にゃーどとドラゴン
〜魔法の鍵の物語〜


◆6◆ 巨人ギルと大地の鍵

「あ……」
 ペトルも、レファルドも、声を失ってその場に立ちすくんだ。ガシュウィンだけが、すらりと抜いた剣を目の前に構える。
「……」
 三人は、目の前に現れたものを見上げていた。
 それは、まさしく巨人であった。
 身の丈は軽く三メートルはあるだろう。褐色の上半身を剥き出しにして、つり上がった細い目でこちらを見下ろしている。その恐ろしく太い腕には、丸太のようなこん棒が握られ、口許に見える黄色い歯が、興奮するように剥き出された。
「うご、がああ」
 その口から、さきほどまで聞こえていた低く獰猛な声が上がった。
「ひ、ひええ……」
 腰を抜かしたレファルドが、床に尻をつけたまま後ずさる。
「ペトル、後ろに下がれ」
 ガシュウィンは、少年をかばうようにして剣を構えながら、巨人の前に立った。
「うがあああ」
 叫び声とともに、巨人の目がかっと見開かれた。その真っ赤な目が、怒りに包まれているのが分かる。
「おま、お前らあ……」
 巨人の口から発する、ごうごうとした、唸りのような低い声が、言葉になって聞こえてきた。
「お前ら、誰だあ……」
「こ、こいつ、言葉を話すぞ」
 レファルドが驚いたように言った。
「お前らあ……邪魔をするなあ」
 唸りと言葉の中間のような、耳を圧する巨人の声に、ペトルはくらくらとなってよろめいた。
「大丈夫か?」
 少年を気づかって、ガシュウィンが巨人から目を離した。そこへ叫び声とともに、こん棒の一撃が襲ってきた。
「うごおおお」
 巨人の叫びとともに、音をたてて床石が砕けた。
「くっ」
 ガシュウィンは間一髪でそれを避けた。
「ひえっ、なんて力だ。やっぱり化けモンだあ!」
 詩人が悲鳴を上げる。
 態勢を立て直すと、ガシュウィンは剣を構えなおした。
 しかし、相手がこのように大きくては、戦いようがない。なんとか足元へ剣を打ち込めればいいが、その前にあの大きなこん棒にかすりでもしたら、ひとたまりもないだろう。
「があああ!」
 威嚇するような声とともに、巨人がずしんずしんと足音を響かせ迫ってくる。ガシュウィンはなすすべもなく、剣を構えたまま、ただじりじりと後退するしかなかった。
 巨人がまたこん棒を振り下ろした。
 ひらりとガシュウィンがよけると、床の石が砕け、衝撃で辺りが振動した。
「こんな化け物に勝てるワケねえぞ、おい」
 弱々しくレファルドが言った。
 薄暗い地下通路に、巨人の野太い唸りと、ずしんずしんという足音が響きわたる。
「……」
 ガシュウィンは後退しながらも、じっとチャンスをうかがっていた。その目を鋭くし、彼は巨人の動きをひとつでも見逃すまいと、全神経を集中するかに見えた。
「うごおおお」
 次に巨人が、こん棒を高く振り上げた瞬間、ガシュウィンは後ろにかわすのではなく、今度は反対に巨人の懐に飛び込んだ。
 巨人のこん棒が空を切る。飛び込んだガシュウィンの剣が巨人の足を狙った。
 だが、
「うおおおっ」
 吠えるような声と同時に、巨人の反対の腕が飛んできた。
「ぐわっ」
 軽々と跳ね飛ばされたガシュウィンは、通路の壁に叩きつけられた。
「ガシュウィンさん!」
 ペトルが叫んだ。すると、巨人の顔が、少年の方に向けられた。
「う……に、逃げろ」
 なんとか体を起こしたガシュウィンだったが、顔を苦痛に歪ませたまま、そこから動けなかった。
「わっ、わあああっ」
 少年の悲鳴が上がった。
 巨人の大きな手が、がっしりとペトルを捕まえていた。片手で軽々と少年の体を持ち上げ、巨人は大きく吠えた。
「セ……ペトル!」
 ガシュウィンがよろよろと立ち上がる。
「う、痛い……」
 ペトルは苦悶に喘いだ。巨人の手がぎりぎりと胴を締めつけてくる。ものすごい力だ!
「くそっ、この野郎。ペトルを離せ!」
 レファルドは、背負っていた竪琴を置くと、ナイフを手に巨人に近づいた。
「よせ……奴を刺激するとペトルが」
 ガシュウィンが言うまでもなかった。片手にペトルを持ち上げたまま、巨人がこん棒をひと振りすると、かすりもせずに詩人の体は後ろにひっくり返った。
「うわっ」
 倒れたレファルドの体が置いてあった竪琴にぶつかった。はずみでそれがポロンが鳴る。
「オ、オレの命の竪琴……」
 こんな際であったが、詩人は愛しそうに竪琴を抱き抱えた。
「うが……」
 ふと、巨人の動きが止まっていた。その表情が一瞬、奇妙に変わったのを、ガシュウィンは見逃さなかった。
「まさか……な」
 しかし、どうせ打つ手がないのなら、試してみる価値はある。
「レファルド、竪琴を弾け!」
 ガシュウィンは詩人に向かって叫んだ。
「な、なんだって?」
「いいから、弾くんだ」
「弾けって、こんなときに……なにを」
 眉を寄せる詩人に、ガシュウィンは続けて言った。
「なんでもいい、なんでも。早くしろ!」
 そんなことを言われてもと、きょとんとしたレファルドだったが、
「えい、分かったよ」
 なかばやけくそで、竪琴を弾きだした。
 すると、目に見えて巨人の顔つきが変わった。
「おお……お」
 今までの怒りの叫びとは明らかに違う、驚きのような呻き声が、その口からもれる。
「そいじゃあまあ、アドリブで一曲」
 詩人の指が、竪琴の弦をすべるように撫ではじめると、地下通路内に優雅なメロディが響き出した。
「うお……おお、お」
 竪琴の音色とともに、巨人の動きがゆっくりになるのが分かった。そして、驚いたことに、しだいに巨人のうめき声が、歌のように変わりつつあった。
「なんだなんだ、おい。この巨人さん、歌ってるのか?」
「いいからそのまま続けろ。なるべく巨人の声に合わせるようにしてやれ」
 ガシュウィンの注文に、詩人は思わず口をひん曲げた。
「この呻きに合わせろだって?うう、こりゃとんだアドリブだぞ」
 そう言いながらも、レファルドの竪琴は速からず遅からず、巨人の呻き声に合わせるようにして、器用に音程をとり始めていた。
「まったく、オレが天才だからできるものの、こんな化け物の歌に伴奏を付けるなんざ、こちとらまったく初めてなんだから……」
 口では文句を言いながらも、詩人の奏でる竪琴は、その美しいメロディですっかり巨人を魅了しているようだった。
 やがて、巨人はゆったりと、その体を竪琴の音色に合わせるように揺らせ始めた。
「うへえ。それにしても、なんて声だろう。まさか、こんな地下の廃墟でこんな化け物と一緒に音楽をやることになるとは」
 しだいに巨人の低い呻きは、少しずつメロディに乗るように聞こえはじめ、それとともに声も大きくなってゆく。
「ううっ、耳が腐るっ!」
 たまらずレファルドが叫んだ。
「この繊細なオレの耳が、こんな音痴の怪物の歌で……ダメにされちまう。もうダメ……むしろ、オレを助けてくれ」
「いいから黙って続けろ!」
 ガシュウィンの無慈悲な声が飛ぶ。
「お、鬼……」
 詩人は苦痛に顔を歪ませながらも、必死に指を動かし続けた。
「ペ、ペトルは大丈夫なのかい?」
「ああ、なんとか大丈夫そうだ」
 巨人に持ち上げられたまま、ペトルは耳を両手でふさいでいた。
 その、もの凄い、歌とも呻きともつかぬ恐るべきがなり声は、地下の通路中に響きわたり、わんわんとこだまするかのようだった。
「いいぞ、もう少しだ……」
 レファルドの竪琴の音色は、人ならぬ巨人相手であってさえ、その美しい調べを曇らせなかった。つまびかれる甘美なメロディにうっとりと目を閉じた巨人の手から、やがてぽろりとこん棒が落ちた。
 ガシュウィンは、気づかれぬようにそっと、巨人の足元に近寄っていた。
 巨人は自らの歌声に酔うように、ゆったりと体を揺らせている。手の中にいる少年のことなど、もうすっかり忘れているようだ。
 ずるりと、ペトルの体が巨人の手からすべり落ちた。
「わっ」
 床に落ちる直前、ガシュウィンがその体をしっかりと受け止めた。
「大丈夫か?」
「う、うん」
 ペトルを抱いて、そこから離れた所へ連れてゆくと、戻ってきたガシュウィンは、巨人の落としたこん棒を拾い上げた。それは丸太のように大きく、とてつもなく重かったが、日頃から丸太を持ち上げている彼には、それほどのこともなかった。
「おお、おおお」
 今や巨人は、竪琴に合わせて歌うことに陶酔しきっているようだった。こん棒を両手に抱えたガシュウィンが、そばに来たことにも気づかない。
「よし……」
 ひとつ大きく息を吸い込んだガシュウィンは、その丸太のようなこん棒を振り上げた。そして、勢いを付けて巨人の足元に思い切り叩き込んだ。
「ぐうわああああ!」
 たちまち物凄い声が上がった。
 竪琴を弾く詩人は、一瞬それが巨人の歌のクライマックスだと勘違いした。だが、思い切りすねを丸太で叩かれた巨人が、痛みのために白目を剥き、口から泡を吹いてどうと倒れると、レファルドは「ひゃあ」と声を上げて後ろへ飛びのいた。
 地下通路を揺るがすような音をたて、巨人が昏倒した。
 ガシュウィンはその腹の上に飛び乗り、手にした剣を巨人の胸に突きたてようと振り上げた。
「やめて!」
 悲鳴のような声が上がった。
 ガシュウィンはぴたりと剣を止めた。ペトルとレファルドも、そちらを振り返った。
 さきほど、巨人が現れた扉の前に、一人の少女が立っていた。
「お願い、やめて。ギルは悪くないの。ギルはちっとも悪くなんかないのよ」
 少女はその目に涙を浮かべていた。赤みがかった黒髪を後ろにたばねた、可愛らしい少女である。擦り切れたスカートをはき、足ははだしで、少し痩せている。歳はペトルとあまり変わらないくらいだろう。
「君は……」
 ガシュウィンは、巨人の胸から剣を離すと、少女に訊いた。
「君は、セシリーか?」
「そうです。どうして私のことを?」
 驚いたように、少女が聞き返す。
「村長のお孫さんだね?」
「はい」
 ガシュウィンの言葉にうなずく様子は、なかなかしっかりとしている娘のようだった。
「なにかわけがありそうだな」
 床の上にのびている巨人を見下ろし、ガシュウィンは言った。
 はじめおどおどとしていた少女は、やってきたのが三人だけだと見て、少し安心したようだった。とくにペトルがおずおずと笑いかけると、にこりと笑顔を返してきた。
「我々は、村長に頼まれて、君を助けに来たんだ」
 ガシュウィンがそう言うと、少女は驚いた顔をした。
「そう、そうだったんですか。おじいさん、おばあさん……とても心配しているでしょうね」
 うつむいた少女の顔は、悲しそうではあったが、どこかあきらめたようなふうでもあり、寂しげな笑いが口もとに浮かんでいた。
「どうも見たところ、君はこの巨人に捕らわれて、乱暴をされているというわけではないようだな。さっきは扉の向こうから、悲鳴のような声を聞いたんだが……」
「ええ。私は自分の意思でここにいます」
 少女ははっきりと言った。
「さっきのは、ギルがちょっと怒ってしまったので……いつもちょっとしたことで怒るんです。でも、絶対に私には乱暴はしません。だって、だって、彼はとても可哀相なんですもの」
「可哀相?この化け物が?」
 そう言った詩人を、少女はきっと睨み付けた。
「ギルは化け物じゃありません。とっても優しくて、強くて、そして寂しがりなんです」
「……」
 思いがけない少女の言葉に、ペトルとレファルドは顔を見合わせた。
「はじめから話してくれないか?」
「はい……」
 少女はおずおずと三人のそばに来た。
 地下での生活が長いせいか、少女の肌は真っ白で、着ている服にも擦り切れや汚れがたくさんあったが、彼女の目の光にはまだ、人間的な強さと優しさが残っていた。
「私がここに連れてこられて、もう三年くらいになると思います。それまでは、あの村でおじいさんとおばあさんと一緒に、それは楽しく暮らしていました。だから、あの時は本当に怖くて、ここに来てからもずっと泣いたり叫んだりしていました。それに、こんなに大きな……怪物、そう私もはじめはギルのことを怪物だと思っていたんです。ごめんなさいギル」
 少女は、倒れたままの巨人の体にそっと手をやった。
「でも、ギルは独りぼっちで寂しかったんです。ただそれだけだったんです。私を連れてきたのも、なにか悪巧みをしたからではなく、ただ友達が欲しかったからなんです。だから……それが分かってからは、私は逃げ出そうとはせず、ここでギルと一緒に暮らすことにしたんです」
「ちょ、ちょっと待てよ。こんなところに巨人と二人で暮らすって……なんていうか、君はよっぽど変わった女の子なんだなあ」
 レファルドの言葉に、少女が首をかしげた。
「そうかしら?でもギルは本当に優しいんです。私のために、毎日水を汲んできてくれるし。木の実をとったり、最近では自分で外に畑を作って耕しはじめたんです。それまでは、村へ行って食べ物を取ってきたりしてたみたいだけど、私がそんなことはしないでって頼んだら、もうしないと約束してくれました」
「へええ、この巨人がねえ……」
 感心したようにレファルドが言った。ガシュウィンは、腕を組んだまま少女の話に耳を傾けている。
「では、君はもう、村に帰る気はないのか?」
「それは……」
 ガシュウィンの問いに、少女は複雑な表情をした。
「村長夫妻はとても心配していたぞ。このペトルはな、今は村長の家に暮らしているのだが、セシリーのことを聞かされて、どうしても自分も助けに行くと言って、危険をおかしてまでこうしてここまで一緒にきたのだ」
「そう。そうだったの……」
 少女はペトルににこりと笑いかけた。
「ありがとうペトル。私のことを心配してくれて」
「ううん。僕は……僕はいいんだ」
 少し照れながらペトルは首を振った。
「でも、おじいさん、おばあさんが、とってもセシリーのことを心配しているよ。おばあさんは、僕がお祭りで笛を吹いたとき、セシリーのことを思い出して泣いていたんだよ。あの子は歌が好きだった、って言って」
「……」
 セシリーの目から、うっすらと涙がこぼれた。
「ね。村へ、帰ろうよ。セシリー」
「村へ……」
 だが、彼女は悲しそうにうつむいた。
「でも、だめだわ……だって、ギルを、このギルを一人で残していけないもの」
「おらが……なんだって?」
「きゃっ」
 驚いた少女が振り返ると、巨人の上体がぬっと起き上がっていた。
「ギル……」
「セシリー、帰りたいのか?」
 野太い巨人の声が、今はかすかに震えているようにも聞こえた。
「いいえ。あのね、ギル……私」
 いったんは笑顔を見せようとした少女だったが、
「ごめ……ごめんなさい」
 まるで、こらえ続けていたものがあふれだすように、その目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
 巨人のギルは、静かにすすり泣く少女を、じっと見つめていた。
「おら、お……おら」
 それから、巨人はぬっそりと立ち上がり、低い声で言った。
「お前を、帰すことに決めた」
 それを聞いて、はっとしたように少女が顔を上げる。
「ギル……」
「昔は、おらも仲間いっぱいいた」
 巨人は話しだした。その目が、とても遠いものを思い出すように細められる。
「だども、人間たちはおらたちを化け物といって、森から追い出した。だから、おらたちはここにすみかをつくって、みんなで暮らすことにした。あの頃はいっぱい友達もいて、楽しかった。でも、少しずつ仲間がへっていった。いつの間にか、気づくとおらだけだ。おら、一人になり寂しかった。だから、悪いこと分かっていたのに、村から無理やり女の子を連れてきた。お前だ」
「……」
「セシリー……おらと、一緒にいてくれて、あ、ありがとう」
 巨人の声が心なしか震えていた。
「……だども、もう平気だ。おらもう、寂しくない」
「ギル……でも」
「寂しくねえさ。お前、村に帰る。お前それで幸せ」
 その細い目が、優しく少女を見つめていた。
「お前幸せなら、おら嬉しい。お前を泣かせる、悪い奴。おら、ときどき悪い奴だった」
「ギル……」
 少女は巨人の足もとに身を寄せた。そのぬくもりを感じるように、ギルも目を閉じた。二人はしばらくそうして動かなかった。
「なんていうか、怖いと思って来てみたら、これが意外といいお話だったってワケだな」
 詩人は竪琴を拾うと、それをポロンと鳴らした。
「ではセシリー、一緒に村へ帰るか?」
 もう一度ガシュウィンが尋ねると、少女は顔を上げ、ゆっくりとうなずいた。
「ええ、でも……。お願いします。ギルも、ギルも一緒に連れていってください」
「なんだってえ?」
 レファルドの竪琴が、ボロンと外れた音を出した。
「巨人を、村に?」
 ガシュウィンが聞き返すと、少女はうなずいた。
「ええ。だって、このまま私が帰ったら、またギルは悪者扱いされてしまうわ。そんなの可哀相よ。私と一緒に村へ戻って、わけを説明すれば、おじいさんもおばあさんも、きっとギルを許してくれる。そして、村の人々にもちゃんとあやまるの。ね、ギル」
「おら、おら……あやまるだ。悪かったって、あやまるだ」
 素直に巨人は言った。
「しかし……」
 ガシュウィンは考えるように腕を組んだ。
「そうしよう。きっと、それがいいよ」
 それまで黙っていたペトルが言った。
「巨人のギルさんだって、こうやって話してみれば、化け物なんかじゃないのが分かるし、セシリーがこんなにギルさんを好きなんだと分かれば、おじいさんもおばあさんも、それに村の人達も、きっと分かってくれるよ」
「ペトル……ありがとう」
 少女はペトルの手をとった。
「私の気持ちを分かってくれて。嬉しいわ」
「そんな……」
 真っ赤になったペトルは、照れながら頭を掻いた。
「分かった。では、皆で一緒に村へ戻ろう」
 ガシュウィンがそう言うと、少女もペトルも、それに巨人もが、一様に顔をほころばせた。
「やあ、よかったなあ。これぞハーピーエンドってやつだ。うんうん。オレも勇敢にここまでやってきた甲斐があったよ」
 気楽そうに言った詩人が、またポロンと竪琴を鳴らす。その横で、ガシュウィンは無言のまま、じっと何かを考えるように、喜ぶペトルの顔をただ見つめていた。
 そろそろ日もくれる時分ということで、出発は明日の朝ということにして、今晩は地下に泊まることになった。
 詩人ははじめ、こんな気味の悪い場所に、巨人なんかと一緒になって眠るなどごめんだと渋ったが、森の夜には狼も出るがそれでもかまわぬなら外で眠るがいい、というガシュウィンの言葉に、口を尖らせつつも黙り込んだ。
 ペトル、ガシュウィン、レファルドの三人は、あらためて巨人の部屋に案内され、セシリーとともに、干し草の上に布をしいただけの簡素なベッドで眠ることになった。
「ねえ、ギル。ここを出るのはさびしくない?」
 今まで過ごした地下のすみかでの最後の一夜を思うように、セシリーは、あらためて部屋を見回した。
 巨人のサイズに合わせて造られた部屋は、とても広々としていて天井も高かった。部屋の真ん中には、ガシュウィンの頭ほどの高さのある巨大なテーブルと、これも普通の人間では座れないほどの、石でできたとてつもなく大きな椅子があり、その横に、こちらは少女のためのものだろう、小さなテーブルと小さな椅子が置かれていた。
 その大小の極端な対比は、まるでおとぎ話の中の巨人と小人のすみかが合わさったような、不思議な光景だった。
「いいや、おら、もう寂しくはねえだ。だって、お前もいるし、それに……」
 巨人のギルはそう言って、干し草のベッドに座る三人の人間に目をやった。
「こいつらも、なんだかおらのことを、そんなに嫌そうにしない。怖がらない。だから、もしかしたら、おら、他の人間とも友達になれるのかもしれない」
 それを聞いて、詩人は思わず口をひん曲げたが、隣に座るペトルの方は、にこにこと笑ってうなずいた。
「そうだよ。こうして話せば、巨人さんも悪い怪物なんかじゃないのが分かるし、僕、巨人さんと友達になりたいな」
「友達。お前、友達になる?ギルと友達になる?」
 ギルは嬉しそうに、もじもじと大きな両手を揉み絞った。
「うん、よろしく。僕はペトル」
「ペトル、友達。おら、ギル」
「じゃあもう、僕たちは友達だね、ギル」
 ペトルと巨人が笑い合ってうなずく。
「ちぇっ、こんなうすらデカいだけの能無しを友達にして、どうだってんだ」
 レファルトは密かにつぶやいたが、ギルがこちらを見て歯を剥き出して笑うと、彼も仕方なく顔を引きつらせ笑い返した。
「友達。友達またできた。おらうれしい」
 巨人はすっかり上機嫌で、自らの寝床であるひときわ山盛りの干し草の上にどすんと腰を下ろした。
「ねえ、そうだわ、ギル。ここを出てゆくのなら、あれを持っていかないとね」
 思い出したようにセシリーが言うと、
「あれ。そうだ。あれ!」
 ギルは飛び上がるように立ち上がり部屋の奥へゆき、壁をえぐって作られた棚に置かれていたものを持ってきた。
「これ。これ、おらたちの守り神。おらたちに昔からつたわる守り神だ」
 レファルドとペトルは、巨人の手にしたものを覗き込んだ。
 それは、巨人の一族を模して作られたような、木彫りの人形であった。
「守り神?これがねえ……なんだか汚らしい人形だな」
「んだと?守り神さまを馬鹿にするだか」
「ひえっ、悪かった、悪かったよ」
「どれ、僕にもさわらせて」
 ペトルがその人形に触れた。そのとき、それは起こった。
「な、なんだ?どうしたペトル」
 驚いた詩人が声を上げる。
 突然、少年の胸元がぱっと光り出していた。
「えっ?」
 ペトルが胸元を見下ろすと、そこからまぶしい銀色の光があふれだしていた。
「なに、これ……」
 おそるおそる、首にかけていたものを取り出してみる。
 少年の手の中で、銀の鍵がまばゆいほどに、きらきらと光りを放っていた。
「ああ、鍵が光っているんだ」
「見ろ、その人形も光っているぞ」
 そばに来たガシュウィンが声を上げる。まるで銀色の光に呼応するかのように、巨人の持ってきた人形からも光がもれ出していた。
「守り神が、守り神が光ってるだ……」
 すっかり驚いたギルは、呆然と人形を見つめた。
「ペトル……お前のその鍵はいったいなんなんだ?」
 レファルドが尋ねる。
「うん、これは……」
「まて、それより、この人形の中には、なにかあるようだぞ」
 人形を調べていたガシュウィンが言った。光がもれている部分に指を入れてみると、思いがけず人形はぱかりと二つに開いた。
「おお」
 いきなり、そこからまぶしいほどの光があふれだした。
「これは……」
 ガシュウィンの声がかすかに震えた。
 そこにあったのは、まるでエメラルドのように緑色に輝く鍵だった。
「おお鍵だ。緑色の鍵……ペトルのは銀色。これは、なにか関係があるのか?」
 二つの鍵を見比べレファルがつぶやいた。ギルとセシリーは、なにが起こったのか分からない様子で、ただその鍵を見つめている。
「……」
 ガシュウィンは、その緑色に光る鍵を手に取り、それをペトルに差し出した。
「これはお前のだ、ペトル」
「えっ?」
「お前の鍵と同じ、これはエレメンツ・マジックキーだ」
「エレメンツ……マジックキー?」
 不思議そうにつぶやく少年の前で、銀と緑の光がきらきらと交わり、美しい輝きを放っていた。それはまるで、鍵たちが出会いの喜びに震えるような、そんなふうにも見えた。
「私も、詳しいことを全て知っているわけではないんだが」
 その場にいる連中が落ち着くのを待って、ガシュウィンはそう前置きをして話しだした。
 さっきまではまぶしいくらいに輝いていた鍵たちは、再会の喜びをはたして満足したように光るのをやめ、いまはそれぞれに銀と緑の色をしているだけだった。
 巨人のギルは、二つに分かれた人形をもとに戻してもらい、それを大切そうに握りしめている。巨人にとっては、中にあった鍵などよりも、人形そのものの方がよほど大切であるようだった。
「太古の昔、力のある魔術師たちが、それぞれのパワーの源である四つの元素の魔力を、鍵に込めた」
 干し草の上に座る全員を見回し、ガシュウィンが話しだした。
「つまり……風、大地、水、炎、それらの大いなる力を四つの鍵に込め、それを手にしたものは、魔力と同時に四元素の力とその庇護を得られる、というそんな言い伝えがある」
「そういえば、オレもどこかでそんなような話を聞いたことがある。四つの鍵の物語。なるほど、それじゃ、それは本当だったんだな」
 レファルドが興奮気味に言った。伝説や物語という類に心踊らせる性質は、やはり根っからの吟遊詩人である。
「すると、今ペトルの持っているのがそのうち二つの鍵なのか」
「うむ、おそらく。風と大地の鍵だろう」
「へええ、そりゃすごいや。しかし、なあペトル、お前はどうやって、その銀の鍵を手に入れたんだ?」
「それは……」
 ペトルは二本の鍵を見つめたまま、困ったように口ごもった。
 ここで、魔術師ゲルフィーやドラゴンの話などを皆にして、万が一自分の正体を知られることが、彼にはとても怖かった。
「……それよりも、」
 話を引き継ぐようにガシュウィンが言った。
「あと二つの鍵、水の鍵と炎の鍵が、どこかに存在するはずだ。それら四つの鍵を集めたとき、大いなる魔力と四元素の力を得た者は、あらゆる望みが叶うだろうという、そんな言い伝えがある」
「あらゆる望み。へええ、そりゃいいや」
 詩人が陽気に言った。
「それじゃ、鍵を揃えりゃ、金でも女でもなんでも手に入るし、それに……おおそうだ、新しい楽器もたくさん買えるじゃないか!そいつはなんて最高なんだろう」
「まったく。ごうつくな奴め……」
 呆れたようにガシュウィンが笑った。
「でも私はそんなものよりも、もっと普通の幸せがあればいいわ」
 セシリーがそう言うと、横に座る巨人のギルもうなずいた。
「んだ。おらしあわせだ。セシリーもいて、それにまた友達もできて。そんな鍵はいらない。そんなものペトルにやる」
「ありがとう、ギル」
 ペトルは、手の中にある二つの鍵にそっと触れてみた。
(もし、本当に、なんでも望みがかなうなら……)
 鍵を見つめながら、じっと思う。
(そうしたら、)
(父様と母様が……戻ってくるといいな)
(もし、また前みたいに、三人で楽しく暮らせるのなら……)
 その願いが叶うなら、なんだって頑張れる……。
 そんな気がした。

 翌朝になり、セシリーと巨人のギルを加えた五人は、地下のすみかに別れを告げた。
 地上に上がり、朝日の見える丘の上に立つと、セシリーは森の向こうから昇ってくる太陽を、まぶしそうに眺めた。
「きれい……」
 こうして外に出て朝日を見ることなど、めったになかったらしい。久しぶりの外の空気に、セシリーは何度も息を吸い込んでいた。
「では、いこうか」
 ガシュウィンを先頭に、ペトル、レファルド、セシリー、そして巨人のギルは、それぞれの思いを胸に、丘を下っていった。
 ペトルは、緑色の大地の鍵を、銀の鍵と一緒にドラゴンのひげに通して、大切そうに首にかけていた。それを身につけていると、なんだか踏みしめる土や森の木々、それに鳥たちの声までもが、とても近しく感じられるような気がした。
「大地と風の鍵……」
 そっと口の中でつぶやいてみる。
 昨夜、ガシュウィンから聞かされた四つの鍵の伝説は、これからゆく先の目的となる、大きな扉のようなものを、彼の心の中にぼんやりと映しだしてくれたのだった。
(願いが叶う四つの鍵……)
 ペトルの頭には、そのことが大きな希望となって、きらきらと光り輝き始めていた。
 巨人を含んだ奇妙な五人連れは、森を抜け、川を渡ってゆき、ついに村の入り口に差しかかった。
「ああ、村が……村が見えるわ」
 巨人の肩の上でセシリーが声を上げた。
 少女にとっては、二年ぶりに帰るなつかしい場所である。途中から、少し疲れたセシリーを肩に乗せて歩いていた巨人のギルは、嬉しそうなセシリーの顔を見て、自身もにこにことしていた。
 ガシュウィンら一行が村の入り口をくぐると、まっさきに巨人の姿を見つけた村人が、「ひゃあ」と声を上げた。
「大丈夫よ。ね、大丈夫……きっとみんな分かってくれるから」
 なだめるようにセシリーが囁く。巨人はうなずき、おとなしくペトルたちの後についていった。
 しだいに、彼らの帰還を聞きつけた村人たちが、次々に道の周りに集まってきた。
 村人たちは、はじめ、ギルの姿を見て声を上げたり、指をさしたり、恐ろしそうにしていたが、その肩に乗るセシリーが笑って手を振って見せると、今度は驚いた様子で、隣のものとあれこれと言い合いはじめた。
 ガシュウィンを先頭にして、一行が巨木の前の広場まで来ると、そこにはすでに大勢の人だかりができていた。遠巻きにこちらを窺っていた人々は、巨人が近づいてきたことにぎょっとしたようにあとずさったが、そこにいた村長夫妻が進み出ると、人々はいくらか安心した様子になった。
「おお、セシリー!」
 巨人の肩から下りて歩いてきた少女の姿を見るや、村長夫妻は声を上げて駆け寄った。
「無事でおったのか、おお……神よ」
「セシリー、セシリーや……」
「おじいさん、おばあさん!」
 顔をくしゃくしゃにして孫の名を呼ぶ老夫婦を前に、少女の目からも大粒の涙があふれ出した。
「なんとまあ……本当に無事で。それにこんなに大きくなって」
「おばあさん、ごめんなさい……わたし、わたし」
「いいんだよ、何も言わなくて。わしらはの、ただただ嬉しいのじゃ。お前がこうやって無事に帰ってきて。それだけでもう、なにもかもよいのじゃ」
「ああ、おじいさん……」
 セシリーも、それ以上はなにも言えなかった。
 三人はただ再会の喜びに声を震わせ、いつまでも固く抱き合っていた。
 ほんの短い再会の間に、少女と老夫婦はこれまで離れていた時間を、もうすっかり取り戻したかのようだった。それぞれが、孫を取り戻した祖父母と、優しい祖父母に包まれた幸せな少女の顔へと戻り、互いに笑い合い、また何度も抱きしめ合った。
 広場に集まった村の人々、それにペトルとレファルドも、この感動的な再会に思わずもらい泣きをしながら、少女と老夫婦を見守っていた。
「ガシュウィンさん、本当に……本当にありがとう。セシリーを助けてきてくだすって」
 涙に濡れた目で老人が礼を言う。
「いいえ。彼女が戻ったのは、彼女自身の意志です」
 ガシュウィンは穏やかに言った。
「そして……この巨人の意志です」
 泣きぬれていた顔を上げ、セシリーも祖父母に告げた。
「そうよ。ギルはちっとも悪くはないの。私にとっても優しくしてくれたわ」
「セシリー……」
 老夫婦は、後ろに立っている巨人の方におそるおそる目をやった。うっそりと頭を下げる巨人に、思わず二人で顔を見合わせる。
「ねえ、お願い。おじいさん、おばあさん。ギルを許してあげて。ギルは、今はもうすっかり反省しているわ。以前したことを後悔して、とても反省しているわ。だから、どうか……この村に、私たちと一緒に住ませてあげて」
「おら……悪かっただ」
 ゆっくりと巨人のギルが口を開くと、その場にいる人々からざわめきが上がった。
「おら、いろいろ悪さした。今までのことは、ほんとすまねえだ。だども、もうしねえ。セシリーと約束しただ。おら、もう寂しくねえだ」
 村人たちは、巨人の謝罪の言葉に、すっかり驚いたように静まり返った。そして、ことの成り行きに注目するように、村長の方に目を向けた。
「ねえ。こんなにあやまっているわ。許してあげて。ギルをここに置いてあげて」
「……」
 しばらく黙っていた老人は、困ったように孫の名を呼んだ。
「セシリーや。それは、お前の願いだから、なんだって聞いてやりたいが……だが、そればかりはの」
「どうして?」
 セシリーは両手を揉みしぼった。その目にまた涙があふれてくる。
「それは、たとえ、わしやばあさんが許しても、村の連中すべてがギルを許すことはないだろうから。大切な畑を荒されたり、家畜を襲われたり、そんな嫌な記憶がつきまとってしまう以上、たとえギルがもう改心して悪さをしなくなったとしても、それを信じられないものもいるのだよ」
「そんな……」
「畑は元のようにもどっても、人の心まではもう、もとにはもどらないのだよ」
 老人は悲しそうに言い、首を振った。
「そんな……」
 セシリーは両手で顔を覆って、しくしくと泣きだした。そばにいた村人たちは黙ったまま、誰も何も言わなかった。
「さ、セシリー。ともかく家にお入りな」
 老婦が優しく孫娘の肩を抱いた。
「それがいい。疲れたろう。お茶とお菓子でも食べて、ゆっくり元気になっておくれ」
 老人も、今は村長の顔からまた、優しい祖父の顔へと戻っていた。
「おお、それにペトも。これからはセシリーと一緒に、四人でここで愉快に暮らすことにしよう。ほら、おいで」
 老人のそばに来たペトルだったが、迷うようにうつむき、それから顔を上げて言った。
「いいえ、おじいさん。僕は、行きます。いままで、本当にありがとうございました」
「なに?まさか……村を出てゆくというのか?」
 驚いた老人が聞き返した。
「はい。僕は行きます」
 ペトルははっきりとうなずいた。その目には、これまでにない強い意志の光があることが、すぐに老人にも分かった。
「しかし、行くってどこへだね?」
「それはまだ分かりません」
「おお、ペトや。どうしてそんなことを言うの?せっかくセシリーもこうして戻ってきたというのに」
「ごめんなさい、おばあさん。でももう、僕は決めていたんです。セシリーが戻ったら、僕は出て行こうって」
 ペトルは、少し寂しそうににこりと笑った。
「これまで、見ず知らずの僕に、本当の子どものように良くしてくれてありがとう。このご恩は決して忘れません。でも僕は、ずっとここにいてはいけないんです」
「それは、それはいったいどうしてなんだね?」
 老人が尋ねる。
「それは……」
 少年は少し迷って、それから言った。
「僕は……僕は、鍵を探さなくてはならないんです」
「鍵?鍵じゃと?」
 老人が首をかしげる。
 そばにいたレファルド、そしてガシュウィンがペトルを見た。
「その鍵を見つけて、僕はしなくてはならないことがあるんです。……だから、僕は行きます」
「そうなのか。……よく分からんが、もうここにはおれないと、そう言うのか」
「はい」
「そうか」
 老人はそれ以上は言わず、ただ白いあご髭を撫でつけた。
「ペトル……本当に行ってしまうの?」
 涙に濡らした目で、セシリーがこちらを見ていた。
 別れのつらさは見せまいと、ペトルは少女に向かって微笑んだ。
「うん。こんなこと、僕が言うのも変だけど。おじいさんとおばあさんと、仲良く暮らしてね。いつか、きっとまた会いにくるから」
「ペトル……」
「おら、おらも行くだ。セシリー」
 巨人のギルが声を上げた。その巨体に似合わぬような優しい目をして、巨人は言った。
「おら、ペトルとはもう友達だ。だから、おらもペトルと行くだ。だから、だから……寂しくねえだ」
「ギル……あんたもなの」
「また会えるだ」
 巨人がにっかりと歯をむき出して笑うと、セシリーの目からはまた涙がこぼれ出した。
「ご老人」
 村長夫妻の前に進み出たガシュウィンが、胸に手をやり、騎士の礼をした。
「私も、ペトルとともにゆきます。彼はきっとこの私がお守りします。どうぞご心配されますな」
「そうか。そうなのか……」
 老夫婦は、突然のことばかりで、なにをどう言ってよいか分からない様子だった。
「あなたが一緒なら、安心じゃ。だが、だがすぐに行ってしまうのかね?せめて一晩だけでも泊まってゆかんかの、ペトル」
「おじいさん、ありがとう……」
 ペトルは、必死に涙をこらえながら言った。
「でも、僕はもう行きます。自分がしなくてはならないことを、それをしなくては。それにやっと気づいたんです。短い間でしたが、本当に楽しかったです。この村に来て、僕は初めて普通の子どもとして生きられたみたいです。あのすてきな木の家や、おばあさんの料理、そしてお祭りの夜のことも、ずっと忘れません」
「ペト、ペトや……」
 老夫婦の目から、さっきまでの再会の涙とは違う涙が、とめどなく流れだしていた。
「ありがとうございました。おじいさん、おばあさん」
 少年はしっかりと老夫婦の手をとり、何度も礼を言った。そして、最後にセシリーとも握手をかわす。
「元気でね、セシリー」
「あなたも、ペトル」
 村に戻ってきたものと、村を出てゆくもの……
 だが、それぞれの思いは同じだった。いつかきっと、また会える。そう信じていれば。
「ちょっと待っていな、ペトや」
 そう言って、老婦は木の上の家に上がっていった。少しして戻ってきたときには、その手に大きな包みを抱えていた。
「せめて道中でお腹を減らさないように。今日作ったパイやとっておいた塩漬け肉に腸詰め、果物なんかをたくさん入れておいたよ」
「ありがとう、おばあさん」
 ペトルは、最後に老夫婦とセシリーに向かって手を振った。
「それじゃ、また来ます」
 さようならとは言いたくなかった。
「ありがとう」
 広場に集まった村の人々にも手を振ると、少年はガシュウィンにうなずきかけ、ギルとともに歩きだした。
「あーあ、せめてちょっとばかし休んでからでもいいのにさ」
 不満そうに言ったレファルドだったが、自分も一緒に行くことは決まっているのだというように、ぶつぶつ言いながらも後につづく。
 村を出る道を少し行ったところで、ギルは立ち止まった。巨人は最後に少女に向かって大きく手を振った。
「セシリー!」
「ギル、いつか……いつかきっと、戻ってきてね」
 セシリーの声が聞こえると、ギルは何度も何度もうなずいた。顔をくしゃくしゃにして、その巨体を震わせるようにして。
 こうして、巨人のギルを新たに加えた、ペトルたち一行は、それぞれの思いを胸にしまい、森の村を後にしたのだった。
「さーて、んで?オレたちはこれからどこへ向かうんだい?」
 村を出て、しばらく林の道を小川にそって歩きながら、詩人のレファルドは誰にともなく尋ねた。だが、先頭をゆくペトルも、その横に並んで歩くガシュウィンも、その問いに答えない。もちろん、詩人の後ろをずしんずしんと付いてくる巨人のギルも。
「……」
 ちらりと振り向いたペトルだったが、口を開きかけたまま何も言わず、また前を向いた。
 つまり、これからどこへ向かうのか、知るものは誰もいないということか。詩人はため息をついた。
「唯一の救いはお天気ばかりー、流浪の我らはどこへゆくー」
 歌うように口ずさみながら、晴れ渡った空を見上げる。
 四人の旅人の行く末は、当分は小川の流れと、天気まかせのようであった。



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