水晶剣伝説 T トレミリアの大剣技会

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 あの魔剣を手に入れるにはな、
 たいそうな剣の腕前と、知恵と勇気、
 それに少しばかりの運……
 あとは、そうさね、
 たぶん、
 心の中にある光と闇の両方が必要なのさ。

 ところで、お若いの。
 これからどこへ行きなさる?





 夜半もとうに過ぎた、王城内の一角……ひと気もなく静まり返った、離宮の長い回廊を、小走りにゆく二つの人影があった。
 複雑に入り組んだ離宮の、最も奥まった回廊の突きあたり……その扉の前で、人影は立ち止まると、しばらく気配を伺うようにじっと動かなかった。が、やがて音もなく扉が開けられ、吸い込まれるようにそこへ消えた。
「いてっ」
「しっ、音をたてるな」
 暗がりのなかで、ふたつの声があがった。
「見張りは眠らせたんだろう?」
「ああ。しかし不夜番がいないとも限らん。なにせ、ここは国王の離宮だからな」
「それで、この部屋で間違いないんだろうな?」
「確かな話だ。さっきの晩餐会で、王に仕える奥侍女から聞き出したんだからな」
 囁きかわす声は、どちらも若い男のもののようだ。
「おや、待て……あったぞ、ここだ」
 声とともにカタリと音がした。そっと壁掛けが外され、そこにぽっかり黒い空洞が現れた。
「やはり、地下室への階段か……おい、灯を」
「ほいよ」
 松明が空洞を照らすと、石造りの狭い階段が、ずっと下へ向かって続いていた。
「降りられそうか?」
「たぶんな」
「なんかこう、どきどきしてきたな……」
 松明に照らされて、浮かびあがった二つの顔……その一人は、まるで女性とも見まごうような美男子であった。きらきらと金髪が松明に照らされる。もう一人は、対照的に黒い髪をした浅黒い肌の若者で、その口元には不敵な笑みを浮かべている。
「早く降りろ。誰かにこの灯を見られたらどうする」
「はいはいと」
 足を踏み出すと、階段の下からはひんやりと湿った空気がただよってくる。二人の若者は、苔むした階段を慎重に降りていった。
 地下へ降りると、石造りの地下通路が奥へと続いていた。松明の灯を頼りに狭い通路を進んでゆくと、十ドーンほどで行き止まりであった。
 二人は顔を見合わせた。松明で正面の壁を照らしてみると、石壁には、ごくわずかな溝が刻まれており、中央あたりには小さな穴があった。
「どうやら、ここで間違いないな」
そう言って金髪の若者は、形のねじれた針金を取り出すと、それを鍵穴のような穴へ差し入れた。黒髪の若者がその手元に松明を近づける。いくらも待たぬうちに、カチリという音とともに鍵が外れた。
「ほっ、いつもながらお見事。もしかしたら、オレたちは泥棒でも食っていけるかもな」
「馬鹿なこと言っていないで、入るぞ」
 壁に見せかけた扉を、ゆっくりと押し開ける。松明が部屋を照らしだすと、二人は息をのんだ。
「おお……」
 広さは、およそ五、六ドーン四方というほどだろうか。むろん窓もなく、空気はいくぶん埃臭かったが、そんなことはどうでもよかった。部屋のあちこちには、大小の木箱がたくさん積み上げられ、壁際の棚には、およそ無造作に、金の王冠や白銀の兜鎧、金細工のベルト、宝剣、宝石の散りばめられた装飾品などが置かれていた。どれもが、とてつもなく高価な品々であるのが一目で分かる。
「こりゃ、すげえや……」
 手近な木箱を開けてみると、いったい何千枚あるのか見当もつかないほどの金貨がそこから溢れ出した。床の上に乱雑に放り出された麻袋からは、拳ほどもある大きなエメラルドが次から次へと転がり出てくる。松明を近づけると、それらの宝石たちは、まるで喜ぶようにきらきらと光りだす。
「うわ。こっちはもっとすげえや」
 やや大きめの箱を開けて覗き込むと、そこにはルビー、エメラルド、サファイアなどを、まるできちがいのように贅沢にあしらった飾り鎧が入っていた。
「こんな鎧を誰が着るんだよ、おい」
 呆れたような笑いを浮かべながら、さらに別の箱を開ける。
「へええ。こっちは金のワイン壺だぜ。一個もらってこうかな。お、待てよ、こっちにはいろんな彫像が入ってる……」
 そのように、あたりには金銀細工や宝石の類が、ごったになって並べられ、転がり、積み上げられていた。
「レーク。いいかげんにしろ。そんなものよりも、俺たちが探すのは……」
「ああ、分かってますって。アレンさんよ」
 レークと呼ばれた黒髪の若者が、ぱちりと片目をつぶる。
「そのために、こうしてわざわざ王国の騎士にまでなってさ、ここに忍び込んだんだからな」
「そうだ。賞金の百万リグなどより、はるかに大切な目的が俺たちにはある」
 いついかなるときも、常に冷静な金髪の相棒が、いまは少しだけその声を高ぶらせていた。
「はるばるアルディからウェルドスラーブと旅をし、このトレミリアに辿りついた。大剣技会に出場し、試合を勝ち抜き、騎士たちの目をかいくぐり、陰謀に巻き込まれながらそれを乗り越え、こうして王城の宝物庫に入り込んだ。すべては、それを見つけるためだ。リクライア随一の歴史を誇るこの国に、俺たちが求めるものがあると信じてな」
 大陸をめぐる長旅と、大剣技会を戦い抜いた苦労が、ついに報われるときが来たのだと、その震える声が物語っていた。おそらくは、かれらの脳裏には、この数日間のおそるべき冒険の記憶が、にわかに蘇っていたに違いない。



 ゴーン
 ゴーン
 ひんやりとした朝もやの空気に、乾いた鐘の響きが重なってゆく。
 石造りの家々の赤い三角屋根の向こうから、太陽神アヴァリスがその燃えるように輝く円盤をきらめかせると、地上の人々はひとときの夢から醒めて、新たなる朝の訪れを迎える。それは富むものにも、また貧しきものにも、およそ平等に訪れるもの……不可避なる「とき」の流れ、そのものである。 
 リクライア大陸の七つの大国のなかでも、もっとも文化的で豊かな国、美しきトレミリア王国……
 その首都である雅やかなフェスーンの町にも、変わらぬ朝が訪れる。
 石畳の上に教会のとがった屋根の影が伸びる頃には、荷物を背負ったり荷車を引く商人たちや、商売道具を手にした職人たちが、通りを忙しく行き交いはじめ、中央広場では朝市のための露店の組み立てが始まっている。広場を見下ろす教会からは、いつものように早朝のミサが行われているのだろう、僧侶たちの厳かな歌声が響いてくるが、しだいに活気を帯びてゆく街の喧騒にのみこまれ、鳴り渡る鐘の音ほどには人々の耳には届かない。
 大通りに店を構える商人たちは、まだ薄暗い時分からあくびをしながら起き出しては、今日一日の準備と仕込みにとりかかる。街の肉屋は、とっておきの子豚や鶏をローストしようと下ごしらえを始め、野菜売りは豆や大麦や乾燥にんにくなど、果物売りはとれたてのさくらんぼやいちご、プラムやリンゴなどをたっぷりと入れた巨大なかごを頭に乗せて大通りを練り歩く。香辛料や薬草を売るもの、ごろごろと葡萄酒の樽をころがす酒売りたち、通りに面したパン屋の煙突からは、さっそく、もくもくとした煙が立ち上りはじめている。それを見上げながら、仕立屋の店子は見事な刺しゅうの入った帽子やビロードの織物などを、丁寧に店先に並べてゆく。
 フェスーンの朝は、このような活気とともに始まるのが常であった。
 だが、よくよく気配に敏感なものであったら、町の空気にはいくぶん普段とは異なる熱気のようなものがひそんでいることに気付いたかもしれない。通りをゆく人々の顔は、いつもより少し楽しげに紅潮しているようにも見えたし、軒先から客を呼び込む商人たちの声や、鍛冶屋の打つハンマーの音すらも、今日はどうもわずかに甲高く感じられる。大きな荷物を積んだ馬車がせわしなく通りを走り抜けてゆくと、それにつられて人々の足取りもどこか軽快になり、うきうきとした活気があちこちに満ちてゆく。フェスーンの町全体が、アヴァリスの訪れとともににわかにざわつきだし、祭りの喧騒にでも包まれだしたような……そんな奇妙な空気が、この朝には確かに存在していた。
 あるいは、そう……今日という日が、特別な日の始まりであるということを、町そのものが、人々を介して知らしめようとしているかのように。これから始まる、その大きな大きな物語を、どうしても知らせずにはおけない、というように。


 二人の浪剣士

 フェスーン市街の大通りから、いくつか小道をはさんだ狭い路地に、一軒の質素な宿屋があった。
 店の名を「グルートの宿」という。食堂兼宿屋のその店は、一階は食堂、二階は貸し宿になっていて、部屋は狭いがその分泊まり賃は安く、路銀に困る旅人や遍歴職人などが気軽に使えるようになっている。
 ぎしぎしと板のきしむ階段を上がって宿の二階へゆくと、狭い廊下を隔てて両側に三つずつの部屋がある。数日前からは、その六つの部屋はすべて旅客で埋まっていた。
 泊まっているのは、たいていは旅の剣士や行商人などであろうが、フェスーンの町には何度か来たことのあるものばかりに違いない。なぜなら、ここはそうした、他のものよりも町に詳しいものでないと見つけられないような、狭い裏通りにあるごく小さな宿であったからだ。
 その二階の一室……
 板張りの古びた壁に囲まれた部屋は、寝台とテーブルがあるだけのごく簡素な造りで、明かり取り窓からはすでに朝日がたっぷりと差し込んでいる。床の上には旅行用の革袋や革の鎧などが無造作に置かれ、鞘に入った剣が二本、壁際に並べて立てられているのを見ると、どうやら旅の剣士だろう。
 二つある寝台のうち、ひとつは空であったが、もうひとつには、頭から毛布をかぶった旅人が豪快ないびき声とともに眠っていた。
 その部屋の扉が、いま、ごく静かに開かれた。
 音も立てず、まるでネコのように、滑り込むようにして部屋の中に入ってきたものがいた。それは、およそこの古びた宿屋とは全く似つかわしくない、おそろしく綺麗な若者であった。窓からふり注ぐ光に、きらきらと輝く金髪をした、ほっそりとした美青年……いや、あるいは美女であったろうか。
 その彼……か彼女かは、光の射し込む小部屋の隅に、少しの間音も立てずに立っていたが、すいとひとつ髪をかきあげると、寝台に近づいた。寝台の男は依然として、順調ないびきをたて続け、まったく起きる気配もない。
 眠っている男を静かに見下していた金髪の若者は、それからおもむろに壁に立てかけてあった剣を取った。そして、すらりと鞘から剣を抜いた。
「……」
 その口元に薄く笑みが浮かぶ。朝の光の中で、きらりと剣先がきらめいた。
 振り上げられた剣が、寝台の男の上に振り下ろされる。
 そう思われた……刹那、
 毛布の下から鋭い声が上がった。
「レイピア!」
 金髪の若者は、ぴたりと剣を止めた。とたんに毛布がはね上げられる。
 いままでいびきを立て続けていたはずの男が、寝台の上に颯爽と立ち上がっていた。 
「レイピア、だな」
そう言ってにやりと笑うのは、歳の頃は二十歳を過ぎたくらいだろうか、浅黒く焼けた肌に肩まで伸びた黒髪、きらきらと輝く黒い瞳をした、なかなかの好男子である。
「さすがだな、レーク」 
 細身の剣を手にした金髪の若者は、ふっとその表情をやわらげた。男にしてはやや高いが、それはたしかに男性の声であった。深い青色の目と整いすぎるほど整った鼻梁、旅人にしては白くなめらかすぎる肌をした、見るものをはっとさせるくらいの類まれな美貌で、ほっそりとした体つきに、質素な旅行用のズボンと亜麻製の長シャツをベルトでとめた、いかにも旅の剣士という姿ではあったが、それがむしろ男装の麗人のようにも思えるのであった。
「当たりか。やっぱな!へっへ。お前がレイピアを抜くときの気配はもう何百回も聞いてんだぜ、アレンちゃん」
 軽やかな身のこなしで寝台から飛び下りると、黒髪の若者は、相手から剣を奪い取った。レイピアと呼ばれる細身の剣……それを鞘に戻すと、また壁に立てかける。その横には、一回り大きな長剣が立てかけられている。どうやら、この二人は先に起きた方が剣を抜いて、それが細身の剣か長剣かを寝ている方が当てるという、なんとも物騒な賭けをしていたらしい。
「では、今日は俺の負けだな」
「おうし。夕メシはお前のおごりだぜ」
 黒髪の剣士……レークは、眠たそうにあくびをした。
「ふああ……しかし、なんだってこんな早くに起こすんだよ」
「もう朝の六点鐘から半刻もたっているぞ。ほら、さっさと服を着ろ。大通りはすごい人だぞ。さすがに大トレミリアの剣技会だ、都市の貴族から乞食まで、あらゆる連中が集まってる」
「へええ。んじゃ、オレらのような、ろくでなしの浪剣士も、今日は大手をふって道を歩けるってわけだ」
「まあ、そういうことだな」 
「んじゃま、いくとすっか」
 黒髪を束ね直し愛用の剣を腰に吊るすと、彼は青い目の美貌の相棒にうなずきかけた。

 宿の一階に降りてゆくと、すでに他の泊まり客たちが、にぎやかに食事をしていた。彼らと同じように、腰から剣を下げた旅の剣士らしきものも何人もいる。
「おや、今日はいつもよりは早いねえ。お二人さん、そこが空いているよ」  
 調理場の方から四十がらみの女主人が声をかけてきた。他の客に皿を運びながら、空いている席を親切に教えてくれる。
「おう、いい匂い。おかみさん、今朝のスープはなんだい?」
「今日はそりゃ特別な日だからね。鶏肉の団子がたっぷりだよ」
「うほっ、そりゃうまそうだ」
 肉のたっぷり入った湯気の立つスープが、大きな固パンとともに運ばれてくる。レークはさっそく手を伸ばすと、あまり上品とはいえぬ手つきで食べはじめた。
「おお、うめっ。こりゃ、うめっ」
「起きたばかりで、よくそんなに食べられるものだな」
「朝メシはしっかり食わんと力が出ないぜ。それに何たって、今日は大事な一日だ。よく食って、体力をつけて戦いに勝つ。それが正しい剣士の道よ」 
 そう言いながら、あっと言う間にパンとスープを平らげ、すかさずお代わりを頼むと、その間にがぶりとワインを飲み干す。
「なあアレンよ、お前もちゃんと食わんと、負けるぜ。もっとも、ちゃんと食っても、このオレには負けるだろうがな。へへへ」 
「それなら俺は、」
 金髪の美剣士はふっと笑うと、その美貌によく似合う、皮肉めいた表情を浮かべた。
「お前が腹をこわして棄権するのを、のんびりと待つとしようか」
「ぬかせ!」
 長年の仲間でなくてはできぬようなへらず口を叩きながら、二人はパンを口に放り込んでは、うずうずとする高揚感を隠し切れないように、互いの目を見交わすのだった。その目の中には、二人とも若くしてすでに幾多の実戦をへてきたような、ぎらぎらとした鋭い光があった。

 朝食を済ませて宿を出ると、あたたかな五月の風が、頬にやさしくまとわりついた。
 内陸の地であるトレミリアの春はいたって温暖である。町を囲んだ城壁外に広がる農村部では、夏麦の種まきも終わり、収穫を待つ空豆や豌豆などが、青々と葉を広げている頃だ。春の訪れを祝う五月祭も間近な、この季節……
 しかし今年は、その前にもう一つの大きな催しが行われようとしていた。
 数百年前は、この国においても「トーナメント」と呼ばれる、剣技や馬術を競う催しは頻繁に行われ、大仰な甲冑に身を包んだ大時代的な恰好の騎士たちが、己の名誉と思いを寄せる貴婦人のために勇敢に戦い、ときにはその命さえも賭けたものだが、そうした古い形の危険な娯楽というのは、この時代には忘れられて久しい。
 かつての戦国の世における、領土拡大のための貪欲な侵略戦争や、国を奪い、奪われる野蛮ないくさの時代はもはや過ぎ、人々は蛮族の来襲におびえることもなく、城壁に囲まれた都市の中で穏やかに日々を過ごしていた。誇り高い騎士たちによる決闘や、華麗なる騎士道への敬愛と賛美などはすでに失われ、代わって、国同士の外交術や政治的な手腕が物を言う時代へと移り変わりつつある。めぐらされた高い城壁はほとんど無意味に思われ、都市を治める領主や王の存在は、実質的には町の参事会ほどには重要ではなくなった。裕福な都市民にとって大切なのは、いつ起こるかもしれない、いくさのための騎士や軍隊などではなく、日々の商売の繁盛であり、つまりは商人ギルドや職人ギルド、または市参事会における自らの地位の向上についてであった。
 であるから、フェスーンの市民たちにとっては、今回の催しも、単に国王が久しぶりに大きな余興を提供してくれようとしているのだろう、という、その程度にしか思われなかった。その催し、すなわちトレミリアの大剣技大会の開催……その布告がされたのは、今からちょうどふた月ほど前のこと。
「おい。聞いたか。今回の剣技会の開催のいわくを」
「いわく?なんだ、そりゃあ」   
 他のものより少しだけ情報通であったり、国際関係に詳しいものであったならば、この催しの裏にある意味を読み取るものもいたに違いない。また、他国からの遍歴職人や、買い付けから戻った商人たちが立ち寄る居酒屋などでは、この剣大会についてのさまざまな噂が、まことしやかに囁かれることもあった。
「ほれ、今までも時々言われてたろう、ジャリアの威嚇行為のことよ」
「ああ。またかい。今度も貿易関税を安くしろっていう、例の脅しだろう」 
「いいや。それが今回はな、けっこう深刻らしいぞ」 
「というと?」   
「何でも、あのジャリアの軍隊が、ロサリート草原の街道を封鎖して、ウェルドスラーブへ進軍してくるって話だからな」  
「本当かよ」 
「ああ。それでさ、友国であるウェルドスラーブからの要請を受けて、トレミリアはいそぎ兵隊の組織作りを始めたってわけだ」
「じゃあ、おい……今回の剣技会ってのは、つまり、なんだ」
「ああ、国中から腕の立つ傭兵を募るための、いわば兵集めの大会って話だぜ」
「そりゃ、また物騒な話だな」
「それだけにさ、今大会の賞金は、なんでも百万リグという破格の額だという話さね」
「百万!そりゃあすげえな、おい」
「しかも優勝した者には、その身分を問わず宮廷騎士の地位が与えられるって噂だよ」
「へええ。宮廷騎士っつったら、貴族の仲間入りができるのかい?そりゃ、たいへんなもんだ。こいつは、うちのせがれにも出場させねようかね」
「馬っ鹿。何百っていう人数の剣の強者が集まるんだぜ。槍も握ったことのない商人の息子が、勝てるわけないさね」
「はあ……それもそうか。しかし、まあ、何にしろ町中にぎやかでよいこったよ。いくさになるにしろならんにしろ、その前に店の品物を売り尽くして一稼ぎできそうだ」
「まったくだな、最近やたらと旅人が多いけど、その分物がよく売れる。それだけでもありがたいこったな」 
 軒先や広場の片隅など、いたるところでこのような噂話が交わされ、人々はいいかげんな情報と、ごくたまに含まれる正しい情報とにそれぞれの解釈を付け加え、大いに論議した。かれらにとっては、伝え聞く噂の中でのいくさ話などは実感をともなうものではなく、むしろ、この機会にどれだけ儲けられるかの方が、よほど重要なことだったのだ。

「へえ、さっすが、大国トレミリアの首都フェスーンだぜ。いろんな店があって、いろんな人間がいるなあ。見ているだけで面白えや」 
 そのいわくつきの剣技大会に参加するべくやってきた、二人の旅の剣士……レークとアレンは、フェスーンの町を東西に横切るカルデリート通りを悠々と歩いていた。
「おいレーク。あまりきょろきょろとするな。市中警備の騎士に怪しまれると面倒だ」
「はいはい、アレンさま」
 彼が子供のようにはしゃぎたくなるのも無理はない。通りには、じつに様々な商店が軒を連ね、あらゆる種類の品物が店先に所狭しと並べられていたのだから。
 パン屋、酒屋、肉屋、果物と野菜の店、香辛料の店、仕立屋、帽子と手袋の店、織物と染物の店、宿屋に風呂屋、さらに様々な食物や飲み物、はては豚や鶏などの家畜までもが店頭で売られている。「フェスーンの町で買えぬものは親兄弟のみ」ということわざが、けっして大げさではないと、この通りを歩けば確かに実感できるだろう。道の中央には屋台がずらりと立ち並んでいた。組板の土台に布製の屋根を取り付けだけの簡易な作りだったが、それらの店では、ローストされる串刺し肉がじゅうじゅうと美味そうな音をたて、パンケーキや甘い蜜に浸した黒パン、葡萄酒や麦芽酒、蜂蜜とレモンの飲み物、それに乾果など、さまざまなものが売られている。
「本当にいろんな店があるもんだな。それに見ろよ、どこもかしこもすげえ人だぜ」
 レークの言う通り、町の中心部に近づくにつれ、行き交う人々の数もしだいに増えてゆくようだった。
 町の商人や職人たちのほか、一目でよそものと知れる剣士や浮浪人などもけっこういたし、僧服を着た僧侶や巡礼者のような旅人、他国からやってきたとおぼしき行商人や遍歴職人、はては派手な恰好をした旅芸人や、楽器を手にした吟遊詩人、そしてぼろをまとった貧民や物乞いなどが目の前を通りすぎてゆく。
「ふうん、でもまあ……オレたちほどイケてる剣士ってのはめったにいないな、やっぱ」
 彼がそう自惚れて言うのも、決して間違ってはいなかった。
 たしかに、この二人組は明らかに、ただの旅の剣士とは違う……ただの浪剣士というにはとにかく目立ちすぎた。二人ともがすらりとして背が高く、片方は黒髪に黒い目の陽気そうな好男子と、もう片方は輝くような金髪を肩まで伸ばした、はっとするほどの美貌の持ち主であったのだ。通りを並んで歩く二人は、その対照的な雰囲気も含めて、どうしても人目を引くのであった。すれ違いざまの商人や、吟遊詩人などが、こちらを振り返ることはざらだったし、食べ物の屋台の前を通ると、二人に向けられる客引きの声はいっそう大きくなった。
 レークは、そういうことがとてもいい気分らしく、さらに胸を張り、鼻唄を歌いながら、通りの店店を見渡すのだった。一方のアレンの方は、周囲の反応などはまったく無関心のようで、まっすぐに前を見ながら歩いてゆく。
「しっかし……いったい、この町にはどのくらいの人がいるのかな」
 二人の目の前を、買い付けから戻った商人の一群が通りすぎてゆく。続いて、派手派手しい黄色や緑の左右で色分けされた衣服の笛吹きやラッパ吹き、踊り子などの旅芸人の一座が、騒々しく歌を歌いながら練り歩いてくる。果物や食べ物を売りさばく行商人の声がそこかしこで上がり、屋台からの肉を焼くじゅうじゅうという音に、せわしない客引きの声が入り混じる。さっと人々が道を空けると、市内警護の任務を帯びた宮廷騎士たちが、白リスの毛皮で裏打ちされたビロードのマントに、きらきらと輝く白銀色の騎士の鎧に身を包んで、数名の隊列を組んで石畳の道を厳めしく通りゆく。
「なんつうか、まるでこりゃ、国中の人間が集まってきているみたいだぜ」
「ふむ。はたして、剣技会の参加者は何千、いや何万いることか」
 普段は冷静なアレンも、いくぶん興奮気味につぶやいた。
「おいよせよ。いくら結局オレたちが勝つにしろ、それまでに何十回も試合をするんじゃ、いくらなんでも身が持たんぜ」
「だな。どうせ俺たちが勝つにしろ、な」
 にやりとしてうなずき合うと、二人の剣士は、その日常とは異なる、ただならぬ喧騒に包まれた大通りを、東へ東へと歩いていった。

 石造りの城門のくぐり抜けると、ぱっと明るく空が開けた。二人の目の前には、雄大な景観が広がっていた。
「おお……あれが噂に聞くフェスーン城か」
 空を映すように青い、マクスタット川のゆるやかな流れの先に、宮廷区域をぐるりと囲む城壁がそびえていた。
 さらにその向こう……緑の丘陵の上に、フェスーンの王城があった。
 今では少々古臭くなった「フェンスティン様式」と呼ばれる、切り立ったいくつもの劣塔を生やしたような、鋭く尖った屋根を持つ、中世のたたずまいを残した優雅な城……建国の父、征服王ロハスードが築いたこの城は、以来、一度も戦火に見舞われることなく、数百年の時を刻んできた。ほとんど使用された試しはないであろう城壁をつなぐ円塔の石落としや矢狭間などが、この城が戦乱の時代の産物であることを物語り、現在においては、実用的でないそれらの設備は、かえってお洒落な、由緒ある歴史の遺産のように見えた。
「確かに、これは見事な城だ」
 風にそよぐ金髪をかき上げながら、アレンはゆっくりとその城を眺めた。
 朝日に輝く城の青屋根は、まるで古風な青いドレスをまとった姫君を連想させる。フェスーンの王城は、そんな美しい城だった。
「しかし、いつも思うんだがな……」
 同じように城を眺めながら、レークが言う。
「あんなに高いところに住んでいる連中は、下りたり上ったりで、そりゃあ大変じゃないのかね。まさか、食事も風呂も小便も、塔のてっぺんでするわけじゃないだろうに」
 およそ風情のない相棒の言葉に、ふんと鼻をならして応え、アレンはそのしなやかな指先を川に挟まれた中州に向けた。
「あそこが明日の剣技会の会場ということだ。なかなか立派な闘技場じゃないか」
「おお。明日には、あそこでオレたちへの歓声が盛大に響きわたるってワケだな」
 川向こうの中州にある楕円形をした闘技場を眺めながら、二人は明日からの戦いを、それぞれに想像する。
「ふむ。イメージの中でも負ける気がしねえ。お前と当たるまではな」
「それは光栄至極。大剣士レーク・ドップさまと、直接に剣をまじえるという栄誉を授かりたいものだ」
「ぬかせ。お前だってオレに負ける気はしねえんだろ?」
「それは、想像におまかせする。さて、行ってみようか。川を渡った宮廷前広場に集合ということだからな」
「おうよ」
 このフェスーンの都市の最大の水源であるマクスタート川……その川ぞいの道を二人が歩いてゆくと、前から水汲みの女たちが列をなしてやってきた。たっぷりと水を汲んだ桶を頭に乗せて、楽しげに談笑しながらこちらに歩いてくる。
「いいねえ。フェスーンの女の子は、みんな美人で」
 女たちはみな若く、それぞれに黒や茶色の髪をたばねて、色とりどりの長スカートに薄い胴着姿のいかにも町の娘らしい様子であった。
 レークの声が聞こえたのか、女たちはすれ違いざまにくすくすと笑いをもらす。
「やあ、こんちは」
 声をかけると、きゃあきゃあとはしゃぎ声が上った。
「あの、お二人とも剣士さんなんですか?」
 女たちの一人がおずおずと聞いてきた。
「ああ、オレたちは大会に参加する旅の剣士なんだ。オレはレークで、こっちがアレン」
「レークさまに、アレンさま……」
 娘たちはまた、きゃあっとざわめいた。
「よかったら、試合見に来てくれよ」
「は、はい……でも、いまはお店が忙しいので。でも、とっても見に行きたいです」
 ちらりとアレンの方を見て、娘は頬を染めた。彼女たちにとっては、このような金髪をした美貌の剣士などという存在は、よほど珍しいのかもしれない。
「ほいじゃあな」
「はい。がんばってください」
 娘たちに手を振って別れ、二人はまたマクスタート川の豊かな流れを見ながら歩いていった。
「おっ、お仲間かな」
 橋に近づくと、他にも剣士らしき連中が、ぞろぞろと先を歩いてゆく。十人、二十人、いやもっといるだろうか。橋のたもとには騎士たちの一隊が立ち並んでいて、出場する剣士たち一人一人のチェックを行っているようだ。ここでは正規の入国手形を提示しなくてはならない。レークとアレンもその列に並び、ようやく通行を許されると、二人は橋を渡って中州に入った。
 この中州地域は、市参事会や護民庁舎など、公の建物が並ぶ地域で、一般の市民たちは特別な日の他には立ち入れないので、市街に比べると人の通りはぐっと少なくなり、代わりに騎士や護民兵などの姿が多く見られる。右手に見えてきた闘技場に目をやりつつ、さらに通りを進み、ふたつ目の橋を渡ると、そこはいよいよ宮廷へと続く、城門前の広場であった。
「ここはトレミリア建国の王、ロハスードが王国誕生の演説をしたという場所らしい」
「へええ。なかなか広いもんだな」
 そこは見渡すかぎりの広大な土地だった。まるで、フェスーンの市街がほとんどそのまま入ってしまいそうなほどの広場である。広場の北側から東側一帯にかけては、ぐるりと高い城壁が続いている。城壁の向こうは王国の要人たちが住まう宮廷内であるから、あちらこちらに警護の騎士たちが立っている。
 フェスーン宮廷へ続く城門は、両側に高い物見の塔を備えている。市街の門よりもはるかに立派な造りで、入り口は二重の鉄柵と分厚い扉に守られ、常に宮廷騎士たちによる厳重な警備がなされている。王城はもちろん、王国における主要な公爵や伯爵たちの住まいが、すべてこの内側にある。まさに、トレミリアの中枢部であり、特別に許された者以外は決して立ち入れぬ聖域であった。
広場には川を渡ってやってきた参加者たちが続々と集まってきていた。剣士たちの数が増えるにつれ、あたりには、殺気だったような空気が満ちていった。
「いるいる。いろんな奴がさ」
 レークは面白そうに見回した。
 集まったものたち中には、一見してごろつきのようや輩や、まるで山賊がそのままやってきたのではと思うような、ひどく汚らしい身なりの男もいれば、巨大な剣をこれみよがしに背負った一目で浪人剣士と思えるものもいた。もちろん、中にはごく普通のなりをした若者や、地方貴族とおぼしき上等の武具をまとった騎士など、わりあいまっとうなものもいたが、なかには何か勘違いでもしているのか、頭から派手な羽飾り付きの兜と重そうな鎖帷子をずっしりと着込んで、馬鹿長い槍を持った大仰な騎兵もどきなどもいた。
「こんだけ大勢いると、試合数も増えて面倒だな。どうせ勝つのはオレたちだってのに」
 そのつぶやきが耳に入ったのか、近くにいた大柄な剣士が振り返り、こちらを睨み付けた。
「おお、こわ……」
 ここには、貴族騎士から、腕に覚えのある一般の都市民、さらにはレークたちのような浪剣士や山賊にいたるまで、あらゆる種類の人間が集まっていただろう。あるいは、実戦で鍛えた百戦錬磨の傭兵や、身分の高い騎士や名のある剣士なども。誰もが、それぞれに腕に覚えのある強者であろうし、この剣技会で名を上げようともくろんでいるに違いない。それら剣士たちの張りつめたような緊張感が、広場を包み込んでゆく。
 トレミリアの大剣技会は、いよいよここに、はじまりの時を迎えようとしていた。

 午後の二点鐘が鳴り終わるころ、参加者たちの前に、銀色の鎧を着た騎士の一団が現れた。整然と居並んだ騎士の一隊のなかから、隊長らしき一人が前に進み出た。
「お集まりの剣士諸君、フェスーンへようこそ。私は、サーモンド公爵騎士団団長、アルトリウスである。このたびは国王陛下より、この大剣技会の警護と進行役を仰せつかった。以後は見知り置きを」
 口髭をたくわえた騎士は、よく通る声を響かせた。
「さて、これからの日程について、諸君らに申し渡しておかなくてはならない。すでに見てとれるかと思うが、今回の剣技会にはかつて例をみないほどの人数が集まった。これはまことに喜ばしいことではあるが、なにしろ大会の日程は明日からの四日間とすでに定められており、これを過ぎることは許されぬ」
 参加者たちを見回し、騎士は告げた。
「そこで……ただいまこれから、予選として弓での審査を行い、それに合格したものに剣技会本戦への参加を認めるものとする。諸君らの健闘を祈る」
 集まったものたちから一斉にどよめきが上がる。
 だが、かれらの不平の声には耳を貸さず、騎士はさっと手を上げ、ただちに予選の開始を伝えた。それまでじっとして居並んでいた騎士たちが動きだした。かれらは、参加者たちを押し分けるようにして、何列かに分けて並ばせてゆく。
「弓!おい弓だとよ、アレン。なんだか妙なことになったな」
「ふむ」
「こりゃねえぜ。サギだ。オレは弓の練習なんてこれっぽっちもしてないのに」
 列に並ばされながら、レークは口を尖らせた。
「ま、しかたあるまい」
 アレンはいたって冷静に言った。
「確かにこの人数では、朝から晩まで試合をしても時間が足りないだろうからな。何らかの形で参加人数を減らすというのは合理的なやりかたただろう」
「なんでそうお前はいつも冷静なんだよ。だって、なあ弓だぞ、弓!」
「弓だな」
「弓なんざ引いたのは、たしか何年か前の、どっかの貴族の坊ちゃんの護衛で、遊びの狩猟に付き合わされて鹿を狙って引いた……あれ以来だ。しかも、あの時はまったくダメだったし」
「そんなこともあったな」
「ああ、どうすんだよ。こんなことで落とされて、肝心の剣技会本選に出られないなんてことになったらさ」
 それに金髪の相棒は、ただ黙って両手を広げて見せるだけだったが、レークの方は収まらぬように続けて文句をつぶやく。
「この剣技会に出るために、はるばる遠く旅をしてきた俺たちをよ、こんな弓のテストで、はい失格……なんてのはいくらなんでもひでえやり方だぜ。なあ、そう思わねえか」
「まったくだ」
 レークの後ろに並ぶ剣士がそれに賛同した。土臭い汚れた胴着に革の鎧を着た、熊のような男だった。
「俺は、はるばるオムデアから五日もかけてやって来たんだぞ。畑仕事をおっかあに任せて出てきたってのに、このまま何もせず帰ったら、おっかあに会わす顔がない」
「オムデアならまだトレミリアの国内だろう」
 別の剣士が声を上げる。こちらは浅黒い肌に、頭にターバンを巻いた男だった。
「俺なんかアングランドのマイエからだ。船で三日、徒歩で八日もかかってフェスーンまで来た。弓なんて生まれてこのかた引いたこともない。港町の船乗りだからな。レイピアなら誰にも負けないんだが……」
 すると、今度はアレンの前に並んでいた、こちらは見事な騎士の鎧に身を包んだ中年の男が振り返った。
「私はセルムラードから来た。さる伯爵に仕える騎士団の副団長をしていたが、このフェスーンで優秀な騎士を集めていると聞き、このように馳せ参じた。友国の助けになればと、伯爵閣下に暇を願い出て駆けつけたのだが、なにもせぬまま追い返されては、どのように申し開きができよう」
「おいおっさん!」
 さらにその騎士の隣にいた、こちらはひどく柄の悪そうな、汚い長髪を束ねて背中に垂らした男が言った。
「こちとら、兵集めとか、んなことはどうでもいいんだよ。賞金だ賞金!金のために来たんじゃねえか。なんせ噂じゃ、これに優勝すりゃあ百万リグもらえるっていう話だ。それだけありゃあよ、二十年は好き勝手やって遊んで暮らせるぜ。だがよ、試合もせずに追い払われたんじゃ、どうにも腹の虫がおさまらねえ。それだけのことよ」
 いかにも山賊じみたその野卑な男に、中年騎士が眉をよせる。
「ふん。ならず者が。金のことしか頭にないのか」
「なに言ってやがる。おっさんだって、えらそうに友国の助けだなんだと、そんなきれいごとぬかしてやがるが、結局は賞金が欲しいんだろうが」
「貴様のような下司と一緒にするでないわ。私は騎士として人々を守り、国を支え、国難に立ち向かうという、誇りある騎士道の体現を目指し……」
「金をもらうんだろう?やっぱ」   
 黄色い歯をにいっと見せて、その山賊が笑う。
「ぬうっ、貴様、我が騎士道を愚弄するか!」   
 誇り高き中年騎士は、顔を真っ赤にして剣の鞘に手を置いた。あわててレークが止めに入る。
「おい、よせ。こんなところでなんかやらかしたら、こっちにまでとばっちりが来る。ほら、向こうから怖い騎士の兄さんがこっちを見てるぜ」 
「そうだ。ここでやり合っても始まらんだろう」
 アングランドの船乗りとオムデアの若者もうなずいた。
「うんむ。畑仕事をほっぽって来たんだから、せめて的に当てないと。まぐれでもいいから……おっかあ、俺に力を!」
 睨み合っていた騎士と山賊は、力が抜けたように黙り込んだ。ため息をつくレークの隣で、金髪の美剣士はただ澄まし顔で立っている。
 列に並んだ参加者たちは、次々に順番に弓を引いていった。一人に与えられる矢は二本。両方外せば、その時点で剣技会への参加資格は失われるのだ。だが、経験のないものが、そう簡単に矢を射ることなどできようはずもない。並べられた的の多くは、突き刺さる矢のないまま次の射手を迎えてゆく。失格者はすぐにこの場から追い払われ、橋の向こうに去らねばならない。そうなれば、あとはただ自分の宿に帰るか酒場で飲んだくれるかして、今晩を過ごすことになる。
 参加者の全員が弓を引き終えたのは、川向こうの市壁に夕日が沈みゆく頃であった。結局、予選に合格したのは、五千人以上の参加者のうち、わずか三百名足らずで、あの農村の若者も、アングランドの船乗りも、矢をまっすぐ飛ばすことすらできず去っていった。
「どうした。夕日を愛でる浪剣士どの」
 川べりの土手に腰を下ろす相棒の背中に、アレンは声をかけた。沈みゆくアヴァリスの残照をぼんやりと眺めていた彼は、肩越しに振り向き、物憂げな調子で言った。
「なあ、アレンよ……オレたちは、死ぬまでのあいだに、何度こうやって沈みゆく太陽を眺めるんだろうな」
 その物言いがあまりにも柄ではなかったので、金髪の美剣士は笑いをこらえるように口元を歪めた。川を渡ってくる夕風にひとつ髪をかき上げ、黒髪の相棒の肩を叩く。
「まあ、そう落ち込むことはないさ」
「なぐさめるな。どうせ、オレの弓の腕なんか、こんなもんだよ。ちくしょう……」
「とにかく、もうそろそろ行かないとな。そら、向こうで騎士隊長殿が大声を上げている」
「へいへい」
 しぶしぶ立ち上がったレークは、金髪の美剣士と肩を並べ、土手を上った。
「まったく、ひやひやさせてくれたな」
「そう言うな。結果よければすべてよし、ってやつよ」
 レークはいたずらそうに舌を出した。
 その彼が力任せに射た最初の矢は、遙か彼方へと飛んでゆき焦りに焦ったが、運命の神ジュスティニアへの真摯な祈りが届いたのか、次に射た矢はへろへろと飛んで、なんとか的の隅ぎりぎりに当たってくれた。思わずその場に座り込みそうになるほど、ほっとした瞬間であった。一方のアレンは、いったい何処で習ったのかと思わせるほどの矢さばきで確実に的を射抜き、あっさりと合格を勝ち取った。
「おお……もし万が一にも、このオレが、予選で敗退なんてことになっちまったら、集まった大観衆……特にこのオレの華麗な剣技を一目見ようと、はるばる遠方より旅をしてきた人々が、がっかりとしてしまうに違いないからな」
 騎士たちの天幕で名簿に名前を記入し、剣技会本戦への参加札を受け取ると、レークはそれに口づけをした。
「小粋な町娘、情熱的な旅芸人の踊り子、さらにうるわしき宮廷の貴婦人と美姫たち……皆がオレの圧倒的な剣の技に酔いしれ、そして熱狂して叫ぶ。レーク、あなたこそ世界一の剣士……と」
「ほう、お前の番号は二百五十番か」   
「おわっ」
 背後からの声に飛び上がる。すまし顔の金髪の美剣士がそこにいた。
「アレン。てめえ、心臓に悪いぞ。気配を消して後ろから近づくな」
「ふむ。まだ修行が足りんな。俺が刺客ならお前は死んでいた」
「ぬかせ。オレには刺客なんぞに襲われるいわれはないわい。それに、試合なら負けないぜ。たとえ相手がお前でもな」
「まあ、それはやってみないと分からんが。ともあれ、確実に俺かお前が勝ち残るために考えた作戦はこうだ」
 アレンは耳元で囁いた。
「今回の剣技会は細身の剣、レイピアの部と長剣の部の二つに分かれて行われるらしい。これは俺たちにはとても好都合だ。何故なら、俺とお前がそれぞれ別の部に出場すれば」
「なるほど。オレたち二人が剣の試合でぶつかることはない……か」
「その通り。そうすれば、俺とお前が揃って勝ち残る可能性は高くなる」
「確かにな」
「では、決まりだ。俺がレイピアの部に出る。異存はあるか?」
「いいや」
 レークは即座に答えた。この皮肉めいた金髪の相棒以上に、細身の剣を巧みに使いこなせる者を、彼は知らなかった。

 夕刻の六点鐘が鳴り響き、権勢を誇っていた太陽神は、やがて西の地平へと姿を消し、かわって月の女神ソキアの統べる夜が訪れる。城門前の広場では、従者たちが忙しく働きまわり、いくつもの天幕を手際よく設置されてゆく。明日の本選にそなえて、参加の剣士たちはここで一夜を過ごすことになる。
 次々と簡易の天幕が建てられてゆき、広場はさながら、いくさを控えた陣地のようであった。その天幕群を囲むようにして松明が燃やされ、鎧姿の騎士たちが立ち回って見張りを務める。それぞれの天幕には数人ずつの参加者が割り当てられ、さっそく剣士たちは己に定められた天幕へとおさまってゆく。
「よう、お二人さん」
 割り当ての順番を待っていたレークとアレンに声をかけてきたのは、さきほど見かけた山賊の男だった。
「へえ、おめえも残っていたのか」
「俺はデュカス。カイル川の上流のコロドフって村から来た。ま、村っていっても全員が山賊の村だけどな」  
 ごわごわした黒い顎髭とちぢれた長髪を束ねた山賊は、そう言ってにやっと笑った。いかにもならずものらしい汚れたボロ服姿で、やけに目立つ立派な曲刀を腰に下げている。
「オレはレーク、こっちのは相棒のアレンだ」
「札の番号からして、どうやら、俺はあんたたちと同じ天幕のようだな。まあよろしく頼むぜ」
 割り当てられた天幕は案外広く、三人くらいは充分横になれそうだった。山賊は中に入ってどっかりと腰を下ろすと、さっそく受け取った夕食の黒パンに燻製肉をはさんでむしゃむしゃと食べ始めた。レークとアレンの二人も、敷かれた藁の上に腰を下ろし、食事をとりつつ、壺からすくったワインを飲んでほっと息をついた。
「しかし……さっきから思ってたけどよ」
 あっという間に食べ終え、山賊は自分のワインを飲み干すと、じろじろと無遠慮に二人を見た。
「お前ら目立つなあ。とくにそっちのあんた。近くでみても、まあすげえ美形っていうか。きれいな服を着りゃあ、そのままどっかの王子さまでも通りそうだぜ。いや、むしろ王女さまの方がお似合いかな」
 そう言ってげらげらと笑う山賊にも、アレンは顔色ひとつ変えない。怒るでもなく首をかしげる、その様子に、山賊はさらに興味を持ったようだった。
「なあ。あんた、本当はどっかの大貴族の跡継ぎとかじゃねえのかい?だって、どう見ても、そこいらの浪剣士には見えねえよ。それに、そんなきれいなツラをして、まともに剣が振れるのかい。まあ、さっきの見事な弓の腕を見りゃあ、剣の方もまあまあイケるんだろうが」
「あたぼうよ」
 それに答えたのはレークだった。剣の柄に手をやると、大仰な仕種で剣を抜くふりをして見せる。
「オレたちはな、その名を轟かす孤高の戦士、剣折りの名人にして居合の達人、そして正義を尊び悪を憎む旅の浪剣士、レーク・ドップと、その弟子アレンなんだからな」
「ははあ、知らんな」 
「そうか……」
 レークは寂しげにふっと笑った。
「どうやら、まだ辺境の地までは、さすがにオレたちの勇名も届いていないようだ」
 山賊のデュカスはぷっと吹き出した。勝手に「弟子」扱いされたアレンは、横で黙って苦笑する。
「面白い奴だな。気に入ったぜ」
「あんたこそ。その山賊づらでよく弓なんか使えたな。だいたい弓ってのは貴族の連中のたしなむものだと思ったが」
「ふん。山賊をなめるなよ。俺たちはな、いついかなるときでも山で獲物を狩り、日々の糧としなくてはならんのよ。そのために日夜剣と弓の訓練にはげんでいるってわけよ」
「狩るのは鹿や猪だけなのか?」 
「いいや。時々は人間もだがな……」
 二人は声を上げて笑いだした。すっかり意気投合したレークとデュカスは、これまでの旅の話や戦いの経験談などを、冗談を交えて語り合った。
 そうして、広場に夜の八点鐘が鳴り響いた。
 町では全ての市壁が閉じられ、人々が眠りにつく時間だ。他の多くの天幕でも、参加者たちは明日に備えて休みはじめる頃だろう。あたりは夜の静寂に包まれていった。
「さて、オレたちも寝るか」
「明日はいよいよ、戦いが始まるわけだな」
 三人は干し草の上に並んで横たわった。傍らに剣を置き、何事かが起きてもすぐに対処できるように休む。それが剣士というものである。
 目を閉じると、遠い風の音とともに、松明の火のはじける、ぱちぱちという音が、かすかに聞こえてくる。それぞれの天幕で眠りにつく剣士たちも、この一夜に誰もがなにがしかの感慨を思い浮かべていることだろう。
 明日から待つ闘いの時間へ。
 その興奮を押し殺すように、フェスーンの夜はただ静かに更けていった。


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