、市民、町民、村民による自治が認められ、王国が管理する関税とは無縁の自由な売買や通行が許可されている。
 それらの都市の多くは、軍隊とはいかずとも自衛のためにある程度の兵員を有していることが普通であった。蛮族が町に侵入してきたり、都市同士が戦い合って勢力を広げてゆくような時期は過ぎ去りつつあったが、それでも、町や村同士のちょっとしたいさかいが戦いにまで発展することはなくもなかったし、なにより盗賊や山賊団といったものから町を守るためには、ある程度の武器や兵員というものはどうしても必要であったのだ。
 そこへやってきた、草原帰りのジャリアの残党兵たちは、この自由国境地帯における都市同志の均衡を大きく揺るがすこととなった。
 草原からの撤退を余儀なくされたジャリア兵の数は、およそ五千人ほどであった。かれらは本国への帰還のさなか、首都ラハインが占拠されたという情報を知らされ、ジャリア南部の国境手前……つまりこの自由国境地帯にとどまることを余儀なくされた。
 ジャリア国王が処刑され、王女らが幽閉され、いまやジャリアの北部はアナトリア騎士団の支配下に置かれたという事態を知ると、当然のように生き残ったジャリア兵たちは混乱に陥った。さらに、絶対的な指揮官であった、フェルス王子が戦死したという噂がそれに拍車をかけ、まず下級の騎士や雇われ兵たちが次々に離脱していった。中には幹部クラスの上級騎士もそれにまじって、夜の闇の中に消えてゆくこともしばしばであった。そうして結局、最後まで残ったのは千人ほどとなっていた。
 兵たちをまとめる指揮官クラスの人間がいないこともあり、ジャリアの残存兵たちはさらに分裂してゆく。かれらのうち、このままラハインへ向かい、アナトリア騎士団を打倒して王国を取り戻すのだという行動派と、しばらく身をひそめて人員を増やし時期をうかがうべきだという慎重派に意見が分かれ、また、それ以外のものは、もういくさはたくさんだというように、一日ごとに離脱してゆくものも少なくなかった。
 かろうじて、四十五人隊の生き残りであった騎士、タラントのもと、残った兵たちはこれ以上の分裂をとどまり、今後の動き方について慎重に協議しながら、ジャリア国境の南部にいまも潜伏し続けていた。
 本国からの増援が見込めない以上、このたった千人の兵力で、はたして王国を奪還できるのか。あるいは、ウェルドスラーブのスタンディノーブル城に集まっているという友軍と合流をはかるべきなのか、様々な意見が飛び交い、何度も話し合いがなされた。だが、スタンディノーブル城へゆくには、どうしてもウェルドスラーブ国境に入ることになり、その時点で戦いになることはどうあっても避けられない。怪我人を抱えた千人の兵では、いかに疲弊したウェルドスラーブの戦力とはいえ、大変な苦戦を強いられるだろう。それよりは、しばらくこの場所にとどまり、ジャリアの首都ラハインを奪還する計画を立てながら、その機会を待つ方がはるかに得策であるという意見が勝った。
 だが、千人の兵を食べさせながら、部隊の存在自体を隠し続けるというのは大変な苦労であることを、タラントをはじめとした幹部たちはすぐに思い知った。ときに、山賊まがいに近隣の村から食料を略奪もしたし、街道をゆく隊商を襲ったこともあった。生き延びるためには仕方のないことではあったが、誇り高きジャリアの騎士たるを自認する上級の騎士たちにとっては、屈辱的なそれは生活であった。
 かれらは、ジャリアの南の国境ぞいに移動しながら、人里から離れた草地に小屋や簡易天幕を立て、仮の寝床としていたが、ひと月もたったいまでは、部隊の雰囲気は、流浪の山賊団のような有様になっていた。黒い鎧兜はくすんで汚れ、伸び放題の髭におおわれた騎士たちは、もともとが貴族であったものであっても、その風貌は荒くれた山賊と変わらぬ風体であった。森で鹿や野鳥を狩り、川の水を汲んで、薪を拾って暮らすという生活に、好むと好まざるとにかかわらず、かれらはもう、ずいぶん慣れ始めていたのであった。
 そんななかにあって、そこに紛れ込んだ金髪の美剣士の姿というのは、ある意味で大変に異質な存在となっていた。
 アレイエンと名乗る美しい若者の口から、自分は、じつはアスカの貴族であった身ながら、ジャリアの傭兵として草原のいくさに参戦したことなどが、まことしやかに語られると、騎士たちの中にそれを疑うものは誰もいなかった。ひとつには、それが実際の真実に近い身の上であったし、そしてなにより、彼自身の美しい容姿と雅やかな振る舞い、そして知的な言葉には、凡人離れした才覚が見え隠れしていて、ジャリア騎士たちに自然と敬意を抱かせるのであった。当然ながら、その類まれな美貌というのは、武骨なジャリア兵たちの中でおそろく目立っていたし、彼がただの騎士でも剣士でもなく、高貴にして非常な知性を有した人間であることは、よほど凡庸な人間でないかぎりは、言葉を交わしてすぐに分かるものであった。
 そうして、あるとき、この残存部隊の指揮官であるタラントと面会をしたアレンは、その瞬間から、この部隊の中で特別な人間となったのであった。それ以降タラントは、アレンのことを上級の貴族騎士と同じか、それ以上の敬意を払って扱い、いつしか、幹部を集める会議に呼ぶまでになっていた。そしてまた、彼に付き従うもう一人、カシルと名乗った長い黒髪の少年も、アレイエン同様に目立つ美貌の持ち主であり、そのあどけない顔からは想像もつかぬ剣の使い手であるということがしだいに認められていった。
「どうぞ、アレイエンどの。お座りを」
 荒れた草地に建てられたいくつもの小屋や天幕のうち、残存部隊の司令部兼会議室となっているその天幕に、アレンとカシールが入ってゆくと、すでにタラントをはじめ、マクルーノやクロースといった、部隊の主だった面々がテーブルを囲んで座っていた。
 もと四十五人隊のメンバーであったタラントは、多くの実戦で鍛えられたであろうがっしりとした筋肉質の体格で、黒々とした口ひげをたくわえた顔は精悍そのものであった。その横に座るクロースは、彼の副官といった存在で、すらりと背が高く、誠実そうな顔をした騎士であった。もとは、一介の下級騎士であったが、貴族出身でそれなりに腕も立ち、信頼がおけそうな人材ということで副官に抜擢されたのだろう。
「では、今日の会議を始めるとしましょうか」
 声を発したのは、一見してひどく目立たない風貌の、ひょろりと痩せた男であった。フェルス王子の参謀を務めていたマクルーノ・ラトビエである。
 彼は、もともと都市民出身の一般人であったが、その智謀にかけては右に出るものはなく、実戦での成果を重ねて、ついに黒竜王子に認められるまでになった。草原の戦いで彼が生き残ったのは、単に運がよかったからなのか、狡猾に逃げおおせたからなのか、騎士たちの間では議論にもなっていたが、この残存部隊の作戦行動を決定してゆく頭脳としては、これ以上ない存在であることもまた確かであった。
「本日、山賊ドッグの一味を壊滅させ、ドッグは死亡。その部下たちのうち二十人ほどを捕虜にしました。兵力として我が部隊に加わるかどうかは、数日のうちに決めさせ、刃向うものがあれば処刑いたします。よろしいかな」
 マクルーノは、テーブルの周りに座る人々を見回し、最後にアレンの顔に目をとめた。
「それでよいだろう」
 腕を組んだタラントがうなずく。
「なるほど。お二人が立てられた計画、近隣の村々の脅威となっている山賊たちを一掃しながら、そのなかから兵として使えるものを選び集めるというその思い付き、はじめは奇妙に思っていたが、こうしてみると、これほど実際的であるとは」
「そうですね。兵たちの食料調達のための金も底をついていたところだったので、このままでは我々とて、さも山賊のように町や村からの略奪をまたしなくてはならないところでしたが、逆に山賊を退治するという名目で、町からの報酬としての食料や物資をもらうということで、ずいぶん問題は解決されます。これは、もともとはアレイエンどのの思い付きです」
「いえ、私はただふと思いついたことを口にしただけ。それをより実際的で具体的な計画をたてたのはすべてマクルーノどのですよ」
 アレンの口から名を呼ばれると、マクルーノはさっとその頬を紅潮させた。
「どこどこに、どの程度の町や村があり、街道の位置から山賊たちの根城とされる場所の調査まで、すべてを明快かつ論理的な方法で計画を立てられた。さすがジャリアが誇る最高の参謀と、感心することしきりでした」
「いやあ、アレイエンどのからそのようなお褒めの言葉をいただくとは、まこと嬉しい限りです」
 まるで宮廷貴族からの賛辞を得たかのように、マクルーノは、その骨ばった顔に満面の笑みを浮かべた。彼がアレンの完全な崇拝者であるのは、はた目にも明らかであった。後ろに立つカシールは、なんとなく気に入らないように、その眉をひそめている。
「ええと、さて……」
 テーブルに広げたジャリア国境付近の地図を指さしながら、マクルーノは話を続けた。
「これまで、ジャリア南部の国境に沿って、いくつもの山賊たちを倒しながら、東に進んできましたが、これからの我々の動き方について、そろそろ決めてゆきたいと思っています。私としては、このジャリア国境の都市、トラウベのあたりからならば、さほどの抵抗も受けずに国内へ侵入できるとは思っているのですが」
「ふむ、確かに、プセなどに比べればずっと防備も手薄だろうし、なにより、まだアナトリア騎士団の支配が及んでいないことも考えられる」
「では、まずは何人かを斥候にやらせますか。上手くいけば、トラウベで同胞をつのって、いっきに兵力を増強できるかもしれませんな」
 地図を指さし、タラントとクロースがうなずき合う。
「アレイエンどののご意見はいかがかな?」
「そうですね」
 天幕内の面々が、さっとアレンの方に注目をする。ジャリア人でもなければ正規の騎士でもない、アスカ出身という謎めいた美貌の青年は、すでにこの幹部会議の中において、その発言を誰からも重要視されるだけの存在となっているようだった。
「僭越ながら、私個人の意見を言わせていただければ」
 透き通った美しい声が天幕に広がると、それを邪魔することをはばかるように、人々は口を閉じた。
「トラウベの町に斥候を向かわせるのはよいと思いますが、町にいる人間、とくに騎士などとの接触は極力せぬ方がよいでしょう。たとえ町がアナトリア騎士団の支配下にまだなかったとしても、現時点で我々の存在を知られることは得策とは思えません。情報というのは、ごくささいなものであっても、いったん知れてしまえば広がるのをとどめることはできません。我々の存在が、アナトリア騎士団に知られれば、討伐のための部隊がすぐにでもやってくることになるかもしれない。現在の我々の兵力から考えて、かれらとの正面からの衝突はまだ避けるべきでしょう」
「たしかに、それはそうですな。これまで、潜伏しながら機会をうかがってきたことが、すべて無駄になることになるかもしれぬ」
 タラントが腕を組んだ。
「かといって、このままただ山賊たちを探し、それを討伐しながら、ほんの数十人の兵力を増やしてゆくだけで、それに満足してもいられないでしょう」
 向かいに座るずんぐりとした体格の騎士、エドランが言った。好戦的な性格で、草原のいくさでも常に前線で戦っていたという勇猛な騎士である。
「我々は山賊退治のためにここにいるのではない。まだまだ戦力は不足ではあるが、敵に知られる前に行動を起こさなくてはなりますまい」
「その通りです」
 アレンはうなずいた。
「それに、いまのように国境沿いを行き来しながら動いていても、いずれは我々の存在はどうしても敵に知られることになる。それまでに、対抗できるだけの戦力を整えておけるかどうか、そうした賭けになるようなことも避けた方がいい。そこで」
 そこまで言って、アレンは、その知的にきらめく目で人々を見回した。それはまるで、一国の宰相かなにかのような、凛然とした威厳をまとった姿であった。
「ひとつの私の案を聞いていただきたいのです。これはあくまで、私の考えた提案ですので、あるいはただちに却下してくださってもけっこうです」
 そう前置きしたうえで、彼は立ち上がり、地図を指さした。
「地図によると、トラウベの南、十エルドーンのあたりに、小さな村があります。イグレア村という、およそ五百人ほどの規模の小さすぎず、大きすぎない村落です」
 人々が身を乗り出して地図をのぞき込む。
「じつは、数日前に、そのあたりに偵察にがてらに行ってきまして、村の様子を見ておきました。スレイフ川にほど近く、周囲には広い畑があり、土壌も豊かで住みやすそうな村です」
「なるほど。アレイエンどのは、その村に我々が逗留して、機会を窺おうというのか」
「だが、千人もいる我々が村人の家に寝泊まりするには、いささか無理があろう。結局、村の外に天幕や小屋を建てることになるのではないか。あるいは、村人がそれを反対することもあろう」
「いえ、私が言うのは、」
 淡々とした声で、アレンはそれを告げた。
「その村そのものを、家や畑、食料、物資などを含めて、すべてこの部隊のものとするということです。つまり、われわれ千人の騎士と兵士が、そのまま村人に取って代わるということです」
「つまり……アレイエンどのが言うのは、村を襲い、略奪するということか」
 人々は顔を見合わせた。
「それでは、まさしく、我々は山賊そのものではないか。村人を殺し、家や物資ごと奪い取ろうというのか……我ら、誇り高きジャリアの騎士が、そのようなことを」
「大いなる大望のために、その手を汚すことは仕方なし、という、かのレヴィディウスの言葉もあります。アナトリア騎士団から首都を奪還するという大きな目的のためならば、それはその過程のうちのひとつとなりませんか」
 アレンの声は、あくまで静かに冷静であった。
「あるいは、村人が抵抗しないのなら、兵士として加えてもよろしいでしょう。その妻や娘などは、そのまま我が兵士たちの妻とすればよい。子供は殺さずとも、兵士に育てればよい。そしてなにより、そこで我々が村の住人として生活するならば、誰にも怪しまれることもない。武器を蔵に隠し、密かに剣の訓練を行いながら、ただの村人として何食わぬ顔で過ごし、力をたくわえながら機会を待つのです。仮の隠れ家ではない、堂々たる我々の村で」
 人々は押し黙った。さきほど異を唱えたクロースは、腕を組む司令官たるタラントを横目に見やり、そのタラントは言葉を発することなく、テーブルごしにアレンの顔を見つめたまま凍り付いたようになっている。アレンの後ろに立つカシールは、いくぶん鼻白んだように、その顔を緊張させている。
「素晴らしい……」
 静まり返った天幕の中で、ぱちぱちと手を叩くものがいた。マクルーノであった。
「その思い付き。私ですら、そこまでは考えておりませんでした」
 彼は立ち上がると、人々を見回して言った。
「頭の片隅には、それに近い考えもあるにはありましたが、果たしてそれを実行できるのかどうか、口にするべきなのかどうか、どうにも判断がつきかねました。しかし、こう申してよければ、いまの我々にはそれしかありません」
「だが、村人を皆殺しにするというのは……」
 まだ納得しかねるようなクロースに向かって、
「いえ、アレイエンどのの言うように、すべてのものを皆殺しにする必要はない。ただ反抗するもののみを片付ければよいのです。女子どもは、むしろ残さないことには、村としての体裁をつくれません。体力のある若者は戦力として期待できます。老人は……仕方がない、食いぶちを減らすだけなので、いてもらっては困りますが」
 すでに、この計画をアレンから受け継いだ参謀のような顔で、マクルーノは人々に訴えた。
「これは、この計画の先には、我が王国を取り戻すという大望があるのです。首都に囚われた王女殿下を取り戻し、火事場泥棒のようなアナトリアどもを一掃する。そのための第一歩なのです。国境の外のひとつの小さな村……我々がジャリアという大国を取り戻すために、それを犠牲にすることがさほどの罪なのでしょうか。いや、犠牲ですらない。我々の糧として、その村が活かされるのであれば、それを山賊と同じ行為などとは言えぬでしょう。我々はジャリア復権のために立ち上がろうとしている。そこへつながる重要な最初のポイントをいま迎えたのです。もしも、ここにフェルス・ヴァーレイ殿下がおられたとしても、この作戦を選ばれたのではないかと、私は確信しています」
 息をつぐことすら忘れたように、マクルーノはまくしたてた。天幕の中は静まり返り、語り終えた彼の荒い息づかいだけが響いていた。
「よかろう。私はやるぞ」
 最初に立ち上がったのは、騎士のエドランであった。
「ジャリアを取り戻す。王女殿下を取り戻す。そのためならばなんでもしよう。ここはあえて鬼となり、大望のための行動を始めるべきかと思います」
 それを受け、じっと腕を組んで黙っていたタラントもうなずいた。
「確かに、王子殿下がおられたら、ラハインを奪還するためにはどんなことでもされるに違いない。なにせ、妹ぎみのシリアン殿下が囚われの身とあらばな。どうかね、クロースどの」
「タラントどのがそう言われるのならば、私もそれを支持いたします」
「よし。では細かな計画についてはマクルーノどのに任せよう。実行にはどれくらいの兵員が必要になるかな」
「そうですね。山賊とは異なり、ごく一般の村ですからな、大きな抵抗がなければ、おそらく五十名もいればすぐに制圧できるでしょう。アレイエンどのはどう思われる?」
「はい。私が偵察してきた感じでは、村には兵士というべき存在もなく、武器などは多少あったとしても、マクルーノどのの言われるように問題なく制圧できるでしょう。ここにいるカシルは、今回の山賊ドッグを倒した働きもご存知かと思いますが、見事な剣の使い手です。彼を含めて二十人もいれば充分です」
「たった二十人でか……」
 驚くようなタラントに、アレンはこともなげにうなずいた。
「よろしければ、私に人選をお任せいただきたいのです。そして作戦の直接の指揮官はエドランどのがよろしいでしょう」
「うむ。任せてもらおう」
「私とカシルを入れて、あとの十七名はのちほどすぐにリストを作ります」
「了解した。それで決行はいつにするのがよいかな?」
「明日の夜明け前でよいでしょう。二十名であれば動きやすい。馬で村のそばまで行っても、すぐには発見されないでしょう。発見されたとしても、国境警備の騎士だとでも言えば、かえって村に入りやすくなります」
「なるほど」
 異を唱える者はいなかった。タラントは息をのむように、まるでソキアのように冷徹にして美しすぎるほどの、その金髪の若者を見つめた。同じく、うっとりするように彼に視線を注ぐのは、市民参謀のマクルーノであった。
 その翌朝、
 山間いの向こうに太陽神アヴァリスが現れるよりもまだ半刻ほど前、暗がりの草地をひっそりと動き出した騎馬部隊があった。
 隊長を務めるエドランを筆頭にした、二十騎ほどの小部隊である。黒い鎧姿に剣を帯びたジャリア騎士の中で、簡易な肩当てと胸当てのみの軽装で、細身の剣を携えたその二人は、やはりずいぶんと異質に見えた。
「今日は起きてから、ずっとなにも言わないね」
 馬首を並べる相手に、アレンは静かに語りかけた。
「もしかして君は、この作戦が気に入らないのかな。あまり気が進まない?」
「いいえ」
 カシールは馬上で首を振った。
「僕はもう、アレイエンさまに忠誠を誓いましたので。たとえ相手が女だろうと、老人だろうと、ためらいはありません」
「老人はともかく、女は放っておいてもいいさ。刃向ってこなければね」
 アレンは薄く笑った。まるで、早朝の遠乗りにでも連れ出したかのような、リラックスした口調である。
「……」
 これから始められる作戦の非情な行為を想像するカシールにとっては、いつもと変わらぬアレンのやわらかな微笑は、いくぶん恐ろしくも思えた。
 暗がりの丘を登った騎馬隊は、丘の上から村のある方向を俯瞰した。馬首を寄せてきたエドランが前方を指さした。
「アレイエンどの、村があるのは、あのあたりでよろしいかな」
「ええ、間違いないでしょう」
 そちらを見渡すと、村のあるはずの場所には、夜明け前の闇の中にかすかに灯が見えている。そろそろ、村人が起きだす頃だろう。
「村の近くまでゆき、そこからは気付かれぬよう馬を降りましょう」
「よし、移動開始だ」
 騎馬隊は再び動き出し、村のある方角へと丘を降りはじめた。

 オランは夜明け前から起き出すと、なるたけ音を立てぬよう身支度をして家を出た。身重の妻には、せめて日が出るまではゆっくり休んでいてもらいたい、そんな心遣いからであった。
 農作業用のクワを肩にかつぎ、まだひと気のない村の通りを歩き出す。夜明け前の星たちが、アヴァリスが現れるまでの最後のひとときを競うように、きらきらと輝いている。
「今日もいい天気になりそうだな」
 いつものように、明け方の夜空を見上げながら、オランは平和そうにつぶやいた。
 雪もすっかり解けたこの時期から、畑の土をしっかりと耕しておくことで、春を迎えてからもよい土壌で作物を育てられる。村で一番早起きをして、日が昇るまで畑を耕すのというのが、働き者のオランの毎朝の日課であった。
 イグレア村は、ジャリアの南東の国境から十エルドーンほど離れた、このあたりでは比較的大きな村であった。東にはオルヨムン山脈の美しい稜線が広がり、四季によって白い雪山となったり、緑豊かな青い山となったりして、目を楽しませてくれる。近くを流れるスレイフ川の豊かな流れにはたくさんの魚が泳ぎ、緑豊かに森には鳥や動物たちが集まる。景色も美しく、土壌も豊かで、釣りや狩りにももってこいの土地である。
「この村に来て本当に良かった」
 オランはもともと、ジャリア国内のトラウベの生まれであったが、早くに親を亡くして途方に暮れていたところに、この村から行商に来ていた夫婦と知り合い、このイグレア村で農作業の手伝いをすることになった。夫婦には娘がおり、オランはすぐにその可愛らしいレナと恋仲になった。
 それから三年、頑張って働いた甲斐があり、自分の畑と家を手に入れた。そして、今年は、愛する妻の子供が生まれるのだ。オランにとっては、まさに幸せのただなかであった。
「よし、今日も頑張るべ」
 これまでずっと、外敵の心配もなく平和そのものであった土地であるから、村はごく簡易な柵に囲まれただけで、見張り小屋もない。村の外には、のどかな畑が広がっている。
 自分の畑に入ったオランが、いつものように体操をしていると、ふとあまり聞きなれぬような馬蹄の音が耳に入った。
「なんだ?」
 暗がりに目を凝らして、耳をそばだてる。だが、馬蹄の音はそれきりやんでしまった。
 気のせいかと首をかしげながら、クワを手にさっそく仕事にかかろうとする。しかし、少しもたたないうちに、今度はすぐそばで話し声がした。
「いたぞ……まずは」
「カシル……おまえが、やれ」
 さっと、暗がりの中で人影が動いた。
 そして、
「あっ……が」
 しゅん、と音がしたかと思うと、首筋がいきなり熱くなった。
「ああ……あ」
 声が出せない。
 自分の体から、とてつもない量の血が噴き出しているのが分かった。
 身体が熱い……そして、手足が動かない。
 オランはそのまま、がくんと膝をついた。
「やったか」
 目の前に、ぞろぞろと何人もの黒い人影が現れた。
 彼らがいったいなんなのか、まったく分からなかった。
 自分は、いったいどうなってしまうのか。
「レナ……レナ」
 妻の名を呼ぶ。その口元からも血がこぼれ出した。
 これは夢か何かだろうか。それすらも、分からない。
 どさりと音がして、自分の体が土の上に倒れたのが分かった。
 どくどくと心臓が脈打ち、
 それとともに、目の前が真っ暗になってゆく。
「レ……ナ」
 最後に頭に浮かんだのは妻の顔だった。
 そのまま、オランの意識は遠のいた。

「村人がそろそろ起きだす頃だからな。家の外に出てきたものをまずは片づけろ。それから通りごとに五人ずつ分散して、それぞれ数軒の家を受け持つのだ。抵抗するものは容赦するな」
「了解です」
 二十名の騎士たちは、すらりと剣を抜き放ち、柵を超えて村に侵入した。
「カシルは、僕の前に」
「はい」
 日の出が近づくにつれ、水汲みや畑へ向かうために村の男たちが家の外に出てくる。その瞬間に襲いかかり、ほとんど一撃で息の根を止めるのが、まず最初の計画だった。
「ああっ」
「なん……がっ」
 一瞬で急所を斬られ、声もなく倒れ込む村人たち。自分に何が起きたのかも分からぬまま命を奪われる、その無念を知るものは誰もいない。
 叫び声を聞きつけたものが次々に起きだしてくる。ここからが、地獄のような虐殺劇の始まりだった。
 表情一つ変えずに、二人、三人と斬り殺したカシールは、すかさず家の中に飛び込むと、獲物を狙って剣を振り上げた。一瞬で、それが抵抗する相手か、無抵抗の女子供かを見極め、そのまま剣を突き刺し、あるいは、剣を引いては風のように家を後にする。
 あちこちで、凄絶な悲鳴や絶叫、子供の泣き叫びが上がり、切り裂くような女の悲鳴がそれに重なった。アレンが選び抜いた二十人の精鋭は、いずれも見事な剣の使い手で、相手が一般の村人であったから、殺戮の手際は恐ろしくスピーディで、ほとんどが、一撃か、二度のとどめで村人は息絶えた。
「あああっ」
「ぎゃあ……いてえ、かあちゃん」
「お助け、お助けを……」
 血がしぶき、時に腕が飛び、首が転がった。
 騎士たちは、まずは徹底的に男を殺していった。だが、暗がりの中ではどうしても、見誤ってしまうこともある。老人や女子供も、何人もが一緒に殺された。
 事態に気付いた村人のうち、家を飛び出して、そのまま村から逃げ出そうとするものも多かった。だが、あとから到着していた百名以上の騎士たちが、すでに村の周りを取り囲んでいた。抵抗するもの、そのまま逃げようとするものは容赦なく殺された。抵抗をやめ、両手を突き出して命乞いをするものも、歳のいった男や老人はそのまま殺された。なにしろ、このまま村を乗っ取るのだから、戦力になるもの、騎士たちの妻となれるもの以外は無用であったのだ。
 虐殺は続いた。
 悲鳴と、命乞いと、神への祈りと、骨を砕く無慈悲な剣の打撃が響き、混ざり合いながら。
 やがて、東の山間からアヴァリスの最初の陽光がきらめくと、そこには見るも凄惨な光景が広がった。
 家々の前には、おびただしい死体と血だまりができ、村人たちの腕や頭や、内臓、脳しょうが飛び散っていた。ぴくぴくと身体を痙攣させながら息絶えてゆく若者や、神への祈りを捧げるように崩れ落ちる老人、呆然とへたりこむ女と、胸に抱かれた赤ん坊の泣き叫び……
 そして、それだけではなく、殺戮と血の匂いに興奮した騎士たちによって、女は犯され、凌辱された。そこには救いも情けもなく、あるのはただ、冷徹に、奪った獲物を弄ぶ男たちと、抵抗もむなしく、泣きあえぐあわれた女たちの姿であった。
 夫を、恋人を、父を、息子を殺された女たちの呆然とした表情は、悲しみも怒りも追いつかないまま、ただ唐突にすべてを奪い取られた、その無力さゆえの悲哀を物語っていた。
「おおむね、終わりました」
 長い黒髪を振り乱し、顔も体も、血を浴びて真っ赤になったカシールは、剣を収めるとアレンのもとに歩み寄った。驚いたことに、アレンの方は、ほとんど返り血を受けておらず、そのソキアのように白く秀麗な顔には、殺戮の興奮を示すような血の気もまったく見えなかった。
「よし、では体を洗って休むといい。あとのことは、第二陣の騎士たちがやってくれるだろうから」
「はい」
 見ると、作戦を共にした他の騎士たちも、井戸の水を汲んで体を洗ったり、さすがに疲れた様子で地面に座り込むものもいた。生き残った村人は、第二陣でやってきた騎士たちに命じられながら、ひとつところに集められてゆく。そこには女や子供の姿が多かった。
「私は、たぶん、一人も女と子供は殺しませんでした」
「そうか。さすがだね」
 涼やかに笑ったアレンを見て、カシールはいくぶん戦慄を覚えた。自らが考えた計画が実行され、おそらくは思い描く通りの結果となった。そしてそれが、さも当たり前だというように、ただやわらかな微笑みを浮かべている。
(この……人は)
 自らが剣を捧げたのは、ただの類まれな美しい剣士などではない。
 自分などとは、感覚も思考も異なる、凡人を超越した……
 あるいは、
 帝王となるべき存在なのかもしれぬ。
 昇りゆくアヴァリスに照らされる、きらきらと輝く金髪と、青い目の冷徹なる美剣士。
 カシールは打たれたように、ただその姿に見とれていた。
「君の働きは、それは素晴らしいものだったからね。あとで好きな家を選ばせよう」
 それはまるで、己の王からの最初の褒章というべき、そんな約束であった。
「はい。アレイエン、さま」
 いまここで、剣を捧げたくなる衝動をこらえ、カシールはただ、鞘に戻した己の剣にそっと手を置いた。
 こうして、
 一夜にして、黒い残党兵たちはひとつの村を丸ごと奪い取った。
 アヴァリスが起きだす前の、ひそやかな惨劇……
 これから太陽神が昇ってゆく間に、死体は片づけられ、何事もなかったかのように、村の住人はそっくり入れ替わるのだ。
 ジャリアの南の国境から遠くない、その村に起こった出来事は、いまも、そしてこれからも、誰にも知られることのないままに。




                    水晶剣伝説 XII クリミナの旅 





あとがき

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