水晶剣伝説 T〜トレミリアの大剣技会〜
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 結末  

 両腕を後ろ手に縛られ、レークは再び貴族席の前に引き出された。
 ついさっきまでは剣技会の優勝者として喝采を受けていた剣士が、突然にして罪人のように捕らわれの身となったのだ。観客たちはざわめきたった。
 すでに抵抗の無意味さを悟ったのか、レークは両側から騎士たちに押さえつけられるまま、薄笑いを浮かべるビルトールをじろりと睨んだだけだった。さきほどと同じく、オライア公爵と宮廷騎士長クリミナが近くに立っていたが、いまはさらにその周りを、数十名もの武装した騎士たちが取り囲んでいた。
(くそったれ……)
 状況は明らかに悪くなっていた。もはや逃げることもできず、釈明の機会を与えられることも望むべくもなかった。
「さて……親愛なる国王陛下。そしてこの場にお集まりの方々」
口を開いたのはオライア公だった。顔つきはさきほどよりもずっと厳しく、その声はいっそう重々しいものになっていた。
「栄えあるトレミリアの大剣技会がこのような不祥事によって、かくも見苦しい結末を迎えたことに、剣技会の責任を担うははずのこの立場から、まずはお詫びを申し上げたい。すべてはこの私の力の無さ、管理の不行き届きが招いたこと。とくに国王陛下には、そのご信頼に背いたことを、重ねて深く陳謝いたすところであります」
 そう言って深々と頭を下げる公爵に、国王は席上から軽く手を上げた。
「済んだことはもうよい。それよりも、その罪人のことを早々に処分せよ。すべての裁量はそなたに任せる」
「はっ。寛大なるお言葉に感謝いたします」
 自分が「罪人」と呼ばれたこともそうだが、レークにはこの場の空気がひどく厳粛で重苦しいものに変わっていた事の方が、耐えがたい気分に思えた。
(なんだか……いやな感じだ)
こんなふうに嫌な予感がし、心もとなく思うことなどは、これまでになかった。ここにアレンさえいればと、つい思ってしまう。
「レークとやら、他に何か言っておくことはないか?」
 公爵が尋ねた。騎士に押さえつけられ地面に膝をついた格好で、レークは顔を上げ、
「オ、オレは……」
 吐き出すような声で言った。
「オレは……間者じゃねえ」
「そうか」
 公爵はうなずくと、横にいるビルトールに向きなおった。
「ふむ……どうだなビルトール卿。おぬしはさきほど言っていたな。この男が密書を持っている。それがこの者が間者たる動かぬ証拠であると」
「その通りであります」
「では調べてみよ。皆の前で、ことの次第をはっきりとさせねばならん」
「仰せの通りに」
 にたりと笑ったビルトールは、後ろ手に縛られたレークを見下ろした。
「私が思うに、さきほどの逃走を見ればすでに、この者のうしろ暗きところは火を見るよりも明らかだと思いますが。……どれ」
「くっ」
 懐にビルトールの手が差し入れられた。レークはたまらず嫌悪感にもがいたが、両側からは二人の騎士に押さえられ、動くことはできない。
「おや……なにか、色々なものが入ってますな。浪剣士は盗人と変わらぬと聞くが、服の裏にいくつものかくしがあるとは……」
「おっ、これだな。細長い筒がありました。ほら」
引き抜いたビルトールの手にあったのは、小さな筒だった。まさしく、ガヌロンから受け取った、密書の半分が入れられた筒である。
(ちくしょう……)
レークは内心で歯噛みした。これを身に着けていたことが、いまとなってはひどく後悔された。
「どれ……」
 筒から紙片を取り出すと、ビルトールはそれにざっと目を通し、大きくうなずいた。
「間違いありませんな。さ、どうぞ」
「うむ」
 紙片を受け取った公爵は、そこにある文字を読みくだすと、その表情をこわばらせた。
「私にもお見せください」
 女騎士は横から書面を覗き込むと、そこにある文字を読み上げる。
「……銀五百、銅七百、西山、金百、銀八百、羽六百、鉄八、石十二、草……」
そこにある重大な意味に気づくと、その眉をひそめた。
「公……これは」
「うむ。間違いないな。この数字……おぬしはどう見る?」
 公爵から紙片を手渡され、女騎士はもう一度、文字に目を落とした。
「おそらく……ここに書かれているのは兵士の配置図です。この<銀>とは騎士を意味するものでしょう。<金>は上級のバナレット騎士、<銅>は歩兵、<羽>は弓兵、<鉄>と<石>は……多分それぞれ、弩砲隊、射石隊のことかと」
「やはりそうか」
「それにしても、数がおそろしく正確です。先の会議での出兵策で決定された、ほとんどそのままに。この<西山>、というのはおそらくガーマン山地、<草>というのはロサリィト草原のことでしょう。これも兵の配備地域と考えれば、当たっています。まさか、これほど詳細な情報が流れていたなんて……」
「ううむ。これが、他国の手に渡っていたら、大変なことになるな」
 オライア公は、深刻な顔つきでその髭に手をやった。
「さあ、いかがです。公爵、それに騎士長どのも。これで、この浪剣士が、まぎれもない間者であること、捨ておけぬ重大な罪をおかしたことが、証明されたかと思いますが?」
ビルトールは、仰々しく両手を広げた。
「これ以上時間を浪費しては、陛下をはじめ、ここにおられる他の方々が不快にもなりましょう。さあ公、すぐにこの者を処刑することをお命じください。もはや、こやつの許されざる罪は明白。間者と売国の罪、さらにそれを偽り、のうのうと試合に勝ち残って、賞金までも得ようとした虚偽罪、どれ一つをとっても、これは死刑をまぬがれるものではありますまい!」
「それはそうだが……しかし、どうも何かがひっかかる」
 髭を撫でつけながら、公爵は首をひねった。
「この書簡は破られておるようだが、この半分はどうなったのであろうな?」
「そんなことは、いまさら問題ではないでしょう。それよりも、今後の憂いを取り除くためにも、この浪剣士をただちに処刑することが先決です」
「しかし、ビルトール。破れた密書のもう半分が、もし国外にでも流れれば、それとて深刻な事態になりうるのだぞ」
 女騎士の言葉に、ビルトールは口元を歪めた。
「それは、まあそうかも知れませんが……」
「レークとやら、」
公爵から声かけられ、うつむいていたレークは顔を上げた。
「この書簡の半分だが、どこにあるのか知っておるのか?そして、これを誰から受け取ったのだ。話によっては、あるいは命ばかりは助けられるかもしれんぞ」
「……」
「どうだ、話す気にならんか?」
「無駄ですよ。しょせんは野卑な浪剣士。知性のない凶暴でがさつな人種です。獣のように捕らわれたこの状態で、論理的な思考などは到底持てないでしょう……」
「ビルトール、黙っていろ」
 女騎士に命じられ、ビルトールはむっとしたように黙り込んだ。
「ガ……ガヌロ……」
 死んだように黙り込んでいた浪剣士の口から、つぶやきがもれた。
「なに?いまなんといった?」
 オライア公は、その口元に耳を寄せた。
「危険ですよ、公。噛みつかれたりでもしたら」
「しっ。なんといった?さあ、もう一度申してみろ」
 公爵がもう一度尋ねると、
「ガヌロン……だ」
 今度はいくぶんはっきりとした声で、レークは言った。
「ガヌロン?それは、誰なのだ?」
「伯爵、といっていた。ガヌロン伯と……」
「ガヌロン伯……聞かん名だな。ふむ。とにかく、そなたはその者からこの密書を手に入れたというのだな」
「そうだ」
 公爵はひとつうなずくと、再び女騎士とビルトールを振り返った。
「聞こえたか?ガヌロンという、伯爵だそうだが、どうやらその者が、この密書を渡したということらしい」
「聞かない名です。ガヌロン伯爵……おそらく偽名でしょうが。おや、そういえば……」
 女騎士は、思い出したように言った。
「つまらぬことですが、確か、古い伝説の中に、そのような名が出てきたような……」
「ふむ。それだけでは分からんな。そやつがはたして何者なのか」
「でたらめですよ!そんなもの」
 いらいらしたようにビルトールが声を荒らげた。
「こんな浪剣士風情の言葉など、信用に値する一片の根拠さえない。なにが、ガヌロン伯爵だ。そんなものは、きっと自分が助かりたい一心で、この場ででっちあげた作り話に違いない。さあ、いますぐ処刑を実行すべきです。公爵」
「ふむ……」
 公爵は背中を押されるように、国王に裁量を伺うべく観覧席へと歩み寄った。
「浪剣士風情が宮廷騎士になるなど……そんなことがあってたまるものか」
ビルトールが憎々しげにつぶやいたとき。
「あっ……」
 押さえつけられていたレークが、びくりと体を震わせた。その目が、ゆっくりと見開かれる。
「ああ……」
レークの脳裏に、ある光景が浮かび上がった。
(ガヌロン……ルミエール通り……)
(夕暮れの屋敷……地下室……)
(そう……だ)
 思い当たった。いや、思い出したのだ。あのとき……ガヌロンとの会見を終え、屋敷の中庭で漏れ聞いた会話……地下室とおぼしき窓から暗がりを覗き込み、そこから聞こえてきた二つの声。
 一方はガヌロン、そして、もう一方の声は……
(こいつだ……)
(こいつだ、こいつだ!)  
 レークは心の中で叫んだ。そのとき耳にした会話と、暗がりの地下室に響いていた声が、頭の中でまざまざとよみがえってくる。
(あのような浪剣士風情に優勝をさせるなんて……)
(お前はただ、わしの言うとおりにすればよい)
(叔父さん……)
 野太いガヌロンの声と、やや気弱そうな、神経質そうな、もうひとつの声……まだ若いが、いくぶんしわがれて甲高い声……それは、いま目の前にいる、この青白い顔の騎士のものと同じだった。
(ビルトール、……こいつだ!)
(あのとき、地下室でガヌロンと話をしていたのは……)
(叔父さん……と、こいつは確かにそう言った。ということは、あのガヌロンとはこいつの叔父のことだ。つまり……)
 レークは唇をかみしめた。
(この野郎……こいつは、はじめからガヌロンはグルだったということか)
(はじめから、オレをはめるために……)
 手の平に爪が食い込むほど、両拳を握りしめる。
(ちくしょうめ……) 
オライア公が国王に報告するあいだ、ビルトールも女騎士も、他の騎士たちも、誰もがそちらに注目していたが、
「ガヌロンは、このビルトールの仲間だ!」
 ありったけの声でレークは叫んだ。
「間者の片棒はこいつだ!オレじゃない。このビルトールが、ガヌロンの仲間だ。ガヌロンとはこいつの叔父のことだ!」
 人々が、一斉に振り返った。
「オレは知っている。聞いたんだ。ルミエール通りの屋敷の地下室で、こいつと、ガヌロンが話しているのを。こいつはガヌロンの仲間だ。こいつの叔父がガヌロンなんだ!」
「な……なんだと。黙れ!この浪剣士が」
 眉をつりあげたビルトールが声高に怒鳴った。
「いいかげんなことを次々と。おい、早くこやつを黙らせろ!」
「オレじゃない。間者はこいつだ。くそっ、はなせ……ガヌロンは……こいつの仲間だ」
 騎士たちに口をふさがれてもまだもがきながら、レークは必死に叫びつづけた。それを見て女騎士が言った。
「ビルトール。話をさせたらどうだ?この浪剣士はどうやら、お前のことを知っているようではないか」
「なにを馬鹿なことを……」
 ビルトールはせせら笑った。
「すべてでまかせです。宮廷騎士長どのはこのような、汚らしい、身分無き浪剣士の言葉などをお信じになるのですかな?」
「そういうわけではないが、ただ……」
 女騎士はちらりとレークに目をやった。
「この者の言っていることが具体的なので、この場で思いついたでたらめとも思えない。それについても、ちゃんと釈明させた方が良いのではないかと、私は言っているのだ」
「無用ですな」
ビルトールはふんと鼻をならした。
「こざかしい浪剣士の奸計になど付き合っている時ではない。そうでありましょう?」
「ほんとう……だ。オレは、なにも……」
「黙れ。ならず者が!」 
 憎々しげに言うと、ビルトールはレークの腹を蹴りあげた。
「ぐっ……」
 貴族席の前のオライア公爵にも、レークの声は届いていた。
「国王陛下に申し上げます」
 改めて国王に向かい、公爵はその声を強くした。
「ただ今申しましたように、あの浪剣士の懐から見つかった紙片には、我が国の重要なる軍事機密が書かれてあり、この点からしましても、ビルトール卿の申す通り、かの者の間者の疑いは免れませぬ。しかしながら、まだあの者には弁解すべきことが残されているようです。また、半分に裂かれたこの文書の残りの部分を探すためにも、あの者を取り調べることで、さらになんらかの手掛かりが得られるかとも思われます。つきましては、ここはいったん、あの者を投獄したのちに改めて尋問するのが、真相を明らかにする点からもよろしいのではと思われますが……」
「もうよい。そちの言いたいことは充分に分かった」
国王は席上から片手を上げ、公爵の言葉を遮った。
「試合が終わり、もうすでに一刻以上も余計にたってしまった。皆も疲れておろうし、なにより余も早く城へ戻りたい。今宵の舞踏会には他国からの客人も多く来るのでな。間者よ密書よと、そういう瑣末事はすべてそなたに任せる。ただ、その浪剣士……その者については、ここにいる観客たちの前で、はっきりと決着をつけねばなるまいな」
「は……」
 公爵が頭を下げる。
「そやつを処刑しろ。それを見届けてから余は城へ帰る」
国王は面倒くさそうに言い放った。そして、もういっさいの興味はなくなったというように、どっかりと席に着くと、気に入りの道化を呼び寄せた。
「どうやら陛下のお許しも出たようですな」
 さっそくというようにビルトールが申し出た。
「それでは僣越ながら、この私めが、浪剣士の首をはねましょう」
「……好きにするがいい」
 がっくりと下を向くレークに、公爵は声をかけた。
「レークとやら、なにか言い残すことはないか?」
「オレは……処刑されるのか?」
信じられぬという表情で、のろのろと顔を上げる。
「陛下の下されたご判断だからな。仕方ない。だが、おぬしの見事な剣の腕には、感服したぞ。それだけは言っておこう」
 オライア公は残念そうに言った。女騎士がそばにいた女官に声をかける。
「オードレイ、君は向こうに行っているんだ。見ていて気持ちのいいものじゃない」
「わかりました……」
 両側から騎士に押さえられる格好で、レークは地面に膝をつかされた。その前に大きな幅広の剣を手にしたビルトールが立つ。
「それでは……この者、浪剣士レーク・ドップを、国家反逆の間者として、その売国の罪により、ここに処刑を行うものとする」
 オライア公爵が簡素な訓示を述べると、ビルトールは剣先をぴたりとレークの首にあてがった。
 ちょうどそのとき、午後の三点を告げる鐘の音が響いてきた。遠くから聞こえる鐘の響きに、レークは我に返った。
(処刑……だと。このオレが……?)
(そんな、バカな……)
 まるで、悪い夢をでも見ているようだった。
(なんてこった。こんなところで、オレは死ぬのか?)
 意気揚々とこの国に乗り込み、己の剣を頼りに試合を勝ち抜いて、ついに優勝を果たしたはずだった。人々の喝采の中で、誇らしげに名乗りを上げたばかりだというのに。
(オレは……つまらねえ陰謀に足を突っ込んだために、ここで死ぬのか)
(剣もねえ。アレンもいねえ……逃げることもできねえ)
(もう、ここまでなのか?)
 あきらめにも似た絶望と、麻痺した意識……だが、そのどこかで、それに真っ向から反発する自分がいた。
(こんなところで……あっさり死ねるか)
(そうだ……いつだってオレは、どんな事でも乗り越えてきたはずだ……) 
(アレンとともに……)
 しかし、その相棒は傍らにはおらず、自分は惨めに後ろ手に縛られて、これから処刑されようとしている。
(笑えるぜ……首をはねられるなんて、そんなみっともねえ死に方は、このレークさまには似合わねえよな)
(どうせ死ぬなら……) 
(せめて、最後まであがいて、剣士らしく死んでやらあ)
 そう決めると、レークは体の力を抜いた。あとはただ力をたくわえ、じっとその瞬間を待った。
「それでは、さらばだ。浪剣士くん」
ビルトールの剣が高々と振り上げられる。狙いをつけたその刃が、浪剣士の首に落ちることを誰もがが想像した。
 その刹那であった。
 レークは思い切り体をねじると、反動をつけて、自分を押さえている騎士の足を払った。
「そらよっ!」
 よろめいた騎士が、後ろ向きに倒れかかる。すかさず騎士に馬乗りになり、その腰から短剣を引き抜いた。
「なっ、なにをしている。捕らえろ。そいつを斬れっ!」 
 ビルトールが慌てて叫んだときには、立ち上がったレークの手から、自ら断ち切った縄がはらりと落ちた。
「騎士たち。やつを逃がすな!取り囲め!」
ビルトールの命令で、数十名の騎士たちが一斉に剣を抜き放つ。
「ばかめ。往生際の悪いやつだ。そんな短剣一本でなにができる」
「……」
 レークはぐるりと包囲された。騎士たちが、じりじりとその輪を狭めてくる。だが、追い詰められた焦りはなかった。
(かまわねえさ。ぶざまに首を切られるよりは、ずっといい……)
(こうなりゃ、一人でも多くたたっ斬って、そのあとは……神様まかせだ)
(それでいいだろう、アレンよ……)
ふっと涼やかな笑みをもらす。その表情は、すでに覚悟を定めた者のそれだった。
 周りを囲む銀色の鎧姿が、しだいに近づいてくる。前後左右から長剣をひらめかせる騎士たちを見やりながら、
(それじゃあな……アレン)
 レークは心の中で相棒に別れを言った。ぎゅっと剣を握りしめると、騎士たちの輪に突進すべく身構える。
 そのとき、
「あれはなんだ?」
 声が上がった。
 ほとんど同時に、ひゅん、という空気を裂くような音がした。
「なんだ、どうした?」
「槍です!槍が……」
騎士の一人が空を見上げて叫ぶ。
「わあっ、危ないっ!」
 いきなり空から降ってきた長槍を避けようと、騎士たちが陣形を崩した。
(いまだ!)
 レークはここぞと、近くにいた騎士に体当たりをして素早く長剣をもぎとると、剣を右手にひらめかせ、まっすぐにビルトールに向かって突進していた。
「うわっ」
 剣の実力ではおよそレークの敵ではない。ほんの数合の打ち合いで、ビルトールの剣は高々とはじき飛ばされた。
「ひいっ」
 悲鳴を上げるビルトール。その頭上に剣を打ち下ろす。
「やめろ、レーク!」
 遠くから聞こえたその声に、レークはぴたりと剣をとめた。
「ああっ、誰かがやってきます!」
騎士の一人が指をさす。他の騎士たちも、客席の観衆も、一斉にそちらに目をやった。
 大きな馬蹄の響きとともに、中州から続く橋から、ふたつの騎影が現れた。
「何者だ?あれは」
騎士たちのあいだに動揺が広がった。ビルトールも、なにが起こったのか分からずに、その場に立ち尽くす。
「まさか……」
 なにかに気づいたように、レークはその目を見開いていた。
 西日を背にして駆けてくる、馬上の騎手……その姿が、いまはっきりと見えた。馬上から金髪をなびかせるその相手に向かって、レークは叫んだ。
「ア……アレン!」
 混乱から脱した騎士たちは、現れた二騎の前に立ちはだかった。
「何者だ。お前たちは」
「邪魔をするな!トレミリアの騎士たちよ」
 馬上の人物から力強い声が上がった。
「あ……あなたは」
 白銀の鎧に赤いビロードのマントをはためかせるその姿に、騎士たちは圧倒された。トレミリアにおいて、赤いマントは上級騎士の印である。
「私はレード公爵騎士団団長、ローリングである」
 馬上の人物が兜の面頬を上げると、あたりの騎士たちから大きなどよめきが起こった。
「道をあけよ。至急、国王陛下並びに方々へ申し上げるべき事がある。そこをどけ。この私に刃向かうは、我が騎士団のすべてを敵となす意思ありと見なすぞ」
 一介の騎士ごときでは到底持ち得ぬような、品位ある強い声だった。
「ローリング騎士伯……」
 フェスーン宮廷で、最強と謳われる騎士の中の騎士……ローリングの名を知らぬものはいない。トレミリアの騎士たちは、驚きと動揺に包まれて道を開けた。
「アレン……本当におまえなのか」 
 目の前に現れた相棒に、レークはゆっくりと歩み寄った。馬上のアレンは、こちらを見て笑みを浮かべ、うなずきかけた。
「レーク、すまなかった。これからすべてを話そう」
 そしてまた、もうひとつの驚きは、アレンと馬を並べてそこにいる、ローリングと名乗った騎士……その顔が、確かにあの山賊のデュカスであることであった。
「どう……なっているんだ」
ざわめきたつ人々が見守る中、ローリングとアレンの馬は貴族席に近づいた。馬を下りると、二人は国王に向かいひざまずく。
「私は、レード公爵騎士団団長、ローリングであります。まず、かような騒ぎとともに突然に馳せ参じましたこと、方々にお詫びいたします」
 騎士ローリングの力強い声が、客席にいるすべての人々の耳に届いた。
「そして陛下、我々がこのように慌ただしくこの場に現れましたのには、火急のお知らせがあってのこと。どうか、しばしのお時間をいただき、私と……こちらの者とに、発言のお許しをいただきたく存じます」
「おもてを上げよ、ローリング卿。そなたの言葉ならば、我にはいつなりと耳を傾ける用意がある」
 席上から国王が軽く手を上げる。
「して、その横にいるのは何者であるか?」
「は。こちらは、こたびの剣技会に参加しました剣士の一人。一介の浪剣士ではありますが、このたびの剣技会においての重要なる事実を証言するべく、ここにおります」
「なるほど。では、そのほうも、顔をあげよ」
 ローリングの横で静かに頭を垂れていたアレンが、ゆっくりと顔を上げると、
「おお……」
 客席の貴族たち、貴婦人たちが、はっとしたように息をついた。
「そのほう……名はなんという?」
「アレイエン・デイナースと申します。陛下」
 高く響きのよい声がその口から上がる。
「身分なき下郎の身ながら、このようにご尊顔を拝する光栄をいただき、身に余る幸せに存じます」
人々は吸いよせられるように、その金髪の剣士を見つめた。声の美しさは竪琴のようで、ふるまいには宮廷人のような雅さがあり、その完璧といってよい美貌は、いかなる貴公子と並んだとしても、少しも見劣りせぬだろう。
「アレイエン……と申したな」
「はい、陛下」
「では申してみるがいい。ローリングが言うに、そのほうは、この剣技会における重大事とやらを知っておるということだが」
「恐れながら、その通りでございます。お許しをいただけるのなら、しばしの時間を、この私めにお与え頂きたく存じます」
 国王を前にしてもまったく落ち着きはらったアレンの様子は、到底ただの浪剣士などとは思えぬものであった。人々は、ますます興味をもったように、彼を見つめるのだった。
「よかろう。ではオライア公爵」
「はっ」
 王の前に進み出たオライア公爵がひざまずく。
「この場の進行はすべてそちに任せる。この者、アレイエンの言葉を聞き、それについての判断のいっさいは、これより公爵に任せることとする」
「承知いたしました」
 公爵は一礼すると、二人に向き直った。
「それでは、ローリング卿、そして……アレイエンとやら。貴公らのすべき話を始めるがよい。陛下より一任された権限において、これよりしばしの時を与える」
「おそれいります。それでは……」
 アレンはまず、うやうやしく貴族席に向かって礼をした。
「まず、皆様には、この私が、何者であるかを申し上げなくてはなりませぬでしょう。私は、アレイエン・ディナースと申すもの。このトレミリアの大剣技会に参加いたしました旅の剣士であります。また、話を始める前に、もうひとつ申し上げておかなくてはならないことがあります」
 そう言って振り返ると、騎士たちに取り囲まれたレークの姿を見つけ、指さした。
「今現在、間者の疑いをかけられ、罪人として処罰されようとしている、そこの浪剣士、レーク・ドッブは、私の知己であるということを、あらかじめ申しておきます。つまり、私がこれより申し上げることとは、その男にかけられた間者の疑いというのが、まったくの冤罪にほかならぬという事実であるからです」
 客席からざわめきが起こった。しかし、アレンはまったく静かな顔つきで言葉をついだ。
「肝心の話を始める前に、ひとつだけ確認しておかなくてはならないことがございます。公爵閣下、ほんの一時よろしいか?」
「うむ」
 公爵の許しを得ると、アレンは騎士たちの中にいるレークの方に近付いた。
「レーク」
「ア……アレン。本当にお前なんだな」
 目の前に立つ相棒に、レークは思わずその声を震わせた。
「いったい……どうなってるんだ。だって、お前は、落馬してそのまま……いつ意識が戻ったんだ?それに、一緒に戻ってきたあいつは、山賊のデュカスだよな。いったい全体、なにがどうなってるんだ?」
「それは、すぐ分かるさ。それより、あることを確認しなくてはならん」
「確認ってなんだ?」
「お前はただ、俺の言うことに答えるだけでいい」
「わかったよ。なんだ」
「お前は、間者の罪に問われて、捕らわれようとしている。そうだな?」
「ああ。だが……それは」
「いいんだ。今はそれだけで」
 安心させるように、アレンはうなずきかけた。
「お前は馬上槍試合の決勝戦を戦い、それに勝利した。しかし、すぐにビルトール卿からの告発を受けて捕らえられた。懐にあった密書を見つけられ、それを証拠にこうして断罪されている。そういうわけだな?」 
「そのとおりだが……」
 レークは目を白黒させた。
「お前、どこかで見ていたのか?」
「いや、ただ確かめただけさ。それと、もうひとつ」
 アレンはそっと声をひそめた。
「試合の後、ビルトールは、『この試合が八百長である』というようなことを言っていたか?」
「ああ。確かに、そんなことを叫んでいたようだが……」
「そうか。わかった。あとは任せておけ」
そう言って、アレンはうっすらと微笑みを浮かべた。
「お、おい。アレンよ……」
 レークは不思議そうに相棒を見やった。落ち着いたアレンの顔を見ていると、これまでの不安などが、まるで風に吹かれたようにどこかへ消えてゆく気がした。
「すまねえ、アレン」
「ふむ……だから言ったろう。面倒なことに巻き込まれるなと」
「すまねえ……」
 レークは目を潤ませていた。二人は何も言わず、ただ互いの目を見交わした。
 それで十分だった。彼らは、かけがえのない相棒同士であり、そして兄弟だった。血よりも濃い、それは魂のつながりの兄弟だった。
さっきまで、死人のように青ざめていたレークの顔には生気が戻ってきた。金髪の相棒は、いたずらそうにふっと笑った。
「さて、これから種明かしだ。ところで、お前に預けたあの密書はどこだ?」
「たぶん……オライア公が持っているはずだ」
「わかった。ではまたあとでな」
 貴族席の前に戻ったアレンは、国王とオライア公爵に再び一礼した。
「お待たせしました。これで、私の求めていた現在の状況を示す要素がすべて手に入りました。それでは、話を続けさせていただきます。まずは、重要な証拠である、例の密書のことです。こちらにその密書の片割れを持ってきました」
 アレンは懐から筒を取り出し、そこから破れた紙片を取り出した。
「レークの懐より見つかった半分と、それが合わさるかどうか、どうぞお確かめを」
「よかろう。やってみよう」
 オライア公はうなずくと、アレンから手渡された紙片をもうひとつに合わせてみた。
「おお……まさしく」
二つの紙片の破れ目はぴたりと合わさった。
「間違いありませんね。まぎれもなく、その二つの紙片は、もとは一つであったと、これで証明されました」
「確かに」
「じつは、その密書の下半分は、フェスーン市街の、とある屋敷で手に入れたものです」
 アレンは、含みを持たせるように間を置いてから、言葉を続けた。
「ところで、私は本日の馬上槍試合に出場しておりましたが、力及ばず一回戦で落馬し、敗退いたしました。そのことは天幕にいる医師が証明する通りです。その後、私はゆえあってフェスーン市街へとおもむくことになりました。その辺りの詳しい事情については、またのちほどお話しますが、私は職人通りにある一軒の金細工師の店で、こちらにおられる、ローリング騎士伯と偶然にお会いしたのです」
 隣に立つローリング……かつての山賊のデュカスであった騎士がうなずく。
「まさしく、驚きの再会だったわけだな」
「ええ。実のところ、私と伯とは、初めて会ったわけではなく、伯が山賊としてその身を扮して剣技会に出場しておられたときから、すでに見知っておりました。ともかく、そうして偶然にも、我々は行動を共にすることとなりました。そして、ついに陰謀の大元を突き止め、この密書の半分を重要な証拠として発見するに至ったのです」
 国王をはじめ、多くの貴族、騎士たちを前にして、金髪の剣士は、物語を語るかのように、いたって穏やかな口調で話し続けた。
「それでは、これから順をおってお話します。もし、私の言葉に一片の虚偽でもあれば、その時点でここにおられるローリングどの、さらにはオライア公爵閣下、そして宮廷騎士長クリミナどのが、私を糾弾なさるでしょう。しかし、そのような虚言のいっさいのなきことを、私はここでジュスティニアに誓って申し上げましょう」



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