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  水晶剣伝説 XII クリミナの旅


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「そろそろ森を抜けるぞ」
 馬上の二人は、前方に見えてきた森の出口に、ほっとしたように顔を見合わせた。
「日が沈む前に抜けられてよかったわ」
 一見すると、大柄の騎士と少年めいた従者というようなその二人であったが、大きな男の方は騎士というにはどうにも荒々しい感じであったし、もう一人のほっそりとした方は、よくよく見れば実際は若い女性であることが知れた。むろん、それは山賊のガレムとクリミナの二人連れであった。
 かれらは、何度かの休憩をとっただけで、あとはただ森の中をひたすら馬に乗って歩き続けた。ともかく、昼間のうちに森を抜けたいと急いだのは、ひとつには日が暮れるとどうしても道に迷う恐れがあるので、翌朝まで進むのを待たねばならないこと。もうひとつは、夜の森には山賊や夜盗に襲われる危険性があるということであった。
 クリミナが連れとするのは、まぎれもない山賊の頭であったのだが、そのガレムの方も腕に覚えがあるとはいえ、なるべくなら大人数に襲われるような危険を起こしたくはないと、案外に冷静に考えていたようだった。
「このあたりの森を縄張りにする山賊団も、まだいくつかあるらしいからな。いくらこの俺様が護衛とはいえ、夜の森をあんたみたいな綺麗な女がうろつくのは、さらってくださいといっているようなもんだ。最初にあんたを見つけたのが俺のグループでよかったぜ」
 クリミナにすれば、そのせいで嫌な目にもあわされたのだが、ガレムは自分の部下たちが捕まえたおかげであると、そう思いたかったのだろう。
「方向的には、このまま南東になるのかしら」
「ああ。そろそろマクスタート川の川音が聞こえてくる頃だろう」
 アラムラの大森林は奥へ向けて進めば進むほど、人跡未踏の地となり、深い渓谷や険しい地形が続くと言われる。その森林を南へ縦断するというのは至難の業であるから、二人はなるたけ森のとばくちに近い辺りを、東南の方角へ進んできたのだった。
 しばらく進むと、木々の間隔がずいぶん広くなり、前方にはひらけた空間が見えてきた。ガレムの言う通り、やがて涼やかな水音と、川の流れが感じられるようになった。
「マクスタート川だ。森を出ると、川沿いにはマクスタート街道がある。そう大きな街道じゃないが、人の往来があるかもしれねえからな。別の意味で気を付けなきゃな」
「そうね」
 馬を止まらせ、クリミナはマントのフードを深くかぶりなおした。ガレムの方は、騎士の兜を取り出すと、顔をしかめながらそれをかぶった。
「さて行くとするか。マクスタート街道を南にもう少し行けば、ごく小さな村がある。今夜はそこに泊まるとしよう」
 森を抜けると、川から吹き付ける涼やかな風が感じられた。
 マクスタート川の二本の支流が、二人の目の前に広がった。川に挟まれた緑豊かな中洲の高台に、いくつもの尖塔を擁した重厚な城が見えている。
「あれが、スタンディノーブル城だ」
 馬上からガレムが指さした。
「いまはジャリアの残存兵が占拠しているってことだ。例の黒竜王子は草原で戦死したって聞くが、その部下たちがまだ残っているんだな」
「スタンディノーブル城……」
 クリミナは、赤茶けた壁を持つ国境の城の遠景を、不思議な気持ちで見つめた。
 実際にその城に行ったことはなかったが、かつてレークがそこで戦ったことは知っている。あの城から脱出したレークと、トールコンの港町で再会し、そこから二人の長い旅が始まったのだ。
(あれから、ずいぶんと長い時間がたった気がするわ)
 しかし実際には、まだ半年とたっていないのだ。その間に、ウェルドスラーブはその首都をジャリアによって奪われ、草原では大きな戦いがあり、ジャリア軍は敗退し、レイスラーブはトレヴィザン提督らの働きで再び取り戻された。クリミナ自身も、アルディを旅し、都市国家トロスから、セルムラードへ、そしてトレミリアにようやく帰還を果たしたのであった。
(いろいろなことがあったわ……いろいろな)
 そうしていま、自分はレークを探すため、ここからウェルドスラーブの国境の城を見つめている。そう思うと、なんとも、長い長い流転をしてきたような、まるでくたびれた旅の吟遊詩人のような気持ちがしてくるのだった。
(ああ……なんだか、気が遠くなりそう)
「どうしたい、クリアナさん」
「いいえ、なんでも」
 クリミナは首を振った。
 そう……いま自分は、クリアナという名の、一介の旅人に過ぎないのだ。かてつのトレミリアの女騎士はもうここにはいない。
(地位も名誉も、宮廷の生活も、もう捨てたのだわ)
 心配そうにこちらを見ていたガレムは、気遣うように言った。
「疲れたろう。大丈夫か?」
「ありがとう。まだ大丈夫よ」
「そうか。なら夜になる前に村に入れるよう、ちと急ごうか」
「ええ」
 森の中では木の根や倒木に足を取られぬよう気を配りながら、慎重に馬を歩かせていたが、ここからは少し速度を上げられる。
「もう少ししたら休ませてあげられるからね」
 クリミナは愛馬に話しかけると、優しく馬腹を押した。
 川沿いの道は、街道というには、単なる馬車の車輪で固められたようなわだちが地面の上に続いているくらいのものだったが、ともかくこの道をゆけばミレイにたどり着けるのだ。二人を乗せた馬は、マクスタートの流れを追いかけるように、夕暮れに近い川沿いの道を南下し始めた。
「待て。ちょっと待て」
 だが、それから一エルドーンも進まぬうちに、山賊は声を上げた。ちょうど、左手にスタンディノーブル城が大きくなってきたあたりである。
「どうしたの」
「この先に、川を渡って城へと続く橋があるんだが……どうもおかしいぞ」
 川を見下ろせる道の端で馬を止めると、ガレムは指さした。
「見ろ、城門が開こうとしている」
 クリミナも馬上からそちらに目をやった。
 暗くなり始めた空のもと、翳り始めたスタンディノーブル城……その西の城門が、確かにいまゆっくりと釣り下がってゆくところだった。
「誰かが橋を、渡ってゆくぞ」
 かなりの速度で橋の上を疾走してゆく馬影が見えた。その一騎は、やがて開かれた城門の向こうへ消えて行った。それと同時に、再び巻き上げ式の城門が閉じられてゆく。
「あれは、ジャリアの騎士なのかしら」
「たぶんな……だとすると」
 ガレムは馬上で耳を澄ませた。
「ちっと、やっかいなことになる」
 まもなく、いくつもの馬蹄の音が聞こえてきた。街道の北の方角からいくつもの馬影が現れ、あっという間にこちらに近づいてきた。
「やっぱりな」
 ガレムは急いで兜の面頬を閉じた。クリミナもマントのフードをかぶりなおす。
「あれは騎士のようだけど。まさかジャリアの」
「いや、違うな」
 その間にも、騎士の一団はかなりの速度で走り寄ってきた。こちらの姿を見つけたように、馬上から声が上がる。
「そこのもの、そこを動くな」
 やってきたのは、全部で五人ほどの騎士であった。いななく馬を制して、騎士たちはガレムとクリミナを取り囲んだ。
「馬を降りろ」
 騎士の一人が馬上から命じた。
 クリミナとガレムは互いに顔を見合わせ、おとなしく馬から降りた。
 騎士の姿と統制のとれた感じから、正規の騎士隊であるに違いなかった。鎧からしてジャリアではない。
(トレミレリアでもないようね)
 見覚えのない鎧の形式に、クリミナは少しほっとした。なんとか自分が、クリミナ・マルシイであることを知られずに済むかもしれない。しかし、このガレムはどうだろう。いかにも怪しまれそうだ。
(なんとか、しらをきるしかないわ)
 馬から降りたガレムは、焦る様子もなく堂々としている。さすがに豪胆な山賊だけある。その大柄な体躯に、騎士たちはいくぶん驚いたようだった。
「お前たちは、なにものだ。なぜここにいる」
「それは、あの……私たちはただの旅人で、たまたまここを通りかかったのです」
「ジャリアのスパイではないのか。顔を見せろ」
「……」
 クリミナは、心臓をどきつかせながら、フードを下ろした。
「おや、女のような顔をしているな。ふむ、どうやらジャリア人ではなさそうだ」
「わ、私はその……この騎士さまの従者なのです」
「ほう、こちらの大きいのは騎士か。なるほど、トレミリアの鎧を着ているようだ」
 敵ではないようだと判断したのか、騎士たちの何人かが馬から降りてきた。
「それならば、失礼つかまつった。我らはウェルドスラーブの正騎士。正確にはフェーダー侯爵騎士団のものである。さしつかえなければ、貴殿のご姓名を伺いたいが」
「……」
 ガレムは黙ったまま微動だにしない。なにか言ってぼろを出しては、おしまいだと分かっているのだろう。
「いえ、こちらは、あの……ここで名を明かすわけにはゆかぬようなお方で」
 クリミナは、少年めいた声でとりつくろった。
「名を明かせぬとは、それはどういうことだ」
「それは、あの……」
「あやしいな。名乗れないのであれば、このまま連行させてもらうことになるが」
「それは、お許しください」
 どこかに連れていかれて、少し身分の高い人間にでも見られたら、自分の素性は知られてしまうかもしれない。友国のウェルドスラーブであれば、トレミリアの貴族を知る騎士も多いのだ。
「では、騎士どの。まずはその兜をお取りいただこう」
「……」
 ガレムが首を振ると、数人の騎士がさっと取り囲んだ。
「さては、貴殿、騎士というのは真っ赤な嘘であろう。顔を見せろ、怪しい奴め」
「お、お待ちください」
 クリミナは叫ぶように言った。
「この方は、高貴なる方……トレミリアの勇猛なる大騎士、」
 もう後にはひけなかった。
(もう、なるようになれだわ) 
「この方こそ、我がトレミリアの誇る騎士伯、ブロテ閣下その人なのです」
「なんだと……」
 その場にいた騎士たちが、驚きに言葉を失う。
「ブロテ……騎士伯」
「まさか……」
 どう考えてよいものかというように、ウェルドスラーブの騎士たちは、互いに顔を見合わせた。
「あの、草原の英雄、ブロテ伯だと」
「そんな、まさか……」
「だが、この巨体……このような大きな騎士というのは、他に見たこともない」
「ああ、確かに……」
 ブロテの名前の効果は絶大だった。騎士たちの様子があからさまに変わり、かれらはガレムを取り囲みながらも、どう扱っていいものか分からぬというふうだった。ロサリート草原戦で最後まで戦い抜いた英雄であり、それだけでなく、ウェルドスラーブにとっては首都のレイスラーブを最後まで守るために戦い、そして国王と王妃を脱出させてくれた大恩人でもあったのだ。
「これは……ご無礼をお許しください」
 隊長らしき騎士が、うやうやしく胸に手を当てる。
「あの名高きトレミリアの騎士伯、ブロテどのとはつゆしらず。大変失礼なことを」
「……うむ」
 勝手に英雄扱いされた山賊のガレムは、鷹揚にうなずいた。いくぶんぎくしゃくしてはいるが、えらそうに見えなくもない。そばで見ているクリミナは、役者然としたガレムの様子に思わず笑いそうになる。
「にしても、いったいなぜ貴殿のような高貴なる方が、こんなところにおられるのでしょう」
「それは、あの……」
 クリミナは、なんとか言い訳を考えようと必死に頭を働かせた。
「たしか、ブロテどのは、つい先日の、デュプロス島での大陸間会議にも出席されていたと聞きますが」
「そう、そうなのです……」
 主に代わって説明する従順な従者のていで、クリミナは言葉をついだ。
「その会議のあと、デュプロス島から、トレミリアヘ戻る途中、か、閣下はその……つまり、この街道を通り、現在の情勢と、それと、その……スタンディノーブル城の様子を見ておきたいと、こう申されまして」
「なるほど。それはまた、素晴らしい。類まれなお志。さすがですな」
「は、はい……」
 騎士たちはどうやら、ここにいるのがブロテであることを、おおむね信じ始めているようだった。クリミナはいくぶんほっとしながらも、なんとかボロを出さないで乗り切るべく、騎士たちの言葉から少しでも情報を得ようと努めた。
「大陸会議に出席されたブロテどのは、すでにご存じのことでしょうが、我々は、スタンディノーブル城を監視するための砦の建設を始めております。ここ数日で多くの物資や資材が届き、そろそろ本格的な工事が始められるところなのですが、かの城を占拠するジャリア軍の残党たちも、こちらの動きに気付き始めているようで、連日のように斥候兵がやってくるのです。じつはいまも、それを追って来たわけであります」
「そうか」
 兜の中から、ガレムが重々しい声で言った。
「そういえば、」
 ここぞとクリミナが、手をぽんと叩く。
「ついさきほど、スタンディノーブル城の城門が開いて、橋を渡ってゆく一騎が、城に入って行ったのを見ました」
「おお、やはり」
 ウェルドスラーブの騎士たちは、顔を見合わせてうなずき合った。
「やつらめ、今日もまたスパイをしていたな」
「だが、砦が完成すれば、やつらの好きなようにはさせぬ。いずれは、スタンディノーブルを奪還し、ウェルドスラーブに真の平和を取り戻すのだ」
「ブロテ閣下、そのために、また我々にお力をお貸しくださいますか」
「う、うむ」
 中身はただの山賊に違いないが、その巨体を揺らしてうなずく様は、なかなかよい演技である。
「トレミリアと、我がウェルドスラーブの友情は永遠なれば」
 騎士たちが一斉に胸に手を当てて礼をする。どうやら、この場は切り抜けられそうだと、クリミナは安堵した。
「ところで、ブロテどのはこれから、どちらに向かわれるのですかな」
 その問いに、クリミナはいくぶん迷ったが、嘘は言わないでおいた。
「あの、閣下は、また南下していったんミレイへと入り、そこから船を使ってコス島へ渡ろうかと思っておられます」
「そうでしたか。もしかしたらコス島で、トレミリアの方々と合流されるのでしょうか」
「ええ、その……まあ」
 言葉を濁すクリミナに、騎士は察したようにうなずいた。
「分かりました。多くはお聞きしません。機密事項もあるでしょうし」
「どうも……」
「しかし、見たところ、閣下のその馬は重そうな荷物を積んでおられますな」
 騎士の一人が、ガレムの乗っていた馬を見て言った。
「ああ、これは、戦場で拾った剣を売りと……」
「ブロテ閣下」
 あわててクリミナがさえぎった。
「ええと、つまり、騎士たちの使っていた剣を、コス島の職人に修理してもらおうと、そういうことなのです」
「なるほど。あそこには優秀な女職人がいると聞きますからな。それにしても、ブロテ閣下が自ら部下たちの剣をお運びになるとは、じつに素晴らしい」
「は、はい。閣下はとても……部下思いの方ですから」
 冷や汗をかきながら、クリミナはなんとかとりつくろった。
「あの、そろそろ、行ってもよろしいでしょうか。日が沈む前に宿を探したいので」
「おお、そうですね。それでは、どうかお気をつけて。といっても、ブロテどのを襲うような山賊などは、どこにもおらぬでしょうが」
 これでようやく解放されると、ほっとした気分で、クリミナは息をついたのだが、
「ちょっと、お待ちを」
 その騎士の言葉に凍り付いた。
「最後に……名高き英雄、ブロテどののご尊顔を拝してもよろしいでしょうか」
「えっ……」
「我ら下級騎士ごときが、このようにしてお近づきになれる機会などはもうありますまい。ご無礼とは存じますが、なにとぞお顔を」
「ブロテどののお顔を見たぞと。われらの一生の思い出にいたします」
「なにとぞ」
 懇願する騎士たちを前に、クリミナとガレムは思考が止まったように、のろのろと顔を見合わせた。
 いったいどうすればいいのか。おそらくは、直接に会ったことはなくとも、肖像画などでブロテの顔を知っていることもあるだろう。当然ながら、山賊のガレムの野卑な顔は、本物のブロテとは似ても似つかない。
「……」
 背中に汗が流れる思いで、クリミナは永遠とも思える沈黙の一瞬に思考をめぐらせた。
「いかがいたしました。なにか、まずいことでもおありでしょうか」
 騎士たちの顔に不審そうな色が宿る。
「あ、あの……それは」
 クリミナが言いかけるのを制して、
「よかろう」
 ガレムが……いや、ブロテが重々しく声を上げた。
「我が顔を見たいというならな」
 兜に手をやり、その面頬を上げる。
(……ああ)
 クリミナはジュスティニアに祈った。
(おしまいだわ……)
「おお」
 騎士たちが息をのむ。
 剣を突き付けられて連行されることを想像しながら、クリミナは目を閉じた。
「なんと……」
「これは、大変な失礼をいたしました……」
 震える声で騎士たちが言った。
「想像していたよりも、ずっと勇ましいお顔をしておられた」
「いや、しかし、まことに戦士そのものという、なんとも立派なお顔……」
 ウェルドスラーブの騎士たちは、一様に感動したように立ち尽くし、自分より頭一つも大きなところにある、髭面の武骨な顔を見つめていた。
「……ああ」
 クリミナは、緊張と笑いのはざまで揺れながら、なるたけ冷静に説明をした。
「じつは、あまりお見せしたくはなかったのです。ブロテ閣下は……あの草原の戦いでお顔にも傷を負われ、長い戦いの日々がそうさせたのでしょう、いくぶん骨ばった獰猛な顔つきになってしまわれたのです」
「おお、そうでしたか……」
 騎士たちは、それをすっかり信じたように、ガレムに向かって胸に手を当てた。
「大変、大変失礼をいたしました。しかし、我々にあえてそのお顔をお見せくださったこと、生涯忘れません。ブロテどのという方は、豪傑にして勇猛そのもの……そんな方だったと、そうみなに伝えます」
「うむ」
 立派にブロテの役を務めたガレムは、大きくうなずくと面頬を元に戻した。豪胆さという点においては、確かに本物のブロテにもひけを取らないかもしれないと、その横に立つクリミナは思った。
「では、これにて」
「どうぞ、お気をつけて」
 ウェルドスラーブの正騎士たちに見送られて、クリミナとガレムを乗せた馬が街道を歩き出す。彼女は、最後まであくまでも従者らしく、ガレムの馬の後を粛々と付いてゆくことを忘れなかった。
「なんてことかしら。こんなに汗をかいたのは初めてだわ」
 後ろを振り返って、騎士たちが行ってしまったのを確認してから、クリミナはようやくほっとため息をついた。
「でも、その鎧を着ていて本当に良かったわね。いきなりブロテになりすましてもらっちゃったけど、まんざら悪い思い付きではなかったかも」
「ああ、俺もちっと焦ったがよ。もうこうなったらと、ヤケクソで演技したぜ」
 ガレムは兜の面頬を上げ、髭をさすりながらにやりと笑った。
「もう兜を脱いでもいいかな。暑苦しくてかなわん」
「ダメよ。また誰かが街道を通るかもしれないし。宿に着くまで我慢して」
「ああ、分かったよ」
「でも、有名な騎士に付き従う従者のふりも、意外と面白いわね。もうなにがあっても怖くない気分だわ」 
 クリミナは楽しげに言った。
「そりゃ、よかった。もしかして、俺よりも、あんたの方がよほど大物なのかもな、クリアナさんよ」
 それにクリミナは微笑んだだけで、なにも言わないでおいた。じつはあの騎士たちにだけでなく、このガレムに対しても身分素性を偽っているということが、自分がなんだか大きないたずらをしているような、わくわくとした気持ちにもなるのだった。 
 二人の馬は、その後は順調に街道を南下し、日が沈むころになって、街道ぞいの小さな村にたどり着いた。
「ここまでくりゃあ、もうミレイは目と鼻の先ってところだ」
 そこはナントの村というらしい、ミレイの国境に入る前の、ごく小さな宿場というような村であった。通りには日が沈みかけたいまごろでも、けっこう人々が行き交っている。
「もう海にも近いからな、水揚げされた物資が運ばれたり、それをここで売ったりする港の連中も多いんだろう」
 ガレムの言うように、荷車に積まれた荷物を次々に下ろしている商人や、船乗りらしい姿の男があちこちで目についた。村にある店のほとんどは宿屋か飯場のようで、店の前を通ると、ときおり人々のにぎやかな声が聞こえてくる。
 サルマを出発してからずっと一人であったし、いまは山賊と一緒ではあるが、このように一般の人々が生活する様子が近くに感じられると、ようやく町に戻ってきたのだと思える。騎士の鎧姿をした大柄のガレムは、非常に目立っていたので、通りかかる人々がちらりと見るのだが、おそらくトレミリアの騎士だろうと認識すると、とくに大げさに騒がれるようなこともなかった。
「とりあえず、適当な宿に泊まるとするか」
「ええ、できればちゃんとした厩があって、馬の世話もしてくれそうなところがいいわ」
「贅沢だな。そんな金はねえぞ」
「ふふ。護衛のお礼に、宿代は私が出します」
 二人は馬を降り、通りの両側にある店の中で、良さそうな宿屋を探して歩いた。金についての心配はなかったので、比較的大きくて立派な宿を見つけると、すぐにそこに決めた。
「二部屋お願いね。こちらはトレミリアの騎士と、その従者です」
 人の良さそうな宿の主人に銀貨を渡して馬を預けると、クリミナはすでに宿屋にも慣れていたので、荷物を手にして勝手に二階に上がった。たくさんの剣が入った木箱を抱えたガレムも後に続く。食堂にいる他の客たちは、この奇妙な取り合わせの二人をしげしげと眺めて、あれこれと噂をするようだったが、クリミナは気にしなかった。またなにか訊かれたら、こちらはトレミリアの騎士、ブロテだとはったりを効かせるつもりであった。
 部屋に荷物を置いてから、二人は食堂で食事をとった。海に近い村ということで、取れたての魚料理が絶品で、揚げた魚や焼いた魚、そして湯気の立つ暖かなスープに、二人はすっかり満足した。
「じゃあ、おやすみなさい」
 別々の部屋に分かれ、二人はそれぞれに旅の疲れを癒した。
 翌朝、クリミナは爽快な気分で目覚めた。久しぶりにぐっすりと眠れたことで、またしばらく旅が続けられそうだった。
 寝台から降りて木窓を開けると、心地よい風が部屋に入ってくる。トレミリアのフェスーンに比べると、ここはもうずっと南に位置するので、すでに春の空気が感じられるくらいだ。
 窓から顔を出すと、昨夜は分からなかったが、村向こうの彼方にはもう海が見えていた。空は青く晴れ渡り、このまま海の方まで駆け出したいような気分であった。
「ああ、なんだか……トレミリアを出てきてから、一番晴れ晴れとした気分だわ」
 通りにはすでに多くの人々が行き交いだし、物売りの声が上がり始めている。結局のところ、彼女は都市の人間であったので、誰もいない草原や森の中などは、たまにはよいとしても、やはり町の中にいて、人々がいるところの方が安心だし、なにより落ち着くのであった。
 身支度を整えて階下に降りてゆくと、食堂ではすでに朝食の準備ができていた。見ると、すでにガレムは席についていて、黒パンに揚げた魚を挟んだのを、むしゃむしゃと頬張っていた。
「おはよう。早いのね」
「ああ。山賊ってのはな……案外健康的なんよ。早寝早起き、そして早食いが俺たちのモットーだ」
 口に付いた魚の油を行儀悪くマントでぬぐうガレムに、クリミナは笑いながら言った。
「でも、一応は、その恰好なんだから、もっと騎士らしくしてね」
「へいへい」
 荒々しい咀嚼を終えて、最後にがぶりとワインを飲み干すと、山賊はいくぶん声を落とした。
「ところでよ、さっき店の前にいた船乗りに訊いてみたんだがな。どうやらバコサートまで行かなくとも、それより手前の港街、コーヴェからもコス島への船は出ているそうだ。首都のバコサートは、さすがにチェックもいくらか厳しいだろうからな。俺と一緒じゃあ、あんたも目をつけられるかもしれん」
「そうね……」
「コーヴェまではお供するよ。そこで別れよう。剣を売るには、どうしてもバコサートまで行った方がいいからな」
「……分かりました」
 ガレムとの旅が、少し楽しくもなってきたところだったので、いくぶん寂しい気持ちもしたが、お互いの目的が違う以上はいずれ袂を分かたなくてはならない。
「ああ、んじゃまあ、これが最後の乾杯ってことで」
 互いの旅の無事を祈りながら、二人は杯を合わせた。
 半刻ほどののち、宿を出発したかれらは、南へ向かってまた街道を進んでいった。
 道を進むにつれ、行き交う荷馬車の数も増えてゆき、あたりには海の匂いが感じられるようになってきた。アヴァリスの陽光を受けて輝く海面が、しだいに前方から左手にかけて大きくなって見えてくる。海上にはいくつもの船が見え、それらはウェルドスラーブやアルディに荷物を運ぶ船だったり、逆にアングランドやオルレーネといった、西の海洋国家からやってくる船でもあったろう。いくさが終わり、かつてジャリア寄りであった旧アルディが解体し、新アルディとして統一された今では、南海に面したそれらの国家は、交易においても等しく相互援助の関係を築きつつあるのだった。
「もう、このあたりはミレイの国内のようだな」
 自由国家であるミレイは、首都のバコサート以外は、基本的に通行は自由で、城壁のあるような町はほとんどない。コーヴェの港町に着くころには、ちょうど昼時ということもあって、街道は多くの行商人や船乗りなどでにぎわっていた。
 鎧を着た大柄なガレムの姿は、やはりずいぶんと人目を引いたが、いくさが終わり、デュプロス島ではつい先日に大陸間会議が行われたということを、すでに多くの人々が知っていたので、トレミリアの騎士がこのあたりにいても、さして不思議には思われないようであった。
 クリミナは、港へと続く町の大通りで、馬を預かってくれそうな宿を探すことにした。さすがに馬を乗せてくれるような船はないだろうから、島へは一人で行って、またここに戻ってくるつもりだった。
「必ず戻ってくるからね。それまでいい子で待っていてね」
 厩のある宿を見つけ、信頼の置けそうな主人に多めに金を渡して世話を頼むと、クリミナは愛馬にしばしの別れを告げた。旅をともにしてきた栗毛の馬は、もはや彼女にとっても大切な相棒であったから、置いていくのは忍びなかったが仕方なかった。
「さてと、じゃあここでお別れだな。俺は一休みしたら、すぐにバコサートへ発つ。あんたは、船を探すんだろう」
「ええ……いままで、ありがとう」
 互いになんとなくまだ別れがたい様子で、二人は港へと続く通りを歩いていた。
「もし、レークの旦那と会えたら、よろしく伝えておいてくれよ」
「ええ。会えたら……ね」
 うつむくクリミナを見て、あわててガレムは付け加えた。
「なあに、あの旦那は、機転もきくし行動力もある。きっと生きているさ。あの監獄からだってまんまと脱出したんだからな。なあ」
「そうね。ええ……きっと、生きている」
「クリアナさんよ……、あんたは……その、レークの旦那のことを、」
 ためらいがちに尋ねるガレムの声は、野卑な山賊に似合わず、穏やかで優しかった。
「愛しているのかい。そうなんだろう?」
「……」
 名前も素性も偽ったままであったが、偽ることのできないその唯一の質問に、彼女は静かにうなずいた。
「ええ。愛して……います」
 そこにある大切そうな真実の響きに、山賊は神妙にうなずいた。、
 いくつかの桟橋があるコーヴェの港は、そう大きくはないが十分に立派な港で、何隻ものガレー船や帆船が停泊している。ちょうどこれから出港するらしく、船員たちが慌ただしく荷物を運びこんでいる商用の帆船がコス島へ行くということを知ると、クリミナは急いで船長を探した。多めに銀貨を払って乗せてくれるように頼みこむと、トレミリアの鎧姿をしたガレムの効果もあってか、押されるように乗船を了承してくれた。
 主に食料などを運ぶ商用の船らしい、クリミナはその船に乗り込むと、桟橋で見送るガレムに手を振った。
「ありがとう。またどこかで」
「あんたも、達者でな」
 きらきらと輝く波間と、カモメの鳴き声、そして塩の匂い……
 クリミナは久しぶりに見る海に、なつかしさを覚える気分だった。彼女にとっての海とは、レークとの旅の記憶、そのものであった。
(最初にコス島へ、そしてレイスラーブへ、今度はアルディ、トロス、セルムラード、そして……またコス島へ)
 二人でたどった旅の記憶がよみがえってくる。
(でも、あの人は、あまり船が好きでなかったわね)
 船が動き出した。
 遠くなってゆくガレムに手を振りながら、ここからは本当に一人なのだと思うと、いくぶん心寂しい気持ちもしたが、吹き付ける爽やかな海風と、光り輝く水面が希望を与えてくれた。
(コス島へ、行くんだわ)
 そこに行けば、なにかが見つかるかもしれない。もしかして、レークに会えることもあるかもしれない。ほんの小さな手ががりにでも出会えるかもしれない。
 湧きたつよう心を抑えながら、たっぷりと風を受けて膨らんだマストの帆を見上げ、彼女はやわらかな微笑みとともに胸を張った。


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