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 水晶剣伝説 XI デュプロス島会議


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 ロサリート草原の戦いから、すでにひと月がたとうとしていた。
 新たな年を迎えて、大陸全土を揺るがした大きないくさの事後処理が、ようやく少しずつ動き始めていた。
 アルディの南に位置するデュプロス島は、南海では最大の大きさの島であり、かつては、古代アスカの城砦があったともされる。この島は、現在はどの国家にも属さないが、実質的にはアルディがずっと管理していた。
 島の面積は、女職人の町メルカートリクスのあるコス島あたりに比べると、ゆうに四倍以上はある。その大半はごつごつとした岩山で、町らしい町というものは存在しない。島の北端、つまり大陸に近い位置には、かつてのアスカの城砦を改修した城があり、最近まではそこにアルディ軍が駐留していたのだが、今回のいくさにおける、アルディ国内の分裂もあって、現在では島からは旧アルディ軍はすべて退去していた。
 デュプロス城砦に残されていたのは、ごく一部の騎士と女官や小姓、それに料理人など数十名であった。いくさの間はただ、暇をもてあましていただけのかれらであったが、あにはからんや、これから人生でもっとも忙しい日々を過ごすことになる。
 ここ数日の間に、島には大量の食料や飲み物、物資が船で次々に運び込まれた。それらは何日もかけて城砦の貯蔵庫に並べられ、それと同時に、新たなアルディからやってきた従者や女官、料理人などが加わって、にわかに孤島の城はにぎわいだした。
 かれらはすぐに、城砦の掃除やら料理の仕込みやらにおおわらわとなった。軍が去ったあとは使われていなかった部屋も含めて、すべての部屋や回廊、塔の螺旋階段にいたるまで、瓦礫をどかし塵が掃除され、壊れた窓は修理され、あらたに寝台や椅子やテーブル、長持ちなどが運び込まれ、あるいは作られた。大量のワインの樽が運び込まれると、料理人はただちにパンを作り始めるための仕込みと、竈の掃除にとりかかった。
 それはまるで、いきなりやってきたお祭りのような騒ぎであった。
 たった数日前までは廃墟のように閑散としていたデュプロス城砦は、いきなり世界でもっとも忙しい城となったのだ。これまでは日がな一日ぼんやりと過ごしていた、居残り騎士も、ぐうたらな小姓も、みすぼらしい服の女官も、突然の催しに面食らいながらも、あふれかえるような色とりどりの食料や、装飾品、真新しいローブやドレスを見て、その目を輝かせると、さっそく各自好みの綺麗な服に着替えた。女官はせっせと化粧をはじめ、小姓は靴を磨き始めた。騎士は城砦の壁や屋根の補修を手伝い、料理人は勤勉に肉を切り始めた。誰もがこの、降って湧いたような事態に面食らいながらも、心を浮き立たせるかのようだった。
「おい、聞いたか?」
「なにをさ」
 にわかに慌ただしくなった城の台所で、若い見習いの料理人たちが、パンの生地を練りながら噂話をしていた。
「もうすぐこの城に、大陸中のえらい人たちがやってくるんだと」
「ああ、聞いたよ。トレミリアのレード公とか、ウェルドスラーブのトレヴィザン提督とかが来るんだってんだろ」
「ああ、先のいくさで大勝利した英雄たちが、この島に集まってくるなんて、すげえよなあ」
「えらい人たちが集まってさ、大事なことをいろいろと決めていくんだよ、きっと」
 ずいぶん粘りが出てきたパンの生地を、見習い料理人たちは、さらに力を入れてこねてゆく。単調な作業であるから、黙っているよりも会話をしながらの方が仕事が進むのだろう。
「それもそうだけどさ、ウィルラース閣下が先頭に立って、そんなえらいさんたちが一同に集まるってことは、いろいろと大事なことがあるってこったよ」
「大事なことって?」
「ばか、政治だよ。政治」
「ははあ」
「よくわかんねえけど。政治よりも、オレは美味いパンが毎日食えるようになりゃそれでいいや」
「ばっか。だから、そうやって、美味いパンがいつでも食えたり、たくさん売れたりするのは、貿易とかさ、関税とかさ、やっぱり政治が大切なんじゃねえか」
「へええ。そうなのか。頭いいんだなおまえは」
「まあな、オレだって、昔は騎士の見習いをやっていたんだぜ」
「騎士になれないから、料理人になったのか」
「ばか、そうじゃねえったら」
 生地をこねる手を止め、若い見習いはその目を輝かせるようにして言った。
「いくさは終わったんだよ。これからはな、いくさよりも、商売の時代だ。これまでよりも貿易がもっとさかんになって、パンもたくさん売れるようになる。剣の強い騎士よりも、腕のいいパン職人の方がさ、もうけられる時代がくるんだよ」
「そうかねえ」
「そうともさ」
二人の見習いは、まさに大陸の運命をその手に握るような気分で、また生地をこね始めた。なにしろ、これから百人ぶんのパンを焼かなくてはならないのだから。それは大変な大仕事である。
 もちろん、そのように使命感に燃えていたのは彼らだけではなかった。
 数百個のジャガイモの皮を延々と剥き続けるものも、肉をいぶすための煙突を梯子を使って掃除するものも、庭園から摘んできたハーブを丹念にすりつぶすものも、巨大な焼き串を一本一本磨くものも、出来のよいワインを見分けるためたくさんのワイン樽から味見をするものも、固いチーズを汗だくで切り分け続けるものも、誰もがこの時代の劇的な変化に立ち会う歴史家のような気持ちで、それぞれの仕事に汗を流していた。これからこの城で行われる、重要な催しに心を馳せながら。
 それは世界にとって、大きな歴史的な意味を持つ事件になるだろう。あるいは、ひとつの時代の始まり、または終わりであったかもしれない。
 リクライア大陸の七つの国の代表が集う、デュプロス島会議が、いままさに開かれようとしていたのである。 

「ひと月ぶりですな、提督。お元気そうで」 
「これは、ウィルラースどの」
 まず、先んじて島に到着したのは、新アルディを標榜する革命の貴公子、ウィルラースと、ウェルドスラーブからの代表であるトレヴィザン提督であった。
 おそらくこの両者は、自分たちこそ、この会議における、主要な議題にもっとも深く関わる立場にあることから、本会議を主宰し、他国の人々を迎える立場にあると考えていたのだろう。
 トレヴィザン提督は、五十人ほどの部下を引き連れて島に上陸した。このたびの戦いでは、いったんはジャリアによる占領という憂き目にあい、ウェルドスラーブの騎士たちは、多くのものが傷を負い、いまだ傷の癒えぬものもいたのだが、提督とともに戦い抜き、勝利をしたという誇りに、彼らはみなその顔を輝かせていた。
 一方、ウィルラースの方は、驚いたことに一個小隊すらも連れず、ほとんど単身といってよい身で島に降り立った。むろん、彼の乗るガレー船には、五十名以上の漕ぎ手がいたが、その部下たちは、主が島に降りるのを見届けると、そのまま船を漕いで島を去っていったのである。彼とともにデュプロス島に上がったのは、護衛兼従者であるたった一人、銀色の髪をした美しき女剣士のみであった。
 ジャリア軍に加担した旧アルディを根本から解体し、新たな形のアルディを建国するという大きな理想をかかげる、その美しきアルディの貴公子は、ともに海戦を戦い抜いたトレヴィザン提督との再会に、その顔をほころばせた。
 海原の彼方から輝きを放つアヴァリスに照らされながら、二人はデュプロスの港で固く握手を交わした。
[お互い無事に再会できたことは、喜ばしいかぎりですな」
「ええ、まことに」
 黒の長衣の上ににたっぷりとした緋色のローブをまとい、横に銀色の髪の美女剣士、アドを従えて立つウィルラースの姿は、まるで一幅の絵画のような美しさであった。
 トレヴィザンの方は、ゆったりとした紺色のチュニックに、飾り鞘に入った剣を吊り下げた、まさに船乗りでもあり騎士でもある姿で、常に武官であることを誇らしげに示していた。その横には、信頼をおく副官のアルーズが、同じような姿でひかえている。
 ウィルラースの美貌はもちろんだったが、アルーズは、その隣にいる凛然とした女剣士に目を奪われたように、口をぽかんとあけていたが、当のアドの方は、アルーズのことなどは目にも入らぬかのようだった。
「このたびは、ともに戦い、そして勝利したことは、まことに喜ばしく、ジュスティニアとアルヴィーゼのご加護にも感謝したいものです」
 トレヴィザン提督の言葉には、武人でありながらも、外交的な柔軟さも持ち合わせた含みがあった。それは、ウェルドスラーブという国家の代表としての立場をよく表していた。
「そして、勇敢なるウィルラースどのと、志をともにする多くの戦士たちが、新たなアルディの希望となることを、心より祈念いたします」
「これは、ご丁寧に」
 それを受けて、ウィルラースはにこりと微笑んだ。
「こちらこそ、まこと勇敢なるウェルドスラーブの戦士たち、船乗りたちに栄光あれと、何度でも叫びたいほどです。じっさい、あなた方の戦いの勇敢さといったら、それは大変なものでした。我らの海軍が、ほんのささやかな後押しでもできたならば、それこそ光栄のいたりというものですよ」
 それは世辞ではなく、おそらく本心であったことだろう。このおそるべき美貌の貴公子が、案外に率直に話のできる相手であることは、トレヴィザンの方もよく分かっていた。
「ただし、思ったよりも海戦に手間取ってしまって、レイスラーブの奪還が数日遅くなったことは、むしろ我らの力不足からくるものでしょう。提督らの戦いぶりを見習い、今後はもっと腕のいい船乗りを育てなくてはなりませんな」
「なんの。こう申しては失礼ながら、ウィルラースどの。あなたの勇敢なところには、大いに鼓舞されましたとも。自ら最前線に立つお姿は、我々も勇気づけられました」
「そう言っていただければ。革命を志し、新たな国を起こそうという者が、自ら命を賭けずになんとすると、日ごろから常に考えておりました。じつのところ、あのような大きな実戦を経験するのは初めてだったのですが、恐れる気持ちを自らで出し抜いて、行動できた自分には、いまはとてもほっとしております」
 そう言って笑ったウィルラースを、ただの見かけばかりの貴公子とは、もはや誰も思わぬだろうよと、トレヴィサン提督は思ったことだろう。そしてまさに、彼らこそがこのたびの戦いで、ヴォルス内海での海戦において、ジャリアと旧アルディの海軍を打ち破った、ウェルドスラーブと新アルディの、その二国を象徴する存在なのであった。
 それにしても、二人が並んだ姿は、どこからどこまでが対照的であった。
 男性としては華奢にも見える、ほっそりとして優美なる貴公子と、筋肉質の体と日に焼けた肌、荒々しく口髭を生やした、男性そのものというような海の男……だが、それでいて、この二人には、その見た目だけではない内面的な部分においては、共通するなにかがあるようでもあった。見かけはずいぶんかけ離れていたが、彼らはどちらもが、いうなれば英雄の気質というものを持っているのだろう。そしてお互いに、そうした部分を確かに感じ合ったようで、二人が互いを認め合うまでには、さして時間はかからなかった。
「さて、ともかく、立ち話もなんですからな」
「そうですね。海風に当たりつづけて、風邪でも引いてしまっては、これからの長い会議に耐えられない」
「それに他国からの文句にも、ですかな」
「ですね。とくに、国とも思えぬ集団もいることでしょうから」
 二人は顔を見合わせてにやりと笑った。 
「ではまいりますか」
 肩を並べて歩きだしたトレヴィザンとウィルラースのあとを、お供するアドとアルーズもすかさず付いていった。
 港から見上げる断崖の上にたつ、その城へ向かって。

 デュプロス城は、アスカ統治時代の城を改装したもので、四つの大搭と分厚い城壁に囲まれた、なかなかに重厚な城砦である。
 かつては、リクライア大陸の西側へとアスカがその領土を拡大するための、いわば兵力の駐留砦として造られたものであるが、やがて時代が進むと、それまで蛮族がのさばっていた西側においても、それぞれに文明の進んだ王国がしだいに増えていったことで、アスカは侵攻をやめ、静観の立場をとった。
 それ以来、西側とのいくさはもちろんのこと、干渉も貿易もせずに、アスカは独自に時を重ねていった。岩ばかりのデュプロス島は人が住むには適さず、どの国の支配下にも置かれることなく、アスカ軍が消えたあとは、アルディの監視下に置かれながら、今日までひっそりと存在してきたのであった。
 だが、歴史的にまったく注目されることもなく、人知れず時を刻んできた南海の孤島の城に、いま大陸中の主要国からの賓客が集まろうとしていた。
 このたびの会議の開催を受け、デュプロス城には料理人や小姓、女官を含めた労働力などが数百人も増員された。それはおおむねアルディからの人材であった。
 やはりこの会議自体を、ウィルラースが代表する新アルディが主催するのだという、それは無言の表明でもあったろう。デュプロス城の外壁や、屋根の補修はほとんど終わり、内装の方も、おおむね客人を迎え入れてもよい程度には整えられた。
 アルディはともかく、トレミリア、セルムラード、ウェルドスラーブ、ミレイ、都市国家トロス、アナトリア騎士団、そしてアスカと、その代表者たちと、かれらが引き連れてくるだろう騎士や、従者などで、合計して千人近い人数にはなると見通される。従者はよいとして、騎士クラス以上の人間のための寝台や部屋の割り当て、そして、食事とワインを用意するだけでも、それは大変な大仕事であった。 
 それらの陣頭指揮をとるのは、新アルディの文官、レン・ケーヒルであった。彼は三十代ながら、建築学や歴史学を教える知識人で、騎士としての経験もあり、リクライア大陸の各国の文化も学んでいるという才人であった。
 このたび彼を抜擢したのは、当然ながらウィルラースであったので、彼はそれを光栄の至りとして、これが新たなアルディの始まりとなる歴史的な会議であるということで、まさに己のすべての能力をかけて、仕事を果たそうとばかりに意気込んでいた。
 膨大なる準備のための細々とした事項をすべて書き上げて、彼はてきぱきと人材を選んでは、その仕事にあたらせた。こうして、この十日のうちに、デュプロス城の外壁と屋根の補修に、港の整備、薄汚れていた城の内装……カーテンやら寝具やら、従者と女官の服やら、テーブルに椅子にナイフに、その他すべてを整え、新しくし、磨き上げ、がらくたを捨て、客人を迎えるための体裁をすみやかに整えたのであった。
 指揮をとるケーヒル氏は、寝る間も惜しんで、目を赤くはらしながら、ワイン樽を数え、ナイフを数え、部屋の数を数え、各国の客人の数を予想して、部屋の割り当てを考えた。むろん、各国の立場や、来るであろう人物の格も考えて、最上の部屋を誰それが使うとか、この国とこの国は少し離してとか、細々としたさまざまなことを考えねばならなかった。
 そして、一番の問題は料理であった。
 だいたい何日前から仕込みを始めればいいのか、これはいかに博識の彼であってもよく分からなかった。そのあたりはもう、料理人に任せるほかにない。肉や魚は、焼くにしてもなるべく新鮮な方がいいに決まっているので、会議の始まる直前くらいに用意しておいて、スープや菓子類は数日前に、パンはどれだけ焼いておいてもすぐになくなるので、これは毎日仕込ませた。
 その間にも、問題はあとからあとから起こり、あの部屋の寝台が足りないとか、水さしがいくつ足りないとか、ブタが城内に逃げ出したとか、不埒な従者にしつこく言い寄られた女官の陳情とか、燭台用の獣脂が足りないとか、新たに設置した便所の流れ具合が悪いとか、クオビーンの豆を引く石臼がまだ届かないとか、銀の塩入れが盗まれたとか、重要なものもどうでもいいものも、次々と報告が入ってきた。それでも、レン・ケーヒルは、混乱しそうな同時多発的なそれらの事項に敢然と立ち向かい、すべてに冷静かつ的確な指示を与えていった。
 このようにして、着々と準備は整えられたのであった。死ぬほど忙しく立ち回る人間がいるおかげで、やってくる客人たちは安心して入城できるのだ。

「セルムラードから、バルカス伯爵閣下、ご到着」
「トレミリアから、レード公爵閣下、騎士伯ブロテ閣下、ご到着」
 午後になると、各国の代表者が、続々とデュプロス城に到着した。
 セルムラードからは、草原で指揮をとったバルカス伯と二十人の騎士隊、二十人の従者が、トレミリアからは、このたびのロサリート草原戦の司令官であるレード公爵と、新たに騎士伯となったブロテ以下、二十人の騎士隊と三十人の従者が、それぞれ入城した。
 旅の警護や船の漕ぎ手を務めた一般騎士たちは、その従者も含めて、いったんは城の内郭に立てられた臨時の天幕でまとめて休息をとった。そののちに、騎士クラスのものだけは、城内にて食事と寝床を用意されることになる。
 レード公とブロテは、部下たちと離れ、さっそく城内の広間に通された。
 そこは、このたびの会議のために用意された大広間であった。
 長方形の大きなテーブルには、すでに人数分の杯が置かれ、各国の代表者の到着を待っていた。上座の背後の壁には、舟形の上にアヴァリスを模した円を乗せた模様の、旧アルディ時代の国旗と、こちらはまだ真新しいリクライア大陸全体の描かれたタペストリーが飾られていた。それ以外はとくになにもない、むしろ質素といってよい部屋であったが、ここでは行われるのが晩餐会などではなく、れっきとした大陸会議であることを考えれば、ちょうどよかったかもしれない。
「レード公閣下、ブロテどの」 
 入ってきた二人の姿を見て、真っ先に席から立ち上がったのは、先に到着していたトレヴィザン提督であった。続いて、セルムラードのバルカス伯、そしてウィルラースが立ち上がり、それぞれが軽く一礼をした。
 テーブルに着くのは各国の代表者のみということで、トレヴィザン提督の部下であるアルーズはやや離れた壁際の席にいて、提督が立つと同時に、彼もさっと立ち上がって礼をした。
 ウィルラースの供であるアドの方は、主の後ろの壁際にはじめから立っていた。テーブルの一番端の席に座っていたのは、あまり目立たぬ出で立ちの文人めいた痩せた男で、それがどの国の人間なのか誰も知らないようすであった。
「おお、これはトレヴィザン提督」
 レード公は、歩み寄ってきた提督と握手を交わした。
「無事であられたか。海戦のさなか、一時は行方しれずとなったと聞き、たいそう心配したものだが」
「これはありがとうございます。公爵閣下の方もご無事でなによりであります。そして草原での勝利、おめでとうございます」
「なに、私などはなにもしておらんさ。このブロテをはじめ、優秀にして勇敢な騎士たちのおかげよ」
 隣に立つブロテが、無言で胸に手を当てる。
「ブロテどのもご無事でなによりですな」
「ありがたきお言葉です」
「このたびのご活躍は、まさに東奔西走というべきものです。まさにトレミリアの英雄というべきか。そう、そして騎士伯の叙任もおめでとうございます」
「なんの、たいしたことでは」
 言葉少なにうなずくブロテは、その顔に激しい戦いの傷をいくつか残していたが、もともとが作りの美醜よりもその見事な体躯と勇敢さでもって名を知らしめる騎士であるから、この程度の傷はむしろ勲章のようなものであったろう。
「そしてなにより、ブロテどのには我が王を……」
 そこまで言って、トレヴィザンは言葉に詰まったように、いったん口を引き結んだ。
「我が、コルヴィーノ王を、レイスラーブから脱出させてくださり、トレミリアへとお連れいただいた。ここにはおられぬが、セルディ伯爵どのへも、同じく心よりの感謝を申し上げる」
「いえ、そのような」
 提督の丁寧な謝辞に、ブロテはいくぶん困ったように口ごもった。自身が助けた王の暗殺の事実を彼が知ったのは、草原のいくさが終わって、フェスーンへ戻ってずいぶん経ってからであった。
 一方、ウェルドスラーブにその知らせが届いたのは、ほんの十日ほど前であった。コルヴィーノ王の暗殺という衝撃的な事件に、ウェルドスラーブの重鎮たち……といっても、トレヴィザンやフェーダー候など、いまではもうごくわずかな者しか生き残ってはいないのだったが……かれらが非常に大きな驚きと悲しみに包まれたのは言うまでもない。
 だからといって、トレミリアに対しては、友国としての感謝こそすれ、王をみすみす殺させた不手際を責めることは決してしないということで、一致した態度をとることがただちに決められた。ただむろん、それと感情論とは別物であった。トレヴィザン自身、敬愛する年若い王の死を、完全に受け入れるにはまだしばらく時間がかかるであろうと、自身でも分かっていた。
「コルヴィーノ陛下には、わが国を代表して、心よりのお詫びとお悔やみを述べさせていただく」
 言葉に困ったブロテを引き継ぐように、レード公爵が沈痛な面持ちで述べた。
 すでに、コルヴィーノ王死去の事実は、公に発表されていたので秘密事項ではなくなっていたが、そのことが大陸間の国家バランスに大きく影響すること、それは、この会議においても重要な問題のひとつであることを、この場にいる人間はよく知っていた。
「我が国におられながら、みすみす賊の手によって、王の御身に傷をつけさせ、あまつさえお命を失わせたこと、親しき友国であり、文字通り親族も同様である王国の貴き存在を失ったことは、まこと痛恨のきわみ。こうして言葉のみでお詫びしきれることではありますまいが、なにとぞ心よりの弔意を表させていただきたい」
 胸に手を当てたレード公が頭を下げる。
「お顔をお上げください。ご丁寧なお言葉を頂戴し、亡き我が君にもすでに充分届いているでしょう。我らとしては、敬愛すべき偉大なる王を失った悲しみにくれ、まだそのショックから立ち直れてはおりませんが、トレミリアの方々がみすみす王を死なせたなどとは考えておりません。もともとが、あのジャリアに包囲されたレイスラーブにて、王は最後を遂げる覚悟でございました。それを半ば強引に、ティーナ妃ともども船にお乗せして、トレミリアへと旅立たせましたのは、我が方の身勝手というもの。それに、たとえひとときであっても、王妃殿下と、フェスーンにて心安らぐ時間があったのであれば、それは感謝こそすれ、恨みがましい気持ちなどは微塵もありません。たとえ、刺客の手にかかったとしても、それは……きっとコルヴィーノ陛下にはどなられるでしょうが、それも天命というもの」
 そう言って、トレヴィザンはやや声を震わせた。どんなときにも偉丈夫然として、力強く、自信にあふれた戦士であり、海の男である提督も、己の敬愛する王を亡くした悲しみは大変なものであるのだろう。
「ですから、重ねて申しますが、我々は……いや、ウェルドスラーブのすべての民は、トレミリアに感謝こそすれ、なにも不平をもらすことはないでしょう。そしてこれからも、いままでと変わらぬ友情を持ちつづけることでしょう。それは、亡き我が君の魂に誓って申し上げられます」
「そういって頂けるのはまこと嬉しいことです。我々ももちろん。これからも、トレミリアとウェルドスラーブの変わらぬ友情を願い、支え続けることでしょう」
 レード公はそう言葉を返してから、つと提督の耳に顔を寄せた。すぐにこれは重要なことだと感じたように、トレヴィザンはその顔つきを変えた。 
「トレヴィザンどの、じつは、あとでお伝えしたいことが」
「わかりました。それは……」
 提督はなにか聞きたそうにしたが、うなずく公爵を見て黙って口を閉じた。
「のちほど」
 それ以上はここでは言えぬというように、レード公は提督の肩を叩くふりをして、さっと広間の人々を見回す。
 いまここにいるのは、セルムラード、ウェルドスラーブという、トレミリアに近しい友国の面々と、それに新アルディのウィルラース、あとはどこかの国の文官……おそらくはミレイあたりだろう。さいわいにして、もっとも面倒な存在だと考える人物たちはまだ到着していないようだった。
(しかし、ウィルラース卿の思惑というのもまた、すべては計り知れぬのだがな)
 レード公のそんな思いを感じ取ったわけでもなかろうが、そのウィルラースが優雅な足どりで近づいてきた。その背後にはぴったりと、護衛役のアドが付いている。
 ウィルラースとすれ違うように、トレヴィザンは自らの席へと戻っていった。この二人の間ではすでに挨拶と、それ以上の会話があったのだろうと見て取れた。
「レード公爵閣下、お久しぶりでございます」
「これは、ウィルラースどの」
 目の前に立つ貴公子を見て、相変わらず信じられないほどに綺麗な男だと、レード公は思った。
(あの、アレイエンと並んだら、それはさぞや、世界中の姫君たちすらも羨むような光景だろうな)
 金髪碧眼の美青年アレンと、ふわりと肩にかかるブラウンの髪をもつ優美なる貴公子、どちらも女性的に見えて、その実、果断な行動力と勇敢な騎士の魂をもっている。あくまで優雅な立ち居姿といい、その絶世の美貌といい、たしかにかれらは二人は、どことなく似ている気がした。
「ご挨拶が遅れまして。こたびは新たなアルディを代表するものとして、ずうずうしくも参上いたしました。高貴なる方々のように、名をもつ肩書などなき身ではありますが、どうぞよしなに」
「こちらこそ。アルディとの友好関係は、長年望んでいたことですからな」
 これまでは、ジャリアとともに大陸相互会議を脱退したアルディは、トレミリアにとってはいわば敵国であるといってよかったのだが、はたしてこれから新しい国となって、どう変わるのか。レード公は、この貴公子と接することで、彼が描こうとする新国家の姿を見定めようとも考えていた。
「トレヴィザン提督率いる海軍と、ウィルラースどののガレー船団が共闘した、このたびの海戦でのご活躍は、それは見事なものだったと、もっぱらの噂ですからな」
「いえ、私などは、偉大なる提督と比べられてはいささか恐縮いたします。船乗りとしては素人のようなものですから、あくまで提督の指示に従いつつ、勇敢なるウェルドスラーブ海軍のあとに続いて、溺れぬよう戦ったまでのことです」
 ウィルラースの言葉に、レード公は思わず口元をゆがめた。
(なかなか食えぬ御仁だな)
「ともかく、新アルディ誕生の暁には……というか、すでにもう、その方向でずいぶんと国内を固めておられることでしょうが、我がトレミリアとの安定的な友好関係を、ぜひともお願い致したいものです」
「おお、もちろんですとも。我がアルディの新大公、クレイ・セリアス殿下もそう望んでおられます。なにしろ殿下は、トレミリアの騎士、レーク・ドップどのとクリミナ・マルシィどのにお助けいただいた御身ですから。それに私自身も、レークどの、クリミナどのにはとても友情を感じております。レークどのはただ一度お会いしたのみですが、彼の勇敢さと、そして愉快な人柄には魅了されまして、これからも立場を超えた友人でいたいと思っておりました」
「そうでしたか。あのレークと」
 そういえば、そのような話を、ローリングから聞かさせたことを公爵は思い出した。草原でのいくさがまさに始まろうとしているときに、あの浪剣士はひょっこりと現れたのだった。そしてそのレークが、数々の信じられぬような冒険を重ねてきたことを、後日、ローリングは興奮ぎみに語ったのであった。だが、そのローリングはいまはなく、そして当のレークもまた。
「ところで、レークどのは草原のいくさ以来、依然として行方知れずと聞きますが、いまもまだ?」
「見つかってはおりません」
 公爵はそう言うと、横にいるブロテにちらり目をやった。レークのことを敬愛するこの巨漢の騎士伯とは、草原以来、務めてこの話はしてこなかったのである。
「あの男が戦死したとは考えたくはないですが……」
「でしょうな。あれだけの勇敢な剣士はなかなかいないでしょう。聞くところによると、彼は自ら決死隊を率いて、黒竜王子のいるジャリア軍の本陣へ突入したしたとか」
「さよう」
「想像するだけでも、まるでサーガのような戦いぶりですな」
 ウィルラースは、その彫刻のように美しい顔に、うっとりとした表情を浮かべた。サーガの中の存在のようなのは、この男も違いないがと、レード公はひそかに思った。
「にしても、トレミリア最高の騎士と称される、ローリング騎士伯どのも亡くなられたことは、まことにお悔やみ申し上げます。これからは、ここにおられるブロテ騎士伯どのが中心となって、トレミリアを守ってゆくことになるのでしょうな」
「レークどのは、まだ死んだと決まったわけではありません」
 いままでずっと黙っていたブロテが、静かに口を開いた。
「おお、それはむろん」
 大柄のブロテはただそこに立っているだけでも、なかなかの威圧感があるのだが、その決して激さない低い声は、内なる戦士の気質でもある、彼の実直さを表すようだった。
「心ないことを申しまして、失礼した。ブロテどの」
 ウィルラースは、いくぶんかしこまって巨漢の騎士を見上げた。背丈は彼よりも頭ひとつは大きく、横にいたっては、ほっそりとしたウィルラースの二倍もありそうであった。
「レークどのが死んだなどとは、私とて信じたくはない。彼とは少しの間だったが、じっくりと腹を割って話もさせていただいた。彼は、私の頼みごとを勇んで引き受けてくれ、それを見事に果たした。それになにより、新たなアルディの冠をいただくセリアスさまをお助けしてくれた。それは、新たなアルディにとっては、建国の希望を救ってくださったことになる。彼は私の恩人であり、我が国の恩人、そしてジャリアを退けたリクライア大陸の英雄でもあるのです。私も……彼はきっと、そう、きっと、どこかで生きている、そんな気がしています」
「自分も、そう思います」
「ブロテどのは、レークどのが戻られるまでは、騎士伯として、トレミリアを守る偉大な騎士として、立派に使命を果たしてゆかれることでしょう」
 ウィルラースの言葉に、ブロテはいくぶんその顔に血の気を甦らせた。にこりと微笑んだ貴公子の顔は、彼を嫌いになれる人間がはたしてこの世界にいるだろうかと、そこにいるすべての者に思わせるものだった。
(なんとも、これは巧みな外交術だな)
 二人のやりとりを聞きながら、レード公は、奇妙な不安感を覚えていた。
 ブロテはいたって素直で素朴といってもよい戦士であるから、いったん相手に信頼を置くと、それは好意と尊敬をともなって大きくなってゆく。そしてウィルラースの持つ魅力は、その外見の美しさだけでない、意外なほどに親しみやすい言葉であり、見かけによらぬ率直さなのだと感じられた。それは、思えば、あのレークにも共通する資質であるのだった。
(これは、敵にするとやっかいな人間になるだろう……)
 いまは、国同士の友好を結べる存在と見えていても、いつか、それが変わる日がきたら。レード公は、そんなふうに思いながら、ウィルラースの背後にぴたりと仕える女剣士にも目をやった。
 銀色の髪を後ろに束ねた、こちらも主に負けぬ相当の美貌の持ち主で、その静かな達人めいた気配と、落ち着き払った顔つきから、おそらく相当の手練であること、そしてこの貴公子のためならば、己の命をも進んで投げ出すだろうことが察せられた。騎士として剣を学び、多くの強者を目にしてきた公爵にはそれが分かった。
(なんとも、ただものでない連中が集まったものだ)
 レード公は、思わず内心でにやりと笑った。
 それぞれの国を背負う人物たちというのは、その凡人ならぬ宿命によって、好むと好まざるとにかかわらず、世の常とは異なる個性的な人間に作られるものなのだろう。そうした強い魂をもった者が集う場は、武人としての血が騒ぐような心地になる。
(なかなか、楽しませてくれる会議になろうな)
 何食わぬ顔でウィルラースと会釈をかわして、席に着こうとしたそのとき、
「アナトリア騎士団から、騎士団長グレッグ・ダグラスどのがご到着!」
 広間の扉が開かれて、触れ係が告げた。
「きたか」
 レード公は、その顔を緊張させた。



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