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 水晶剣伝説 ]大地のうた


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 レークとラシムを先頭にして、遊撃部隊はジャリア兵たちを倒しながら、森の中を突き進んでいた。
 木々の間を縫うように回りながら、そこにいる敵を倒してはまた移動する。その複雑な動きは、ただでさえ視界を遮られる森の中において、重装備のジャリア兵たちを大いに混乱させた。
 進むべき方向を定めるのは、先頭をゆくレークであったので、それに続くものたちは、ともかく、ただついてゆくのに必死であった。遅れをとったものや負傷したものは、ただちに見捨ててゆく。それが暗黙の了解であったし、実際に後ろを振り返る余裕などは誰にもなかった。
 前後左右、まさに敵だらけのなか、目の前に現れた敵を倒しながら、ただ突き進んでゆく。こんな無謀な戦法をいったい誰が思いつくだろあ。おそらくは、ジャリア軍も予想だにしていなかったはずである。
「ついてきているな、アルトリウス!ガウリン!」
「おおっ」
 レークは振り返りもせず、背後で声が上がったことを確かめると、馬上でにやりとした。さらにその後に続いているはずのリジェのことも気がかりではあったが、いまは考えないことにした。誰が犠牲になっても、それは最初から覚悟を決めていたことなのだ。
(さってと、次は……)
「左だ!左前だ!」 
 もはや南も北も分からない。レークは周囲を見渡すと、ただ己の勘のみを頼りに即座に進むべき方向を定めた。
(分かるんだ……)
 周囲を敵兵に囲まれ、瞬時の判断をともなう緊張のなかで、己の精神が研ぎ澄まされてゆくのを感じる。現れた敵の動きが、まるで人形のようにゆっくりと見え、ここで剣をどちらに向けるべきか、それとも馬で相手を吹き飛ばすか、一瞬のなかで考える。
 そして、強く感じるのは、懐にある水晶の短剣の魔力……その震えというのか、熱というのか、ともかく、なにかを感じるのだ。
(感じる方へ進む……)
 水晶の力が自分を導いてくれる。そんな気がした。
「いくぞっ、ついて来い!」
「おおっ」
 彼らの部隊は、さらに突き進んだ。
 レークが方向を定めると、横に付く巨漢のラシムが、猛然と敵兵に突進する。巨大な楯とともに馬上で斧槍を構えるラシムの姿は、それだけで敵を圧倒した。 
「おらよっ!」
 敵兵がひるんだところに、レークが的確に馬上から剣を降り下ろす。そして、それに続くアルトリウスやガウリンがとどめを刺す。
 それはまるで、ずっとこうして訓練してきたように連携した動きであった。百人あまりの部隊は、まるで「ドラゴンに飲まれたゲオルグ」の伝説のように、敵陣を内側から荒らし回り、恐れることなく、奥へ、奥へと突き進んだ。
 木々が立ち並ぶ森の中であるから、視界は決して良くはない。だが、むしろそのせいで、ジャリア兵たちも規律のとれた動きはできないのだ。いうなれば、この無茶苦茶な部隊の動きに、彼らはまったくついて来られないでいた。
「次、左だ!」
 敵の動きを見ながら、瞬時に動く方向を定めると、レークは迷いなくそちらに進んだ。敵軍の最深部……勘だけを頼りにそちらへ進む。
「レーク隊長!」
 小隊の部下であるニールの馬が走り寄ってきた。
「どうした?」
「しんがりをつとめていたロブと、他に十名くらいが敵に囲まれて……自分はかろうじて抜け出してきましたが」
「そうか、くそったれ」
「隊長……」
「どうしようもねえ」
 レークは唇を噛んだ。いったん、敵陣内に飛び込んだら、ついて来られないものは置いてゆくというのは最初から決めていたことだ。それがたとえ、自分の小隊の部下たちであっても。
「残っているのはお前だけか」
「そうです」
 つまり、自分の部下で健在なのは、横にいるラシムと、このニールだけということである。助けに戻りたい気持ちもあったが、それではこの部隊すべてが共倒れになるだろう。
「すまねえが。置いてゆくぜ」
「はい」
「レークどの!」
 少し前をゆくアルトリウスが、左手を指さした。
「敵軍のあちらの防御が固いようだ。おそらく、その先に……」
「おお」
 そちらが、どうやら敵の中枢であるらしい。つまり、
「じゃあ、いよいよ黒竜王子に対面しようじゃねえか」
 そこに目指すものがある。
 少し馬の速度を緩めて、付いてきている者たちを待つ。ここまでに、部隊はすでに半数近くまで減っていた。追いついてきた騎士のなかにリジェ姿を確認すると、レークはふっと息をはいた。
「ようし、もうひと頑張りだ。固まって突入するぞ!」
 残ったものたちを見回して、レークは叫んだ。
「最後までついてきたやつはな、英雄だ。トレミリアを、セルムラードを救う英雄になれ。お前たち。じゅあ行くぞ!」
「おおっ!」
 この決死行で傷を負い、足や腕から血を流すもの、覚悟を定めたように兜を脱ぎ捨てたもの、かれらはみな、よどみない決意にその目を光らせ、すべてを賭けた戦いへと高らかに声を上げた。

「王子殿下!」
 森に入った左翼の部隊からの報告が届いた。
「どうやら森の中に敵の小部隊がひそんでいたようです。現在戦闘中とのこと」
「やはりな」
 驚くでもなく、王子はうなずいた。
「敵部隊は百名前後とごく少数らしく、それが動き回りながら、少しずつ本陣に接近しつつあるようです」
「ノーマス!」
「はっ」
「四十五人隊の隊列を整えさせよ」
「いかがいたしますので?」
「俺も森へ入る」
「し、しかし……」
「どうやら、直接倒すべき相手がいるようなのでな」
 王子の不敵な顔つきを、ノーマスはいくぶんの畏れとともに見つめた。
「ですが、殿下……それは、あまりに危険。敵の狙いはおそらく、殿下であると思いますれば、」
「四十五人隊がおろう。お前たちは、たかだか百人程度の敵を恐れるのか?」
「いえ、決してそういうわけでは……」
「いずれにせよ、決着をつけねばならぬものがいるとするなら、それは……」
 腰に吊り下げた魔剣に手をやると、強い熱を帯びていた。その魔力を少なからず知るであろうもの、それがすぐ近くいるのだ。しかし、ノーマスら、他の部下たちに、そのようなことを説明しても分かろうはずがない。
「いま始末しておかねば、いずれは我が剣の前に立ちはだかることとなる。向こうから来るというのなら、こちらも出向いていってやろうではないか」
「……は」
 王子の言葉にそれ以上逆らうことは、ノーマスといえどもできなかった。騎士たちに向かって陣形を指示すると、ノーマスは自らその先頭に立った。
「殿下、私はいかがすれば」
「マクルーノか、お前はここに残れ。戦況を見ながら、そなたの判断で随時兵員を動かしてよい」
「了解いたしました」
 いくぶんほっとしたような顔で軍師がうなずく。王子にとって、もはや興味のある敵はここにはいない。それが森から近づいてくるのだとすると、おそらくそこは激しい戦いの場となるだろうと、軍師は予測した。
「では、森へ入る。各自、敵を見つけたら、己の判断で戦ってよし」 
 王子の命令のもと、四十五人隊が動き出した。すでに左翼の半ばまでは、アラムラ森林に入っているので、その後ろからつく格好である。
 木々の間に入ると、ひんやりとした空気に包まれた。アヴァリスの光が遮られて、あたりは薄暗くなり、木々が視界を塞いだ。これは思った以上に敵を発見しづらい。
「散開しろ。むしろ密集していると、身動きがとれん」
 ノーマスの指示が飛ぶ。王子を守るため、その周りを取り囲むような隊形をとっていた四十五人隊の騎士たちが、木々をよけるようにしてそれぞれに間隔をあける。
「なるほど、これはたしかに、少数の遊撃部隊にはもってこいだな」
 暗がりの向こうを見据えながらつぶやいた王子は、すぐ背後に控える部下を振り返った。
「どうした、ザージーン」
「……」
 常に王子からつかず離れず、控えていた巨漢のシャネイは、じっと動かず、なにごとかの気配を感じているかの様子だった。
「さすがにお前も疲れたか?」
 面白そうに王子は尋ねた。 
「いえ、森の奥からなにかが……聞こえるような」
「ほう、耳を切られたお前が、なにを聞くというのだ?おおかた、いくさの気配に動物たちが驚いてでもいるのだろう」
「そうかもしれません」
 低くつぶやいたザージーンの声は、そばにいる王子にしか聞こえない。そり上げたその頭に、ぎざぎざとした耳の跡が痛々しい。もともとは、シャネイの特徴であるぴんと突き出た長い耳を持っていたはずであったが、王子の手によって切り取られたのだ。ザージーンという名を与えられ、そのときから、絶対の従属を強いられたこの巨漢のシャネイが、はたしてその内心ではどのような感情を、王子に対して抱いているのか、それは誰にも計り知れない。
 だが、王子にとっては、このザージーンの存在そのものが、己の中に半分は存在する同種としての激しい憎しみも含めて、それを下僕として見下しながら、いっそ破滅的な心地よさをともなってもいるのだった。それは、いつでも殺せる奴隷であるはずのその男が、反対に、常に自分を殺すことができる、そのもっとも近しい場所にいるという、その相反する関係性においてもであった。
 ザージーンの内側には、シャネイ族を殺し続けてきた自分への、くすぶるような憎しみの感情があるのは分かっている。また反対に、ザージーンが、半分が同族である自分への、ある種の悲しみにも似た敬愛を持っていることも。
 王子には、そのふたつがとても心地よかった。いうなれば、憎まれながら愛されているという、その充足感こそが、このシャネイを生かし、自らの傍らに置くべき最大の理由であったかもしれない。
 むろん、そんなことは他のものたちには分からない。なにより、王子がシャネイとの間にできた子であると知るのは、このザージーンを除いては、父である現国王のみである。王子が生まれたとき、それを取り上げた産婆はただちに殺され、王子を育てた乳母たちも、一年ごとに殺されて、いまは一人も残ってはいない。
 シャネイ族との間に生まれた王子にとって、それを隠しながら過ごしてきた時間は、ほとんど生き地獄のようなものであった。もちろんハーフであるから、完全なシャネイほどには耳は長くなければ、肌の色にしても、ザージーンのように褐色に近いまでの黒さではなく、やや浅黒いという程度である。伸ばした髪で耳を隠し、外にいるときは常に兜をかぶった。たてがみのように背中に生えた毛を、人に見せたことはない。いや、いたとしてもすぐに殺した、抱いた女も、ほとんどは殺した。
(いや、一人いたか)
 あれは、ウェルドスラーブの国境の城、スタンディノーブルの女だったか。ふとそのことを思い出す。このいくさから戻ったら、また抱いて、その後は殺すか、それとも、もうしばらくは生かしておくか、それを考えるのは楽しくもあった。
(ふ……)
 殺すこと、それがひとつの、欲望の昇華であった。
 そして、自分という存在を生み出した国王と、シャネイ族を徹底的に憎むこと。己の存在そのものをも憎み、そのやりきれぬ黒い怒りや、水滴が落ちるようにして、己の内側にいつのまにか積もってゆく破壊的な欲求を、敵と戦うことでのみ発散してきた。敵の肉を斬り、血を流させることで、相手を滅ぼし、それと同時に、自分を滅ぼすようにも思える、そのいっときの幻想が、ずっと正気を保ってきたといってもよい。
 だが、やはりそれは、ほんの一瞬の快感にすぎぬ。
 誰を殺しても、たとえシャネイどもを殺し続けても、己自身はここにいまだ存在していて、呪われた間の子としての生を、また明日も生きてゆかねばならないのだ。つまりは、自分にとっての救いとは、世界すべての人間とシャネイを殺し終えたのち、ようやく最後に己自身を殺すことでしかありえないのであった。
(水晶剣が、熱い……)
 いつからか、この剣が、己の内にある、その黒く広がり続ける破滅への欲求を吸い取って、その力を増幅させてくれるように感じられるようになった。それは、黒くどろどろとした無限の沼の広がりの中に、自分自身が吸い込まれるような、そんな恐ろしさと同時に、なににも代えがたいほどの心地よさを含んでもいるのであった。
 その、いまでは己自身とも思える剣が、あらたな魔力を求めるように熱を帯びている。
(近い……な) 
 おそらくは、水晶の魔力を知る存在……その相手が、自分を殺しにくるというのなら、そうさせてやろう。あるいは、この剣に血を吸わせることで、己がまた、いっときの満足を得られるのなら。
(我が運命の相手は、お前なのか?)
 木々の向こうから、たちのぼるその気配を感じる。
 剣が合わさる響きと、叫び声が、近づき、
「王子、敵です!」
 ノーマスの声とともに、四十五人隊の騎士たちが緊張する。
「殿下をお守りしろ!」 
 王子の前に壁を作るかのようにかれらが進み出ると、ほどなくして、木々の隙間に銀色に光る敵の鎧が垣間見えた。
「殿下……なにを」
 振り返ったノーマスの前で、王子は馬から降りていた。
「危険です、殿下!」
「ノーマス、分からんか」
 敵を目前に見据えながら、王子の声はまるで己を抑えるように、静かだった。
「木々が邪魔をする。森の中では、どのみち馬は役にはたたん」
「ですが……」
「ここで敵を迎え撃つには、地面に足を付けて戦うのがよい」
「わかりました」
 ノーマスも自身の馬から降りると、他の騎士たちにも命じた。
「全員下馬!殿下をお守りするように四方陣形をとれ」
 四十五人隊の騎士たちは一斉に馬を降り、王子の周りを四角く囲む隊列を組んだ。四方を固めて敵を迎え撃つ陣形だ。 
 長剣を構えて立ち並ぶ部下たちを、王子は満足そうに見回し、自らもすらりとその剣を抜いた。
 魔剣のきらめきか、その放たれた魔力かが、森の中を一瞬、確かにざわめきたたせたかに思えた。
 
 疾走する馬上の騎士から鮮血がしぶいた。
「ケイン!」
 アルトリウスが、馬上から崩れ落ちてゆく己の部下を振り返る。
「ケインがやられた。おのれ!」
「おい、おっさん、無茶すんな!」
 勇んで突進しようとするアルトリウスに向かって叫ぶが、聞こえてはいないだろう。アルトリウスの馬は、レークとブロテの馬を追い抜いて、敵めがけて突き進む。
「ケインに先をゆかれた。私も続くぞ!」
「おっさん!」
 レークは叫んだ。
 だが、それよりも、
 木々の向こうに見える黒い敵兵の、その先にあるもの、
 横を走るガウリンが馬上で声を上げた。
「見ろ!あの向こうに」
「ああ」
 レークにも見えていた。一般の長槍兵とは違う、赤いマント姿の騎士の集団が。
(あれが、四十五人隊か……だとすると、あそこに)
(あそこに、やつがいる!)
 懐の短剣の熱が、にわかく強く感じられる。引き合う水晶の魔力がそうさせるのだろう。まるてレーク自身が、そちらに引きつけられてゆくような感覚であった。
「我がトレミリアのために!」
 アルトリウスの最後の叫びが響き、黒い敵兵の間に向かって、その姿が消えてゆく。
「ラシム、こっちも続くぞ!他のやつも付いて来い!」
 おそらく、もう部隊で残っているのは最初の半数にも満たなかったろう。誰が生きていて、誰が死んだのか、確認するすべもない。いや、もはや、誰もがこの森の戦いで死にゆく覚悟であった。 
「いくぞっ!」
 巨大な楯を構えたラシムの馬を先頭に、決死隊は敵兵へ向かって突っ込んだ。
「うおおおっ」
 猛烈な叫びとともに、敵兵を吹き飛ばすラシム。それに続くレーク、ガウリンも、馬上から剣を振り下ろし、ジャリアの長槍兵たちを蹴散らした。
「続け!」
 道はできた。続く騎士たちがそこへ殺到する。
「おお……」
 かれらの目の前に、整然と隊列をなす、敵の騎士隊がいた。
 明らかにこれまでとは違う、より統制のとれた隊列。そして、各自が赤いマント姿の騎士たち……
「へっ、四十五人隊か」
 ついにここまで来た。これが、ジャリア軍の中枢なのだ。
(ここに、黒竜王子がいる……) 
 懐の水晶の短剣がとても熱い。あの魔剣が、すぐ近くにあるに違いない。
(アレンよ。オレに力をくれ……)
 レークは馬を降りた。
 森の中を四方八方、無茶に走らせたせいで、馬は口から泡を吹き出していた。あとに続くものたちも、傷を負ったり走れなくなった馬から降り、剣を手にレークの周りに集まる。そこにリジェの姿もあった。
「五十人……いるどうかってとこか」
 残った味方の数をざっと見て取ると、レークは右手にオルファンの剣を、左手にカリッフィの剣を抜いた。残った騎士たちも一斉に剣を構える。
「みんな、ここが最後の戦場だ」
 己自身に言い聞かせるように、レークは言った。 
「いいか、命をかける場所はここだ!」
「おおっ」
 横に立つガウリンが、すぐにでも敵に突進したいように愛剣を振りかざす。巨漢のラシムは体中に傷を負っていたが、そんなものは意にも返さぬとばかりに、手にした大きな楯とハルバードを両手に掲げて見せた。女戦士のリジェは愛用の曲刀を両手に、彼女を守るように寄り添うビュレス騎士伯も、決死の覚悟をにじませて、そこに立っていた。
 そこにいる敵はたった四十五人。しかし、おそらくはジャリア軍最強の戦士たちであった。だが、それを一人一人を剣で倒してゆけばいい。覚悟は決まっていた。
「いくぞ!オレとガウリン、ラシムのあとに続け!」
「おおっ」
 肩ごしに振り返ると、すぐ後ろにリジェがいた。彼女はそっと、レークの背中に手を触れてきた。レークはそれにうなずき返すと、「付いて来い」というように動き出した。 
(なんだ?)
 敵を目の前に、神経を研ぎ澄ませようとしたとき、
(なにか、聞こえるな……)
 森の奥の方から、ふとなにかの気配が感じられた。それが声なのか、物音なのかは分からないが。森か大地が、ざわめくような、そんな感じが。
(気のせいか……)
 気を取られていると、すぐ目の前に敵の騎士が迫ってきていた。
「おっと」
 すかさず相手との間合いを計り、レークは剣を突き出した。
 激しい戦いが始まった。
 あちこちで剣がぶつかり合う響きが上がり、木々の間に叫びが交差する。あとはただ、個々の騎士たちの腕に頼むしかない。
 黒竜王子の親衛隊というだけあって、四十五人隊は、その一人一人が磨かれた剣技を持っていた。あのサウロもそうであったように、一般兵などよりもはるかに強い。
(なるほど、さすが、並の相手じゃないな)
 相手と剣を合わせながら、レークはすぐにそれを感じ取った。
 二本の剣を繰り出しても、簡単には片づかない。また、少しくらいの傷を負った程度では、相手はひるむこともない。戦うことを徹底的に訓練されているのだろう、完全に息の根を止めるまでは、油断がならなかった。
(弱すぎても物足りねえが……歯ごたえがありすぎるってのも、)
「面倒なもんだな!」
 軽口を叩きながら、ようやく一人を仕留めて振り返る。
 リジェの方もちょうど、敵に止めを刺そうというところだった。両手に曲刀を持った彼女の戦いは、敵の攻撃を交差した二本の曲刀で受け流し、敵の鎧の隙間を狙って素早く突くという、じつに見事なものだった。
「さすがだねえ」
 レークはにやりとした。その横で戦うビュレス騎士伯の方も、彼女に負けじと、敵の騎士を追い詰めようとしている。
「さてと」
 次の敵騎士が向かってくるまでの間に、レークはさっと周囲を見渡した。
 それまではなるたけ固まっていた部隊はずいぶんとばらけ、騎士たちは各々の判断で目の前の敵と戦っている。木々が邪魔をして、全員の姿は確認ができないが、ラシムの巨体はすぐに目に入ったし、その近くにはガウリンの姿もある。
(やつらもなかなか苦労しているようだな。ま、そりゃそうか)
 おそらく、ガウリンくらいの騎士でも、四十五人隊の一人とようやく互角というところだろう。さらに後ろからは、一般の長槍兵たちが迫ってくる。時間をかけるにつれ、こちらが不利になるのは明らかだった。
(ともかく、こいつらをさっさと倒すしかねえな)
 気を取り直すと、レークは近くに来た騎士に剣を振り下ろした。さらに、一人、二人と、四十五人隊を打ち倒す。
(さすがに、疲れるぜ)
 息を整えて、次の相手を探す。この分であればなんとかなるなと思ったところだったが、だが、次に剣を交えた相手はただものではなかった。
(こいつは……)
 一度剣を合わせただけで分かった。四十五人隊の中でも、間違いなく格上の騎士に違いないと。
(サウロよりも上か……)
 相手はすらりとした、細身と言ってもよい体つきながら、その剣さばき、そして身のこなしには、軟弱なところはまったくない。むしろ、強力な突きは、レークですら受け止めるのに神経を使った。
「やるな」
 兜をかぶっているので顔は分からないが、どことなく、その姿には見覚えがあるような気がする。だが、そんなことを考えてる余裕もなかった。 
「うおっ」
 相手の強烈な攻撃は、思っていたよりも速く、思わずレークは半身になってのけぞった。
「あぶねえ、あぶねえ」
 今度はこちらから、二本の剣を使って時間差で切り込んだ。相手騎士は、オルファンの剣をかわすと同時に、カリッフィの剣を、その幅広の剣で受け止めた。
 ガリガリと剣を合わせながら、二人が睨み合う。
「やるねえ、あんた」
「その声……知っているぞ」
 兜の中から、相手が驚くように言った。
「お前は、レンクか」
「ははあ、そうか。どっかで見覚えがあると思ったら」
 レークは思い出した。かつて、アラムラの森林を縦断するジャリア軍に名を偽ってまぎれ込んだ、そのときの部隊の指揮官であった男……
「たしか、ハインといったな」
「やはり、あのときの男か。まさか、こんなところで……」
 飛びすさるように間合いをとると、ノーマス・ハインは言った。
「やはり、お前はトレミリアの騎士だったのだな」
「まあ、そういうこった」  
「よくもぬけぬけと、よくも、我らを騙しおおせたな」
「へっ、それを言うなら、お前らだってな」
 じりじりと間合いをとりながら、レークは兜の中でぺろりと唇をなめた。
「サウロといったか。あいつも四十五人隊だと言っていたな。そいつを刺客としてトレミリアに潜入させたわけだからな、お互いさまよ」
「何故それを……」
「何故ってな、そりゃあ、」
 わざと相手を怒らせるように、レークは笑いまじりに言った。
「やつはオレがこの手で始末したからよ」
「きさま……」
 ハインの声が震えた。
「サウロは、我が友人であった……」
「そうかい。だがよ、それを言うなら、オレの部下たち……アランや、トビーを殺したのもお前らだ」
 レークの心に、じわりと言い知れぬ怒りが沸いた。
「いくさで死ぬのは神サマの責任だって言うがな、自分の大切な人間を奪われた者には、憎むべき相手が必要なんだよ。その点では、」
「……」
「あんたにもオレを憎む資格はあるぜ。せいぜい、景気よく殺し合おうや」
 剣を構えた二人の騎士が、一歩ずつその間合いを詰める。
 どちらもただ、相手をここで葬るべく、わきおこる殺意とともに、その剣を振りかざす。
 そのとき、
 木々の間から、ゆらりと黒い妖気が立ち上ったかに思えた。
(あれは……)
 そこに現れた人物……
 黒い鎧と赤いマント姿は、四十五人隊の騎士と同じであったが、明らかに他とは「違う」なにかがあった。黒い兜の尖った頭頂部には赤い縁飾りがあり、鎧の肩当てにも、赤と金の装飾がほどこされている。そして、がっしりとした体躯……そこからにじみ出るような、ある力の気配、それは、言葉では形容しがたいものだった。
(黒竜王子か……)
 引き寄せられるように、視線がそちらへ向かう。恐ろしいまでの存在感、その気配の圧力はただならぬものだった。
 目の前にいるノーマス・ハインが鋭く切り込んできて、レークは我に返った。
「おっと!」
 かろうじて、相手の剣を受け止めたが、油断していたこともあって、そのまま相手の攻勢に圧倒される格好となった。
「やるね……さすが」
 ハインの攻撃は鋭く的確で、そして速かった。二本の剣で交互に受け止めなかったなら、とっくに傷を負っていたかもしれない。
「レーク!」
 レークの劣勢を見てか、すぐ後ろにリジェがきた。
「ここは私がやるわ」
 リジェは二本の曲刀を構えて、レークとハインの間に割り込んだ。銀色の髪を兜からはみ出させた優美な騎士の姿に、ハインがはっとしたように動きを止める。
「あんたの役に立ちたいの」
「だがよ……いや、助かるぜ」
 それは、正直なところだった。すでに、心は黒竜王子の姿に引きつけられている。ハインと集中して戦える気分ではない。
「気をつけろよ。そいつも強いぞ」
「平気よ」
 そう言うや、リジェは素晴らしい速さで、ハインに剣を打ち込んでいった。そういえば、彼女の曲刀には勝ったことがなかったことをレークは思い出した。
(大丈夫そうだな)
 リジェを援護するように、ビュレス伯がすかさずその横に付くのを見てから、レークは左前方に目を向けた。
 そこに、黒い王子がいた。 
 このまま飛び出して行きたいのをこらえるように、レークはゆっくりと近づいた。
(ついに、きたぜ……)
 相手の方も、とっくにこちらを意識していたようだった。剣を手にした黒い鎧姿が一歩、二歩と、こちらに向かって近づいてくる。 
(水晶剣……やつの手にあるのが、水晶剣か!)
 震えにも似た興奮が、にわかに湧き起こる。アレンとともに、長いこと旅をし、常にその情報を求め、探し続けてきた、その剣が……いま、目の前にあるのだ。
「……」
 周りで戦う騎士たちの叫びも、剣と剣がぶつかる響きも、いっさいが消えた。
 レークはただ、吸いよせられるように、王子のもとへ、いや、
 水晶剣のもとへと、近づいた。
 黒竜王子の横には、異形の騎士が立っていた。いや、それを騎士と呼んでよいものだろうか。黒い鎧自体は、ジャリア軍兵士のものに違いなかったが、その巨体は二ドーン近くもありそうで、一見してラシムにも似ている。だが、なにかが違った。
 兜をつけているので顔は見えなかったが、そのむき出しの太い腕や足は、およそ人間とは思えぬくらいに浅黒く、そしてうっすらと金色の体毛が光っているようだ。
(こいつは、人間……か?)
 鋭敏なものであったら、それが人ではなく、あるいは獣のような気配……というか不思議な存在感を嗅ぎ取ったかもしれない。
 それはむろん、黒竜王子に仕えるシャネイ族の男、ザージーンであったが、レークにはそんなことは知るよしもない。斧槍を手にした、その巨漢の男は、まるで主たる黒竜の番人であるかのように、その側に立っている。
 黒竜王子が、ゆっくりと剣を構えた。 
 レークもその両手に、二つの剣を構える。
「……」  
 お互いが一歩ずつ近づき、対峙する。
 兜の中で、額に汗が流れ落ちるのを感じる。
 あのときと同じ……
 スタンディーノーブルの防城戦において、敵兵に紛れ込み、偶然にも、天幕でこの王子と遭遇した。そのとき、剣を手にした王子から感じた言い知れぬ迫力と畏怖は、いまでもはっきりと覚えている。
(くそ……このオレが)
 体が緊張しているのが分かる。本能的に、強い相手を前にしての緊張と昂り。
 だが、あのときと違うのは、いまは手の中に、カリッフィとオルファンの剣がある。この鋼の剣があれば、たとえ、それがどんな相手であろうとも遅れをとるはずがない。
(そうだ……)
(こいつを倒すことが、トレミリアを、そして、リクライア大陸を救うことにもなる)
 これまではただ、旅の浪剣士として、世界の動向なととは無縁に、無頼に過ごしてきた自分であったが、歴史ある王国の騎士となり、部下を持って戦ううちに、己の内には、特別な使命感のようなものが生まれつつあった。愛するものを守りたいという、男としての使命感……それはすなわち、自分が誰かと関わり、その関わりは、ひいては王国との関わりとなり、つまりは世界との関わりとなるということでもあった。
 クリミナを守りたい。そして、ここにいるリジェを、己の部下たちを守りたい……その気持ちは、一人の騎士として、剣士として、自分が、世界の流れのうちにある存在であること、世界すべてと関わる、結びつく存在であることを、あらためて知らされることでもあったのだ。
(オレは、世界を守る……いや、)
 緊張を消し去ると、レークはにやりと笑った。
(そいつは、まあどうでもいいがな。ともかく、オレの好きな連中を守るって、)
(ただ、それだけのことよ)
 水晶剣は、アレンに渡してやればいい。
(オレはただ、戦うだけだ)
 ぐっと剣を握ると、レークは、己の中の恐れを振り払うように、一歩を踏み込んだ。


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