水晶剣伝説 T〜トレミリアの大剣技会〜
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  休息日の出来事

 明かり取り窓から差し込む陽光に、寝台の浪剣士はまぶしそうに寝返りをうった。
「おう、もう朝か……」
 のろのろと起き上がると、窓の外からは正午を告げる都市の半日鐘とともに、なにやら楽しげな笛や太鼓の音が聞こえてくる。芸人や物売りたちが通りをゆくのだろう。剣技会の休息日、それはすなわち祭りの祝日なのだ。
 ぼんやりと部屋を見回すが、どこにも相棒の姿はない。
「アレンのやつ、どっかへ出掛けたのか……」
昨晩のささいな言い争いが思い出される。そんなときでも、朝になって言葉を交わせばどうということもないのだが、何も言わぬままでは何となく気分が晴れない。
「あたた……うう、昨日はちっと飲みすぎたか」
 ばりばりと髪を掻きながら立ち上がる。水さしから水をすくって飲むと、ようやく少し頭がすっきりとしてきた。ふとテーブルを見ると、そこに文字の書かれた紙片が置かれていた。
 『出掛けてくる。夕刻には戻る。そちらもくれぐれも慎重に行動するように』
 アレンが書き残していったものだった。それを読むと、なにやらほっとした気分になった。
「ちぇっ、わかってらあ……」
 にやりとしてつぶやくと、レークは口笛を吹きながら着替えを始めた。
 町の中央広場は人々でごったがえしていた。
あちこちに立てられた露店からは、物売りの声がとぎれることなく上がり、太鼓や笛や弦楽器などが音楽を奏でる中を、様々な人々が通りすぎてゆく。一般の市民たちはもちろん、上流市民や都市貴族、荷物をかかえた旅人、旅芸人、物売り、買い付けに走る商人職人たち、さらには楽器をかついだ吟遊詩人など、それぞれに職も階級も異なる人々が同じ場所を歩いてゆく。町は日常とはまったく異なる空気に包まれていた。
 商人たちの中には、今日ばかりは店を閉めて、町にくりだす者も多かったし、反対に、ここが稼ぎどきとばかりに、家族総出で店を切り盛りするものもいた。宮廷で催される舞踏会へと向かうのか、都市貴族を乗せた高級そうな馬車が路上を横切ってゆく。市庁舎前の屋台では、明日の馬上槍試合のための賭け表が配られ、明日の試合に勝つのは誰かを、人々は互いに大声で議論し合っていた。かれらは真剣な顔をして、掛け金をつむ対象の剣士たちを吟味するのに余念がなかった。
 祭りの空気は市民たちを普段よりも陽気にさせ、そほど裕福でない人々も、いつもよりも気前よく物を買ったり、食したりしていた。あたりには人々の楽しげなざわめきと喧騒があふれ、あるいは吟遊詩人の歌うサーガに耳を傾けたり、旅芸人の芸に拍手をしたりする人々の、その笑い声や歓声などが途切れることはない。
広場の噴水の縁に腰を下ろしながら、レークは、それらの様子を面白げに眺めていた。
「こんにちわ。剣士さん」 
 午後の一点鐘が鳴りだしたころ、通りの人込みの中から、一人の女性が現れた。
「待たせてしまった?」 
レークの前に進み出て、可愛らしく微笑んだのは、亜麻色の髪をしたきれいな娘だった。ウエーブがかったブラウンの髪をリボンでまとめて背中にたらし、胸元の四角く開いた緑色の胴着と白いサテンのスカートという服装で、明るい緑色はこの季節に未婚の女性が好んで着る色だ。うっすらと化粧をした顔は、年頃の娘の生き生きとした生気とともに花のように輝いている。
「いいや。オレも今きたところさ」 
「そう。よかった」
 明るい笑顔につられて、ついレークも顔をほころばせた。
「さてと、んじゃ、どこへ行こうか」 
「よかったら、私がご案内するわ。レークさまは、まだこの町は不慣れでしょう?」
「そうだな。んじゃ頼むわ」
「それから、オレのことはレークでいいよ。サマなんていわれると照れちまう」 
「分かりました。それじゃ、いきましょ。レーク」
 二人は並んで歩きだした。
「そういや、あんた……イルゼか、あんたはこの町の生まれなんだよな」
「ええ」
「いいのかい?仕事の手伝いとかは」
「そうね……うちは商館だけど、ほとんど店は父と店子が仕切っているから。それに、今日は店を閉めているから平気よ」
「ふうん」
「ね、まずは、この広場をぐるっと回ってみましょうよ。色々な店や屋台が出ていて楽しそう」
 娘の気取らない様子にレークは好感を持った。昨日も一目見て、好もしい娘だなと思ったのだったが。
「ところで、昨日はなんでオレに声をかけたんだ?」
「ああ、それは……ね」 
 イルゼは、少し恥ずかしそうに口ごもった。
「レークの剣の試合を見て……それが、とても格好良くって」
「おお、それゃどうも」
「私、剣の戦いなんて間近で見たの初めてだったから、興奮して、声を出して応援しちゃった。それから外に出たら、偶然あなたがいるのを見つけて。驚いたけど、思いきって話しかけたの」
「そうだったのか……」 
 くすぐったいような気分でレークは頭を掻いた。
「あ、そうだ。まだ、言ってなかったわ。明日の槍試合に出るんでしょう?おめでとう」
「ああ、あんがとよ」 
 二人は、屋台や露店を覗いて、うまそうな串焼きや果実の飲み物などを買ったり、見せ物小屋の前で立ち止まって、芸人たちの曲芸や吟遊詩人の奏でるリュートなどを楽しんだ。
 空は晴れ渡り、女神の吐息のような優しい五月の風が、楽しげな祭りの空気を運んでゆく。陽気な音楽や笑い声、心浮き立つにぎやかな空気がそこにあった。
「おや、あんたはもしかして昨日の剣士さんかい?あの、兜をつけない剣士だ。そうだろう?」
「見事な戦いだったよ。明日も頑張れよ」
 広場をぐるりと歩く間に、そのようにレークは見知らぬ相手から何度も声をかけられた。
 昨日の闘技場へ足を運んだものであれば、「兜をつけぬ剣士」のことを知らぬ者は誰もいなかった。
「お前に賭けたんだから明日も勝てよ」
「槍試合でも兜はつけないのかい?」
「賞金が出たらうちの店で飲んでくれ」
 声をかけられるうちに、レークはすっかりといい気分になり、それに手を振ったりして応えた。
「すごいわ。みんながあなたのことを知っているなんて」
「ああ、オレも驚いた。こんなに有名人になっていたとはな」
 にわかに英雄にでもなったような気分であった。
「でも、こりゃまずいな」
 レークはいたずらそうに、にやりと笑った。
「どうして?」
「だってさ、こんなに顔を知られてるんじゃ、もう食い逃げなんかは出来ないぜ」
「まあ。食い逃げって、あなた今までそんなことしていたの?」
「いや。ああ、その……たまに」
「たまに?」
「いや、冗談だよ。その……、ごくたまに……さ」
「まあ」
 イルゼは目を丸くすると、くすくすと笑いだした。
 二人はひととおり広場をぐるりと回ると、今度はカルデリート通りを歩くことにした。
 フェスーンの町を東西に横切るメインストリートであるカルデリート通りは、別名「商人通り」ともいわれるように、さまざまな商品を扱う店が軒を連ねている。パン屋、肉屋、酒屋をはじめ、蜂蜜や塩、香辛料などの店、塩漬けの魚を売る店、薬草の店、さらには織布や絹織物を売る店、染料の店、酒を入れる樽を売る店、帽子用のヴェールやリボンの店、革袋や手袋などの店などなど……およそ、ここで手に入らぬものはないと思われるほどである。
「ここはこのフェスーンの中心街……ということは、トレミリア王国の中心であるということよ」
 イルゼは誇らしげに言った。
「じゃあ、あんたの店もこのあたりにあるのかい?」
「ええ、もうちょっと先の方にね。……あ、見て。その道を右手に折れると、職人通りに続いているの。そっちには剣や鎧の店なんかがたくさんあるわ」
「へえ、面白そうだ。そっちも行ってみたいな」
「ええ、いいわ。じゃあ行きましょう」
 二人は商人通りを北に折れ、その先の職人通りに入っていった。
 職人通りとは、その名の通り「職人」たちの店が軒を連ねる通りで、表通りに比べると道幅はやや狭く、通りをゆく人の数も少なくなった。立ち並ぶ店からは、ときおりカーン、カーンと、ハンマーを叩く音が聞こえてくる。
「この通りには、この都市にいるほとんどの職人たちが住んでいるの。剣や鎧はもちろん、その他の金属製品、手工芸品なんかもここで作られて、売られているのよ」
「なるほど、なんだか鉄くさいしな」
 鼻をくんくんとさせるレークに、くすりとイルゼが笑う。
 イルゼの言うとおり、ここにはあらゆる種類の金属細工の店があるようだった。精巧な彫刻の施された剣の柄や、薄い板金で丁寧に仕上げられたぴかぴかの鎧を売る武具の店、装飾つきの鞍や蹄鉄を売る馬具の店、金銀を加工した装飾品の店、宝石や象牙などの店……それらの店先に並ぶ品々を興味深く眺めながら、二人は通りを歩いていった。
 銀色に光る見事な仕上げの長剣や、馬に乗った騎士の姿をした恐ろしく精密な木製の彫刻、ガラス職人の店に飾られた薔薇窓やステンドグラスなどの前では、かれらは思わず足を止めたし、武具屋の店先に銀の拍車つきのブーツを見つけると、レークはそれが欲しくてたまらぬ様子で、イルゼに引っ張られるまでかじりつくようにして眺めていた。
「ねえレーク。ここもちょっと見てゆきましょうよ」
 その一軒の店の前でイルゼは足を止めた。
 きらびやかな宝石の類が並べられた、装飾具の店のようだった。レークが呼び止めるより早く、彼女はうきうきとして店の中へ入っていってしまった。
「まったく、女ってのはどうしてこう、宝石や飾り物なんかに目がないのかね」
 何気なくその店の看板に目をやる。透かし彫りの看板には、「金細工品ベアリスの店」という文字が見えた。
(ベアリス……か)
 なんとなく、その名前は、どこかで聞いたことがあるようだ。
(……確か、ええと)
 ゆっくりと、記憶の中で、その名の響きが浮かび上がってくる。
「……ベアリス。ああ!」 
 思い出したようにレークは声を上げた。
(そうだ……金細工師のベアリス!) 
 胴着の懐に手を入れる。
「おお……すっかり忘れてた」
 肌身離さず付けている革袋から取り出したのは、赤い宝石の指輪であった。あの夜……騎士たちに殺された男が、息を引き取る直前に自分に託した指輪。レークはそれを受け取り、必ず届けると男に約束したのだった。剣技会が始まってからはすっかり失念していたのだが……
(頼む……この指輪を、金細工師のベアリスへ……)
 指輪をじっと見つめる。レークはあらためて店の看板を見直し、口を歪めた。まさか、こんな形で約束を果たす機会が訪れるとは。
(さて……どうするか)
 レークは考えた。「危険なことには関わるな」という、アレンの言葉が思い出される。また面倒なことにでもなったら、金髪の相棒に冷ややかになじられるかもしれない。
(でもよ……)
「偶然も運命の一つって、誰かがいってたっけな」
 少し迷ってから、レークは指輪を自分の指にはめた。店に足を踏み入れると、店内は華やかな色彩に満ちていた。さまざまな金銀細工や宝石などが、まぶしいくらいにきらめいている。
「ねえ、見てよレーク。きれいねえ」
 先に入っていたイルゼは、目を輝かせて棚の宝石を見て回っている。
「見て見て、このブローチ。トレミリアの三日月紋が彫られた白銀製よ。いいなあ。欲しいなあ。一万五千リグですって……ちょっと無理ねえ」
 棚には高価そうな金銀細工が、ずらりと飾られていて、薔薇の模様が彫られた赤ビロードのベルトや、銀細工に真珠を贅沢に使った首飾り、エメラルドの埋められた四葉飾りのフェルメイユ、その他さまざまな宝石があしらわれたブローチやイヤリング、金の鎖、精巧な装飾の彫られた銀の指輪など、どれもが巧みな装飾で、じつに見事なものだった。
 はしゃぐイルゼをよそに、レークは店番に座る男をちらりと見た。
(あいつがベアリスか?) 
 さりげなく近づいて、店番の前で指輪をはめた手をかざして見せる。だが、男はそれに何の興味も示さなかった。
「よう。なかなかいい店だね」 
 思いきって声を掛けてみる。店番は無愛想な様子で、じろりとこちらを見た。
「どうも剣士さん。何かお探しで?」
「金細工師のベアリスはいるのかい?」
「おりますが、主人はただいま忙しく、店のことは私が仰せつかっておりますが」
「そうかい。ちょっと、ベアリスに会いたいんだがな」 
「ははあ。しかし……」
 男はじろじろと無遠慮にレークを見た。こうした店に来るのは、たいがいが買い付けにきた富豪の商人か上流の都市貴族と決まっている。粗末ななりをした剣士風情では、疑わしい目で見られるのも無理はなかった。
「よう。いいから、とりついでこいよ」
「ですが」
「赤い指輪の事でって、そういやあ分かるはずだ」
「はあ……分かりました。では一応訊いてまいりますが」
 仕方なさそうに、男はのそのそと店の奥へと引っ込んでいった。
「ちっ、そりゃあオレはよ、こんな店には似つかわしくねえ人種だがよ……」
「どうしたの?レーク。指輪がなんとかって」 
 そばに来たイルゼに、レークは適当にとりつくろった。
「ああ、いや……なんでもねえんだ。ただその……もしかしてさ、この店の店主が知っていた奴だったかもってな、偶然思い出してさ」
「へえ。レークはこんなお店の職人さんに知り合いがいたの?」 
「ああ……もしかしてだがな。ちょっと名前が似ていたもんで」
「ふうん」 
少しして店番の男が戻ってきた。男は意外そうな顔で、レークをしげしげと見て言った。
「お待たせしました。あの、主人がお会いになるそうです。奥の部屋へどうぞ」
「おお、そうかい」
 少しの間待っていてくれとイルゼに言い置くと、レークは店の奥へと入った。
 暗く狭い廊下を進み、突き当たりの扉の前に立つ。念のため、いつでも抜けるよう剣鞘の紐をゆるめておく。
(さあて……どういう展開になるか)
ひとつ息を吸い込み、扉に手をかける。
「入るぜ」
 扉を開けると、その部屋は昼間であるのにとても暗かった。おそらく金細工のためにはその方がいいのだろう。テーブルや棚の上には、作りかけのベルトやブローチなどが乱雑に置かれ、空気はよどんでいて、鉄が焦げるような匂いがただよっていた。
 暗い部屋の奥に作業用の机があり、そこに一人の男が座っていた。
「ちわ……」 
 声をかけると、彫り具のような道具を手に作業をしていた男がこちらを振り返った。
「どうも。あんたが、金細工師のベアリス?」
「そうだが、俺になにか用か?」 
 男は作りかけのブローチを置くと、じろりと不審そうにレークを見た。眉毛を逆立てて神経質そうに顔をしかめたベアリスは、四十すぎの小太りの男だった。
「ああ。えーと、これ。この指輪をな……」
指輪を見せた途端だった。男の顔つきが変わった。
「な……なんだと!」
男は大きな声を上げて立ち上がり、道具を投げ出してこちらにきた。
「おまえ。なんで今頃になって!」 
「ああ?な、なんだ?」
「てっきり、もうやられたかと思ったぞ。遅いんだよ。来るのが」
「おい、ちょっと……」 
 相手の剣幕に思わずひるんだが、男はかまわずレークの腕をひっつかむと指輪をもぎとった。
「いいか。もう時間がないんだ。今回は騎士どもの警戒が思いのほか厳しくて、やってきたのはお前でそう、やっと三人目だ。他の二人はもう、恐らくは殺されただろうから、残るはもうお前だけだ。いや……待てよ」
 男はぺろりと唇をなめた。
「ふむ。とすると、今頃になってやってきたお前は、意外と正解だったということか……うむ、おお、なるほど。案外そう捨てたものでもないぞ、これは。よし、分かった」
 男は勝手にうなずいて、指輪の宝石を透かし見たり撫でたりしながら、あれこれとつぶやいている。むろん、レークにはまったく訳がわからない。
「おい、いったいんなんのこった?オレはただ、その指輪をあんたにと……」
「よかろう、指輪は本物だ。ということは、お前も本物だ。待ってろ、いま品物を渡す」
 そういうと、ベアリスは机の引き出しを開けて、そこから何かを取り出した。
「そら、これを持っていけ」
「なんだ?」
 男が差し出したのは、細長い布の包みだった。
「これはな……」
 布を開くと、そこに現れたのは、美しい金細工の施された飾り剣だった。巧妙な模様が彫られた金製の柄には、サファイアとエメラルドがちりばめられ、きらきらと光っている。素人目にみても、それは実に見事な宝剣だった。
「これを伯爵様にお渡しするのだ。それが目印だ」
「伯爵さま?」
「そうだ。ガヌロン様だ。手はずは整えてある。まさかこんなに遅くに来る者がいるとは思わなんだがな。期日は、今日の夕の六点鐘までだ。なんとか間に合うだろう」 
「ちょ、ちょっと待て」
「どうした?」
ベアリスは怪訝そうに眉を寄せた。
「オレは……その」 
 レークは迷った。自分はただ指輪を預かってきただけで、他のことはなにも知らない。そうはっきりと言うべきかどうか。
(しかし……待てよ) 
 頭の中には、すぐに別の考えも浮かんできた。
(ここでオレが、このままその任務とやらを果たしに、ガヌロンって奴に会いに行けば、どうなる?)
(もし、うまくして、そいつの陰謀かなんかを突き止めれば、オレは国を救った英雄として讃えられるかもしれん……さらに剣技会で優勝し、賞金も手にして宮廷騎士になる)
(オレは英雄の上、剣の天才として、この国で富と名誉を築き、その名を歴史に轟かせることに……)
 レークはごくりとつばを飲み込んだ。
(そうだ。アレンにだって、オレは一人でだって、こんな大手柄を上げられるんだと自慢できるしな。危険なことには関わるなと、いつもあいつは言うが、自分だって宮廷内に潜入したり、いろいろ危ない橋を渡ってるくせに……)
(そうさ。オレだって……できる)
 ぐっと拳を握りしめると、心が決まった。
「おい、どうした?ぼんやりして。まさか、今さら怖じ気づいたのか?」 
「あ、ああ……いや」
 我に帰ると、レークは平静を装って言った。
「すまねえ。ああ、さすがにさ、オレもびびっちまってよ。なにせ、こんな大きな仕事は久しぶりなもんでさ」
「だろうな。まあ無理もない」
「だが、大丈夫だ。決心したぜ。オレも男だ。それに……田舎には、オレの稼ぎをあてにしてるガキどももいるしな」 
「そうだろうとも。俺だってそうさ」
 男はレークのほらをを信じたようで、
「職人ギルドがツンフトとかに統合されてから、かせぎも向こうに取られて、こんな裏の仕事に手を染めなきゃならなくなっちまった。年頃の二人の娘に、嫁入りの持参金を持たせてやらにゃあならねえんだ。つれえな……お互い」
 そうしみじみと言い、悲しげにうなずくのだった。
(馬鹿かこいつは。オレがこの若さで、何人もの子持ちに見えるのかよ)
 浪剣士は心の中で舌を出した。
(まあいいさ……おかげでこのオレに、英雄になるチャンスが回ってきたんだからな)
「どうした?何をにやにやと笑っている」 
「ああ、いや。なんでもねえ。つい国の女房のことを思い出してさ」
 適当に言いつくろうと、レークはひとつ咳払いをした。
「ところで、そのガヌロンって伯爵には、どこへゆけば会えるんだ?」 
「おお、そうだった。もう時間がない。そら、これを大事に持っていけよ」
 ベアリスは宝剣の入った包みをレークに渡すと、真面目な顔で説明した。
「いいか、夕の一点鐘までに市庁舎の裏手のルミエール通りに行け。切妻造りの屋根窓にソキアをかたどった三日月の彫刻が飾られた屋敷だ。屋敷の門の前に見張りが立っているはずだ。その見張り騎士の前に立ち、誰何されたら合言葉を言え」
「合言葉?」 
「そう『アヴァリスはソキアに滅す』と」
「なんだそりゃあ?」 
「いいから、その通りに言えばいい」
「はいはい、分かったよ。ルミエール通りの、三日月彫刻のある屋根窓だな?あんがとよ。それじゃあな」 
「おい、ちょっと待て」 
 そそくさと部屋から出ていこうとしたが、背後からベアリスが呼び止めた。
「なんだよ、まだなんかあんのか?」
「お前……、」
 金細工師の鋭い目がこちらを見つめていた。
「な、なんだ?」 
「どうも見たところまだとても若いが……」 
 もしや正体がばれたかと、レークは思わず顔をひきつらせた。
「その若さで子持ちとは、つかまったもんだな」
「ああ?」
「結婚てなあ……あれだな。失った自由に気づくことなのかもなあ」
 ベアリスは遠い目をしながらつぶやいた。
「はあ……」
 レーク気が抜けてため息をついた。男はゆけというように手を振ると、また机に向かい作業に没頭し始めた。
(ふう……焦ったぜ)
 部屋を出たレークは、手にした包みを見やり、にやりとした。
「なんだか、面白いことになってきやがったな」
 包みを懐にしまって再び店内に戻ると、そこにイルゼの姿はなかった。
「まさか、あんまり遅いんで怒って帰っちまったのかな」
「ああ、あんたの連れなら、少し前に外に出ていったようだよ」
 店番の男が教えてくれた。
「そうか。邪魔したな」
 店を出て通りを見回すが、行き交う人々の中に彼女の姿は見当たらない。どうしたものかと、しばらくその場を歩き回っていると、通りの向こうから娘が走って来るのが見えた。
「レーク。ごめんなさい!」
「おお、てっきり待ちくたびれて帰っちまったのかと思ったぜ」
 息をきらせて走ってきたイルゼは、頬を火照らせてこちらを見上げた。
「あのね、店の外に友達が通りかかったから、つい話しこんじゃった。ごめんなさい。レークの方もお話はすんだのね」 
「ああ……やっぱ、店の主人がちょっとした知り合いでさ」
「そうだったの」
二人は、なんとなく上の空の様子で、また職人通りを歩きはじめた。石畳の道を照らしていた太陽はゆるゆると西に傾き始め、通りをゆく人の数もいくぶん少なくなっていた。
「ねえ、これからどうしましょうか?ひと通りは見て回ったと思うけど」
「そうだな……」
(夕の六点鐘まではもう、時間がねえな)
「あ、あのよ、イルゼ」
 レークは思い切って娘に告げた。
「すまねえ……その、ちょっとヤボ用ができちまって、これから行かなきゃならねえんだ。今日はとりあえずここまでってことで、いいかな」
「あら、そうなの」
素っ気なく別れては気まずいかと思ったのだが、案外にイルゼはあっさりとうなずいた。
「私も、そろそろ店に戻らないとって思っていたの。それじゃ、ここでお別れしましょ」
「あ、ああ」
 少し拍子抜けした気分だったが、今はその方が好都合でもあった。
「じゃあ、またそのうちにな。オレは旅人通りのグルートの宿ってとこに泊まってるからさ」
「分かったわ。それじゃあ、また今度ね」
「ああ、そうだ……それから」
 レークは何気ない口調で尋ねた。
「ルミエール通りってところに出るには、いったん中央広場に戻った方がいいのかな?」
「ルミエール通り?」
 イルゼはちょっと考えるようにしてから、通りの先にある路地を指さした。
「そうね……多分、そこの路地から行く方が近いと思うわ。大聖堂の裏に出て、大通りを通り越した市庁舎の裏手の道が、ルミエール通りよ」
「そうか。すまねえ。それじゃまたな」
「さよなら」
 手を振ってイルゼと別れると、レークはさっそく教えられた路地へと入っていった。
「あーあ、くそ。こんな用事がなけりゃ、イルゼちゃんと夜のデートをしていたかもしれないってのに」
夕暮れが近いこともあって、辺りはずいぶん薄暗くなっていた。狭い路地をとぼとぼと歩いていると、なんとなく面倒な用事を押しつけられたような気分になってくる。
「しかし……だいたいオレがなんで、そのガヌロンとかいう奴に会わなきゃならんのだ。ちゃんと指輪は金細工師に渡して、約束は果たしたし。そんなわけのわからん伯爵だかなんだかに会って、どうなるってんだ……」
「今すぐ戻っていって、デートの続きをした方がずっと楽しいよなあ。それにアレンの言うとおり、つまんねえいざこざに巻き込まれるのは面倒だし、馬鹿馬鹿しいってもんだ。それよりも、可愛い娘と過ごす方がずっと有意義だ。それがオレの生きかただったはずだ」
思わずレークは立ち止まった。だが、踵を返そうと思っても、なぜか足は動かなかった。
「ちっ」
 レークはぎゅっと口元を引き結んだ。一度こうと決めたことをやめるのは、逃げるのと同じだということを、師匠からいやというほど教わっていた。
「……くそ。ええい、もうこのさいなりゆきに任せろだ!」
 迷いを振り払うように、レークは薄暗い路地の奥へと大股で歩きだした。
大通りのにぎやかな喧騒に比べると、路地裏はひっそりとして不気味に静かだった。道幅は小型の馬車がかろうじて通れるくらいのものだろう。
 ひとけのない路地をしばらくゆくと、前方に一台の馬車がぽつりととまっていた。
「なんだ?こんなところに」
 レークは念入りに辺りの気配を窺いながら、こちらの行く手を遮るようにとめられている、その馬車に近づいた。よく見ると、馬車はつとめて質素に見せかけてはいたが、車体のところどころには精巧な飾り彫りが施されており、それが貴族か、少なくとも富裕な市民のものであることを物語っていた。
 通り過ぎざまに横目で見ると、御者席には鍔つきのフェルト帽を深々とかぶった男が静かに座っている。車内には人のいる様子はないようだ。
「……」
 なにかが怪しいと、浪剣士の勘が告げていた。腰の剣をいつでも抜けるようにしながら、馬車の横を通り抜けようとしたとき。
「止まれ」
 鋭い声がした。
 半ばそういうことも予期していたレークは、ゆっくりと後ろを振り返った。
「お前が、レーク・ドップと申すものか……」
 そこに、黒いローブ姿の人物が立っていた。
押し殺したような低い声。まるで顔を隠すように頭からすっぽりとフードをかぶっているのも、ひどく奇妙であったし、ローブの腰の部分がふくらんでいるのは、おそらく剣を差しているのだろう。
「そっちは何者だい?」
 相手を計るように、レークは目をそばめた。どうやらいきなり襲いかかって来る相手ではないようだ。
「なにものでもよい」
「あんたはオレの名を知っているのに、オレはあんたを知らない。そりゃ不公平だな。せめてそのツラでも見せてもらいたいね」
「……いいだろう」
 黒いローブの人物は、顔を覆っていたフードを静かに後ろにすべらせた。
「私の顔に見覚えがあるか、その目で確かめてみるがいい」 
 ふわりと、栗色の髪がなびいた。こちらをを正面から見すえる、その顔が、夕暮れの路地にあらわになる。
(ああ……) 
 レークは心の中で叫んでいた。
(俺は……)
(俺は、あんたを知っている……)
 深い緑色の瞳が、レークの黒い瞳とまっすぐに合わさった。
「どうだ。私の顔に見覚えがあるか?」
 相手の問いに答えるまでもなかった。
(あのとき……)
広場の天幕から山賊のあとをつけた、あの夜に出会った……
(あのときの女、騎士……)
 騎士たちから逃げるさなか、背後から打ちかかってきた相手を手刀で気絶させた。それが女であったことも驚いたが、月明かりのもとで見たその顔を、簡単に忘れるはずもない。
(何故オレを……オレは顔を見られてはいないはずだ)
 レークは、じっと相手を見つめながら、考えをめぐらせた。
(もしも、オレがあの時の奴だと知れたら、オレが騎士たちに追われていたことも知られるわけで、)
(そうなると捕まって、面倒なことになるな。悪くすりゃ、拷問の果てに消されるなんてことも……)
 女騎士はぎゅっと口を引き結んで、鋭くこちらを睨んでいる。
(さて、どうしたもんか。気を失ってりゃ、たいそうな美人なのにな……)
「どうなのだ。私に見覚えはないかと聞いている」
「見覚え……ねえなあ。あんた誰?」
 とにかく、今はしらをきるのに徹したほうがよい。レークは内心の逡巡を悟られぬよう、へらへらとした笑みを浮かべてみせた。
「よく見ろ!」
女騎士がその身にまとっていたローブを脱いだ。その下から白い騎士の正装が現れる。
「この姿だ。あの夜に会ったときと同じ。あれはお前ではないのか」
「あの夜……」
 レークは腕を組んで、考え込むふりをすると、ぽんと手を叩いた。
「ああっ。もしかして……あんたは!」 
「思い出したのか?」
 はっとしたように身を乗り出す女騎士に向かって、レークは大きく両手を広げた。
「あの夜か……思い出したよ。あんた、宿で一夜をともにしたシェリルだな。いやあ、そんな騎士のかっこうしているから分からなかったよ」
「な、なに……?」
「どうしたんだ?こんなところまで、オレを追っかけてきたのかい。やあ、まいったな」
 すっと近づいて女騎士の体を抱こうとする。
「ああ、会いたかったよシェリル。またあの熱い一夜を、君と過ごしたい……」
「な、何をする」
女騎士は慌てたようにとびすさると剣を引き抜いた。その顔が真っ赤に染まっている。
「無礼な!こっ、この、不埒ものが」
「あれ……シェリルじゃないのか?」
「無礼者。わ、私を誰と心得る?」
 眉をつり上げる相手を見て、レークは首をかしげた。
「んじゃ、誰ですか?」
「くっ……。も、もうよい!」
 いかにも汚らわしいと言うように、女騎士はこちらから目をそむけた。
「とっとと立ち去れ。このならず者が」
「へいへい。それじゃ失礼しまさあ。お綺麗な騎士さん」
 内心で「助かった」と、安堵しながら、レークは飄々と馬車の横を通り抜けた。
路地の暗がりに浪剣士が消えてゆくのを、女騎士はなんとも言えぬ顔で見つめていたが、ひとつ息を吐くと御者席に向かって声をかけた。
「ローリング」 
すぐに帽子の男が馬車から降りてきて、うやうやしく礼をした。
「どう思う?」
「そうですね。ここからでは奴の表情はよく見えませんでしたので……なんとも」
「やはり人違いか。しかし、別人のふりをしていたとも考えられるが」
「奴の試合をご覧になって、その男だとはお気づきにはなりませんで?」 
「はっきりとは……わからぬ。なにしろあの夜も、気を失い、起き上がった時にはもう、やつは走り去っていたから。ぼんやりと姿は見た気がするのだが……それもおぼつかぬ。だからこうやって、わざわざそれを確かめに来たのだ」
「では、仕方ありませんなあ」
 男の返事が気にいらなかったのか、女騎士はむっとしたように言った。
「騎士たちによると、そやつには闇討ちの現場を見られていたとか。このまま捨ておくわけにもいかないだろう」
「そうですが……しかし、昨日の段階で、どうやらほぼ全ての間者は消したはずです。ということは、今になって枝打ちの事実が外部にもれても、さして問題ではないかと……」
「あの夜、私はその者に気を失わされたのだぞ。あんな屈辱は初めてだ」
「それは、うかがいましたが」
「お前は、私の受けた屈辱などは瑣末ごとであると、そう言いたいのか?」
「いえ、けっしてそういうわけでは……」
「ふん……まあいい」
脱ぎ捨てたローブを羽織ると、女騎士は足早に馬車に乗り込んだ。
「お戻りになりますか?」
「そうしよう。こんな所で私たちの姿を誰かに見られるのもまずい」
「ですな。お互いこのフェスーンでは広く顔を知られてますし」
 男は御者席に座り手綱を取った。
「途中でオードレイをひろっていかなくてはな」
「かしこまりました」
 ゆるやかに馬車が動きだす。
 革張りの座席で足を組みながら、女騎士は手綱を取る男の背中に向かって言った。
「ところでローリング、その髭は、お前には似つかわしくないな」 
「これは手厳しいことを。しかし、どうか明日までは辛抱して下さい。明日が終われば、我々の任務も終わりですから」
「そうだな……明日が終われば」
 その顔にいくぶん疲れの色を覗かせて、女騎士はつぶやいた。
「長いようで短いものだ。剣技会のお祭り騒ぎも」
「ですな」
「しかし……あの、レーク・ドップと申すもの。まったく下品なならず者だな」
また思い出したように、その形のよい眉をつり上げる。
「浪剣士というのは、皆あのような輩なのか。言葉もきたなく、ふるまい、歩き方までひどく野蛮そうだ。間違っても、あのような者が宮廷騎士などになってもらっては困る」 
「そうですな」
「明日の槍試合では、私は全力であの者を打ち倒す。あんな者がこの大トレミリアの剣技会で優勝するなどということは、国内のみならず、近隣国に対してもいい恥さらしだ。宮廷の騎士で残っているのはブロテと、お前、そして私だな。いずれかであやつを負かすことができよう」
「自信はありませんが、全力を尽くしましょう。剣ならばともかく、槍試合ならあるいは勝機があるかも知れない」
「それは、お前にしては頼りない言い方だな」
「それはそうですよ。クリミナ様もご覧になられたはずです。あいつの戦いぶりを。ヒルギスを相手に、剣を叩き折るなんて芸当をしてみせた。私は自分の実力は知っていますからね。馬上槍試合での実力からいって、一番奴に勝てる可能性があるのは、ビルトールだと思いますが……」 
「ビルトールか……そういえば、まだ奴も残っていたな」 
「ビルトールは四回戦で、えらく血なまぐさい試合をして間者を殺しました。しかも、その後でわざわざ兜を脱いで観衆に顔を見せてしまった。よせばいいのに。これでまたやつの人気は落ちましたよ。反対に『兜をつけぬ剣士』の人気たるや、いまやうなぎのぼり。聞いたところでは、町の賭け率は一番がブロテで、次がそのレーク・ドップだそうで……」
「そうなのか」 
「ええ。まあ、私とクリミナ様が顔を隠して、正式には出場していないことになってますからな、そうなるのも仕方ないですがね」
「だが、どちらにしても……」 
 馬車窓から暮れなずむ紫の空を眺めながら、女騎士はふっと息をもらした。
「やはり、我々のうちの誰かがやつに勝たないとな。浪剣士風情が優勝するとあっては、このフェスーンの市民たちに対しても、われら宮廷の騎士としての面子が立つまい。もっとも、馬上槍試合は貴族のたしなむ武芸。ならず者などが簡単にこなせるものではないだろうが」
「そうですね」
「それから、これはオライア公に言われたのだが、宮廷側としては、なるたけ賞金を他国ものには払わず、少しでも不審なものは宮廷内に入れたくないらしい。しかも、間者やその他の輩どもを間違いなく明日までに排除すること。それら全てを、我々の責任において果たさなくてはならない。これも元はといえば、レード公が剣技会の優勝者を宮廷騎士にするなどという、馬鹿げた提案をなされたせいだが」
「めずらしいですな。クリミナ様がぐちをおっしゃるのは」
「まあね……」
 女騎士は自嘲ぎみに薄く笑った。
「それに、お前の所のオードレイにも、こんな危険な役をやらせてしまって」
「いいんですよ。あの娘は好奇心旺盛で、何にでも首をつっこみたがる。今回の件にしろ、クリミナ様のためだとひと言申したら、頼まれもせぬのに自分から、この任務を買って出たものですよ」
「彼女には、後で花でも贈るとしよう」
「喜びますよ……しかし、姫は女性にもおもてになりますなあ」
「その呼び方はよせ、ローリング」
「これは失礼を……」 
 手綱をとりながら男が頭を下げる。
 夕暮れの裏通りを、馬車は静かに走り抜けていった。


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