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水晶剣伝説 ] 大地のうた


[

「……」
 兜の中の王子の目が、一瞬、光ったよう思えた。
 そして、
 ガッ
 剣が合わさる響きと、強い衝撃、
 渾身の力で打ち込んだ剣は、振り上げた王子の剣にはじき返された。
「くっ」
 腕のしびれにレークは思わず顔を歪めた。
(すげえパワーだな。それに、速い……)
「へっ」
 だが、怯んだところを見せるまいと、続けて剣を打ち込む。
 キン、キーン、という高い音が木々の間に響き、続けざまに二人の剣が合わさる。
(なんて固さだ……あの水晶剣も鋼鉄でできているのか?)
 相手の剣は、これまでに感じたことのない感触であった。まるで、岩の塊に剣を振り下ろすような、そんな感じである。
 そして、それだけではない。
(なんだか、疲れるぜ……)
 剣を合わせるごとに、疲労感がどっと襲ってくる。
(まるで、合わせた剣から、力を吸い取られるような……)
 そう考えて、レークはふっと笑った。
(そんな、バカな)
(そんなことが、あるかよ……)
 そう思いながらも、この首の後ろが震えるような感覚はなんなのか。本能が、見えないなにかを感じ取っているというような、そんな感じがするのだ。
「くそっ」
 二本の剣を両手に握り直すと、レークは突進した。
 王子はまったく動かない。
 ギャリッ
 激しい痛みとともに、思わずレークはその場に膝をついた。
 オルファンの剣がはじき飛ばされていた。まるで、腕ごともっていかれるような衝撃であった。飛ばされた剣は、剣歯が折れ曲がり、地面に転がっていた。
「くっ、馬鹿な……」
 見上げると、目の前に立つ黒い王子の体から、凄まじい気配が立ち上るのが見えた。それは、黒い魔力というのか、同じ人間とは到底思えぬ、おそるべき闇の障気であった。
(勝てる気がしねえ……)
 戦慄が身体を硬直させる。
(くそ。なんてこった……)
 それは、剣技や強さといったものを超えた、ほとんど本能的な恐怖であり、そこに理由などはありはしない。
(ど……どうすりゃあいい)
 まるで蛇に飲まれる獲物のように動けない。いや、動くことが無駄にも思える。それは諦めにも似た、どうにも抗えぬ無力感……つまり絶望であった。
 こちらを見下ろす王子は、不意に、もう興味を失ったというように横を向いた。すると、代わって巨漢の騎士……ザージーンが、命令を受けたように無言で進み出る。
「……」
 もはや、王子にとっては、自分は直接殺すほどの相手でもないということか。巨漢の騎士が一歩、二歩と近づいてくる。目の前で巨大な斧槍を振り上げる、その姿は、まるで死刑執行人のようだった。
(びりびりと、感じるぜ……こいつがオレを殺そうとしているのが)
 自分の身体は、気力も体力も失われたように重く、動かない。そのくせ、感覚だけは敏感すぎるほどに繊細になっていた。
(どのみち、いまのオレじゃあ、コイツにも勝てねえ)
(オレはここで、死ぬのか)
(ざまあねえな……くそ)
 レークは目を閉じた。
(森の奥から……)
(なにかが聞こえるな……)
 さきほどもあった、大地のざわめきのようなものが、いま、また感じられる。
(あれは、なんだ?)
 こんなときであったが、神経が研ぎ澄まされていのるか、その気配が、しだいにはっきりと感じられる。
(なんだ?誰かが歌っているようだ)
 それは、死にゆくものの幻聴であったのだろうか。それとも……
(ああ……もう、どうでもいいや)
 レークの頭上に、まさに斧槍が振り下ろされようとしたとき、
「うおおおっ」
 野太い叫びとともに、突進してきたものがあった。
 斧槍を振り下ろすザージーンに、体当たりをするように突っ込んだのはラシムだった。
「レーク隊長!」
 鎧の肩当てははがれ、胸当てにはいくつもの凹みがある。武器は失ってしまったのだろう、ラシムは己の巨体を武器に、ザージーンにのしかかった。
 ふたつの巨体が地面に転がり、激しい肉弾戦が始まった。
「ラ、ラシム……」
 顔を上げたレークは、二人の巨漢の騎士が取っ組み合うさまを呆然と見つめ、それからはっと立ち上がった。
(オ、オレは……)
 さっきまでの無力な絶望感はいったいなんだったのか。それはすっかり消えていた。あるいは、それこそが水晶剣の魔力のせいだとでもいうのか。
 離れてゆきかけていた王子が、こちらを振り返った。
「……」
 レークはさっと周囲を見回した。
 決死隊の他の騎士たちは、多くが打ち倒されつつあった。おそらく四十五人隊の半数までは倒したかもしれないが、こちらの騎士で残っているものはほとんどいない。
 ガウリンは数人の敵騎士を相手にいまも激しく戦っているが、いかに勇猛な彼とても、多くの傷を負い、鎧は血みどろであった。一人、また一人と、その周りを囲む敵の数が増えてゆく。
(すまねえな、助けに行けなくて)
 もはや決死隊の全滅はまぬがれそうになかった。しかし、それも覚悟の上の作戦である。
(オレも、そうさ……死ぬまで、戦うだけよ)
 さきほどの無気力感を消し去ると、レークは右手にカリッフィの剣を持ち替えた。
(あの姉妹にゃ、すまねえことになるな。大切な剣をこんなにしちまって)
 ふと、あの女職人の島でのことが頭をよぎる。
(だが、あんたらの剣のおかげで、ここまで来れたんだぜ)
 レークは、己の中に多くの人間の思いが集まってくるような感じを覚えた。
(そうだ……この剣もそうだし、誰もが、それぞれの命を燃やして生きている)
 騎士や剣士たちが戦えるのは、剣を作るものや鎧を作るものがいるおかげだ。馬を育てるものや、服やベルトやマントを作るものや、さらに言えば、食物を作るもの、畑を耕すものがいるおかげなのだ。そうして、すべてのものたちの思い、その生きざまが、自分を支えている。自分だけでなく、世界を支えている。
 そんな、当たり前のことを、いま強く感じる。
(オレの力は、みなの生きる力が作り出した力だ)
(オレが生きるのは、世界がこうしてあるためだ)
 それは、自分というこの存在が、世界すべてと同化するものであるという、強い認識であった。同時に、自分以外のすべての人々も、すべてはつながっているのだという、不思議なほどに大きな連鎖、そして新鮮な確信がそこにあった。
(戦い、人を殺し、そしてオレも、いずれは死ぬ)
(それでいい、)
(それで、いいのだ)
 ふと、すべての恐れが消えた。
 じわりと、己の中に、新たな力の源が生まれるような感覚……
 震えにも似た、喜びの力が、広がってゆく。 
 それは、これまでに感じたことのない、温かく湧き出る勇気……新たな己の血が全身を駆けめぐるような、そんな感覚であった。

 全軍としてのトレミリアの劣勢は、しだいに明らかになりつつあった。
 敵の不意をついて側面から突入したことで、いったんはジャリア軍の混乱を誘うことが出来たが、数の上での不利はやはり補いようがなく、倒しても倒しても現れる黒い兵士の姿に、トレミリア兵たちの肉体的、精神的な疲れは目に見えて大きくなっていった。
 そんななか、
「ローリング閣下が戦死なされました!」
 その報告が、トレミリア軍の本営に届けられた。
「おお、ローリングが……」
 それを聞いたレード公爵は、馬上にて一瞬、言葉を失った。己の直属であるレード公爵騎士団の団長であり、トレミリア軍の実際的な指揮官でもある、そのローリングを失うということは、まさしく精神的な支柱を失うというに等しかったのだ。
「ヨルン騎士伯も敵陣に突入し、その生死は不明。歩兵隊を率いるハイロン伯も不明です。ブロテ騎士伯は健在とのことですが、どの部隊も劣勢きわまりなく……」
 報告される前線の状況は、どんどん悪くなるばかりであった。
「それから、セルムラードのスレイン伯が、増援を求めておられます」
「そうか。バルカス伯に報告しろ。我が方から歩兵部隊を五百人投入できるか」
「しかし……それでは、後衛部隊がほとんどいなくなります」
「かまわん」
 あとはわずか百人程度の近衛兵隊を残し、ほかのすべてを前線に回すこととなるが、レード公に迷いはなかった。
「どのみち、ここを突破されれば後衛もなにもない。すべてはここで決するのだ。ありったけの余剰兵力つぎ込んでおけ」
「はっ」
 最後の増援隊が前線に向かうのを、レード公は静かに見送った。
 豪胆にして冷静な知性も併せ持つ、トレミリア随一の将軍は、すでに、その心の内に覚悟を決めていたのかもしれない。
「たとえ全滅しても、」
 公爵はつぶやいた。
「本国に敵を入れさせはせぬ。そのためならば、我が命も捧げよう」
 そして、じっと、土煙が上がる前線の戦いへ目を注いだ。

「ひるむな!トレミリアの騎士たちよ!」
 前線に立ち続けるブロテは、血にまみれた鎧と刃のこぼれた剣を振り続けながら、叫び、戦い、また叫んだ。
「戦え!たとえ、ここが最後になろうとも。我が王国のために、戦うのだ!」
 その体躯に宿る底知れぬ体力と気力こそが、前線で戦う兵士たちの希望であり、残された勇気を振り絞る、その源といってもよかった。
「退くな!ここで退いては、すべてが終わる」
「戦え!剣を上げよ!」
 声を枯らした隊長たちの叫びが、あちこちで上がり続ける。
 前線で戦い続ける兵たちは、ローリングの戦死の知らせはまだ知らぬ。だが、時間とともに、戦況が悪くなりつつあることは、おそらく誰もが感じていた。倒しても倒しても、黒い敵兵の数はいっこうに減らない。反対に、さっきまで横で戦っていた仲間が、一人、また一人と倒れ、動けなくなってゆく。
 気付けば、数人の敵兵に囲まれ、なぶられるようにして死にゆくものもいた。誇り高きトレミリアの騎士にとって、それは言い知れぬ屈辱であった。混戦になればなるほど、兵力の差が如実に現れる。じわじわと黒い鎧姿が戦場を席巻しつつあることは、もはや誰の目にも明らかであった。
 兜の中で歯を食いしばり、あるいは、意識を朦朧とさせながら、兵士たちはしびれる腕で剣を振り続けた。おそらく、彼らの脳裏によぎるのは、黒い兵士たちが美しき王国へなだれ込み、暴力でもって都市を制圧してゆく、そのさまであり、愛する家族や恋人たちが、暴虐になぶられ、殺されてゆくそのイメージであったろう。それをさせぬため、ここで己の命を犠牲にすることをためらうものはいなかった。
「トレミリアのために!」
「おおっ、トレミリアのために!」
 だが、その叫びはむなしく途切れ、敵の長槍や剣によって貫かれ、絶叫に変わってゆく。ジャリア兵の黒い鎧が返り血で赤く染まるごとに、またひとつ、ひとつの思いが消えてゆく。血に飢えたような黒い鎧たちは、その勢いを増し、残虐ないくさの昂りとともに、トレミリアとセルムラードの兵士たちを狩るように倒していった。
 草原を見下ろしていたアヴァリスは、すでに運命の趨勢を悟ったというように、その姿を雲の中に隠し始めている。空には灰色の雲が広がってゆき、北から吹きつける風は、その冷たさを増してゆく。

 最初の異変に気付いたのは、前線で戦う兵士たちではなく、そこからやや離れた場所にいる、余剰戦力の部隊兵であった。
「あれは、なんだ?」
 予備兵として待機していたジャリアの後方部隊のひとつ、
 首都ラハインで徴集された市民兵などを含んだその部隊は、まだ実践の経験が足りぬということで、戦場からもっとも離れた場所にて待機していた。「わが軍、圧倒的に優勢」という報告ばかりで、もはや前線へ投入されることはあるまいと、兵士たちはいくぶんの余裕をもって過ごしていた。
 実際にたったいまも、交代での休息が申し渡され、当番のものが負傷兵を運ぶにゆく以外には、役割というものはなにもなかった。
「どうした?コンラッド」
「ああ、なにかがいま……」
 まだ十代であろう、少年めいた顔のジャリア兵が、近づいてきた仲間の一人に奇妙な顔つきで言った。
「なにかが聞こえたような……」
「なにかって、なんだよ?」
 こちらもまだ若い、やんちゃそうな顔の兵士が、呆れたように尋ねる。
「あんまりヒマだから、風の音でもおかしく聞こえちまうんじゃないのか?」
「いや、そういうんではないんだがなあ」
 たしかに、周りを見回しても、どこまでも草原が広がっているばかりで、風の音以外になにも聞こえはしない。それに、退屈なのは確かだった。この草原に来てからというもの、前線部隊の戦いぶりは伝えられてくるものの、この最後尾の余剰部隊ではすることはなにもなく、仕事といえば馬の世話や鎧や剣を磨くなど、まるで従者のようなものばかりであった。 
 両親に見送られて首都を出るときは、命懸けの戦いへ赴くのだという、ワクワクとする勇ましい気持ちに包まれていたのだが、現実に戦場に来てみれば、ただ毎日、草原の風の音を聞きながら、ときどき剣の稽古をするばかりで、目の前に敵兵が現れることもない。緊張感というものはとうに消え失せた。いまとなっては、さっさと我が軍に勝利してもらって、早く国に帰りたいと思うようにもなっていた。
「確かに、ヒマだよなあ……」
 少年兵は思わず本音をもらした。口やかましい隊長に聞かれたらえらいことであるが、それがこの部隊にいる皆の気持ちであることは確かであった。
「ま、とりあえず、今日の攻勢ぶりから見りゃあ、今日、明日にも勝つのは間違いねえ。そうなりゃあ、トレミリアの領土に攻め込んで、都市のひとつやふたつも奪ってから、のんびりと国に戻るか、あるいはそのままトレミリアに住み着くのもいいだろうさ」
「トレミリアにね……」
 それは考えたことがなかった。
「俺は、そうするよ。寒いラハインよりも、華やかで温かなトレミリアに住みたいじゃないか。それに、あの国には美味い食べ物もあれば、綺麗な女もたくさんいるに違いねえからな」
「そうかねえ」
 少年兵は苦笑した。あまり歳も変わらぬ仲間の考え方が、いささか子供っぽく思えたからだが、彼自身もトレミリアについてよく知っているというわけでもなかった。
 だが、確かに西側の国において、もっとも知的で優雅な文明国であるのだと思う。ラハインから出たことがない家族も、トレミリアは温暖で食べ物が美味しく、なんでも手に入るのだと、いつも話していた。それを聞かされて、いくぶんの憧れを持っていたことは確かだし、なにより他の国への興味があった。いろいろな国を見てみたいというのも、市民兵に志願したひとつの理由ではあったのだ。
(トレミリアか……)
 戦いに勝って、このまま進軍するのだとしたら、あるいは、無用に命の危険を犯すことなくトレミリアへ入国できる。そんな自分は運がいいのではないか。ふと、そんなふうにも思えてきた。
「おい、そろそろ隊長が見回りに来るぞ。ちゃんと剣を磨いとけ」
「ああ……」
 少年兵はぼんやりと答えた。頭の中ではすでに、トレミリアでの生活というものを、想像し始めている。
「ん……なにか」
 今度は、仲間の少年兵がつぶやいた。
「あれは、なんだ?」
 それは風の音ではない。
 はっきりとした、異質な気配……戦場から届く喧騒の空気とも違う。
 それは森の方から感じる。
 わんわんと、なにかが響くような。声ともいえぬような、音が。
 それがしだいに、大きくなる。
「あれは……なんだ?」
 二人の少年兵は顔を見合わせた。
 森の方角から、たくさんの鳥が飛び立つのが見えた。
 そして、

 魔剣を手にした黒竜王子が、ゆらりとこちらに踏み出した。
(剣を合わせたら、勝てねえ……)
 レークは本能的にそれを悟っていた。
(だが、やるしかねえ)
 もう迷いも恐れもない。ただ、首の後ろがぴりぴりとするくらいだ。
(感じるぜ、なにか強いものを……)
 それが目の前の王子の身体から発せられるものなのか、あるいは森の奥からくる気配なのか、それは分からない。
 ともかく、張りつめた意識が、ひどく感覚を研ぎ澄ませている。
 カリッフィの剣をぐっと握りしめる。
 あの魔剣と触れることなく、王子を倒すことはできるのか。 
 確信はない。ただ、信じるだけだった。
(いくぜ、)
(アレン……オレに力を貸してくれ)
 息を整え、
 レークは飛び込んだ。
「おりゃっ!」
 素早い突き込みに王子が反応する。
 その魔剣が獲物を見つけたようにひらめいた。
 突進したレークは、王子の剣先の間合い寸前で、身体をひねった。
「くっ」
 一瞬、左に飛びのき、角度を超えて再度打ち込む。
 これをかわした者は誰もいない。必殺の剣だ。
「うおっ!」
 ガギッ
 剣がぶつかる音が響きいた。
「なっ」
 カリッフィの剣が空中に飛んだ。
 王子の剣が凄まじい速さで、レークの剣を弾き飛ばしていた。
「ばかな……」
 レークは言葉を失った。
 呆気にとられ、その場に膝をつく。見上げると、目の前に剣を振りかざす王子がいた。
(ダメだ……)
魔剣の柄にはめ込まれた宝石が、怪しく紫色に輝いた。
体が動かなかった。
 ここで終わるのだ。レークはそう思った。
 王子の剣が、頭上に振り下ろされる瞬間、
「レーク!」
 声とともに、レークは突き飛ばされた。
 地面を転がり顔を上げると、曲刀を手にした騎士が王子の前にいた。
「リジェ……よせ」
 交差した二本の曲刀が、王子の振り下ろす剣を受け止める。
 だが、
「ああっ!」
 悲鳴とともに、二本の曲刀が折れ飛んだ。
「やめろ……」
 レークはその場で身を起こすのが精一杯だった。
 続けざまに王子の剣が、横なぎに飛んだ。
 ガゴッ、といういやな音がした。
 まるで、時間が止められたかのように、ゆっくりと、リジェの体がふわりと浮かび、
 銀色の髪がなびいた。
「リジェ!」
 駆け寄ると、倒れたリジェの横に、へこんだ兜が転がっていた。
「あぐ……ああ」
 むき出しになったリジェの頭は、あらぬ方向にのけぞっていた。その鼻と口からは、鮮血が流れ出している。
「おい……しっかりとしろ!」
「ふ……、レー、……ク」
 ひゅーひゅーという呼吸音とともに、かすかにその口から声が上がった。
「レーク……あ、んたは、無事……」
「しゃべるな、もう」
「い、生きて……」
 そのまま、彼女の首がぐっと後ろにのけぞった。
「リジェ!」
 なんとか抱え起こそうとするが、もう無駄だということも分かっていた。
「おお……」
 動かなくなった彼女の身体を抱きしめる。乱れた銀色の髪が美しく広がった。
「ちくしょう……なんでだ」
 こんな風に死なせたくはなかった。セルムラードの勇ましき女戦士……銀色の髪をした曲刀使い。
 込み上げるものをぐっとこらえ、レークはその身体を地面に横たえた。
 見ると、ハインと戦っていたビュレス伯も傷を負って、そこに倒れ込んだところだった。彼がリジェを愛していたであろうことは、レークにも分かっていた。
「……」 
 近くにあったカリッフィの剣を拾うと、レークは自分の兜を脱ぎ捨てた。
「どのみち死ぬなら、最後までやるさ」
 静かなまでの怒りが、じわりと広がってゆく。   
 レークは立ち上がった。
 森の向こうが、どんどんと騒がしくなってくるようだったが、それすらも、もはやどうでもいい。
「殿下……おかしいです、なにかが」
 ビュレス伯を倒したハインが、王子の方へ近づいた。
 だがその前に、レークは飛び込んでいた。
 王子の剣がこちらに向いた。
 渾身の一撃と、繰り出したカリッフィの剣が、魔剣と交差する。
「おおっ!」
 王子とレークは正面から重なり、
 まっすぐに、その剣がレークの体を貫いていた。
 そのとき、であった。



「なに……いま、なにかが」
 クリミナは馬上ではっとなった。
「なにかが……いま」
 思わず胸のあたりを押さえる。
 あたりは静かな田園地帯であった。フェスーンを出発してから、途中で何度か休みながら、ずいぶんと馬を走らせた。
 サルマへゆくのには何度も通った街道であるから、だいたいどの辺りに来ているのかは分かる。このままゆけば、日が沈む頃にはサルマへ着けるはずである。
 馬を止めると、あたりには冬枯れの木々に包まれた林と、収穫を終えてひと気のなくなった畑が広がっている。
「ああ……」
 クリミナはたまらず、転げ落ちるように馬から飛び下りた。
 地面に膝をつき、呻きながら大きく息をつく。
「なに……これは、なんなの」
 ひどく胸が苦しい。どきどきとして、胸の奥がうずくような、この唐突な違和感は……
「なにかしら」
 心配そうに馬が顔を寄せてくる。温かな鼻息がくすぐったい。
「ありがとう。心配してくれているの?」
 栗色のたてがみを撫でると、少しだけ落ち着いてきた。
 さっきまで、突然の痛みは消えていた。
「なんだったんだろう」
 体調は悪くない。女とはいえ鍛えられた騎士の身体であるから、これしきの乗馬で疲れるはずもない。
「まさか……なにか、あの人に」
 そうとしか思えなかった。
 きっとなにかが起きたのだ。それは、ほとんど確信めいた直感であった。
「レーク……」
 口の中でその名をつぶやく。
 だが、一度頭によぎった不安めいた予感は、なくなるばかりか、むしろいっこうに強まるばかりだった。
(ああ、早く……早くいかなくちゃ)
 溢れ出す思いに急かされるように、彼女は立ち上がった。再び馬にまたがると、主の意志が伝わったように馬がいななく。
(早く会いたい……)
(レーク!)
 ゆるやかに日の傾き出した街道を、クリミナは馬を走らせた。
 南へ。南へと。
 まるで、その向こうに、ただ一人、愛するものが待っているというように。


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