水晶剣伝説 T〜トレミリアの大剣技会〜
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エピローグ

 午後のおだやかな風が、さわさわと木々の梢を揺らしている。色とりどりの花々が華やかに彩る庭園を両側に見ながら、馬車はゆっくりと進んでいた。
 見事な調和でもって配置された白い円柱や、伝説や物語を模した石像などが、優美なる空間を作り出し、文化と芸術の都であるフェスーン宮廷の風情を、そこを通るものたちにさりげなく教えてくれる。通りのゆるやかな勾配の先に見えているのは、果樹園の木々の緑の広がりと、貴族たちの住まう居城の、その見事な尖り屋根である。そして、ぶどう畑が豊かに広がる丘の上からは、フェスーン城の尖塔と青い屋根屋根たちが、こちらを迎えるように見下ろしている。
 二頭立ての馬車は、この美しい景色を乗客たちに存分に楽しませながら、ゆるやかに石畳の道を走り抜けてゆく。かたかたと小気味よく揺れる馬車の座席で、向かい合った二人の乗客は、それらの風景を飽くことなく眺めていた。
「きれいなもんだな。まるで別世界だ」
 座席でそうつぶやくのは、黒髪の浪剣士、レーク・ドップである。真新しい白地のチュニックに身を包んだ彼は、不似合いなくらいに清潔感のあるいでたちであった。
「オレはさ、昨日一晩ずっと、考えていたんだがな……どうしても、いくつか分からねえことがあるんだ」
 レークがそうきりだしてくるのは、おおかた予想はしていたのだろう。窓から吹き込む風に輝く金髪を揺らせる、彼の相棒……アレンはうなずいた。
「なんだ、言ってみろ」
「そんなことも分からないのかと、またお前に馬鹿にされるのも癪だが、かといってこのままじゃ、どうもすっきりしねえ」
「馬鹿になどしないさ」
 普段は、なにを考えているのか計り知れない、悠然たる無表情に隠されたその貴公子めいた端正な顔に、今はかすかな微笑が浮かんでいる。そのまなざしには、罪人を告発したときの厳しく冷徹な色はなく、湖のような穏やかな光をたたえている。
「分からないことがいくつかあるんだが……」
 昨日の出来事を頭の中で整理しながら、レークは話しだした。
「まずひとつは、お前がビルトールとの試合で落馬して気を失ったときだ」
「うむ」
「お前がわざと負けたのは分かるんだが、気を失って起きなかったのが、演技なのかそうでないのか。それから二つ目は、オレは、何度かお前の寝かされているはずの天幕へ様子を見に行ったんだ。だがよ、その度に見張りの騎士が、まだお前の意識が戻らないと言ってオレを通さなかった。昨日のお前の話だと、お前は落馬して天幕へ運ばれてからすぐに広場を抜け出して、金細工師の店へ向かったということだったが」
「その通り」
 アレンはうなずいた。
「分からんのは、いったいなんでまた、天幕を見張っていたあの騎士が、オレに嘘をいったのかということなんだよな。実際は、そのときにはすでに天幕はからっぽで、お前はとっくに市街へ行っていたはずなんだろ。まさか、あの騎士をさ、金で買収したわけでもないんだろう?」
「本当にそれが分からないのか?」
「ああ悪かったな。どうせオレの頭は、お前にはおよびませんよ。お前のずるがしこさには到底……な」
「そうひがむな」
 くすりと笑うと、アレンは言った。
「なに、気にすることはないさ。ただ俺のほうが、ほんの少しばかり、お前より機転を利かせるおつむの早さが上回っているというにすぎないんだから」
「それは、なんだか俺を馬鹿にしてるようにも聞こえるが?」
 怒るべきかどうかと考えるように腕を組んだレークを前に、金髪の美剣士は笑いを堪えるようにしてから軽く咳払いをすると、御者には聞こえぬ声で言った。
「さて、お前の質問に対する答えだがな。俺が落馬したときの意識について。これは、けっこう本気だったよ。少なくとも、医師をだます程度には気を失ったのだから」
「なんだそりゃ?」
「ビルトールとの試合で、俺は何度か突撃を繰り返しながら、タイミングをはかっていた。落馬したとき、もっとも体にダメージをくわず、なおかつ、見た目にはひどく体を打ちつけて、重傷に見えるように落馬する。これがポイントだった。まあ、兜はかぶっていたから、多少頭を打っても死ぬことはなかろうと思ったが、やってみたら案外、本当に気を失ってしまった。気がついたのは、すでに二回戦が始まるころだ。これには俺も少し焦ったよ。はじめは、自分がなぜ天幕に横たわっているのかが分からなかったからな」
「そうだったのか」
 あのときのアレンが、そのような危険な賭けにも似たことをしていたとは。いまさらながら、レークは言葉を失う思いだった。
「次は、見張りの騎士についてだったな。これは簡単だ。これさ……」
 アレンは、その懐から小さな短剣を取り出してみせる。
「ああ……そうか!」
「そう。忘れていたな?この剣の魔力を。相手が一人であればどのようにでもできる。ただし、あまり複雑な言葉を言わせたり、その人間にとって無理な行動をとらせることはできないがね。あの時は、見張りとしての任務を誇張してやって、誰が天幕にやってきても『意識が戻らないから入るな』と言わせるようにしたのさ。騎士にすれば、自分がただ任務をこなしていたことを疑いもしない」 
「ああ……あの時はお前の意識が戻らないってんで、オレはひどく取り乱しちまって、そんなこと考える余裕もなかったからな」
「すまなかったな。心配をかけて」
 珍しく素直にあやまるアレンを、レークはいくぶん驚いて見つめた。
「まあいいさ。それより、あと二つだけ聞かせろよ。つまらんことかも知れないが」
「ふむ。なんだ?」
「金細工師ベアリスの店の場所さ。昨日の朝、オレがお前に話したのは、その店がただ、職人通りにあるということだけだ。あの通りはとても長いし、一軒ずつ探していたらいくら時間があっても足りないだろう。いったいどうやって、あの店の場所を知ったんだ?」
「そんなことか……」
 アレンは本当につまらなさそうに言った。
「お前がデートした相手の娘。イルゼ……いやオードレイか。あの娘に聞いた」
「ふうん、そうか。しかし、いや、まてよ……」
レークは首をひねった。
「だって……そうだよ、おい。確かにオレは、イルゼの容姿については話したけど、お前は彼女と会ったことはないはずだよな。どうやってあの娘を見つけたんだ?」
「一昨日、お前がその娘とのんびりとデートをしていた時、俺が何もせず遊んでいたと思うのか?」
 それがアレンの答えだった。
「そういや……あの朝、どっか出かけるって書き置きがあったな」
「うむ。あの日、俺は、朝からある都市貴族の屋敷に出かけていた。そこで何人かの宮廷の人間と会い、この国の貴族たちについての話を色々と聞き回ったのさ。あのビルトールやモランディエル伯、宮廷騎士長クリミナ、ヒルギス、ブロテ、ローリングら……名のある騎士たち、貴族たちの詳しい話をな」
「へえ。そうだったのか。どうせまた貴族のふりでもして、こっそりとまぎれこんだんだろう?」
「まあな」
 にやりとするアレンは、とても機嫌がよいように見えた。
「さて、夕刻になり、俺がそろそろ引き上げようとすると、屋敷の門の前に一台の馬車が横付けされ、黒いローブ姿の騎士と、それに若い娘とが降りてきた。よくよく見ると、その騎士はどうも女性のようだ。栗色の髪をした美しい女騎士だ。隣にいた娘は、その時には誰だか分からなかったがね。翌日の馬上槍試合の朝、お前から密書の話やイルゼという娘の事、待ち伏せしていたという女騎士の話を聞かされたとき、すべてがわかったよ。ちなみに、そのときの馬車の御者があの山賊、つまり騎士ローリング伯であることもな」
「そうだったのか……」
レークは目を丸くし、すっかり感心してうなずいた。
「それにしても、よくイルゼが……いやオードレイだっけか……初対面のお前に、金細工師の店の場所を教えてくれたもんだな。だってあの子は、つまりは宮廷の女官かなんかで、あの女騎士さんに命じられ、俺たちを見張っていたわけだろう?それがよくお前に……」
「前にも言わなかったか?」
 アレンは、思わず相手が歯ぎしりしたくなるような、爽やかな笑みを浮かべて言った。
「俺は、お前よりも女の扱いには慣れていると」
 しばし言葉を失ったレークは、次に腹を立てようとしたが、それをやめた。この美貌の剣士の類まれな饒舌については、これまでいやというほど思い知らされていた。
「ああ……もういい」
 喉元まで出かかった文句を飲み込み、レークはため息をついた。この金髪の悪魔が、どのような言葉で娘を落としたかなど聞きたくもない。
「それよりも、あと一つだ。これが一番分からんし、いくら考えても、どうにも納得がいかん。これについてはどうあっても、まっとうな説明を聞かないとおさまらんぞ」
「それはもしかして、例の密書の半分を、試合の前にお前に返したことか?」
 まるで予期していたかのような返事に、レークは口元をひん曲げると、じろりと相棒を睨んだ。
「そう。それだ。こうして、お前の説明を聞いていると、昨日の朝、オレが密書を見せたときには、もうお前にはおおかた、ことの状況と成り行きとが読めていたはずだな?そのあとの試合で、小賢しく負けたふりをして広場を抜け出したくらいだから」
「もちろん」
 うなずいたアレンは、その指さきで、いたずらそうに自らの頬を撫でつけ、すいと髪をかき上げた。
「お前は試合の直前になって、あの密書をオレに渡したな。オレが持っている方がいい、とかなんとかぬかして。しかし、よくよく考えれば、オレはそのせいで間者の告発をされ、そのときあれを持っていたせいで、弁解の余地もなく処刑されかかったんだ。お前にはそうなるって分かってたはずだろう。だのになんで……」
「レーク」
 ひどく真剣な目つきをしたアレンが、じっとこちらを見ていた。なまじ彫刻めいた美貌であるだけに、そのような表情をすると、まるで月女神のようにさえざえとして冷徹にすら見える。
「な、なんだよ?」
「そのことについては悪かった。お前を危険な目に合わせて。まさか、すぐに処刑などという事態になるとは思わなかった」
 素直に詫びるアレンに、レークは拍子抜けしたように目をしばたたかせた。
「しかし、言っておくが、お前がビルトールに告発を受けた際に、あの密書の片割れを持っていることは必要だったのも確かだ。密書が半分であること……つまり、そのもう半分がどこから見つかるかで、真の罪人を証明するという状況を作り出せるからだ。またもう一つは、それにより俺たち二人がそれぞれ、危険をおかしてまで暗躍していたという事実を、国王をはじめ、公爵や他の人々にアピールすることで、俺とお前の功績は均等にたたえられる。もし、密書を始めから俺が持っていたら、確かにお前の処刑の危機はなかったかも知れないが、結果として手柄はすべて俺のものになる。この俺だけがすべての注目を集め、報奨を受けてしまったかもしれないだろう。……分かるか?」
「あ、ああ……」
 静かな熱を秘めた相棒の語り口に、レークはうなずくだけだった。
「俺はな、後々のためを考え、その危険を考慮しながらも、あえてお前に密書を預け、そしてすべての事実が明らかになったあかつきには、俺とお前が手をたずさえて、国難を救った二人の剣士として、堂々と胸をはれるようにと、そうとりはからったのだ」
「そう……だったのか」
 レークはいたく感動し、相棒の手を握りしめた。
「知らなかったぜ。アレン、お前ってやつは……」
「分かってくれたか」
 二人の浪剣士は、互いへの美しい友情に包まれて、手を取り合っていた。
「だからな、間違っても、俺がお前の窮地に陥った姿を見たかったとか、それを救うことで恩を着せようなどとは、決して考えていなかったことを。お前なら分かってくれるだろうな?」
「……」
 レークは手を振りほどいた。むっつりと口をへの字にし、それから何かを思い出したように、にやりと笑いを浮かべる。
「なあ、アレンよ……これでオレに大きな貸しを作ったと思うなよ」
「そんなことは思わんが」
「覚えているか?お前はオレに、ひとつ借りがあるんだぞ」
「ほう。なんだったかな……」
「剣技会予選の最初の朝だ。あの朝、宿での剣当ての勝負でオレは勝った。そして、その日のメシはお前のおごりになるはずだった。しかし、オレたちはそのまま広場の天幕で一夜を明かすこととなり、メシのことは先送りになってしまい、今日までいたる」
「しかし、レーク、それと命の危機を救ったこととは余りにも差が……」
 レークは首を振り、きっぱりと言い放った。
「差はない。メシはオレにとっては命も同然。生きるための重要なる糧だ。しかし……そうだな。お前の今回の働きは、それに匹敵するものだったといってもいいだろう。うむ」
「おい……おい」
「だから、これで互いに貸し借りなし。恩を着せあうこともないわけだな」
 腕を組んでうなずくレーク。それにアレンは何か言おうとしたが、ただ笑いをもらしただけだった。顔を見合わせると、二人は吹き出した。
陽気に笑い合い、冗談をとばし、肩を叩き合う。こうしてずっと旅をしてきた。親友であり、兄弟でもある……彼らは血よりも濃い、魂のつながりにより結びついた、剣の兄弟だった。
「しかし、考えてみれば……」
 レークは、馬車窓の外に広がる景色を見やり、ふとつぶやいた。
「あのビルトールって奴も、なんかかわいそうなやつだったな。確かに、みばえは痩せっぽちで、どうにも風采のあがらねえツラだったが、剣の腕の方は大したものだったのにさ。陰険でがめつい叔父の口車にのっちまったせいで、罪人になっちまって。なんでも、母親は病気がちだっていうし、金欲しさにやったこととはいえ、これでもう二度と騎士には戻れないんだろうに」
「そうだな……」
 アレンはそれだけしか言わなかった。その美しい彫刻のような顔からは、心の内にどんな感慨が秘められているのかまで、誰にも窺い知ることはできなかった。
 昨日の一幕の後、モランディエル伯とビルトールの罪状が正式に発表された。
 モランディエル伯は、他国間者からの賄賂と引き換えに、国内の重要機密を売り渡した罪、並びに剣技会における八百長と、不正な賭けを行った罪により宮廷を追放され、重罪人として中州にある留置所に投獄された。ビルトールの方は、その伯爵の計画に加担し、八百長試合により金を得ようとした罪で宮廷騎士の身分を剥奪、今後いっさい剣を所持することを禁じられた。かろうじて追放はまぬがれたが、屋敷も押収され騎士の身分も取り上げられた彼は、身分なき貴族として、人々から蔑まれながら暮らすことになる。
「宮廷騎士か。そんな身分になることが、はたして正しいことなのかどうか……」
 アレンのかすかなつぶやきを、黒髪の相棒が聞きとめたかどうか。
 どこまでも晴れ渡った空には、輝けるアヴァリスが、地上の者たちの運命のうつろいを静かに見下ろしている。 

 馬車はフェスーン城へと続く丘を上っていった。道の両側に広がるぶどう畑の緑と青い空とが描く、美しい稜線を楽しみながら、ゆっくりと勾配を上ってゆく。
「なんだか、貴族にでもなった気分だぜ。なあ、アレンよ」
 馬車窓から一望できるフェスーン宮廷の美しい景色に、レークは思わずつぶやいた。
二人の浪剣士を乗せた馬車は、王城の手前にある「蔦の小殿」と呼ばれる建物の横につけられた。そこは騎士の叙任式や大貴族の婚礼などが行われる式場で、石造りの白壁と円柱にはびっしりと蔦葛が絡みついた、じつに風情ある外観をした建物であった。
「到着いたしましてございます」
 二人が馬車を降りると、待ち構えていたように、一人の男が歩み寄ってきた。
「ここからは、私がご案内つかまつる。さあ、お二人ともこちらへ」
「ああ、あんたか」
 レークは嬉しそうに手を差し出した。
「ええと……ローリングどの、だったよな」
「呼び捨てでけっこうだよ。これからはそう、おぬしも騎士になるのだから。今後は、我々は同輩ということになるな」
 かつて山賊のデュカスであった……騎士ローリングは、嬉しそうにレークの手を握った。ぼさぼさの長髪は、いまはすっきりと総髪にまとめられ、口元を覆っていた髭もきれいに剃られている。式典用の白銀の鎧に、赤ビロードのマントを羽織った姿は、トレミリアが誇る最強の剣士、ローリング騎士伯、その本来のいでたちであった。
「へえ……見違えたぜ。それにしても、あのときの汚らしい山賊が、まさかトレミリアの偉大な騎士様だったとはな」
「ははは。俺の演技も、なかなか捨てたものでもなかったろう?ただし、こちらのアレンには、どうも最初から勘づかれていたようだがな」
 アレンとも握手を交わし、ローリングはしみじみと言った。
「あの広場での夜、天幕の中で、三人で酒を飲み交わした夜は楽しかったな。あのときは、俺もすっかり山賊の気分になって、いっときは本当に騎士であることを忘れていたよ。また一杯やろう。今度は同じ騎士同士としてな。さあ、こっちだ」
 二人はローリングに先導され、神々の彫像が両側に並ぶ階段を上って、本殿へと入った。大理石の床に足音を響かせながら、円柱の立ち並ぶ回廊をしばらく進むと、目の前に大きな扉が現れた。
 扉の前に控えていた二人の小姓が丁重に礼をし、レークとアレンに白いマントを手渡した。純白のマントは宮廷人のしるしである。それを身に着けた二人は、ローリングとともに扉の前に立った。
 重い扉がゆっくりと開かれ、輝くような光が彼らを包んだ。
 そこは式典のための大広間であった。高い天井の一面には、歴史上の王や騎士たちを描いた見事な絵画が、光取り窓から射し込む陽光に神々しく浮かび上がる。
 扉からまっすぐに敷かれた赤い絨毯の両側には、騎士や貴族たちがずらりと立ち並び、その先の一段高くなった台座には、国を代表する大臣たちが一列に座している。そして中央の玉座に、トレミリア国王がどっしりと鎮座していた。
ローリングに促され、レークとアレンは、絨毯を踏みしめ、歩きだした。
左右に居並ぶ貴族たち騎士たちがこちらを見つめている。そこには、試合で対戦した騎士たち……ヒルギスやブロテ、そして女騎士クリミナの姿もあった。
 玉座の手前まで来ると、二人は揃ってひざまずいた。
「両名ともおもてをあげよ」
 玉座の横に立つオライア公爵が告げると、二人はゆっくりと顔を上げた。
「この度のそなたらの働き、見事であった」
玉座から王の声がした。銀の王笏を手にしたトレミリア国王は、三日月紋をあしらった青い長マントを羽織り、略式の王冠をかぶった姿で、さすがに歴史あるトレミリア王国を統べるものらしい、品格と威厳が感じられた。
「先日の剣技会における戦いぶり、そして、悪辣な陰謀を未然に暴き、このトレミリアを他国に売り渡さんと画策せし輩を、勇敢にも告発するに至った、その功績著しく、ここにトレミリア王マルダーナ四世の名において、両名に褒賞を与えるものとする」
 王の言葉を受けて、藍色のマントに身を包んだオライア公爵が進み出た。
「ここにいる者、その名をレーク・ドップ、アレイエン・ディナース。そのもの、もとは身分なき一剣士なれど、国難を救いし多大なる働きによって、ここに宮廷人の位を与え、我が国に迎え入れるものとする。また、この剣技会にて見事に優勝を飾った剣士、レーク・ドップには、賞金百万リグとともに宮廷騎士としての地位を約束する。これに異議のある者あらば、この場にてすみやかに発言せよ」
 公爵の声が朗々と広間に響きわたる。この場に並ぶ貴族たち、騎士たちにの中に、声を上げるものはなく、彼らは沈黙によってそれに答えた。
「それではこの者、レーク・ドップは、トレミリアの騎士として公に認められたものとする。今後は国王陛下の名のもとに、騎士道にのっとり、我が王国のため、そして老若男女すべての民のため、気高き誇りと名誉を胸に、その剣をふるうことをここに誓約せよ」
「あ……ああ、ええと」
 横から相棒に小突かれ、レークは慣れぬ言葉づかいで返答した。
「せ、誓約します」
玉座から国王が立ち上がった。ひざまずくレークの頭上に、その手の銀の笏をかざす。
「トレミリアの騎士、レーク・ドップ。本日ただいまより、そう名乗ることを許された。栄えある王国の騎士となりしこの日に、そなたに大いなるジュスティニアの祝福があらんことを」
 王の声が厳粛に告げると、居並んだ人々もそれを唱和する。
「ジュスティニアの祝福があらんことを」
 続いてオライア公から、真新しい騎士の剣が王の手に渡された。王は剣を抜き放ち、その銀色に光る剣先で軽くレークの両肩を叩いた。王に仕える騎士としての儀式である。
「受け取るがいい。騎士よ」
 王の手から剣を受け取ると、居並んだ騎士たちから拍手が上った。
 浪剣士レーク・ドップは、こうしてトレミリアの騎士となった。
 これから始まってゆく大いなる運命の変遷……その渦の中に自らが身を投じたことを、まだ知らぬまま。



 その夜のこと、
 宮廷人となった二人の剣士は、複雑に入り組んだ離宮の一角に忍び込んでいた。
 隠し扉から階段を降り、地下の宝物庫を見つけると、かれらはさっそく金銀細工や宝石が詰まった木箱を片端から調べ尽くした。
「さって……これでこの部屋にある宝剣のたぐいはあらかた集めたぜ」
 一刻ほどの探索ののち、二人の前には、十数本の剣がずらりと並べられていた。どれもが、それぞれに美しい金細工や宝石などの入った見事な宝剣である。
「はたしてこの中に、お目当ての代物があるのやら。で、すぐにどれだか分かるのか?」
「分かるはずだ」
 うなずいたアレンは、懐から水晶の短剣を取り出した。
「この短剣は、俺たちの探す剣と対になっている。本来は、二本が揃って初めてその魔力が発揮されるのだが。お互いの剣に埋め込まれている水晶は、近づければその魔力で反応し合うはずだ」
「ふうん、なるほどね」
「集めた剣を一本ずつ鞘から抜いてくれ。剣の刃を触れ合わせれば、魔力のある剣は確実に反応する」
「分かったよ」
 レークが、並べられた剣のうちから適当な一本を取り、すらりと鞘から抜いた。その剣の刃を相棒の持つ短剣に近づける。
「どうだ?」
「なにも起きない。違うな……次だ」
「ほいさ」
 次の剣を鞘から抜き、同じように短剣に重ねてゆく。が、アレンはすぐに首を振る。
「これも違う。次だ」
「そらよ……じゃあこれはどうだい?」
「これでもない。次だ」
 並べられた剣を、次々と短剣に近づけてみるが、どれもいっこうに変化は現れない。
「剣はあと何本ある?」
「これを入れて……あと三本だ」
 集めた剣には、それぞれ精巧な細工や彫刻が施され、その鍔や柄頭には色とりどりの宝石が埋められていたりして、見ようによっては、そのどれもがいわくありげなのだが。
「ダメだ、これも違う」
 普段はけっして苛立つことのない金髪の美剣士が、珍しく声を荒らげた。
「あるはずだ。きっと、どこかにあるはず……」
「あと一本だ……」
 最後に手にしたのは、いくぶん汚れと傷が目立つ、古めかしい剣だった。
「これが最後だ」
 ゆっくりと鞘から引き抜いた剣の刃には、この剣がかつて実戦に使われたとおぼしき傷がいくつも残っていた。その銀の柄には、くすんだ色をした宝石がはめ込まれている。
「……たのむぜ」
 レークは祈るように、その剣を相棒の短剣に近づけた。すると、うっすらと、その剣先が妖しく光りだしたようだった。
「おお、これは……」
「どうだ?」
 目を見開いたアレンは、剣の柄にはめ込まれた宝石……水晶のようにも、またサファイアのようにも見えるそれにじっと目を凝らす。
「どうだ?」
「待て……これは、なにか、あるぞ」
 ぴくりと眉を寄せ、美剣士はそっと目を閉じた。なにか魔力を感じてでもいるように、短剣を握るその手がかすかに震えていた。
 レークがごくりと唾をのむ。いよいよ、自分たちが探し続けたその剣を、手にする時がきたのか。長い旅と、剣の戦い、陰謀劇を乗り越えてきた、その苦難がついに報われようとしているのか。
 おそろしく長く感じられた静寂ののち……実際にはほんのわずかな間だったかもしれないが、
 静かにアレンが目を開けた。
「……」
 金髪の美剣士は、放心したように無言のままだったが、やがてその顔にふっと笑みを浮かべた。
「うむ。これは、確かに魔剣……といっていいだろうな」
 その剣に手を触れながら、静かにそう言った。
「おお、じゃあそれが……水晶剣なのか?」
「いや……違う」
「なんだって?」
「魔力はたしかに感じる。だが、これは水晶剣じゃない」
「なんだよ。なにがどう違うんだ?」
「どうもこうもない」
 彼はぶっきらぼうに答えた。
「ただ、これは水晶剣の魔力とは、まったく……そう、まったく異なるものだということだ。おそらく、昔どこかの魔術師がかけた魔力かなにかだろう。それが人の血をすって増幅したのかもしれん。どちらにしても、これは俺たちには用のない剣だ」
 アレンは剣を床に置いた。その顔は変わらずおだやか見えた。
「……行こう」
「行こうって……おい、アレンよ」
 足早に部屋から出てゆく金髪の相棒を、レークは慌てて追いかけた。

 夜闇に包まれた庭園を、二人は黙って歩いていた。
 夜明けまでは、まだ少し時間はある。辺りは静まり返り、闇夜の石畳を歩くものはかれらの他にはない。
「……」
 前をゆく背中を見つめる。水晶の剣を見つけ出すという目的をはたせずに、落胆しているであろう金髪の相棒に、どんな言葉をかければいいのかと悩んでいると、
 ふとアレンが歩を止めた。
「どうする?」
 振り返ってこちらを見る、その白い顔は、月明かりの下で冴え冴えと美しい。
「どうって、何がだ?」
「このまま、宮廷の屋敷に戻って眠るのか、ということだ」
 言葉の意味を計りかね、レークは首をかしげた。
「他にどうするんだ?」
「水晶剣はなかった。この国にはなかったんだ」
「ああ……」
「可能性として、この国が一番高いとふんだんだがな……しかし、違ったわけだ」
 その口調は穏やかではあったが、そこに口惜しさと自嘲の響きがあるのを、レークは感じとった。
「まあ、仕方ないさ」
「そうだな。そして、この国にとどまる理由は、もうなくなったわけだ」
「つまり?」
「今ならこのまま抜け出せる。いますぐこの国を出て、また旅立つのもいいだろう。どうする?」
「どうって、アレンよ」
「お前が決めろ、レーク」
 聡明な相棒の頭には、すでに次の計画が何通りもあるのだろう。確かに水晶剣が見つからなかったからには、あえてこの国にとどまる理由はもうないはずであった。
「また、各地を点々としながら過ごす……浪剣士の生活に戻るか?」
「ああ……それもいいな」
 レークはにやりとした。
 どこまでも続く大草原と、心地よい風の音……自由きままに馬を走らせ、朝露に目覚め、日が沈めば、草のしとねに横たわり、町から町へと流れ歩き、ときに行きずりの出会いを楽しむ……そんな生活を、彼らは愛していたし、実際に何年もの間、二人は旅から旅へという流浪の生活に、その身をやつしてきたのだった。
「それに、この国は、そろそろ大きないくさに巻き込まれるかも知れないしな。この大剣技会を開いたこと自体が、優秀な傭兵を集めるための国策だったのなら。つまらぬ戦などにかかわって危険な目にあうのは、まったく俺たちの本意ではないし、馬鹿らしい。誰かの命令で動いたり、無駄に命の危険を侵すのは、俺たちの柄ではないだろう」
 アレンの言葉はいつも正しかった。
「こうして賞金も手に入れたわけだしな。しばらくは、贅沢な旅ができるだろう」
「そうだな……」
「では、これからすぐに宮廷の壁を出るか。どうせ大した荷物もないしな。夜明け前に抜け出せれば、国境までは馬でほんの半日だ。また風まかせの旅を楽しむとしようか」
「……」
 歩き出した相棒の背中に向かって、レークは、奇妙なとまどいを感じながら言った。
「なあ、アレン。屋敷には……騎士の剣が置いてあるんだ」
「ああ、あの剣ね……王様にもらった。そんなにいい剣だったかな?」
 肩越しに振り返ったアレンの目は、笑っても怒ってもいない。
「すまねえ。オレはさ、前から一回、騎士ってやつになってみたかったんだよ……」
「お前が、騎士か」
「しばらくの間だけさ」
 視線をそらし、レークはつぶやいた。
「しばらくね」
 しなやかに肩をすくめると、アレンは気を取り直したようにふっと笑った。
「まあいいさ。トレミリアの騎士なら、その友好国にも入り込みやすいしな。悪い肩書じゃない。そうだな……ウェルドスラーブとか、まずはそのへんからあたるのもいいかもしれんな。ところでレーク」
「ああ?」
「あの女騎士どのは美しかったな」
「あのなあ……」
 口元を歪めたレークは抗議した。
「オレは単に、騎士ってやつの生活をしてみたいだけだ」
「ふむ」
 金髪の美剣士は、ただ静かに笑みを浮かべた。
「では、そろそろ戻るか。夜が明ける前に。なにせ明日からは、騎士としての一日が始まる身だからな」
かすかに白み始めた東の空には、フェスーン城の尖塔がそのシルエットを濃くしている。
 木々の梢の間から白い顔を覗かせる女神ソキアは、暁を待つ空の色にしだいに溶け込んでゆく。やがて、この大陸随一の豊かな王国は、また新たな朝の訪れを迎えるだろう。
 新たな朝、新たな運命とともに、また、ひとつの物語が始まってゆく。その流れの中に、かれらはいま確かに足を踏み入れたのだ。
 浪剣士たちは、月明かりのもと、それぞれのさだめに導かれるかのように、トレミリア王国の歴史が刻まれた白い石畳をまた歩きだした。  
       
                                  
                          水晶剣伝説T「トレミリアの大剣技会」 




あとがき

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