水晶剣伝説 T〜トレミリアの大剣技会〜
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  剣技会二日目 

 トレミリアの大剣技、その二日目の朝が来た。
 今日も晴天に恵まれ、朝の二点鐘が鳴り出すか鳴り出さぬかのうちに、人々は待ちきれぬように、円形闘技場のある中州へと押し寄せていた。
 これまでに勝ち残っている剣士は、長剣の部が九十名、レイピアの部が七十名ほどであった。これから昼の半日鐘までには、二回戦のすべてが行われ、午後には引き続き三回戦、四回戦が行われる。そこで明後日の決勝トーナメントへと進む、十六名が決まるのだ。
 三点鐘が鳴り響くと、試合場には高らかにトランペットが吹き鳴らされた。
 昨日と同じく、闘技場では四カ所の試合場では、朝からさっそく激しい戦いが始まっていた。鋭く打ち鳴らされる剣の響きに客席の喚声が重なり、まだ肌寒い場内に熱気が満ちてゆく。
「ヒルギス!ヒルギス!」  
「ブロテ!」 
 市民たちにとくに人気の騎士が会場に登場すると、その歓声はひときわ大きくなった。きらびやかな鎧を着込んだ貴族騎士たちは見た目も優美であったし、一般の剣士に比べてずっと目立つ存在であったから、彼らへの声援が多いのも当然であった。
「次、十六番と百五十番」 
 昨夜は宿へ戻ってたっぷりと眠り、たっぷりと食べた黒髪の浪剣士は、待ってましたとばかりに、ひらりと柵を乗り越えると、颯爽と試合場に躍り出た。すると、客席からは大きな歓声が上がった。昨日の試合で、ロイキーンを打ち負かしたこの浪剣士は、人々の目に強い印象を残していたのである。
「おや、どうもどうも。まいったね、一日にしてこんなに人気者になっていたとは」
 当然のように今日も兜をかぶらず、そのぼさぼさの黒髪をあらわにして、レークは客席に向かって手を振った。
 二回戦の相手というのはかなりの大柄の剣士だった。古めかしく頑丈そうなヘルムをずしりとかぶり、鎧には数々の歴戦を示すような戦いの傷がいくつも残っている。ヘルムの下に見える顔は、鷲鼻のいかつい面相で、血走った目がぎらぎらと物騒に光っている。
「ま、よろしくな、でかいの」 
 恐れる風でもなくにやりと笑いかけると、レークはすらりと剣を抜いた。
「両者、構え」
 開始を告げる審判の声と同時に、相手はその巨体を揺するようにして猛烈に突進してきた。
「うおっと」
 丸太のような腕をから、片手で軽々と長剣を振り下ろしてくるのを、レークは後ろに下がりながらひょいと巧みによけた。ぶんぶんと、空気を裂く音が耳元で鳴る。
「おおこわ……一発当たったら、いくらにオレの石頭でも二つになるな」
 へらず口をたたきながら、相手の動きを見つめる。あの強打をまともに剣でうけたら、刃先が折れるか、腕がしびれて剣を落としてしまうだろう。
(打ち合うのは、ちと危険だぜ)
 相手剣士はまた、吠えるような怒声を上げながら、猛然と剣を振り続けてくる。レークは右に左に、そして後ろにと、相手の攻撃を器用に避ける。いまだ一太刀も返してはいなかったが、その視線は相手の姿から、一瞬も離されることはなかった。
「おいおい、逃げてるだけじゃないか!」
「やっぱりロイキーンに勝てたのはまぐれだったのか」
「まともに戦え!」
 客席からの野次にもレークは冷静だった。
 試合場を回るようにして攻撃をかわしているうちに、しだいに相手の剣の振りが鈍くなってくるのが分かった。それを待っていたのだ。
(だいぶ疲れてきたようだな)
 頃合いを見計らって、レークはぴたりと動きを止めた。巨漢の相手剣士は、もう逃がさぬとばかりに両手を広げて、木柵の隅にレークを追い詰める恰好になった。
「きな、でかぶつさん」
 にやりとするレークを見て、相手は激昂したのか、大きな声とともに剣を振り上げる。
「おおおっ!」
 兜のないレークの頭上めがけて、剣先が叩き落される。
 観客が息を飲む。血しぶきと脳しょうが無残に飛び散る様を、人々は想像したに違いない。
 レークは素早く懐に飛び込んでいた。相手の剣が打ち下ろされるより早く、股をめがけて膝蹴りを叩き込む。
「ぐあっ……」
 低い叫びとともに相手がバランスを崩した。そこへすかさず足払いをすると、巨体がぐらりと前のめりに倒れ込んだ。
「おっと」
 ひょいとよけたレークの横に、男の体がどうと倒れ込んだ。
「おい審判、見ろよ。剣が手から離れてるぜ」
「そ、それまで。勝負あり!」
 審判が勝敗を告げると、レークは肩をすくめて見せた。
「やれやれ、逃げるだけで勝てちまうとは、これなら剣がなくてもよかったな」 
 あっけにとられたように客席は静まり返り、それからどよめきが上がった。剣の試合というよりも、ほとんど見せ物に近かったが、一度も剣を振ることなく勝利してしまったこの剣士を、観客たちはどう賞賛すべきか、まだ分からぬようだった。
 客席のざわめきをよそに、レークは涼しい顔で試合場から降りた。そこに声をかけてきたのは、山賊のデュカスだった。
「よう、見事なもんだな」
「おお、あんたか」
「力まかせに剣を振ってくる相手を疲れさせて、追い詰められたフリをして、相手の懐に飛び込むなんてな、なかなかできないぜ。ほんものの達人か、あるいは……命知らずかでないとな」
「そりゃまた、けっこうなお褒めの言葉をどうも」
 レークはいたずらそうに片目をつぶった。この山賊が何者であるのかはっきりしないうちは、あまり余計なことはもらさぬようにと、昨夜もアレンと話したところだった。
「お前さんの方も、まあガンバレよ。その山賊仕込みの剣の腕でな」
「ああ、山賊らしくな。少々荒っぽくても、勝てばいいのさ」
 もじゃもじゃの濃いひげを撫でつけながら、デュカスは獰猛に歯をむき出した。互いに相手の謎を見透かそうとするかのように、二人の目が一瞬鋭く見交わされた。
 休憩をはさんで午後からは三回戦が始まった。
 試合場には打ち鳴らされる剣の音が響きと、悲鳴と喚声とが混じり合った。勝ったものは観客の前で勝利の名乗りを上げ、見事な戦いをしたものにはゲオルグの賛歌による祝福を受けた。敗れたものは負傷して運び出されたり、あるいは悔しがりながら静かに会場をあとにする。こうして、次々に試合が戦われ、勝者と敗者が分けられてゆく。
 そんな中、レークの三回戦は、意外にも正統的な戦いになった。
 相手がそれなりに腕のたつ剣士だと知ると、奇作をたてることをやめ、相手の剣をしっかりと受け止めてから的確に攻撃を行うという、しごくまともな戦い方をして見せた。刺激的な戦いを期待していた観客たちは、いくぶん期待が外れたように試合を見つめていたが、やがてすぐに感嘆のため息を上げることになった。
 相手剣士の突きよりも二倍も速く打ち込み、三倍も手数が多いすさまじい攻撃……それは誰も見たことがないような、おそるべき早業であったし、リズミカルなほどのステップと軽やかな剣の動きは、まるで曲芸師のようだった。
「そらよっと」
 たまらず隙を見せたが最後、相手の剣が空中高くはじきとばされた。
 審判がレークの勝利を告げたとき、客席の人々は立ち上がり、興奮気味に手を叩いた。今度は誰もが迷いなく、この「兜をつけぬ剣士」の腕前を称賛したのである。

 闘いの続く闘技場の裏手に、林に囲まれた小さな丘がある。
 闘技場前の広場では、レイピアの部の試合が、こちらも多くの観客たちの歓声に包まれて行われていたが、その広場を見下ろす丘の上に、白銀の鎧に身を包んだ騎士がひとり立っていた。騎士の顔は、銀細工の見事な装飾の施された美しいサリットに隠されていたが、全身にただようその優美なたたずまいから、それが位の高い貴族騎士であることを物語っている。
「……」
 灌木の隙間から、眼下にあるレイピアの試合場を静かに見つめていた騎士は、ふとなにかの気配を感じたのか、その白いマントをなびかせて振り返った。
「……ローリングか」 
 丘を上ってきた姿が木々の間から現れるや、騎士は低くその名を呼んだ。
「ローリング」
「はい。大丈夫です。つけられてはいません」
「待ちかねたぞ」
「申し訳ありません。つい、試合を見るのに熱中してしまいまして」
戦士を思わせる体格のその男は、うやうやしく頭を下げた。その様子には、明らかに自分より身分の高い相手への敬意が込められている。
「試合を?」
 白銀の鎧の騎士は意外そうに声を上げた。
「ほう、おまえがか。おまえほどの使い手でも、人の試合が気になるか」
「おそれいります」
「まあいい。それより……どうだ?そちらの方は」
「はい。おおかた順調に」
「私の方も予定通り。二人やった」
 騎士は手袋をしたその指を、数えるように突き出した。
「きのうのと合わせて三人か。これで……だいたい目星をつけた者は消えたな」 
「はい。さすがでございます」 
「うん。あとはビルトールの方だが……」
「奴はモランディエル伯の直属ですからな。こちらからはあまり口を出せませんな……」
「ち、やっかいだな。同じ騎士団にいながら、まともに相談もできないとは」
 いくぶんその声のトーンを高くする、鈴の音のような美しい声である。
「その分、私めがしっかり見ていましょう。それが自分の任務ですから」
「頼む。それから、そちらはそろそろ四回戦だったな。組み合わせの方はどうだ?」
「その辺はぬかりありませんが、ただ……」
「どうした」
「はあ、実は、少し気になる奴がいまして」 
「ほう。どんな者だ」
「相当腕の立つ男です。見たところ……ただの旅の剣士なのは確かなようで、最初は間者ではないかと疑いもしましたが、どうもそうではないようです」
「ほう……おまえが見ていたというのは、その男の試合なのか?」
「そうです。実に、見事な剣技でした。我が宮廷にもあれほどの使い手がいるだろうかというほどの」 
「お前がそれほど言うのだから、大した剣士なのだろうな。それで、その男の名は?」
「レーク。レーク・ドップと申す浪剣士です」
「浪剣士か……」 
 騎士はゆっくりと、その名を口の中でつぶやいた。
「レーク・ドップ」
「それから確か、その男の相棒の方がレイピアの部に出ているはずです。そちらはアレンという名の、相当な美貌の男ですが……」
「アレン……。知っている。私はちょうど先程、その者の試合を見ていたところだ」
「そうでしたか」
「うむ。あれは実に見事な腕前だった。いや、恐るべき使い手といってもよい。あれほど優雅で、しかも鋭いレイピアさばきは見たことがない」
 騎士はなにごとかを考えるように腕を組むと、
「そうか、そのレークというものは、あの金髪の者の相棒か……」
 ややあってから言った。
「……ローリング」
「はい」
「次の私の試合までまだ時間がある。私は、そのレークという男の試合を見てみたい」
「分かりました」
「もしかしたら……その者が、私の探す男かも知れないしな」 
「それでは、その試合を早めにとり行えるように、なんとか都合してまいりましょう。席のこともありますので、ここでまたしばしお待ちを」
 そう言って一礼すると、男は早足に丘を下りだした。用心深く辺りを見回してから林を出ると、そのまま急ぎ足で闘技場の方へと走ってゆく。
 陽光のもとに現れたその顔……それは、長髪を束ねた髭づらの山賊……デュカスのものだった。

 闘技場では、これから四回戦が始まろうとしていた。
 試合場を四つに区切っていた木柵が取り除かれ、これからは一試合ずつが時間無制限で行われる。いうなれば長剣の試合のメインイベントであった。
「それでは、これより四回戦を始める。これに勝ち抜いた者は、明後日の馬上槍試合への出場が認められることになろ。心して戦われよ!」
 貴族席からオライア公爵が宣言すると、満員の観衆からは、待ってましたとばかりに拍手が沸き起こった。
「それでは四回戦の最初の試合……二十一番、百五十番!」 
「なんだって?」 
 いきなり自分の番号を呼ばれ、レークを驚いて審判を振り向いた。
「おい、ちょっとまて。オレはさっき試合してから、まだほんの半刻とたっちゃいないんだぜ。なんでそれが一番はじめに……」
「組み合わせと試合の順番は抽選にて行われた。文句を言われるすじではない」
「なんだと。おい、てめえ……」 
「異存があるなら、やめてもかまわん。試合放棄とみなして相手の不戦勝となる」
 そう淡々と告げられてはなにも言えない。ここで敗北してはなんの意味もない。
「……くそ。分かったよ。やりゃあいいんだろ。ちくしょう」 
 悪態をつくと、レークは剣を手に大股で試合場に進み出た。 
「百五十番、兜は?」 
「いらねえってんだよ。そんなもん!」
 相手剣士が試合場に現れると、客席からは、にわかに大きな歓声が沸き起こった。
「ヒルギス!」
「ヒルギス!」
 レークは思わす客席をを見渡した。試合場を取り囲む客席の前後、そして左右から、その名を呼ぶ声が響いてくる。
「なんだなんだ、有名なアイドルでもやってきたのか?」
 向かい合って立つ相手を見ると、きらきらと輝く銀の鎧と、美しいサリットに身を包んだ、これもまた優美な騎士であった。銀の鎧には鷲をあしらった紋章が施され、鎧の下に覗くコットにも優美な刺しゅうが見えている。すらりとしたその立ち姿には、いかにも貴族らしい気品に溢れている。先日戦ったロイキーンという騎士と同じか、それ以上にきらびやかな雰囲気であった。
「ヒルギス!ヒルギス!」
 人々の声援に手を振って応える姿などもじつに優雅である。そして人気のみならず、タードラン伯爵ヒルギスは、トレミリア宮廷でも五本の指に入るといわれるほどの剣の名手であった。
「面白くねえな」
 レークのつぶやきが聞こえたのかどうか、相手騎士はサリットの面頬を上げた。そこに現れたのは白い肌に青い瞳をした、想像通りの美青年である。
「君、今までよくも兜をつけずに戦って勝ち残ったものだな。感心……というかあきれたものだ」
「どうも。貴族さま」 
 レークはいくぶん口をゆがめて答えた。
「どうせね、誰もオレには傷ひとつ付けられないんだから、兜なんてあってもなくても同じなんですよ。へっへ」
「面白い」
 そう言うと、騎士はおもむろに、自分の兜の留め金をはずし始めた。
「ならば、私も兜なしで勝負しよう」
 ブラウンの巻き毛をあらわにし、サリットが地面に放り出される。すると、客席からはどっと大きな歓声が沸き上がった。
「あらら……いいのかい。そのおきれいなお顔に、傷がついたら大変ですぜ」
「心配無用。この私の体に触れることができるのは、伝説の剣士ゲオルギウスだけだ」
「へっ、面白え。ならば手加減ぬきでいきますぜ、ってんだ」
 試合開始の合図とともに、兜をつけぬ二人の剣士が対峙した。
 レークは右手に剣を立てて構え、左手をだらりと下げた我流の構えで、一方のヒルギスは、両手に構えた剣の先を相手に向けるという正統的な姿勢をとった。
(なるほど。言うだけあるね。なかなかできるようだ)
 慎重に足場を移動すると、正対するヒルギスもそれに合わせるように動き、二人は半円形を描くように、じりじりと動いてゆく。
 しばらくは、互いに相手との間合いをはかる、静かな戦いが続いた。ざわめいていた客席はいつしか静まりかえり、この勝負を食い入るように見つめている。
 ゆるやかに時間が流れてゆく。ただし、対峙する二人は緊張の中にいて、きっとその背中にはじっとりと流れる汗を感じていたに違いない。
「さてと、そろそろいきますかね」
そうつぶやくと、唐突にレークが動いた。剣先をまっすぐに振り上げて、まともに打ち込む。 
「くっ!」
 騎士は正面から剣を受けた。カシーン、と高い音が響き渡る。
まるで、それが合図だというように、それまでの静寂を破って、二人は激しく剣を打ち合い始めた。
 レークは、目にもとまらぬ速さで次々に剣を打ち込んでゆく。だが、正統な剣技では引けをとらぬとばかりに、ヒルギスはその全てを剣先で受け止めた。
「おおっ」
「さすがヒルギス!」
 客席から声が上がる。
「ほっ、なかなかやるね。貴族さまにしちゃ」 
「当然だ」 
 貴公子はその顔をやや上気させて、薄く微笑んだ。レークもにやりとして相手を見た。
「いくぜ」
 再び打ちかかる。ガシッ、ガシッと、鋭く剣の合わさる音が、続けざまに場内に響いてゆく。
 二人の戦いが激しさを増すにつれ、観客の興奮も高まってゆく。どちらかの攻撃のたびに、大きな歓声とため息、そして拍手とが起こってはまた静まる。
「いいぞう!」
「すごい勝負だ」
「行け、ヒルギス!」
 一等席の貴族たちも、一般の観客たちも、みな等しく熱気に包まれて、その声を張り上げ、手を叩く。その貴族席の中央あたり、特等席といってよい上流の貴族たちの座る席のひとつで、じっと試合を見つめる白銀の鎧姿があった。
「気のせいか……しかし、まさかな」
 その騎士のつぶやきを、隣に座るオライア公爵が聞きとめた。
「どうしたのかな?」
「いえ、あるいは、ただの偶然かもしれませんが……」 
「なにがだね?」
「私には、あの浪剣士は……どうも、」
 公爵の方ををちらりとも見ずに、白銀の騎士はつぶやくように言った。
「つまり、先程からヒルギス伯の剣の真ん中を、あえて狙っているように見えるのです」
「ほう。つまり、おぬしはあの剣士が、わざとヒルギスの剣ばかりを狙っているとでもいうのか?」
「いえ……あるいは、ただそう見えた気がするだけです」
 騎士は小声で言った。すぐ隣にいるオライア公にしか聞こえぬほどの声であった。
「しかし……そんなことをして、どうしようというのか。いいえ、やはり偶然でしょう」
「ふむ」
 その騎士は、公爵とはよほど近しい間柄であるのだろう。フェスーン宮廷の重鎮であり王国の宰相であるオライア公と、直接に言葉を交わして平然としていられるというのは、並大抵の貴族ではありえない。
「……」
 白銀の鎧の騎士は、もう言葉を発することなく、試合場の戦いに見入っていた。横に座る公爵もまた、試合場に視線を戻すと、さらに興味を持ったように、この戦いを見つめるのだった。
 二人の戦いは、いよいよ激しさを増してゆくようだった。
 序盤の探り合いとはまるで異なり、休むことなく攻撃し合い、また体を入れ換えると、二人はすぐに剣を打ち込んでゆく。幾度となく剣が打ち合わされ、その甲高い音が絶え間なく場内に響きわたる。いったいどちらが勝つのか、もはや見ている誰にも分からなかった。二人の攻防は、まったくの互角に見えた。
「ふう……さてと」
 たてつづけに攻撃を仕掛けて、さすがに息が切れたのか、レークは攻撃を止めて大きく息をついた。だが、次に、彼は奇妙な行動に出た。
「何のまねだ?」
 ヒルギスが怪訝そうに声を上げる。
 レークはまっすぐ相手の正面を向くと、無防備に剣を下ろし、そのまま両手をだらりと下げていた。
「いやあ、攻撃するのに疲れたんで、こんどは防御に回ろうかと思いまして……」
「なんだと?」
「どうですかね。あんたの強烈な一撃で、客席を沸かせてみては」
「ふざけたことを……」
 騎士は眉をつり上げると、両手に剣を握りしめた。
「よし。では、望み通りにしてやろう」
 気合いの声もろとも、上段から打ちかかってくる。
 その剣をレークは避けなかった。正面を向いたまま、自分の剣を地面と水平に構える。あとはただ、打ち下ろされる相手の剣の一点を見据えて、
「……ここだ!」
 ガガッ、キーン 
 剣のぶつかり合う大きな響き。
「くっ」
 顔をこわばらせながら、騎士はもう一度、剣を振り上げようとした。
 だが、それはできなかった。
「なっ」
 客席から「おおっ」と、どよめきが上がる。
 ヒルギスの剣から、剣先がはじき飛んだ。剣は、真ん中から真っ二つに折れていた。
「馬鹿な……」
 レークはその隙を逃さない。獣のような俊敏さで飛び込むと、すかさず横凪に剣をふるった。
「うっ」
 ヒルギスは、先のなくなった剣でかろうじてそれを受け止めるが、それが限界だった。とどめを刺すべく、レークの剣が頭上から打ち下ろされる。
 客席の歓声が悲鳴に変わった。
「あ……ああ」
がくりと膝をつくヒルギス。その口から呻きが漏れた。
 一瞬の静寂が場内を包む。振り下ろされたレークの剣は……騎士の頭上、ぎりぎりでぴたりと止められていた。
「ま、こんなもんだろ」
 ぱちりと剣を鞘に戻すと、レークはぺろりと舌を出した。
「あんたをやっちまうと、お客を全員敵に回しそうだからね……」
「そ、それまでっ!百五十番の勝ち」 
 審判から勝利を告げられたレークは、客席に向かってひらひらと手を振ってみせた。
「なんて早業だろう」
「あのヒルギスを倒すとは……」
「それに見たか、あのヒルギスの剣を、たたき折っちまった……」
 観客のざわめきは、しだいに賞賛の歓声へと変わっていった。やがてあちこちから拍手が起こり始め、それは徐々に大きくなり、ついには闘技場全体に広がっていった。
「おぬしの、言ったとおりだったな」 
 宮廷貴族の代表でもあるヒルギスの敗北を目の当たりにして、貴族席はいくぶん呆然としたように静まり返っていた。
「あの黒髪の浪剣士…」
 オライア公爵は、その髭を撫でつけながら、勝ち名乗りを上げる剣士を見つめていた。
「ヒルギスの剣のただ一か所を、傷がつくまで執拗に攻撃し、最後は相手が振り下ろした剣の力を利用して、そこに垂直に当たるように受けたのだな。もし、それがすべて計算してのことだとしたら、これは大変な剣士だな。剣を折られたヒルギスにすれば、さぞ屈辱だろう。のう、宮廷騎士長どの」
「でしょうね」
 公爵の横にいる白銀の鎧兜の騎士は、軽くうなずくとそのまま立ち上がった。
「もうゆくのか」 
「これから、私もレイピアの試合が残っていますので。それでは、失礼いたします」
 白銀のサリットを深くかぶり直すと、騎士は素早く客席を下りていった。
 誰もが勝ち残ると思っていたヒルギスが敗れたのは、人々にとってはまったくの予想外だったが、同じく人気騎士である、ブロテは順調に四回戦を勝ち抜いていた。
 その他にも、もう一人の貴族騎士が勝ち残っていた。宮廷騎士のビルトールは、最近めきめきと腕を上げてきた若手で、剣の実力はヒルギス、ブロテに続くとも言われている。ただし、彼は市民たちにはあまり人気がなかった。というのは、美男の貴公子ヒルギスや、いかにも戦士らしく勇猛なブロテに比べると、彼の見かけは貧相なただの痩せ男だった。それにその戦いぶりも、相手の腕を執拗に狙い、剣をまともに握れなくしてから、鎧の隙間から剣を突き刺して深手を負わせるという、なかなか陰湿なもので、見るものをげんなりとさせた。
 四回戦を勝ち抜くとなると、相当の腕前がないと不可能なはずであったが、名のある騎士や剣士たちの中で、他にも荒くれた門外漢が残っていた。山賊のデュカスは、その汚らしい容姿から誰からも期待も歓迎もされていなかったが、試合においてはじつに実戦的な戦いで勝利を重ね、ついに馬上槍試合への出場権を勝ち取っていた。客席からは、「山賊風情が馬上槍試合をこなせるものか」などと、嘲笑まじりの野次が飛んだりもしたが。ともかく、浪剣士のレークとともに勝ち上がり、実力派の大穴として賭けをにぎわせていた。
 一方、闘技場外の広場では、夕日を浴びるフェスーン城の見事なシルエットを背景に、レイピアの部の試合が行われていた。
「それまで。百二十二番の勝ち!」
 審判が勝利を告げると、客席の人々からため息のような声がもれた。
「なんと……見事な」
「このような美しいレイピアさばきは、ついぞ見たことがない」
 だが勝利したその剣士は喜ぶ様子もなく、ただ静かに細身の剣を鞘に収めた。その兜が外されると、客席の女性たちはすぐさまうっとりとなった。
 兜の下に現れたのは、信じられぬほどの秀麗な顔であった。たったいま試合をしたとは思えぬような、その白い額には汗ひとつ見せず、輝くような金髪を優雅にかき上げるさまは、まるで高貴なる貴公子であった。
「素晴らしい……芸術のような剣さばきだ」
「おい、あれはいったい、どこの貴族の公子さまなんだ?」
「ばか。ただの旅の剣士って話だぞ」
「そっちこそ嘘をつくな。あんな綺麗な浪剣士などがいるものか」
 ざわめく観客の間をかきわけ、女性たちからの熱い視線をその身に受けながら、軽やかな足どりで試合場を去ったのは、むろん、浪剣士レークの相棒……金髪の美剣士、アレンであった。
 市壁の向こうにアヴァリスがすっかり沈んだ頃、ようやくすべての試合の決着がついた。
 剣士たちは、松明の焚かれた広場で、観客たちと一緒になって酒を飲み交わし、勝ったものも負けたものも、愉快に声を上げ、笑い合い、それぞれにやけ酒や、あるいは勝利の美酒に酔ったのだった。試合の賭でひと儲けした者は、酒や食べ物などを豪気に周りにふるまい、人々は、自分の見込んだ剣士が見事に勝ち上がったという自慢話や、自分の知り合いが出場して何回戦まで勝ったとか、あの剣士に賭けて失敗したとか、腕の立つ剣士を見つけたというような話題を肴にして、大いに盛り上がった。夜の八点鐘を過ぎても、闘技場前の広場では、あちこちでそのように宴会が続けられていたので、見回り役の騎士たちも、今日ばかりはさほど厳しく取り締まることはしなかった。
 そんなこんなで、レークが町の宿に戻ったのは、だいぶ夜も更けてからだった。
「おお、アレン、今帰ったぞう……」
 しこたま酒を飲んで、おぼつかない足どりで階段を上ってふらふらと部屋に入ると、剣の手入れをしていたアレンがちくりと嫌味を言った。
「遅かったな。自分の勝利を祝って飲み過ぎたか?」
「ああ……まあ、それほどでも。八分目で切り上げてきたっス」
「そのわりには、たいそう酔っているみたいだが」
「んなでもねえよ。だがさすがに……ふあぁ」
 大きなああくびをすると、レークは長椅子にどかりと腰を下ろした。
「今日は疲れたなあ。久々だぜ……こんなに剣を振るったのは」
「命懸けの試合の後で、それだけ酒が飲めれば、それはそれで立派なものだ」
「おう。勝利には酒。敗北にも酒。どちらも美味いし、酔うことに変わりはない。もちろん、俺は勝利の美酒の味しか知らんがな」
 いかにも気楽そうな調子に、アレンはいつものように苦笑した。
「まあなんにせよ、順調のようだな。ここまでは」 
「あたぼうよ。貴族のぼっちゃん騎士なんぞに負けるオレじゃないわい」
「ふむ。これで俺とお前のどちらかがうまく優勝できれば、予定通りというものだが」
「するさ。オレが。このレーク様があ!」
「まあ、勝つのは俺でもお前でも、どっちだっていいんだが」
 手入れの終わった剣を丁寧に鞘にしまうと、アレンは少し口調を変えた。
「ところで、あの山賊は勝ち残ったか?」
「デュカスか?ああ、奴はけっこう使えるみたいだな。まあまあの試合ぶりだったぜ。むろん俺には劣るがな」
「そうか。では他に、勝ち残っている中で、このトレミリアの貴族騎士はいるか?」
「騎士ね。ええと……ヒルギスって野郎は、オレが見事に剣を折って負かしてやった。それからブロテとかいうでかい奴が勝ち残っていたな。まあまあの使い手だ。あとは、もう一人いたな。けっこう陰険な戦いをしたやつだ。相手の急所に深手を負わせて……ありゃ相当な重傷だな。かなり血が出ていたし、死んだかもな」
「ほう……。そいつの名が分かるか?」 
「ああ。さっき酒を飲みながら、そのやせっこきの騎士の話も出てさ。腕は立つんだが、見かけの貧弱さと根性の悪さでもって、人気はまったくないっていう……確か、ええと、ビルトールっていったっけかな。宮廷騎士だってさ」
「ビルトール」
 その名を覚えるように、アレンはゆっくりとつぶやいた。
「ようアレン、それがどうかしたか?」
「別にどうもしないさ。さあ、今日はもう寝ろ。明後日は馬上槍試合だからな。充分に体を休ませておけ。また寝不足で試合をすることにならんようにな」
「ああ、そうするワ。さすがに眠くなってきた。ふああ……あ、そうだ」
 レークはあくびついでに思い出したというように、
「オレは明日はデートなんだった」
「ほう……誰とだ?」 
「広場で出会った町娘とだよ」
「そうか。気をつけろよ。お前は気軽に女と付き合って、ろくな目に会ったためしがないからな」
「へん。ひがむな。そういうお前はどうなんだよ」
「少なくとも、お前よりは女の扱いを知っているつもりだが」
「へっ、そうかい。ならこんなしけた宿屋じゃなく、どっかに女をめっけて、そっちで一緒に寝たらどうだ?」
「俺は、自分の為にならん相手とは付き合わないし、つまらぬ女と余分な時間を過ごしたいとも思わない。だから、いっそ無駄な出会いなどはないほうがいいと思っている。面倒が増えるだけだからな」
「ああそうかよ。俺はその無駄な出会いのためにな、明日はデートだよ。悪いか」
「だから、そういう軽々しい出会いには気をつけろと言っている」 
 アレンは怒るでもなく静かに答えた。だが、レークの方は、眉間に獰猛なしわを寄せた。
「余計なお世話だ。俺がどの女と付き合おうと、お前にゃ関係ねえだろう」
「まあそれはそうだ。ただ、その時に起こった面倒についてはそうではあるまい。今までだっていつも、俺にくだらん後始末を押しつけてきて……」
「ああ、わかった。わかりましたよ。せいぜい気をつけることにするさ。彼女に後ろからグサリとやられねえようにな。それでいいかよ」
レークはどしんと長椅子を蹴り飛ばした。
「できれば、さらにその女の身元を確かめ、裏がないか徹底的に調べるべきだな」
「なんだと……」
 かっと眉をつり上げたレークは、さらに何かを怒鳴ろうとしたが、口を歪めて相棒を指さした。
「……へっ。お前が女を作らねえ訳が分かったぜ。お前はいつだってそうだ。言い寄ってくる女にはことかかねえが、相手をするのは何らかの狙いがある時だけだ。そうでない時は、まるで相手を空気のように、自分の前には存在しねえみたいに扱うのさ。結局、他の人間は、町の娘も、宮廷の姫君だろうと、お前にとっちゃすべてが道具なんだよな。利用できるものは利用し、そうでないものは無駄だから無視する。ああ、ご立派だよ。オレにはマネができませんよ。勝手にしやがれだ。オレはオレで勝手にするさ」
 そう言って、レークは寝台に飛び乗ると、頭から毛布をひっかぶった。
「そうか……」
 わざとらしいいびきを立て始めた相棒を見つめ、
「……確かにな。お前の言う通りだよ」
 アレンは聞こえるかどうかというほどの小さな声でつぶやいた。
「俺は無駄なことはしない。少なくとも、何かの理由がなくては行動はしない。しかし、だからこそ、とりかえしのつかぬ間違いをしたり、無益な結果に嘆くこともない。それが分からぬというなら……いいだろう。勝手にするさ。お互いにな」


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