水晶剣伝説 T〜トレミリアの大剣技会〜
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 ガヌロン伯爵

 レークはあたりを見回しながら、通りを南へと歩いていた。
「ここがルミエール通りかな」
 そこは石造りの家が立ち並ぶ小ぎれいな通りだった。この辺りは、都市の中でも富裕な市民たちの住まう居住地であるようで、ごみごみとした大通りの周辺と比べると、石畳の道は整然と舗装され、立ち並ぶ家もずいぶんと立派に見える。ときおり見事な四頭立ての馬車が通りすぎ、いかにも都市貴族らしい身ぎれいな人々が歩いてゆく。
 ベアリスの話では、ソキアをあしらった彫刻が飾られた屋根窓が目印だという。たしかに通りに並ぶ家々の切妻造りの屋根には、どの家にも美しい彫刻や紋章が飾られた突き出し窓が備わっている。
「なるほど、金持ちの家ってなあ、妙なところに金をかけるもんなんだなあ」
 家々の屋根を見上げながら、レークは通りを歩いていった。
 しばらくゆくと、門の前に見張りの騎士が立つ、いわくありげな屋敷を見つけた。屋根を振り仰ぐと、はたして屋根窓には三日月の彫刻が飾られている。
「おお、見つけた……が。なんか、だな」
 レークはうさんくさげに、その屋敷を眺めた。
 まるで通るものを威嚇するかのように周囲には鉄柵がめぐらされ、木々が茂った庭園の向こうに、大きな母屋の屋根が見えている。屋根窓にある彫刻というのは、三日月にしなだれかかるように絡みつく全裸の女神の図で、屋敷の主人の趣味を如実に表しているようであった。そして門の前に立ついかめしい見張り騎士は、全身を甲冑に包み、昼間の太陽のもとではさぞ暑かろうと思わせた。
「よう。どうも、ご苦労さん」
 金細工師に教わった合言葉を思い出しながら、レークは、そのいかめしい門番に近寄った。
「何者だ?」
「アヴァリスはソキアに滅す」
「……なんだと?」
見張り騎士は怪訝そうに、じろじろとレークを上から下まで見下ろした。
「おまえ、今なんと言ったのだ?」
「だから、『アヴァリスはソキアに滅す』だよ。あんた耳ついてんの?」 
 すると、騎士は、その顔に「信じられぬ」という表情を浮かべ、
「まさか……しかし、いまになって」
 鎧をがちゃがちゃとさせながら、ぶつぶつとつぶやく。そのいっこうに要領を得ない様子に、レークはいらいらとなって怒鳴りつけた。
「おい。オレ様がせっかく苦労してやって来たってのに、なんだよ、その態度は。いいのか?このまま帰っちまうぞオレは」
 その言葉が効いたらしく、
「お、お待ちを。ただいま取り次いでまいりますので、どうかお待ちを」
 騎士はにわかに態度を改めると、がちゃがちゃと音を立てて門の中へ消えていった。
「おーお、単純なこと。へっへ、上手くいきそうだな」
 しばらく待っていると、さっきの騎士が戻ってきた。その横には、こちらもいかにも時代錯誤な、青い胴着にぴったりとしたタイツ姿の召使らしき男を連れていた。
「どうもお待たせしました。私はこの屋敷の執事でございます」
 執事は深々と頭を下げた。さきほどの騎士も、その隣でぎくしゃくと礼をしている。
「さあどうぞお入りを」
 レークはふんとひとつ鼻を鳴らしてやると、堂々と屋敷の門をくぐった。
「主人がお会いになりますので、ご案内いたします。どうぞこちらに……」
「よろしくたのむ」
 案内されたのは母屋ではなく、裏手にある離れであった。だが離れといっても、それは充分に立派な建物で、一般の市民の家よりもよほど大きいくらいである。
「それでは、しばらくお待ちを。ただいまこちらに主人がまいりますので」 
 執事はレークを部屋に通すと、一礼して下がっていった。一人になると、レークはさっそく室内を見回した。
「これはまた、たいしたお屋敷だねえ」
高い天井には美しいゴシック調の模様が装飾され、大きめの明かり取り窓からはたっぷりと西日が黄金色に射し込んでいる。壁にはあでやかなドレス姿の女性が描かれた絵画や、金糸が織り込まれたタペストリなどが惜しげもなく飾られ、床一面にはいかにも貴族好みの東方的な模様の敷物が贅沢にしかれている。
「これで離れってんだから、いったい母屋の方はどんだけ広いのか想像もつかねえな。ちょっとした城みたいなもんじゃねえのか。都市貴族だかなんだか知らねえが、そんなに偉いもんなのかね」
 壁から突き出した鹿の頭の飾りや、仰々しく派手な鎧兜、棚に並んだ壺などの骨董品を、レークは興味なさげに眺めた。とにかく豪華に、とにかく高価なものをといわんばかりに揃えられたそれらの装飾品は、ひどく統一感のない、無駄に豪勢なものに思われた。
「せっかく広い部屋なのに、こうごてごてと物を飾られると、なんだかかえって落ちつかねえな。あの三日月と女の彫像にしても、この鹿の頭にしても、ろくな趣味じゃねえな」
 テーブルに置かれた銀のゴブレットにたっぷりとワインを注ぎ込み、それを味わいながらしばらく待っていると、やがて夕の六点鐘の音が響いてきた。
「アレンの奴は、今頃なにしてんのかな?」
 ふと窓の外を見やると、フェスーン城の青屋根と劣塔とが、緑の丘の向こうにかすかに見えている。
「もしかして、どっかの女といちゃついてるとか……はっ、まさかな。あいつのことだ、また宮廷だかどっかに入り込んで、なんか陰謀がないかと探し歩いてんだろうよ」 
「陰謀か。そんなもんとは無縁のはずのこのオレが、こうやって得体の知れない金細工師や、貴族の伯爵かなんかに会おうとしていることを、きっとアレンの奴も知るまいな。なんだか知らねえが、こう……わくわくするね」 
 懐にある布の包みに手をやってみる。金細工師のベアリスから受け取った飾り剣……この宝剣が、これからいったいどんな運命をもたらしてくれるのかと思うと、なにやら胸の高鳴るような興奮を覚えるのだった。
「お待たせいたしました。伯爵様がおいでです」 
木製の豪奢な扉が左右に開かれ、執事が深々と頭を下げる。
 そして、一人の男が室内に入ってきた。
(こいつがガヌロン伯爵……)
 現れた男は、かなり太った四十がらみの人物であった。
 流行の黒ビロードの短いローブに、金の飾り物をごてごてと付けた、見るものが過剰な豪華さを感じるような、いかにも貴族らしい服装で、背はそう高くなく、全体的にはずんぐりとした体格で、その美しいビロードのローブもお世辞にも似合っているとは言い難い。ローブの下のグレーの胴着も、腹の部分がぷっくりとふくれており、全体としてはなんとなく「鈍重なひきがえる」のように見えた。
 男はつかつかと部屋に足を踏み入れると、どすんと椅子に腰かけた。そのつぶれたような平たい鼻をこすりながら、しかめ面でレークをじろりと眺める。
「お前が、例の使者だという証拠を見せろ」
 その無愛想な物言いに、レークは内心でむっときたが、ここは逆らわぬ方が良いと、素直に包みをとりだした。
「どれ、よこせ」
包みをひったくると、男は中を確かめた。
「おお……まさしく」
 とたんにその目の色が変わった。
「これはすばらしい……。さすが当代随一の金細工師ベアリスだ。この見事な細工!宝石もふんだんに使っておる。うむ。わしのコレクションにふさわしい」
 男は、興奮に鼻の穴を大きくしながら、手にしたきらびやかな短剣を、上から下まで舐めるように検分した。
「なるほど。この剣を持ってきたということは、そなたは本物のようだな。よろしい」
 そう言って立ち上がると、男は出っぱった腹をぐいっとそらし、レークを見下ろした。
「わしは、このトレミリアの大貴族……名を明かすわけにはゆかんが、そう、ガヌロン伯と呼ぶがよい」
「オレはレーク・ドップ……」
「お前の名などどうでもよい。大事なのは、わしが伯爵でえらいこと。そしてお前はただの一剣士で、与えられた使命を果たせばよい使いっぱにすぎぬ、ということだ」
「……」
 レークはあっけにとられて、ガヌロンと名乗る、このいかにも尊大な貴族を見上げた。
「わしの偉さが分かったようだな。ならよい」
 男があごをしゃくると、扉の前にいた執事が下がっていった。室内にはレークとガヌロン伯の二人だけとなった。
「さて……」 
 伯爵は腰を下ろすと、金細工の短剣をいとしげに撫でながら話しだした。
「期限ぎりぎりになってお前はやってきた。報告だと、すでにほとんどの者が騎士たちによって抹殺されたということだったが。まだ一人残っておったとはな。で、お前はどこの者だ?ジャリアか?アルディか?」
「ええと……その」
 レークは唇をなめた。このように尋ねられることもなんとなく予想はしていたので、返答はすでに考えてあった。
「オレはつまり、ただの浪剣士で、仕事の中身はほとんど聞いていないんだ。市壁の外にいるやつに、事を伝えるのがオレの役目なもんで……」
 あまり具体的なことを言ってぼろを出すのもまずかろうと、とりあえずは自分が浪剣士であるということは偽らず、他のことについてはなるたけ知らぬふりをして、色々と聞き出すのがよいだろうと、レークは考えた。
「そうか。ふん、ただの浪剣士。どうりで汚らしい格好をしている。それに言葉使いも無粋で下品だな」
(よけいなお世話だ、このでぶが)
「さて、時間もないことだし、さっさと核心に入るとしよう。ふむ……ということは、お前はただの伝達人なのだな。つまり、わしが密書をお前に渡しても、すぐに金は払えないと、そういうのだな?」
「密書」という言葉にレークは目を光らせた。それは、いかにも意味ありげなものに聞こえる。
「まあ、そういうことですかね」
 平静を装いレークはうなずいた。
「オレの仕事は、ただその密書とやらを渡すことだけなんで」
「ふうむ……」
 伯爵は、何事かを思案する様子であごを撫でつけていたが、
「……よかろう。密書は渡そう」 
 ひとつうなずくと、懐から細長い筒を取り出し、そこに入っていた書簡を広げてみせた。びっしりと文字が書かれた、いかにも重要文書といった感じのものである。
「おお、それが密書か」
 だが、覗き込もうとするレークの前で、伯爵はいきなり、それをびりびりと破り出した。
「お、おい、なにすんだ!」
「ただし、お前に渡すのはこの半分だけだ。お前はこの密書の半分を連絡係とやらに渡し、金を受け取ってくるのだ。そうしたら、そのときに残りの半分を渡そう」
「半分……」 
「ふふふ。用心のためだよ」
 伯爵は、にたりと口の端をつり上げた。
「密書を手に入れたお前が、金をもって、そのまま逃げないとも限らないからな」
 破いた密書の片方を筒に入れると、伯爵はそれをレークに差し出した。
(くそ。なんてずるがしこい野郎だ。いや、がめついってのか。このデブ公……いやデブ伯め)
 筒を受け取ったレークを見つめ、伯爵は念を押すように言った。
「明日までだ。あすの剣技会が終わるまでに金を持ってこい」
「しかし、明日はオレは試合が……」
「なに?」
 口を滑らせたレークは、慌てて言葉を切った。
(しまった……)
「試合?試合だと。剣技会のか?」
「う……いや」
 なんとか取り繕おうとしたが、もう遅かった。
「ほほう……それでは、お前は剣技会に出場している剣士で、しかも、まだ勝ち残っているというのか?馬上槍試合の十六名の中に。そうなのだな」
「あ、ああ……いや、その」 
 どう答えればいいものかと、レークは口ごもった。
(ちっ、この手の悪党は、地獄の番犬のように耳がいいって決まっていやがる)
「なんと。それほど強いのかお前は。あの人数の参加者の中でまだ勝ち残っているとは」
 あらためて強い興味をもったように、伯爵は、ぎょろりとした目をレークに向け、
「いや……まてよ。そうだ、おまえには見覚えがあるぞ。昨日は、わしも闘技場へ試合を見に行ったからな」
 いきなり立ち上がると、思い出したように大きく手を叩いた。
「おお、そうだ!お前はあの『兜をつけぬ剣士』だ。そうだろう。たいそう強い……あのヒルギスの剣をたたき折った。見ていたぞ。なんと……そうか。お前があの……」
「う……」
(どうする……。いまさらしらを切っても遅いだろうな)
 正体が知られたことがまずかったのかどうかと、レークは頭の中でぐるぐると考えを巡らせた。
(いっそのこと、今ここで、この伯爵とやらをぶった斬って、この密書をもってトレミリアの騎士にでも報告するか……)
(うう……いやまてよ、まてよ。よく考えろ)
(そうすると……当然、何でオレがこの伯爵と会っていたかを問われるわけで……、逆にオレがその場で捕らわれちまう、ということもあるかもな)
 額の汗をぬぐい、レークは必死に考えた。
「……」
 伯爵の方も、何ごとかを思案するかのように黙り込んだ。だがそちらはすぐに考えがまとまったのか、その脂ぎった顔には不気味な笑いが浮かんた。
「そうだな……もしお前が、昨日わしの見た通りの剣の使い手なら、おそらく槍試合でも他の剣士たちを敗り、決勝まで進むだろうな」
伯爵はクックッと笑った。
 レークは、できることならすぐにでもここから逃げ出したいような気分だった。
(くそ。今のところは、こいつの言うとおりにするしかねえか……明日の試合もあるし)
(とにかくは、優勝して賞金をもらい、宮廷騎士になるのが俺たちの目的なんだからな)
(それに、どっちにしろ、密書とやらの中身を見てから、このガヌロンさんがどんな陰謀を企ててるのかを見極めないことには、なにも始まらねえわけだし……)
 どうするのがよいのが一番なのか、どうにも判断がつかなかったが、レークは考えをめぐせらせながら、なんとか気分を落ち着けようとつとめた。
「よし。ではこうしよう」
 自ら壺からワインを注いで、それをなめるように味わうと、ガヌロン伯は切り出した。
「明日の馬上槍試合で、お前が優勝したら、その時に……密書の残り半分を渡そう」
「それは本当か?」
「本当だとも。それからは、お前の好きにするがよかろう。密書を間者に渡すも、他の誰かに売りつけるも、あとは自由にすればよい。金はもういらん。すべてお前のものだ」
 そう言うと、伯爵はまた自分の杯にワインをなみなみと注いだ。
「その代わり……必ず優勝するのだ。よいか、必ずだ。お前ならできよう。あのヒルギスすらも手玉にとったくらいだからな」
「そりゃあ、まあ。この天才剣士レークさまが、間違ってもへなちょこ騎士や、どっかの田舎剣士なんぞに負けるわけはねえが……」
「安心しろ。勝ち残っている剣士の中で、おそらく、もっとも腕の立つ騎士が相手でも、お前は勝てるだろう」
「……」
「そう……安心しろ。くくく」
 ぐっとワインを飲みほすと、伯爵は愉快そうに笑いをもらした。
 ぐふっぐふっという、その不快な笑い声が室内に響くと、まるで毒気を含んだ空気がそこに充満するように思えた。
「うえっ、なんて気持ち悪い奴だろう」
 部屋を出たレークは、屋敷内の広い中庭を歩きながら、いましがたの会見を思い返した。
「ガヌロンだか、ガムロンだか知らねえが、本当にあれが貴族の伯爵様なのかい。あの笑い方ときたら……おおっ、思い出しただけで鳥肌がたつ」
 思わずぶるっと肩を震わせる。
「うう……それにしても、あのがめつい野郎が、金はいらないとか言いだしたのはなぜだろう。きっと、それにはなんか裏があるんだろうがな……そうに決まってる」
 夕闇に包まれ始めた邸内には人影はなく、石造りの像が置かれた噴水の水音だけが、ただ寂しげに聞こえている。
「そういや、屋敷の中にも、あんまり人のいる気配はしなかったな」
 レークはふと立ち止まり、噴水を見つめながら考えた。
 思えばこの屋敷の中で見たのは、門に立つ見張りの騎士と、案内の執事、そして当のガヌロン本人だけだった。これだけの立派な屋敷にもかかわらず、使用人らしき人間がほとんど見えないというのは、どう考えても不自然である。
「そうだな。ついでに、ちょっくら探ってみるか……」
辺りに人の気配がないことを確かめつつ、今度は母屋の方へ近づいてみる。
離れの方もなかなか立派なものだったが、こちらの母屋はほとんど小さな城というような大きな建物であった。漆喰で固められた壁にはところどころにツタが絡まり、屋敷の窓という窓は、どこも木戸が閉じられている。中の様子はまったく窺い知れなかった。
 耳をそばだてながら屋敷の壁沿いを歩いてみるが、やはりどこからも物音一つ聞こえてこないし、明かりがもれてくる窓もない。
「暗くなっても明かりが灯されないってことは、本当に誰も住んでいないみたいだな」
 沈みゆく太陽とともに、黄昏の空はしだいに濃い紫へとその色を変えてゆく。世界が死んだような静けさのなか、暗さを増してゆく屋敷の影……そのたたずまいは、ひどく気味が悪いものだった。
「うう……なんだか、いやあな感じだぜ」
 静まり返った屋敷の暗がりから、ひょいとなにかが出てきそうな気がする。あたりの空気も、なにやら濃密な闇にどっぷりと覆われてゆくように思われる。
「もう宿に帰って、酒でも飲みなおすとするか……」
 ここで夜を迎えるのはごめんだと、門の方へと歩きだそうとしたときだった。かすかに人の声が聞こえた気がした。
「うん?……気のせいか」
 耳を澄ませて壁際に近づいてみる。視力と聴力は、人並みはずれてよいから、たとえ屋内の会話であっても聞き逃すはずはない。
 じっと耳をそばだてていると、また声が聴こえた。ぼそぼそと囁くような、それはたしかに人の声のようである。
「……下、か」
 足元に目をやる。よくよく見ると、地面と壁の境に、格子のついたごく小さな窓があった。おそらく地下室に空気を入れるためのものだろう。
 地面に膝をつくと、その格子窓を覗きこんでみる。地下室なのだろう、中はとても暗くて、誰かがいるのかまったく分からない。だが、暗がりの中に、かすかに蝋燭の火が揺れているのが見えた。
 息をひそめつつ、レークがさらに格子窓に耳を近づけると、
「……待って下さい。それでは、この僕を信用しないのですか?」 
「そんなことは言っておらん……」
 かろうじて聞き取れるくらいの会話が聞こえてきた。
「ですが、あのような浪……に優勝をさせるなんて……僕にはとても」
「だから、お前にも、今までの三倍の……を払うといっておるだろう。それでは不満だとでもいうのか」 
二人のうち、片方はさっきのガヌロン伯の声に間違いはなかった。もう一人の声には聞き覚えがなかったが、どうやら若い男のようだ。
「僕が、どんな気持ちで今まで……本当は、騎士の任務なんてどうだっていい。僕は、僕はただ……」
「分かっておる。だから、今までだって良くしてきただろう。お前が騎士になれたのも、わしが口添えしたからだし、今回の任務にも宮廷から褒賞がたっぷりと出るはずだ」
「でも……」
「それに、これがうまくいけば、剣技会の賞金などは問題にならん額の金がころがりこむ。つまらぬプライドより、その方がどれだけ実際の助けになるか。お前の母のためにもな」
「叔父さん……」
「分かるな?」
「……ですが、あのようなやつが優勝してしまって、万が一にも騎士になるなんてことは……」
「大丈夫だ。その点もちゃんと考えてある。お前はただ、わしの言うとおりにすればよい。そうすれば、すべてがうまくゆくのだ……」
(叔父さんだと?)
(こいつはらはなにものなんだ?いったいなにを企んでいやがる)
 レークは聞き耳を立てながら、なにかヒントになるものはないかと考えた。だが、考えるほどに頭が混乱してくる。
(だが、こいつらが、きっとろくでもねえことを企んでいるってのは確かだろう。しかし、それがこのオレに、どういう関係があるってんだ?)
「まて……誰かいるのか!」
 鋭い声が挙がった。蝋燭が吹き消されたのか、地下室は暗闇になった。
(やべえっ)
 レークは飛びすさるように壁から離れると、急いで屋敷の門まで走り出た。
「あぶねえ、あぶねえ」
通りに出ると大きく息をついた。屋敷から離れながら、誰も追いかけてこないかと、つい何度も振り返る。
「しかし、さっきのはなんだったんだろう。分かるような、わからねえような……」
 通りを歩きながら、レークは考えた。あの地下室から聴こえてきた会話もそうだが、ガヌロンという怪しげな男や、手渡された半分の密書など、分からないことは山ほどある。
「ようするにだ。あのベアリスっていう金細工師が、ガヌロンとかいう伯爵と組んで、なんかあくどいことをやってんのは確かだよな」
「他国の間者に密書を渡して、金をせしめるっていう。で、オレはその間者のひとりだと勘違いされて、この密書の半分をうけとったワケだが」
 懐にしまってある筒に手をやる。そこには、ガヌロンから受け取った密書がしっかり収められている。
「じゃあ、あの女騎士の方は……たぶん逆に、そいつらを取り締まるのが役目だよな。普通に考えると」
「そうなるとだ、こうやってオレが間者のふりをして、あの伯爵とかと関わってるのがバレたら、やっぱまずいよなあ。いくらフリだけだったと言い訳したところで、信じてはもらえねえだろうしな」
 すでに日が沈んで、通りはすっかり暗くなり人通りはない。暗がりを歩きながら、レークは考え続けた。なんとなく、このまま宿に帰って、アレンに事の次第を報告するのも気がひけるのだ。
「そうだよなあ。だいたい、オレがこんなことに関わっていることが、もしアレンのやつに知れたら……まず間違いなく、この密書は取り上げられるだろ」
氷のように冷たい相棒の視線を思い浮かべる。
「レーク、お前はもう関わるな……とな。それからあとは、アレンの手で見事に問題は解決。で、手柄はあいつが独り占め。オレの今日の苦労もまったくの無駄になる、と」
「うわ……いやだ。オレだって、たまには格好よく、あんやく……ってやつをしてみたい。せっかく、今日はいろいろなものを見聞きしたんだからな。これを活かせば、オレにだってなにかできるはずだ」
 ぎゅっと拳を握りしめる。不気味な恐ろしさもあったが、それを追いやると、なにやらわくわくとする冒険心が沸き起こってくる。
「そうだ。いつもいつも、アレンばっかりにいい役はやらせんぞ。ようし決めた。今日はあいつのいる宿には帰らん!」
そう決めると、レークは軽やかな足取りで、夕闇に包まれた石畳の通りを駆けだした。

「どうしたの剣士さん?」
 寝台の上で女が顔を上げた。
「いけね……すっかり寝ちまったのか」 
「ねえ、どうしたのさ?なにか悪い夢でもみたのかしら。さっきも寝ながらなにか言ってたみたいだけど」
 ぼりぼりと頭を掻くと、レークは隣にいる女を見た。
「あ、ああ……いや、なんでもねえ……」
 花の香りがたきしめられた一室……テーブルと寝台の他にはなにもない、簡素な寄り合い宿の一室である。疲れていたのかすぐに寝てしまったらしいが、肝心なことを確かめるのがまだだったことを、レークは思い出した。
「なあ、すまねえが……しばらく一人にしてくれねえか」
「わかったわ」
女はいかにも客商売らしい物分かりの良さで、すっと立ち上がると、裸体の上に薄物を羽織った。
「じゃ、またあとでね。剣士さん」
「ああ、またな」
 女が部屋から出てゆくと、レークはさっそく、寝台の下に隠しておいた小さな筒を取り出した。そこから丸められた紙片を慎重に引き出す。
「オレとしたことが……こいつを確かめないままで眠っちまうとはな」
 取り出した紙片を広げて、燭台の明かりを引き寄せる。
「さあて……これにどんな秘密が書いてあるのか」
ガヌロンから受け取った、いわくありげな密書の半分……そこに書かれているものは、はたして何なのか。レークはごくりとつばを飲み込むと、紙片を覗き込んだ。
「……なん、だ?こりゃあ」 
 思わず声を上げる。紙片に書かれた文字を食い入るように見つめ、レークは眉間に皺を寄せた。
「ううむ……わからん。こりゃあ、いったい……なんなんだ」
 何度か目を通しても同じだった。やはりまったく分からない。
 今度は、書かれた文字を声に出して読み上げてみる。
「……銀五百、銅七百、西山……金百、銀八百、銅 千、羽六百、鉄八、石十二、草……星二、金五十、銀二百五十、羽五百、東三……」
これらの文字と数字の他に、文章らしいものはいっさい見当たらない。おそらく、何かの暗号なのだろうが、何を意味するものなのか、さっぱり見当もつかなかった。
「なんだろうな。金、銀、とあるから、何かの値段かな……それとも」
 そこに意味を見い出そうと、じっと文字の羅列を見つめる。しかし、幾度見直してみても、この文字と数字になんの共通性があるのか、まったく読み取れない。
「金の額じゃねえよな……羽とか草とかもあるし。とすると、なんかを作るための調合の数字とか。いや、だったら東とか西ってのはなんだ?」
 紙を横にしたり、逆さまにしたり、裏返して燭台の火に透かしてみたりしても、何も新しい発見はなかった。
「地形か……どこかに宝物でも埋まっているのかな」
 ああでもない、こうでもないと唸りながら、しばらくそれらの文字と格闘していたが、
「ちくしょう。やめた!」
紙片を放り出して、レークはどすんと寝台に横になった。
「こんなもん、分かるわけねえだろ。きっと、あの伯爵が切り取った下半分に謎ときが書いてあるんだ。くそったれ、そうに違いねえ」
「ああ、馬鹿らしい。こんなことで明日の大事な試合を前にいらいらとしてるなんて、なんてオレは馬鹿なんだ!」
手元の呼び鈴を鳴らす。
「密書も陰謀もガヌロンも、オレには関係ねえや。要は明日、試合で勝ちゃあいいんだ。優勝して賞金をいただいて、それでしまいよ。こんなくだらねえ陰謀なんかに……」 
 ぱたぱたと、廊下を歩いてくる女の足音が聞こえてくる。
「……くそっ」
 寝台から飛び起きて密書を拾うと、急いでそれを枕の下に押し込んだ。燭台の火を吹き消したところでちょうど扉が開いて、さっきの女が部屋に入ってきた。
「うふ。やっぱりあたしが恋しくなった?」
「ああ……まあな」
 女が嬉しそうに寝台に入り込んでくる。
「やっぱり、オレにはこっちのが合ってらあ」
 浪剣士はそうつぶやくと、密書を隠した枕の上で、やわらかな肌を抱きとめた。


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