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  水晶剣伝説 XI デュプロス島会議


V

 現れたのは、アナトリア騎士団の騎士団長、グレッグ・ダグラスと、同副団長のレクソン・ライアルであった。
 二人とも、騎士団の印であるライチョウを模した十字が縫い込まれたローブをまとい、腰に剣を差した正規の騎士団服姿である。
 グレッグ・ダグラスは、ずかずかと大股で広間に入るなり、人々を鋭く見回した。たいそう大柄な男で、いかにも戦士らしいがっしりと引き締まった体格に、太い鼻に太い眉、太い唇に太い顎と、みるからに武骨で、そして頑丈そうな様子をしていた。
 横に立つ副団長のレクソン・ライアルの方は、すらりとした体型で、団長のグレッグ・ダグラスに比べると、こちらはなかなかの美青年といってもよく、長めの黒髪を後ろに束ねている。二人とも、やはり海の男らしく浅黒く日焼けした肌をしている。その点では、トレヴィザンやアルーズなど、ウェルドスラーブの騎士たちにも雰囲気はよく似ていた。
「……」
 グレッグ・ダグラスは、ちょうど近くにいたレード公と目を合わせると、軽くうなずきかけたが、なにも言葉は発しなかった。次にウィルラースの方を見て、「ほう」というように目を見開いた。それから己の席はどこだというように、テーブルを見回した。
「アナトリア騎士団の方は、そちらの席へどうぞ」
「かたじけない」
 座席を教えたウィルラースに、団長のグレッグは案外に丁寧に礼をいった。部下のレクソンとともにどっかりと席に着くと、彼らはもう一言も発しなかった。
 アナトリア騎士団の二人が現れてから、広間はにわかに重苦しい緊張に包まれたようだった。彼らの雰囲気には、まるでたったいまいくさを終えてきた戦士のような、殺気がみなぎっていたし、あるいは、実際にそうであったかもしれない。彼らにとっては戦いというものはまだ終わっておらず、むしろこれからこそが、戦いの始まりであるとも言えたろうから。
 大きな草原の戦いが行われた裏で、ジャリアの首都であるラハインをいち早く占拠したのが、アナトリア騎士団であったことは、大いなる驚きを持って各国に伝えられた。正式には国家ですらない、ただの一騎士団が、どのような手管によって北の大国の首都を占領したのか、その詳細な情報というものはいまなお知られていなかったが、おそらくは、黒竜王子の大部隊が草原に入ったときから、かれらは絶えずその機を見計らい、手薄になったラハインへと侵入し、王族を人質にとり、残った兵士たちを降伏させたのだろう。
 その電撃的な行動力と、それを実行するだけの兵力、すなわち見事に訓練された騎士隊の存在というものはあなどりがたいもので、その点でのみにおいても、かれらの存在はすでに一国の兵力にも匹敵するいっても言い過ぎではなかっただろう。そして現在も、ラハインに残ったジャリアの兵士たちを押さえ込みつつ、市民たちに反乱分子が出ないか目を光らせながら、かれらはジャリアの実効支配を続けている。つまりは、かれらはいまなお、戦時中の緊張の中にいるのだということを、ここにいる二人の騎士のはなつ殺気と、その険しい顔つきから知ることができた。
 各国の人々にとって、大いなる懸念のひとつは、このたびの会議に参加したアナトリア騎士団が、今後、ジャリア国内の領土をどこまで支配し、他国に主張してくるのかということ。そしてまた、かれらが列国をさしおいて、大陸内においても、その領土をさらに広げようともくろんでいるのではないか、ということであった。
 この会議における表向きの名目は、大陸における新たな相互援助の絆と、いくさの起きぬ恒久的な平和を目指すためというものであったが、実質的には、戦いが終わってからの具体的な版図争い……つまりはジャリア国内やウェルドスラーブ、そしてその周辺の統治権を決めることこそが、最大の議題でもあった。なので、各国ともにアナトリア騎士団の存在に対しては、かれらの真の目的と、覇権への意志の程度を探りたいと考えていたし、兵力という面でのかれらへの共通の危機感を共有していた。
 それぞれの席に着いた人々は、誰も言葉を発することもなく、じっと会議の始まりを待っていたが、誰がそれを言い出すのか、じつのところ誰にも分からなかった。ただ、分かっているのは、空いている席がまだいくつかあることであった。そして、そこに座るうちの少なくとも一人は、ここにいるすべての人間にとって大変興味深い人物であることを、なんとなく誰もが理解していた。
「都市国家トロスから、フサンド公王陛下がご到着」
 触れ係がそう告げたとき、人々はむしろ、ほっとしたようにため息をもらした。
 扉が開いて現れたのは、二人の供を従えたフサンド公王であった。でっぷりとした体に、金糸の刺繍をちりばめた赤いローブをまとった公王は、鷹揚に広間を見回しながら、我こそが最後に到着した最大の賓客とばかりに、無駄にのろのろと広間に入ってきた。
 その血行のいい、てかてかとした丸い頬からは、すでにガレー船の上でずいぶんワインを飲んできたのだろうと察せられた。ただし、ここにいる人々は、皆立場をわきまえた良識的な人間であり、公王の顔や姿に失笑するものなどはいなかった。むろん、内心ではどうであったか分からないが。おそらく、ここにレークでもいたならば、「カエルみたいな太っちょが、なにをえらそうに格好つけて」などと、失礼きわまりなくもゲラゲラ笑っていたかもしれなかったろうが。
 ともかく、三重の城壁に守られた、謎めいた都市国家トロス……その王たる人間が会議の席にやってきたのであった。トロスは、このたびのいくさにはほとんど無関係の立場であって、じつのところ、この会議に出席してもせずとも、どちらでもよい存在であったのだが、フサンド公王自身はアルディへの、というかウィルラースへの個人的な資金提供が噂されている。おそらくこの会議の資金にしても、その多くを受け持ったはずであろうから、にべなくもできずというところなのだろう。
 すっと立ち上がったウィルラースは、公王の前に歩み寄ると、優雅な仕種で胸に手をやり敬愛の念を示して見せた。公王に用意された席は、広間の奥側の上座で、人々を見渡せるその特等席に案内されると、公王は満足したように腰を下ろした。
「それでは、みなさんお揃いのようですので、これより会議を始めることにいたしましょう」
 そう言って立ち上がったのは、これまでまったく目立たなかった一人の男だった。
「私はミレイの総督代理、セイトゥ・ミカワードです。このたびの会議では、立場的にもっとも中立な国の代表として、進行役を務めさせていただくことを、ウィルラースどのより認めていただいております。みなさまにご異論がなければ、このまま進めさせていただきますが、よろしいでしょうか」
 ちょうど、フサンド公王とは反対の側の端の席にいたセイトゥ・ミカワードは、四十がらみの痩せた男で、やや白髪の混じった黒髪を後ろに束ね、ほっそりとした顎はいかにも文人らしい様子である。その目には人をまっすぐに見る、知的な光をたたえているのが印象的だった。
 ミレイといえば、このたびのジャリア軍の遠征においては、ジャリア軍の森林への侵攻の際に、ミレイ国内にジャリアの兵団の駐留を黙認したという事実がある。アルディのように、明確な戦争協力というものではないにしても、ジャリア軍への利益となる状況を容認したということが、他国から……とりわけ、トレミリアやセルムラードから、非難がましい目を向けられていた。
 そのことについて触れられると、セイトゥは、涼やかな声で言った。
「その件については、我々にはどうすることもできなかったのです。まず考えてみていただきたい。あのとき、二千人のジャリア兵たちが集まり、首都バコサートの開門を迫っていた。それに抗しきれずに応じることが、それほど我々ミレイの民の罪なのかを。訓練された正規軍を持たない我々が、ジャリアの正規軍を前にして、正面から彼らと戦って勝てるとお思いでしょうか。あるいは、数千の犠牲を出してまで、彼らと戦い抜くことが得策だったとでもいうのでしょうか」
 セイトゥの声はあくまで静かだったが、そこには確固とした意志の力を覗かせていた。
「我が自由国家、ミレイの理念とは、戦うことではない。そこに住まう人々の自由を守ることであります。もしも、二千のジャリア軍が、我が国を占領し、市民たちを殺し、略奪するようであれば、文民の我々といえども立ち上がり、なんとかして敵と戦ったでしょう。だがそうではなく、彼らはただ数日の滞在を申し出てきた。それも、町でちゃんと食料を買い、装備品も買い、市民たちには迷惑をかけぬことを誓約したのでした。あの四十五人隊長……ノーマスどのといったかな、彼とは実際に会い、彼はジュスティニアと己のすべてに誓って、その約束を守ると言った。我々はそれを信じた。そして、その通り、ジャリア軍は去った。ただそれだけのことなのです」
「しかし、そうはいっても、いくら自由国家だからといって、リクライア大陸を蹂躙しようとする、黒竜王子の軍勢を、みすみす通してやるなど、それではアルディと……いや旧アルディと同じではないか。少なくとも、トレミリア、セルムラード側に、ジャリア軍の動きを知らせるべきだったのではないか」
 そう言ったのはセルムラードのバルカス伯だった。
「リクライア大陸を蹂躙……たしかに、ジャリア軍の全体的な動きを結果的にみればそうなのかもしれません」
 セイトゥはその穏やかな表情を変えなかった。その声は決して激することなく、淡々として冷静そのものであった。
「しかし、だからといって、我々ミレイが大陸を守る正義の味方然として、彼らに立ち向かうべきだという論議はナンセンスでしょう。我々は自由国家と謳っていますが、それはなにも、このリクライア全体の自由を守ろうというものではない。もしもそうすべきだというのなら、少なくとも我々には十万の兵が必要になるでしょう。それではもはや、軍事国家と同じです。それに申し上げますが、アルディがジャリアに加担したような、物資の無償補給や他国への牽制行為などを、これまで我々がしたことはありません。我々はただ、やってきた彼らを通し、物資を売り、そして国内を通行させたのです。それが間違っていたと、市民たちを犠牲にしてでも彼らと戦い抜くべきだったなどとは、まさかおっしゃりませんな」
 最後の方は、いくぶん強い口調であった。セイトゥはそれを少し恥じたように、下を向いて自分のあごを撫でつけた。それからまた、静かな声で続けた。
「そして、ジャリア軍の動きを、トレミリアかセルムラードに知らせるべきであったという件ですが、基本的に、我々はジャリア軍が国内から退去した時点で、もはやかれらがどこへゆこうが関知はいたしません。ジャリア軍を見張るための斥候をつけ、その行き先を調べなくてはならないと言うのでしたら、我がミレイはその時点で、トレミリア、セルムラード連合軍と同盟するも同じ、軍事活動へ加担することになります。どの国とも軍事同盟は結ばないという、ミレイ建国以来の不文律についてはご存じでしょう。たとえ、兵を派遣することをせずとも、情報の提供というものは、軍事行動のひとつであると考えれば、結局はミレイの自由国家としての存在意義そのものが失われます。何度も言いますが、ジャリア軍と戦うことは避け、それでいて商売以上の協力をすることはなく、彼らが立ち去るのをじっと待った。それが我がミレイにとって最良の選択であったことを、私はいまも信じています」
 レード公の横で腕を組んで座るブロテからしたら、彼こそまさに、レークとともにミレイに入り、そこに集まったジャリア軍の様子をこの目で見てきた当の人間であったのだが、ここでなにか口を開くことはしなかった。
「これまでも、そしてこれからも、中立国としてのミレイの立場を認めていただけるのでしたら、この会議における進行役を私が務めさせててただくことに、異議はございませんでしょうか。もちろん、どの国家に対しても偏った見方はせず、不利にも利益にもなるような言動はいっさいいたさないことを、ジュスティニアに誓って申し上げます」
 その言葉に反論するものはいなかった。しばらく待って、誰も異を唱えるもののないことを確かめると、セイトゥは緊張をといた顔つきでうなずいた。
「それでは、そろそろ本題に入りましょう。こちらに書記を連れてきましたので、この会議で決定した事項はすべて明文化し、新たな大陸間相互会議においての指針とすることも、重ねてご了承くださいますな」
 セイトゥの横に座るのは、まだ若い文官であった。さっきから何度かインク壺にペンを浸し、書き味を試すようにしていたが、その羽ペンを手にしたまま人々にうなずきかける。
「ハイケンと申します。書記を務めさせていただきます」
「彼が記した文書をもとに、国家間の新たな盟約をまとめることになります。お分かりかと思いますが、この部屋にいるあいだは、みなさんの言葉は、それぞれの国を代表するものとしての公のお言葉ととらえさせていただきます。どうか、友好的に会議が進むことを、ひとつお願いしたく思います」
「ところで、まだいくつか席が空いているようだが」
 レード公はそう言って座席を見回した。
( ひとつはバルカス伯の隣……ということは、あとからスレイン伯あたりが来るのだろうが、もうひとつは……)
 フサンド公王の隣の席……そこもまだ席が空いたままであった。人々の視線がそこに注目する。
「たしかに、もう一方、この会議に参加の予定ですが。どうやら到着が遅れているようです。今日中に着くのか、明日になるのか、定かではありませんので」
 セイトゥは、その最後の一人という人間の名前を言わなかったが、人々は、あえてそれを問いただそうとはしなかった。あるいは、それがこの会議において、もっとも大きな存在となるかもしれぬ相手であることを、かれらはすでに暗黙の了解のうちに知っていたのかもしれない。
「それでは、会議を始めることにいたしましょう。まずは、いまさらと思われますが、列席の方々のご紹介から」
 セイトゥは、座席の順番に名前を呼び始めた。
「トレミリアから、レード公爵閣下、ブロテ騎士伯どの。ウェルドスラーブから、トレヴィザン提督閣下。新アルディ……とりあえず、そう呼称させていただきます。新アルディから、ウィルラース宰相閣下」
 それを聞いて、人々はほうと声を上げた。新アルディのウィルラース宰相、それはなんとも似合いすぎるほどにぴったりな呼び名であった。
「続いて、セルムラードから、バルカス伯爵閣下。アナトリア騎士団より、グレッグ・ダグラス団長どの、レクソン・ライアル副長どの。ミレイから、総督代理のわたくし、セイトゥ・ミカワード、書記のハイケン。そして、都市国家トロスから、フサンド公王陛下。以上です」
 人々は、名を呼ばれた相手に視線をやり、互いに目を見交わしたり、うなずき合ったりしながら、相手の表情を探る様子だった。アルーズやアドなど、お付きのものまでは名を呼ばれることはなかったが、かれらは不満そうでもなく、ただ黙って壁際にじっと座っていた。アドの方は壁を背に立ったままであったが。
「それでは、まずは各国の現状についての、認識をいま一度共有しておきましょう」
 セイトゥは、小姓に用意させておいた地図をテーブルに広げた。それはリクライア大陸の中央部、このたびの戦いの場となったロサリート草原、ウェルドスラーブ、そしてジャリアのあたりを中心にした地図であった。
「ご存じのように、ひと月前に、ロサリート草原において、トレミリア、セルムラードの連合軍がジャリア軍と戦い、二十日にもおよぶ長期戦のすえにジャリア軍は敗走、これには、突如現れたシャネイの集団が関わったということですが、かれらについてはひとまず置きます。ジャリアの黒竜王子、フェルス・ヴァーレイは戦死、あるいは行方不明となり、敗走したジャリア軍の残兵たちはいくつかに分散し、それぞれジャリア国内へ戻ろうとしたが、首都ラハインの占拠を知り、現在ではジャリア南部の国境付近、自由国境地帯に潜んでいるというのが最後の報告でした。ジャリア国内については、アナトリア騎士団が、首都ラハインを含む北部地域はほぼ制圧し、現在も統治下にあるということでよろしいでしょうか」
「その通り」
 グレッグ・ダグラスがうっそりと言った。彼は、あまりこのセイトゥのことが気に入らないのか、ぎらぎらとした物騒な目つきで睨むようにしている。隣にいる副長のレクソン・ライアルの方は、いたって冷静そうに、テーブルの地図を見つめていた。
「ジャリア兵の残党などは、ものの数ではなかろう。もしも、ラハインに接近するようなら、そのときに叩きつぶせばよい」
「わかりました」
 セイトゥの方は、そうした軍事行動に関しては、なにも口をはさむ気はないようで、たただ淡々と己の言葉を続けた。
「次に、ウェルドスラーブについてですが、草原の戦いとときを同じくして、ヴォルス内海では、ウェルドスラーブ、新アルディの連合海軍と、旧アルディ海軍が戦い、連合軍が勝利、首都のレイスラーブは奪還され、周辺の都市からもジャリア軍は敗走。しかしながら、西の国境にあるスタンディノーブル城は、いまなおジャリア軍の支配下にあり、さきほど申した、草原で敗走したジャリア軍の残党の一部は、そのスタンディノーブルに入ったということです。情報によると、フェルス王子の副官であった、ジルト・ステイクが残兵を率いており、その数は五千におよぶとのこと」
 テーブルを囲む人々は腕を組みながら、地図を見る表情を険しくした。つまりは、まだいくさは完全に終わってはおらず、難攻不落のスタンディノーブルにとどまるジャリア軍の残党というは、なかなかやっかいな存在になりそうであった。
「スタンディノーブルのジャリア軍については、その動きをずっと監視させている」
 トレヴィザン提督が口を開いた。
「もしも、かれらがレイスラーブへ向けて動きだす気配を見せたなら、こちらもすぐにそれに対応するつもりです。あるいは、反対にかれらが西側へ、つまり草原を目指して動きだしたとしても、むしろそれを機に、城を奪還するべく兵を派遣することになるでしょう。本当なら、いますぐにでも兵を挙げて、スタンディノーブルへ向かいたいところですが、あの城にも周辺の町にも、多くの市民がおりますから、いくさになれば、否応なくかれらを巻き添えにすることになる。なるべくなら、戦わずして、やつらが引き上げてくれるのが最善と思っていますが」
 それはウェルドスラーブの将軍としての本心であったろう。先の戦いで多くの兵力を失い、まとまった兵力と呼べるものを編成するには、まだ当分時間がかかりそうであった。人材も物資も、なにもかもが不足していた。なにより、いまは首都レイスラーブの復興を第一に考えている状況であるから、できることなら貴重な人員と物資を浪費するような無用な戦いはしたくない。スタンディノーブルにジャリア軍の残党がとどまっていて、なんの動きを見せないことは、現時点ではむしろ助かるというのが正直なところであった。
「戦うのがいやなら、」
 向いの席から声が上がった。
「城のひとつくらい、やつらに与えてやればよいではないか」
 そう言ったのはグレッグ・ダグラスであった。アナトリア騎士団のトップに立つこの男は、生来の武骨さを隠そうともせず、鼻を鳴らすと、座席の上で荒々しく足を組んだ。
 トレヴィザン提督は相手をじろりと睨んだ。だが、その口調はいたって冷静なものだった。
「お言葉を返すようだが、これはそう簡単な問題ではない。あの城は我が国にとっての重要な国境の要であり、周囲の町々は歴史あるウェルドスラーブの土地にほかならぬ」
「ふん、そうかい。面倒なことだな」
「簡単に町や城を奪ったり、簡単にに与えたりというような気楽な価値観は、国家ではなく、盗賊まがいの考え方だ」
「なんだと、」
 グレッグが、その太い眉を吊り上げる。副長のレクソン・ライアルは腰を浮かせて提督を指さした。
「貴殿は、我がアナトリア騎士団を盗賊呼ばわりするというのか」
「そうは申しておらぬが、歴史ある我が国の都市や城に対して、軽々しい発言はしてもらいたくはない」
 トレヴィザンは、テーブルをはさんで二人と睨みあった。壁際にいたアルーズも、立ち上がっていた。提督や母国をさらに侮辱するようならば、この場で剣を抜いてやるぞと、その顔つきが物語っている。
 セイトゥの静かな声が両者をとりなした。
「まあ、双方とも熱くならずに。まだ、全体の説明をしているところですから、ともかく最後まで聞いてください。」
 興奮しかけていたレクソンが席に座り直す。アルーズも腰を下ろした。
「それでは、そうですね……スタンディノーブル城のジャリア軍の残党の件については、またのちほど話すことにしましょう。ウェルドスラーブの現状はおおむねそのようなところ。それから……コルヴィーノ王の訃報を受け、現在はトレミリアに滞在するティーナ王妃が事実的な国王代理となり、政務と軍務の実権は、それぞれフェーダー侯爵と、ここにおられるトレヴィザン提督が司るということですね」
「そうなります。いずれは、王妃殿下には国内にお戻りいただき、女王として即位していただく形になるかと思います」
 トレヴィザンはむっつりと言った。  
「わかりました。では、次はアルディについてですが、さきほども申したかもしれませんが、ジャリアと同盟関係にあった旧アルディとは明確に区別することにいたしますので、現在のところは新アルディと固定して呼ばせていただきます」
 セイトゥは、ウィルラースがうなずくのを見てから続けた。
「さて、ヴォルス内海における、ウェルドスラーブ、新アルディ連合海軍の勝利により、ティサンドリア、オルンカンドといった旧アルディの都市であった主要な港は占拠されました。かつての首都であったサンバーラーンは、新アルディ海軍に包囲されたことで全面降伏、ストンホード大公をはじめとした旧アルディの首脳たちは捕えられ、それぞれ裁判にかけられる予定……ということでよろしいですかな?」
「そうです」
 己の出番とばかりに、美貌の貴公子はすっと立ち上がると、しなやかな指先で地図をさした。
「長年、実質的に分裂していた東と西のアルディは、これでようやくひとつになるのです。すなわち、あらたにセリアス・クレインさまが大公の冠をいただき、これまでにない平和で民主的な国家を我々の手で立ち上げるのです。我々は、そのためにこそ奔走してきました。かつて、ジャリアのあとを追うようにしてアルディが大陸相互会議から脱退したときにも、私をはじめ多くのものが反対した。世論も真っ二つに分かれ、悲しいことに国内での内部分裂をまねくこととなった。ストンホード大公のもとでは、ジャリアとの共闘を呼び掛ける古い貴族たち、野蛮な戦争擁護者たちがおもてだった権力を握ることとなり、それに異を唱えるものは容赦なく投獄され、あるいは身分を失墜させられた。私自身も、なにもかもを失い、サンバーラーンから逃げるように地方へと落ち延びたのです」
 ウィルラースの言葉には、旧体制の基盤となった貴族たちへの軽蔑と、あらたな国を興すという新時代への強い希望の響きがあった。
「しかし、このまま、アルディがジャリアの同盟国……いや、ジャリアの先兵のような立場のまま、西側の国々と対立し、戦争を続けたのでは、いずれは国力は疲弊し、優秀な人材はどんどん失われてゆき、国には干上がってしまう。ここでお話するには、あまりに長くなるので詳しくは申しませんが、私は各地に潜伏しながら情報を集め、人員を集めながら、これからのアルディのためには、どうするのがもっとも良い選択となるのかを考え続けました。そして、たとえ国を分裂させてでも、旧アルディのやり方を止めなくてはならない。そうせねば、この国はこのいくさの中で、間違いなく滅びの道をたどると確信したのです」
 ウィルラースは、同じ側の席にいる、トレヴィザンと、レード公、そしてブロテの方に向き直った。
「ありがたいことに、ウェルドスラーブのトレヴィザン提督は、何度かの会談で、完全に私の意志を理解していただきました。そして、ここにはおられぬが、トレミリアのレーク・ドップどの、そしてクリミナ・マルシィどのの協力もあって、セリアス殿下を無事に我が陣営にお迎えすることができた。さらには、セルムラードの、フィリアン女王陛下のご協力もあり……我が新アルディ、ウェルドスラーブ、セルムラード、トレミリアの同盟関係が生まれることとなった。このたびのいくさにおいて、ジャリアを退け、旧アルディの海軍を退け、ついにここに新たなアルディの、その誕生の第一歩を迎えられたのです」
「つまりは、現在においては、アルディは名実ともにひとつとなり、セリアス・クレイン大公のもとで、国内は統治されつつあるということですね」
 セイトゥの言葉に、ウィルラースは大きくうなずいた。
「もともと、アルディの貴族の中にも不満を持つものもおりましたので、ストンホード大公にご退陣いただいたことで、その強制力は失われ、まるで魔法がとけたかのように、新体制に協力的な方々もおります。おそらく、ごく近いうちに新政権の布陣が整い、同時に正式にセリアス殿下の大公就任も公に発表されるでしょう。少なくとも、これはアルディにとって古めかしい貴族主義からの脱却と、平和国家への第一歩であり、それはひいてはリクライア大陸全土の平和ともなりましょう。そして、貿易、通商におけるスムーズなシステムの再構築という点でも、円滑な外交関係に大きな一歩をもたらすことにもなるでしょう」
「なるほど。よくわかりました。そうした通商、関税などに関する具体的な取り決めは、またあとで議題に挙げることにしましょう。それでは、これで現状の把握についてはここにいる方々と共有できたかと思います。総じて言えば、このたびのいくさは、ジャリア軍の一方的な侵攻に、旧アルディが加担したものであり、戦場となったのは、主にウェルドスラーブ国内の各地と、ヴォルス内海、そしてロサリート草原」
 セイトゥは、地図上のそれぞれの場所を指しながら説明した。
「ジャリア軍のウェルドスラーブへの侵攻に際し、トレミリア軍が物資とともに参戦、ウェルドスラーブ軍とともに各地で交戦。防城戦ののち、スタンディノーブル城はジャリア軍の手に落ち、続いて首都のレイスラーブも陥落。ヴォルス内海では、旧アルディ海軍を迎え撃ち、ウェルドスラーブ、新アルディ海軍が交戦、これに勝利し首都を奪還する。トレミリア、セルムラード連合軍は、ロサリート草原にてジャリア軍と交戦、二十日間におよぶ戦いのすえ、ジャリア軍は敗走。そして、アナトリア騎士団がジャリアの首都ラハインを占拠。ということです」
 言葉で説明すれば、それはあっと言う間であったが、そのそれぞれの戦いや戦いの合間には、多くの犠牲や、勇敢な決断や作戦、成功と失敗、そして冒険とドラマがあったことであろう。ここにいるトレヴィザンやウィルラース、レード公、ブロテなどは、それぞれに己の立場から、そのときの出来事や情景を、一瞬ごとに思い浮かべたかもしれない。
 黙り込んだ人々を見回し、セイトゥは静かに言った。
「それでは、まずは最初の議題に入りましょう」
 感傷的にはならない、淡々とした声。たしかに、いくさの当事者ではない、ミレイという国からきた彼のような人間こそが、粛々とした会議の進行役にはふさわしいのかもしれなかった。
「まず最初は、いっときは封鎖された、ロサリート街道の通行についてです」
 セイトゥは地図をなぞるように指し示した。
「敗走したジャリア軍の多くは、マトラーセ川を渡って、ウェルドスラーブのバーネイを通り、現在はジャリアの南の国境、アンマインあたりに潜伏するものと思われます。ご存じのように、ロサリート街道は、草原を隔てたトレミリアとウェルドスラーブを結ぶ最短の街道であり、ということは、リクライア大陸の西側と東側の架け橋のような役割を担っていると言ってよいでしょう。ジャリア軍の侵攻があってからは街道は封鎖され、一般の商隊などの通行はなくなって久しい。しかしながら、この街道の安全性が戻らなくては、大陸間の健全な交易は望むべくもない」
 おそらくは、ミレイにとっても、交易という点でのロサリート街道の重要性は大きいのである。セイトゥの言葉にも、いくぶん力がこもっている。
「そこで、このたびのいくさの集結に際して、ロサリート街道の新たな整備と、安全の確保をまずはじめに考えたいと思うのです。今後は西側諸国と新アルディ、あるいは新ジャリアとの交易も、普通に行われてゆくことが望ましいでしょうからな」
「いいですかな」
 セルムラードのバルカス伯が意見を言った。
「現在は、ロサリート街道を通行するのは、どの国も自由でよいと思います。ただし、それはたとえば、バーネイなどが完全にウェルドスラーブの統治下に戻っていることが条件でしょうな。マトラーセ川を渡ったとたんに、ジャリア軍の残兵に襲われるというのではたまらない」
 それにトレヴィザンがうなずいた。
「そこは間違いなく、安全を保証できます。むしろ、ヴォルス内海の緊張関係が解消された現在の方が、内海からの監視ができることで、バーネイはわが国の北の砦としてこれまで以上に機能し、強固な防備をしくことができます。実際に、国内では首都レイスラーブの整備の次に、バーネイの復興を奨励していて、現在までに城壁の改修は済んで、駐在する騎士と兵の人員もなるたけそちらに回しています。このたびのジャリア軍の侵攻で最初にバーネイが落とされたという教訓から、いまではむしろ首都以上の防衛強化をはかっています。たとえ、ジャリアの残党が、アンマインから攻め込んできたとしても、バーネイの城門に至る前に撃退できるでしょう。ましてや、マトラーセ川を渡って草原の街道へ出るようなことは決して許さぬでしょう」
「提督がそこまで言われるのなら、バーネイ方面の安全は問題ないのではないかな」
 トレミリアのレード公爵が言った。
「むしろ、より問題となるのは、スタンディノーブル城のジャリア軍だろう。やつらが城を出て、草原に入り込むことは、現在でもそう難しくはない」
「たしかに。やつらがマトラーセ川を渡って、北上して草原なり、あるいは南下してミレイに入るという危険は大いにあるでしょうな」
 そう言ったのはウィルラースだった。
「私から提案したいのが、バーネイと、スタンディノーブル城の中間あたり、マトレーセ川の西、つまりアラムラ森林のとばくちあたりに、新たに砦というか、兵士村を作るのはどうでしょう。それによって、草原へ侵入するジャリアの残党はもちろん、最近増えている山賊の抑止にもなるでしょう。また監視砦として、スタンディノーブル城の動きをいち早く知ることができる」
「なるほど」
「それはよい案ですな」
 レード公と、トレヴィザン提督がうなずき合った。
「駐在するのは、トレミリアとウェルドスラーブの混合兵でもよろしいし、なんであれば、新アルディからの兵も加えてもらってもいい。さらに具体的な提案としては、商隊の通行に対しては一定の通行税をとり、それを砦の維持費にあてるのが現実的かと思います。街道の安全と引き換えに、いくばくかの税をとるというのは、決して横暴な政策ではないでしょう」
「素晴らしい。さすが、ウィルラースどのですな」
「セルムラードの方々はいかがですか」
「むろん、とくに反対することもありません」
 バルカス伯もうなずく。
「では、異論なしいうことでよろしいでしょうか。現実的な案として、ここで取り決めましょう」
 セイトゥが言うと、隣の書記が、さらさらと羽ペンを動かして、羊皮紙に事項を書き込んでゆく。
「砦の方は、形だけであればひと月もかからないでしょう。資材はウェルドスラーブからの調達として、初回の資金については、トレミリアと我が新アルディも含めて、三国で負担することでよろしいかな。設計を含めた詳しい見積は、建設者を揃えてから、また具体的に詰めるとしましょう」
「資金なら、我がトロスがすべて負担してもかまわんぞ」
 その声の主を人々が振り返った。
 フサンド公王は、これまでは会議のことなどはどうでもよさそうに、給仕に注がれるワインをひたすら飲んでいたのであったが、すでにずいぶんいい気分になってきたらしく、そのぷっくりとした頬をてかてかとさせていた。
「十万リグくらいならくれてやろう。足りないときは遠慮なく申すがよい」
「公王陛下、それは大変ありがたい申し出ですが、そのように簡単に資金を出してしまうことは、トロスにとっていささか負担となるのではないですか」
 そう言ったウィルラースに、公王はにっと黄色い歯を見せた。
「なに、かまいはせぬ。トロスには金も物資も、腐るほどあるのでな。十万リグも二十万も痛くもなんともない。それでおぬしや、トレミリア、ウェルドスラーブのためになるのなら、安いものよ」
「おお、なんたる寛大なお言葉。そして、大陸全土の平和を誰より強く希求される、公王ならではの大きな視点と包容力でしょう。私、ウィルラースは、またしても感動いたしております」
 つと立ち上がって、優雅なしぐさで胸に手を当てるウィルラースに、公王は満足したようにうなずいた。
 その横で、レード公とトレヴィザンはまたしても顔を見合わせた。トロスが参加してくれることは、資金面でもじつに助かることは間違いなかったが、人々はこのウィルラースという人物の、したたかな操縦術というものに、あらためて舌を巻く思いであった。
「では、陛下のご好意に甘えて、そのようにさせていただきましょう。いずれ、真の平和が大陸におとずれた暁には、フサンド公王陛下の御名は、偉大なる施政者として大陸の歴史に刻まれることでしょう」
 大仰な賛辞ののちに、貴公子は書記のハイケンにうなずきかけた。書記はさらさらとそれを公文にしたためた。 


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