水晶剣伝説 T〜トレミリアの大剣技会〜
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  剣技会開幕

 川向こうの市壁の上から、輝ける太陽が顔を覗かせるのと同じくして、広場の剣士たちはあわただしくたたき起こされた。肌寒い早朝の空気の中で、天幕から追い出された参加者たちは、宮廷の大門前に集められると、参加札の番号順に整列させられた。
 騎士隊長のアルトリウスがずいと進み出て、左右に鎧兜の騎士たちを従え、通りのよい声で話し出した。
「さて、剣士諸君。ついに運命の朝が来た。これより戦いの時、すなわちトレミリアの大剣技会がいよいよ開催される。勇気と命の選択をする心構えはできたかな」
「おおっ」
 居並んだ剣士たちから猛々しい声が上がる中で、ひとりレーク・ドップはあくびをしていた。
「ふああ……昨日は遅かったんだ。もうちっと寝かせてくれてもいいだろうに」
「試合までには目を覚ませよ。不戦敗は困るからな」
 眠気まなこをこする相棒に、苦笑するアレン自身も天幕に戻ったのはほとんど明け方近くであった。だが、その端正な顔に寝不足の疲れなどはまったく見て取れない。彼はただ静かにその青い目を、剣士たちの列に走らせると、山賊のデュカスの姿をとらえ、それから片時もその視界から逃そうとはしなかった。
「さて、これからの予定だが、昼食のあと、朝の二点鐘とともに、諸君らにはすぐに移動を始めてもらうことになる」
 参加者の列を見回しながら、アルトリウスは、淡々と告げた。
「今日、明日の試合は、川を渡った中州の闘技場と外の広場で行われる。開会式とジュスティニアへの祈りの後、すぐに試合開始となるので、準備万端おこたりなきよう。尚、昨日の受け付け時にも申し渡したことであるが、今回の剣技会はレイピアの部と長剣の部に分かれて行われ、勝ち残ったものが明日の二回戦へ出場できる。三日目の休日をはさんで、いよいよ四日目が勝ち上がった剣士たちによる馬上槍試合とになる。馬上槍試合は、我々が立っているこの宮廷前広場にて行われ、おそらくは、国王陛下をはじめ、名のある諸公、それに姫君たちもご観覧になるであろう」
「おお、いいねえ。姫君たちの前で勇ましく戦って優勝ってのは」
 颯爽と馬にまたがり、槍を構えた自分の姿を思い浮かべる。
「姫君たちの前で華麗に落馬しないようにな」
「ぬかせ。お前こそ、レイピアへし折られて負けんなよ」
 二人はにやりと笑い合った。しだいに高まる戦いへの昂りが、眠気を吹き飛ばしてくれるようだった。
「それでは、諸君の健闘をジュスティニアに祈るものである」 
 アルトリウスがいったんの解散を告げた。小姓たちはただちに天幕を片づけ始め、剣士たちは朝食を受け取ると、それぞれに食事をとりはじめる。
「ちぇっ。また黒パンと燻製肉かよ」 
 行儀悪くパンを口にくわえながら歩くレークを、金髪の相棒が呼び止めた。
「なんだよ……んが」
「レーク。こっちへこい」 
 広場の隅まで来ると、アレンは低い声できりだした。
「ここなら、誰にも聞こえないな。昨日はあれからほとんど話ができなかったからな。必要なことだけは互いに知っておいたほうがいい」
 怪しまれぬよう世間話でもするような口調で、アレンは続けた。
「昨夜仕入れた幾つかの情報から、だいたいのいまの状況を分析してみた。俺の行動については簡潔に、重要なものだけを言うからな。周りから怪しまれぬよう、お前はそのまま食べながら聞け」
 パンをかじりながらレークはうずいた。
「まず、昨夜、俺とお前が二手に分かれた後、俺は山賊の後をつけて、宮廷内に潜入した。城門をくぐるのはちょっとやっかいだったが、まあなんとかなった。宮廷に入ると、山賊は迎えの騎士とともに馬車に乗った。その後を途中までつけてみたが、馬車が向かったのはどうやらフェスーン城の方角だった」
「おい、待てよ……んぐ」
 つっかえたパンをようやく飲み込むと、レークは相棒に訊いた。
「……てことは、あのデュカスの奴は、やっぱり宮廷の騎士どもとつるんでるってことなのか?」
「おそらく、そう思ってもいいだろう。ただ、あの山賊が騎士たちと、どのようなつながりで動いているかまではまだ分からん」 
「なんだ。じゃあ結局は、まだ何も分かってねえってことか」
「まあ待て。まだ続きがある。その帰りがけに手頃な騎士をまたうまく誘い出して、いくつかの情報を聞き出すことができた」
「おお、さすが」
「それによると、この大剣技会にはトレミリア国内と近隣の諸国から傭兵を集めるという重要な目的の他にもう一つ、剣技参加者を装って国内に潜入してくるだろう、他国の間諜を謀殺するという狙いもあるらしい」
「かんちょの謀殺?なんだそりゃ」 
 レークは首を傾げた。
「しっ、大きな声を出すな。間諜……つまり間者、スパイだ。これだけの大きな大会だからな。国中から腕の立つ剣士たちが集まる。その中に、他国からの間者が混じっていることは大いにありうるだろう。周辺諸国にとって、この国の内実を探るにこれだけの大きなチャンスはないからな。俺が聞き出した情報が確かなら、この大会で進行役を任された騎士たちは、怪しむべき剣士をその場で斬殺してもよい、という命令を受けているという」
「そりゃ、また……ぶっそうな話だな」 
「そういうわけだ。とにかく気をつけろ。なるべく疑いを持たれるようなそぶりを見せるな。見張りの騎士の数が多いのは、常に俺たちを監視し、怪しいものは誰彼なく報告し、そして排除しようとしているからなのだ」 
「なるほどね。つまりあの騎士どもは、俺たちを四六時中見張っていて、ぼろを出したら最後、とっとと斬り捨てようと狙っているってわけだ。うむ、待てよ……」
 腕を組んだレークは、思い出したようにつぶやいた。
「じゃあ、昨日のあれも、もしかして」
「おい、一人で考え込んでないで、ちゃんと整理して話せ。昨夜、デュカスが天幕に戻る前に聞いたのは、栗色の髪の女騎士のことだけだぞ」
「そうそう……あれは綺麗な女だったなあ」
 浪剣士の口元にだらしない笑みが浮かぶ。
「女だと分かってりゃ、あんな手荒にはしなかったのに。いや、びっくりしたぜ、顔を見たときは。なんつうか、こう……気品があるってえのかね。目を閉じたまぶたや、あの唇のなんとも可愛らしいこと」
「おい、レーク」
「それにしても不可解なのは、あんな若い女が騎士の恰好をして剣を振り回すなんて、この国じゃ別に珍しくもないのかな。それともまさか、他にもああいう女騎士とかがいるのかね。女の騎士団とかさ。おおこわ……絶対勝てねえな、そんなのがいたらさ」
「女騎士のことはもういい。それより、騎士の一隊はどうなった?」
 さすがにいらいらとしたように、アレンは鋭く訊いた。
「あれ、まだ何も話してなかったっけ?ええと、どっから話せばいいのかな……」
「必要な事だけでいい。そうだな……では俺が質問するから、お前はそれに簡潔に答えろ。いいか」
「あい」
「昨夜の騎士の一隊は、あれから誰かを斬り捨てたんだな?」
「何で知ってんだ?まだ言ってないのに」
思わずレークは目を丸くした。アレンはかまわずに質問を続ける。
「それで何人だ?やられたのは、どんな奴だった?顔は見たか」
「ええと、そうだな。二人だったな……」
「間違いないか?」  
「ああ、騎士どもが去ってから、オレはすぐ近寄っていって確かめたからな」
「場所はどの辺だ?」 
「ええとな、宮廷の城壁と堀にそって川原まで行って、その川べりだったから……」
「広場の南のはずれたな。それで、死体の顔は見たか?見覚えはあったか?」
「……見た顔じゃねえな。ただ、剣技会参加者なのは確かだと思う」
「そうか……やはりな。おそらく、騎士たちは昼間のうちに怪しい者に目を付けておき、夜中になり、人気のない場所に彼らを呼び寄せ、人知れず抹殺の任務を遂行したのだな」
「おお、怖いねえ」
 人ごとのようにレークは言った。
「それで奴らは、あんなにむきになってオレを追いかけて来たんだな。目撃者は消せってやつだな」
「お前、まさか騎士たちに見つかったのか?」
「ああ、仕方ねえな。一人がまだ息があってよ。そいつからいろいろと聞いていたんで。そしたら戻ってきた騎士連中に追っかけられて……まったく、ひどい目にあったぜ」
「顔は見られていないだろうな?」
「ああ、たぶん」
「……ちょっと待て。まだ息があっただと?」
 アレンは額に手をやった。
「おい。斬られた一人はまだ生きていて、お前はその男と話をしたというのか?」
「ああ、そうさ」  
「そういう重要なことは、はじめに言えよ」
「だって、お前が質問するというからさ」
「まあいい。で、何を聞いた?なるべく一字一句、聞いたことをそのまま話せ」
「そうだな……でも、なにせ、その後走りっぱなしで、ほうほうのていで逃げてさ、さらにあの女騎士との劇的な対面だろう。細かいことはもう忘れちまっ……」
「思い出せ」 
 ソキアのような冷たいまなざしに、レークはおとなしくうなずいた。
「ええと、そう……オレがそいつを抱え起こしたときには、もう虫の息で、何箇所も深い傷があったからな。オレは耳元で話しかけたんだ。何か言い残すことはないかと」
「その男の名は聞いたか?」 
「いや。もうほとんどうわ言のようだったから、オレの声がどこまで聞こえていたのか。とにかくそいつは、指輪を頼むと……」
「指輪、だと?」 
「ああ、これだな」
 レークは、昨夜男から預かった指輪を懐から取り出した。
「これを……その男から?」
「ああ。綺麗な指輪だろ。この宝石は本物かなあ?」
 呑気そうに言うと、指輪の宝石を太陽にかざして覗き込んむ。
「これを町の金細工師に渡せってさ。ええと、確か金細工師のベアリ……」
「待て」 
(指輪をしまえ)
 耳元で囁かれ、レークは急いで懐に指輪を隠した。
「よう。こんな隅っこで朝メシかい?お二人さん」 
 声をかけてきたのは、たばねた長髪にひげづらの山賊……デュカスだった。
「そろそろ集合時刻の二点鐘だぜ。準備はしないでいいのかい」 
「ふむ、そうだな」
 レークとアレンは目を見交わした。この怪しむべき山賊に対して、それぞれに思うところはいろいろとあったが、今はなるたけ平素を装っておこうという意図が、そこには込められていた。
「レーク、俺たちも剣と防具のチェックでもしておくか」
「ああ。メシも食ったしな」
 レークは何食わぬ顔で言った。
「しかし、こんな貧相な朝メシで、これから丸一日剣の試合をさせようなんてよ。おめえも食いたりないんじゃないか?」
「そうそう」
 山賊は笑いながらうけあった。
「俺もそう思って、さっき騎士隊長さんに訊いてみたら、闘技場の方にも食い物が用意されてるから、試合の前に好きに食っていいってよ」
「ほんとか。そりゃありがてえ」
「なにせ人数が人数だからな。試合順を待っていたら、下手すると気づけば夕メシの時間なんてことにもなりかねないぜ。今回の試合はすべて一対一の勝ち抜き戦だからな」
「ほう」 
 それを聞いて、アレンは興味深そうに声を上げた。
「それは珍しいことだな。このように参加者の多いときには、たいがいはまず団体戦を行って、残ったものがその後の馬上槍試合なり、勝ち抜きの試合なりをするのが普通なのだが。わざわざ時間のかかる一対一の試合とは。ではやはり、あの噂は本当なのか……」
「噂?どんな噂だ」
 今度はデュカスの方が、その目を光らせたように見えた。だがむろん、アレンはそれに気づくふうには見せない。
「誰からともなく聞いた噂なんだがな。何でも、昨日の夜、広場で寝ていたはずの何人かの剣士が突然いなくなったらしい」
「……」
「噂では、見張りの騎士たちが、剣技会参加者のなかで怪しむべきものを狙い、密かにそれを抹殺しているのではないか、ということだが」
 山賊の眉間にかすかに皺が寄った。
「それは、本当なのか?」
「さあ。その噂が確かなのかは知らないが、もしそうならつじつまが合う。俺たち剣技会参加者を、わざわざ一晩この広場に留まらせたこともな。川を挟んで町と隔離して我々を見張り、あやしい者を見つけ出しては、排除するというのがかれらの最初からの目的だったとしたら……」
「……」
「それに、試合を一対一で行うというのも、参加者を一人ずつ調べ、できるものなら試合中に抹殺するためという見方も出来る」
「まさか……、騎士が俺たちを、抹殺だって?」 
 薄い笑いを浮かべた山賊の顔をじっと見ながら、アレンは続けた。
「だとしたら、ぶっそうな話だな。もし、どこかの国の間者がまぎれこんでいて、それに騎士たちが目を光らせているとしたら。少しでも怪しまれたら、その場で斬られるのだ。賞金が目当ての俺たちにすれば、それはいい迷惑というものだ。なあレーク」
「ああ、まったくだぜ」
 自分が騎士たちに追われていたことなどはおくびにも出さず、レークはいかにもうんざりするように言った。
「いつもいつも、いちいち騎士どもに見張られながらじゃ、おちおち小便にも行けやしねえ。お前もそう思うそうだろ?デュカス」
「ああ、そうだな……」 
 アレンの深い湖のような目が、静かにデュカスを見つめる。
 束ねた長い髪と不精に伸ばした口髭、大柄な筋肉質の体と腰に差した曲刀……そのすべてが、この男が野卑な山賊以外のものではないことを指し示していた。
 その時、朝の二点鐘を告げる鐘が鳴り始めた。
 何かの始まりを予感させるような、ゆるやかにときを告げる鐘の響きとともに、かれらは無言で目を見交わすと、誰からともなく歩きだした。

 マクスタート川の二つの支流に挟まれた中州には、続々と市民たちが集まりはじめていた。闘技場の外の広場には群衆があふれかえり、数万人を収容できる観客席は、もうほとんどが埋めつくされつつあった。
 市民たちは、このめったにない大イベントを一目見ようと、今日の仕事を半ばほったらかしてやってきたのである。商人たちは店を閉め、買い付けの帳簿を妻や店子に任せ、職人はハンマーを弟子に放り投げ、都市貴族は市庁舎での責務や面倒な議会を全て休みにした。また、今日にかぎっては、橋を渡るための通行税もとられないということで、ふだんは中州に入れないような貧しい市民や農民たちなども、こぞって広場に集まってきていた。
 それらの警備に当たる騎士たちは、日の出とともに動きだし、闘技場の周辺にはすでに数百名が配置されていたが、押しかけた人々の数は、彼らの予想を遙かに上回っていた。行列の整理や通行路の確保のため駆り出された騎士たちは、熱狂した人々を取り締まるのにおおわらわになった。
 剣技会の進行と騎士隊の統率という名誉ある大任を任された、騎士隊長のアルトリウスは、あふれかえった人々の只中で、馬上からひっきりなしに声を張り上げ、雄々しく指揮をとっていた。ときおり高級そうな馬車が橋を渡ってやってきて、市民たちでごった返す闘技場付近の道路に止まると、そこに群がる者たちから貴族の警護をするのも、騎士たちの大切な務めであった。
 やがて、剣技会参加の剣士たちの列が白い鎧姿の騎士隊を先頭にして、川向こうから現れると、集まった人々は大歓声とともにかれらを出迎えた。
「ほええ、すげえ人だな。こりゃ」
 列の中を歩きながら、レークは思わずつぶやいた。
 通りの両側を埋めつくす人々の興奮した顔つき、通りの両側から拍手と歓声が向けられてくる。それはなかなか心地よいものだった。集まった市民たちの歓声がそのまま熱気となって、通り一帯に広がってゆくかのようだった。
 一行が闘技場の入り口にさしかかると、さらなる大歓声が沸き起こった。闘技場内の観客たちが、剣士たちの到着に気づいたのだろう。辺りはまるで地鳴りのような響きに覆われた。列をなす剣士たちは、その大歓声を聞きながら、それぞれに気合をみなぎらせ、白馬の騎士を先頭に、異様な熱気に包まれた闘技場の入り口をくぐったのだった。
 薄暗い石造りの通路を抜けると、剣士たちの眼前にぱっと広い空間が現れた。
 まぶしく晴れ渡った空と、周りを埋めつくす観客たち。巨大な闘技場の中心に進み出ると、およそ数万はいようかという大観衆が彼らを出迎えた。
わあああ
おおおお 
 その異様なまでの大歓声は、闘技場全体を揺るがすようにして響き渡り、戦いを待つ剣士たちの心を否応なく昂らせていった。
 闘技場内の中央に剣士たちが整列すると、貴族席から一人の人物が立ち上がった。
「トレミリア宰相、オライア公爵閣下よりの開会の辞」
 闘技場を見下ろす中央に作られた屋根つきの座所には、色とりどりのドレスに着飾った婦人たちや、黒ビロードの公服を着込んだ上級貴族、さらには赤いローブをまとった官僚たちや、飾り鎧とマントで正装した上級騎士などが陣取っている。その貴族席の中でも、ひときわ立派に作られた国王のための座席……そこは空席だったが、その隣の席から立ち上がったのは、文官の最高位を示す藍色のマントを肩に掛けた、見事な口髭の人物だった。
「お集まりの諸君。フェスーン市民たち、貴族たち、また他国からの旅人、そして勇敢な剣士たちよ」
 そのよく通る声が場内に響くと、さきほどまでのどよめきが嘘のように、闘技場内が一斉に静まり返った。この人物が、人々から特別な尊敬を寄せられていることがそれだけで察せられる。
「ここに集った人々は幸運であろう。なぜなら、本日ばかりは身分、地域、国境さえも超えた、勇敢なる剣士たちの技を、じかに目にすることができるのだから」
 観衆から拍手が上がるのを軽く手を上げて制すると、公爵は続けた。
「さて、この度の剣技会は、かつて類をみないほどの大きな規模となった。参加者はトレミリア国内のみならず、近隣の諸国セルムラード、アングランド、ミレイ、さらにはウェルドスラーブからも集まったという。その数は千人を優に越え、またこの巨大な催しを見るために、各地から多くの人々がこのフェスーンに集まった。これはまことに喜ばしく、諸君らとともに、この国を挙げての催しに参加できることは大いなる喜びである。この大会の間は日頃の退屈を忘れて、大いに楽しんでもらいたい。騎士たちに連行されない程度には、羽目を外してもらってけっこう」
 人々からどっと笑いが上がる。
「そして剣士諸君」
 公爵の視線が、闘技場に居並ぶ剣士たちに注がれる。
「諸君らにはどうか、ただ勇敢に戦ってもらいたい。千人を越える参加者の中から、諸君は予選を勝ち抜いた強者たちだ。その勇気と剣技をぞんぶんに発揮してほしい」
 今度は剣士たちを鼓舞するように、客席から大きな拍手が上がった。
「そして、ここでいま一度確約しよう。見事優勝を果たした希代の剣士には、その身元人種に関わりなく、その立場を保証し、栄えあるこのトレミリア宮廷の騎士として遇することを。そして、最強の剣士たるその者には、賞金として百万リグを進呈する。これはトレミリア宰相の明言として、ここにいる全ての人々を証人として公約するものである」
 大きなどよめきと歓声が上がり、やがてそれは巨大な拍手になって闘技場全体に広がっていった。
「諸君らにジュスティニアのご加護を。ただいまこれよりトレミリアの大剣技会を開幕する!」
 オライア公爵が開会を宣言すると、客席からの拍手はさらに大きくなり、今度はなかなか鳴りやまなかった。
 楽隊によるミサ曲の演奏と、命と運命の神、ジュスティニアへの祈りが行われると、いよいよ試合開始であった。
 長剣の部の参加者はこのまま闘技場で試合をするのだが、細身の剣……レイピアの部へ出場する者は、闘技場外の広場が会場となる。剣士たちはそれぞれの部門に分かれ、騎士に先導されて移動を始めた。
「じゃあなレーク。また後でな」 
「おお、勝ち残れよ」 
 二人の浪剣士は、互いの顔を見てうなずき合った。
 審判役となる四名の騎士が、長剣の部に参加する剣士たちを前にルールの確認を行った。使う武器は一ドーン半以内の長さの両刃の剣であること。鎧は何を付けても自由だが、大きすぎる盾や全身をくまなく覆うコートオブプレートなどは、試合時間をいたずらに長くするので禁止。試合はどちらかが戦闘不能になるか、あるいは地面に剣を落とすか、または審判が続行不可能と判断した時点で終了する。あまりにも試合が長引いた場合は、一回戦に限り、審判の判定のもとに勝敗を下す。その他、剣士としてふさわしくない行い、相手への過剰な侮辱行為などは禁止。さらに八百長などが発覚した時は市内引回しの刑に処す、など。
 参加する剣士たちが、全員で戦いの神ゲオルグの名のもとに公正な戦いへの誓いをたて、いよいよ試合が始まる。
「ったく……どうせ、誰も俺には触れられもしないのによ」
 レークは、相手の剣はかすりもしないので鎧などは要らないと審判に申し出たのだが、参加番号を鎧の背中に貼りつけるという決まりから、それは許されなかった。しぶしぶながら、一番薄くて軽い胸当てと兜を受け取ったが、その着心地の悪さに顔をしかめる。
「くせえ鎧だな。さっさと戦って脱いじゃおっと」
 四カ所に分けられた試合場に、番号を呼ばれた剣士たちが進み出た。銀色にきらめく剣を高々とかざしてかれらが向き合うと、客席から大きな拍手が上がった。
らっぱ吹きが登場し、試合開始を告げるトランペットが吹き鳴らされると、木柵で仕切られた四つの試合場で同時に戦いが始まった。
 剣と剣が鋭くぶつかる響きが上がると、客席からさっそく大きな歓声と拍手が沸き起こる。
「それまで!勝負あり」
 最初の勝利を告げる審判の声と、高らかなラッパの音が鳴り響く。
 勝敗が決すると、すぐにまた次の組の試合が始まる。負傷した剣士は騎士たちに担がれて退場し、反対に勝利した者は、兜を脱いで勝ち名乗りを上げる。客席の人々は、目の前で行われる戦いに大いに熱狂し、勝利した剣士たちを讃える拍手を惜しみなく贈った。
 自分の試合を待つ間、レークはいかにも退屈そうに何度もあくびをし、好みの女がいないかと客席に目を向けたりして過ごしていた。まれに、ちょっと腕の良さそうな剣士を見つけると、ちらりと試合場に目をやったが、すぐにつまらなそうに目を離した。結局のところ、どうせ一番強いのは自分であるという、そのゆるぎない結論に達するのである。
 正午を告げる半日鐘が鳴り響くまでに多くの試合が行われ、さすがに観客の熱狂ぶりもしだいに落ち着いてきた。休憩の時間になると剣士たちには食物がふるまわれ、観客たちもこの間に闘技場の外へ食事をしに行ったり、あるいは、午後はレイピアの部を観戦しようかというものもいただろう。このときまでに、もう四十試合近くが行われ、長剣の部では全参加者の四分の一ほどが敗退していた。
 白パンに鶏肉のローストという、朝よりは少し満足できる食事をたいらげたレークは、昨夜からの寝不足もあってか、すっかり心地よい眠気に襲われていた。どうせ自分の出番はずっと先だろうと、闘技場の隅に兜を放り投げると、昼寝を決め込むことにした。
「起きたら、寝ている間に戦って勝っていた……なんてことはないかな」
 普通に真面目な剣士からすると、怠惰きわまりないことを考えながら、レークはあっというまに眠りに落ちた。
 ようやく試合の順番がきたのは、午後の三点鐘が鳴るころだった。
「百五十番!」 
 番号を呼ばれたレークは、宿で目覚めたときと変わらぬような様子で頭をかきながら、のろのろと起き上がった。
「ふああ……眠みぃ」
「百五十番、おい、兜をつけろ」 
審判からの注意もきかず、そのままの格好で試合場へ上がる。
「おい、きさま。聞こえないのか。兜を……」 
「いらねえよ、そんなもん。どうせ、かすりもしねえんだから。ほら、さっさと始めようや。こちとら眠たくってしょうがねえんだ。くそったれ」 
 なんとなくいらいらとした気分であった。というのは、客席からはさっきからひときわ大きな歓声が上がっていたのだが、それがどうも自分ではなく、相手の騎士へのものであるらしいと気づいたからだ。
「ロイキーン!」 
「ロイキーン!」
 軽やかに木柵を飛び越えたその騎士が試合場に立つと、客席からは女性の声があちこちで飛び交った。
「ロイよ。きゃあっ」
「ロイ、がんばって!」
 てっぺんに赤と白の立派な羽飾りが付けられた薄い板金の兜……サリットをかぶり、白銀のメッキに精巧な模様の描かれた美しい鎧を着込んだ騎士は、客席の声援に優雅に手を上げて応える。
「あんた、人気者だね」 
「それほどでもないさ」
 その声の響き、サリットからのぞく細いあごと、はみ出した金色の巻き毛から想像するに、きっと若く美貌の貴公子なのだろう。
「おい、早く始めろよ」 
 なんとなく面白くない気分で、レークは審判を振り返った。
「しかし……そちらの者、兜を付けるのが規定であるぞ」
「きみ、いいじゃないの。僕はかまわないよ」
 貴族騎士はおだやかに言った。
「相手が兜をしていないからといって、手加減はしない。命の責任は等しく個人に帰するものだ」
 それを聞いて、レークは口をへの字にした。
「へっ、ご立派なこって」
「よし、では始め!」
 審判の合図と共に、二人が剣を構えて向かい合うと、客席からの声援がいっそう大きくなる。
「ロイキーン!」
「ロイキーン!」
 レークは片手で剣を持ちながら、相手の様子をうかがった。ちょっとした動きや足運びだけでも、おおよその力量は計れるのだ。
 騎士は両手で剣を構え、その剣先をこちらに向けつつ慎重に足場をとっている。剣を持つ立ち姿も、貴族にしてはそれなりに様になっていた。
(なるほど。ど素人ってワケじゃねえようだな)
 しばらくは互いにゆっくりと足場を動かしながら、慎重に間合いをとり合う、静かな時間が続いた。さすがに客席からはじれたような野次が上がりだした頃、
「んじゃ、まあ」
 レークはおもむろに剣を下ろすと、ふっと息を吐いてにやりと笑った。兜を着けていないので、その不敵な笑みは誰の目にもはっきりと見えた。
「私をなめているのか」
 騎士はかっとなったように、上段から鋭く打ちかかってきた。
 次の瞬間だった。
 ギャリーンという、鋭い音が場内に響き、
「ほい。終わり」  
 レークの剣は鞘に戻されていた。
「あ……あ」  
 貴公子はぶるぶる震えながら、一体何が起こったのかというように辺りを見回した。凍りついたように静まり返った観客たちの前で、はじき飛ばされた白銀の剣が地面に落ちた。
「そ、それまで!百五十番の勝ち」
 審判が勝敗を宣言する。騎士はその場にがっくりと膝をついた。
 勝利のトランペットが鳴り響くと、ようやく人々は、何事が起きたのかを知ったのだった。
「見たか……今の早技」
「いや、見えなかった」
「ロイキーンが……負けるなんて」 
 ざわめく客席をよそに、レークはつぶやいた。
「やっぱ、俺の相手じゃなかったわ」 
「ばかな……」
 兜を脱いだ騎士は、その自分の兜を見てさらに愕然となった。
「おい見ろよ。ロイの兜を……」
 サリットの頭頂部にあったはずの羽飾りが、根元から切り落とされていた。レークは攻撃を受け止めると同時に、その剣を叩き飛ばし、そのまま凄まじい早業で兜の飾りを断ち切ったのだった。
「なんかさ、気に食わなかったんでな。そのお綺麗な羽かざりが」
 信じられぬという面持ちで顔を上げた貴公子に、レークは片目をつぶってみせた。
 ざわめいていた客席から、やがて拍手が上がり出した。
 神業といってもよいような剣技を前にして、その名も知らぬ剣士へのためらいがちな感嘆の声とともに。


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