ミミーの魔女占い 後編 5/7 ページ



 店に戻ると、ミミーはさっそく解毒薬作りにとりかかった。
 マンドラゴラの根の部分をすりつぶし、それを数種のハーブと混ぜて煮出し、濃縮させる。大釜からは強烈な匂いのする煙がもくもくと立ち込め、ミミーは咳き込みながら一生懸命木べらでかき回し続けた。
「さあ、リミー。飲んで……」
 ベッドでぐったりとなっているリミーをかかえ起こし、その口元に解毒薬を入れたスプーンを近づける。強い匂いのためか、リミーは無意識に顔をそむけたが、ミミーが泣きながら耳元に囁くと、かすかにその口を開けてくれた。
 解毒薬をひと口飲んでしばらくすると、青ざめていたリミーの頬にほのかに赤みがさした。このまましばらく寝かせれば、毒はすっかり抜けるはずだ。ほっとして椅子に座り込んだミミーは、祈るような気持でリミーを見つめながら、いつしかうとうとと眠っていた。
 翌朝、目が覚めたミミーが一番にベッドを覗き込むと、リミーは穏やかな顔をしてはすやすやと眠っていた。
「よかった……」
 その声が聞こえたのか、リミーのまぶたがぴくりと動いた。
「ん……あれ」
 目を開けた彼女は、何度かまばたきをすると、そばにいるミミーを見た。
「……わたし、どうしたのかな。ここで寝ちゃったの?」
「ああ、リミー。よかった」
「どうしたの?ミミー……泣いてる」
「ううん……なんでもないよ」
 不思議そうに自分を見つめる親友に、ミミーは涙をぬぐって笑いかけた。
「おはよう、リミー」

 すっかり元気になったリミーは、馬車に乗って帰っていった。
 それを見送ると、ミミーは思い切ってウルスラの店へ行ってみた。店の扉には板が打ちつけられ、そこにはもう誰もいなかった。ミミーはあとで知ったのだが、ウルスラは王国の監査部から謹慎処分を受け、店の資格を剥奪されたということだった。
 それ以来、ミミーの店に赤い髪の魔女が嫌がらせに来ることもなくなり、町の人々の口からも噂はすぐに消えた。店には平穏な日々が戻ってきた。
「なんだか、大変だったみたいだねえ」
 朝食のパンを持ってきたポボルが、ミミーとデュールを前にしてしみじみと言った。
「お友だちは元気になってよかったけど、もしそのまま死んじまったら、まるであんたのせいみたいに思われてしまっただろうさね。でも、そういや確かに、西側の魔女さんは、あまりいい噂を聞かなかったよ。男をたぶらかしたり、効きもしない薬草を高く売りつけたりってね。きっと、あんたの店の繁盛ぶりがねたましかったんだろうね」
 だが、ミミーは笑って首を振った。
「たぶん、ウルスラも悪い魔女ではないんです。ただ、わたしが町に来て、彼女のお客をとっちゃったりして、まだ新米なのに。生意気だと思われても仕方がないんです」
「そんなことはないよ。あんたはとってもいい子だよ。それにお客が来るのは、あんたの作るものがいいからさ。魔女ったって同じさ。商売ってのはそういうもんだ。そんなことは気にしないほうがいいよ」
「ありがとう、ポボルさん」
「それにこのデュールだって、たいそうあんたになついているみたいじゃないか。まさかこの痩せっぽちのぼうやが、こうして店を手伝うなんて、考えもしなかったよ」
「ぼかぁ……あの、ぼかぁ……店、楽しいよ」
「おやまあ。なんだか顔色もずいぶんよくなったようだし。あんた、これはミミーさまさまだねえ」
「ミミーさまさま……」
 そうつぶやくと、デュールは照れたように下を向いて、黙々とパンをかじり出した。

 四月も半ばを過ぎ、町はいよいよ春の訪れに活気を帯びてきた。色鮮やかな胴着に身を包んだ女性たちが通りを行き交い、楽しげな声を響かせる。新緑の香りを漂わせる都市郊外の森には、鷹狩りに興じる城の貴族たちや、ハイキングを楽しむ人々の姿も多く見られる頃だろう。
(今年のビョールティナは王国に帰ってみようかな)
 うきうきと店の掃除をしながら、ミミーはそんなことを考えていた。だが、すぐにそうもいかなくなる出来事が起きた。
 店の前に、見たこともないような立派な黒塗りの馬車止められた。
「いらっしゃいませ」
 店に入ってきたお客を見て、ミミーは思わず息を飲んだ。一見して貴族と分かる、金糸の刺繍の入った美しいローブをまとい、胸元にはルビーやサファイヤのペンダントを光らせた女性は、ミミーを見て鷹揚にうなずきかけた。
「こんにちは。占いをしているミミーのお店というのはここね」
「は……はい」
明らかにいつものお客とは違う優雅で上品な物腰に、ミミーは緊張した。
「え、ええと……どうぞお座りになってください」
「あなた、ずいぶんお若いようだけど、噂ではなくしもの探しや、占いの腕はとても確かだと聞いたわ」
 女性は椅子に腰掛けると、テーブル越しにミミーを覗き込んだ。歳は三十に近いくらいだろうか、宝石の入った髪飾りで黄金色の髪をとめ、念入りに化粧のされた顔はまだ充分に美しい。
「今日は私が想っているある方のことを、占って欲しいのよ」
「はい、わかりました」
 ミミーはうなずくと、さっそく愛用のペンデュラムを手にした。陳列台でまどろんでいたパステットがぱっと顔を上げる。久しぶりの占いが嬉しいのだろう。
「ええと、では、その方のお名前を……」
「それは、言えないわ」
「そうですか。では、その方のことを強く思い描きながら、わたしに質問してください」
「わかったわ」
 女性は両手を組み合わせ、祈るようにぎゅっと目を閉じた。
「では……いとしいあのお方は、今どこにおられるのかしら?」
 ミミーは地図の上でペンデュラムの振り子をゆらめかせた。女性からのイメージが伝わるのが感じられた。先端の水晶がぴくりとなにかに動かされる。ペンデュラムが指したのは町の外だった。
「その方は、町の郊外にいるようです」
「やっぱり。今日は鷹狩りにゆくと言っておられたから」
 目を開けた女性は大きくうなずいた。
「では……あの方がお好きなのは、タンジェリン姫なのかどうか、分かるかしら?」
「では、そのタンジェリン姫という方のことを、心に強く思い描いてください」
 ミミーは、今度は文字盤の上にペンデュラムをつり下げ、意識を集中した。すぐに、先端が左回りに動く気配があった。水晶が「NO」という文字を指した。
「どうやら、その方のことは意中にはないようです」
「まあ、そうなの。それはよかったわ」
 女性はほっとしたように微笑んだ。
「では、では……もうひとつ。あのお方は、これから先、私に好意を抱いてくださることがあるかしら。そして……私はそのお方と結婚できるかしら」
「あのう、申し訳ありませんが、結婚や死といった具体的な事項に関しては、魔女の占い資格の規定に反しますので、占うのを禁じられています」
「ああ、そうなの。残念だわ。ええと、それじゃ……」
「レナーテさま。そろそろ戻りませんと。晩餐のためのご衣装合わせもありますし」
 従者らしき黒い服の男が、扉から顔を覗かせ言った。
「ああ、もう。いいところなのに。もっといろいろ占って欲しかったわ。私の幸運の色とか、持ち物とか、それにあの方をお誘いするのに都合のよい日取りや、それから……」
 女性は仕方なく立ち上がると、代金にとミミーに金貨を差し出した。
「あ、いえ……こんなにいただいては」
「いいのよ。面白かったわ。それにあなたの占いは、はっきりしていて分かりやすい。とても気に入ったわ。今で何人かの魔女に占ってもらったことがあるけど、あなたのは一番当たりそうな気がする。まだ若いのに大したものだわ」
「あ、ありがとうございます」
「それじゃ、また来るわ」
 馬車に乗り込んだ女性を見送るミミーは、そのときすでに予感めいたものを覚えていた。
(なにかが……なにかが変わってゆく)
(それはいいことなのかしら。それとも……)
 くすんだ色の曇った空を見上げ、ミミーは未来を想像した。

 結局、ビョールティナにも王国へは帰らず、ミミーは店でひっそりとサバトの儀式を行った。今帰ってカヴンの家族たちと会うと、少し自立しかけている自分が、またもとの小さなミミーに戻ってしまうような、そんな気がしたのだ。
 それから数日すると、再びあの貴族の女性が店を訪れた。
 彼女は、また同じような恋の悩みをミミーに打ち明け、占いを求めた。ミミーは、ためしに水晶玉を使って占ってみたが、これが今までにない魔力の集中をもたらした。自分自身でも驚きながら、ミミーは水晶に映ったイメージを読み取っていった。占いに満足した女性は、すっかり気をよくして、それからも何度かミミーの店に来るようになった。
 そうして五月も終わり、ミミーがこの町に来てから、もう半年がたとうとしていた。

 柊の王が復活するオルバン・ヘフンが近づく頃、ミミーのもとに城からの使者がやってきた。
「ええっ?わたしをお城に、ですか?」
 はじめ、ミミーはそれをなにかの間違いかと思った。だが、どうやらそうではなかった。ぴったりとした青い胴着にふくらんだズボンと長靴下姿の、いかにも貴族の小姓めいた使者は、ミミーの前で領主の蝋印の入った文書を物々しく広げて、それを読み上げた。
「クセング・ロッド領主、ホルガー伯爵の名のもとにおいて、次のものを城にて召し抱えることを認める。魔女ミミー・シルヴァーは、ただちに要請に従い粛々と登城すべし」
 ミミーが驚いたことに、文書の最後には女王シビラの書き添えが記されていた。「魔女ミミー・シルヴァー。クセング・ロッド城への出仕を認めます。己の身をわきまえ、つつがなく従事するよう」と。
「わ、わたしが……お城に」
 突然のことに目を白黒させて驚きながら、ミミーには自分がどうすべきか分かっていた。
 行くしかない。町の領主の命令であるうえ、女王シビラの許可があるのなら考えるまでもなかった。
 ミミーはさっそくポボルに訳を話し、自分が城へ行っている間のこの家の管理と、それにデュールのことを頼むと、丁寧にいままでの礼を述べた。
「きっと、また戻ってきますから。そのときはまたどうか、よろしくお願いします」
「ああ、お城へ行っても元気でおやり。あんたならきっと大丈夫だ」
 ポボルは少し寂しそうだったが、そう言ってミミーの肩を叩いてくれた。
「ぼかぁ……ぼかぁ、嫌だよ」
 ミミーが部屋に戻り、急いで荷物をまとめているところに、デュールが来た。もじもじとしながらも、彼ははっきりと自分の気持を伝えてきた。これは珍しいことだった。
「ミミーが行くんなら、僕も行くよ」
「でもデュール、わたしが行くのはお城なのよ?ずっとこの家から出ないで過ごしてきたあなたには、きっと大変なところだと思うわ。わたしだって不安なくらいだもの」
「ぼかぁ……行くよ。ミミーと」
 ひどく青ざめた顔にも、きっぱりとした決意を覗かせるデュールは、これまでミミーが見たことのない彼だった。
「でも……大丈夫かしら。ここにいてくれた方が、わたしは安心なんだけど。きっと、ひと月もしたら、またここに戻ってくると思うわ。それまで、待っていられない?」
「ぼかぁ……行くよ。僕を家来にしてくれるんだろう?」
「困ったわ……どうしたらいいのかしら」
 デュールは何もかもを選び終えたような顔で、むっつりと口を引き締めミミーを見ていた。その目は、悲壮な決心をにじませたぎらぎらとした光を宿している。
 ミミーは説得を諦め、店の前で待っている馬車に荷物を載せるついでに、使者に訊いてみた。すると、別に一人くらいお供がついてもかまわないということであった。それを聞いてデュールは目を輝かせた。
 ミミーとパステット、それにデュールを乗せて、馬車は走り出した。
 立派な馬車に人々が振り返ってゆくのを、ミミーは車内から不思議そうに眺めていた。まさか、自分がこんなものに乗せられて、城へゆくことになるとは、まったく考えもしなかったのだ。
(でも、なんだかわくわくというよりは、不安の方が強い気がする……)
(なぜかしら。わたし……少し怖いみたい)
 デュールも一緒だし、膝の上にはパステットのぬくもりもある。自分は一人ではない。それでも、なんだか妙な緊張と、予感めいた胸騒ぎがやまないのだ。
 馬車は町の北側の市門を抜けて、川にかかる橋を渡ってゆく。行く手の丘の上に、尖った青屋根の塔が見えてきた。騎士たちが見張る城門をくぐると、目の前には整備された美しい庭園が広がった。
「大きなお城……わたし、本当にここに住むのかしら」
 馬車から降りたミミーは、まぶしそうにその城を見上げた。
「こっちよ、ミミー」
 城の扉が開いて、従者とともにドレス姿の女性が階段を降りてきた。それは、先日店に来たあの貴族の女性だった。
「いらっしゃい。今日からここがあなたの住む場所よ。あら、こちらのぼうやは?」
「ええと、デュールです。わたしの……あのお供なんですけど」
「ああそう。いいわよ。ここは広いから、ひと部屋もふた部屋も同じことよ。さあ、案内するわ」
 ミミーは女性に手を引かれて、戸惑いながらも城の中へ足を踏み入れた。その後をデュールとパステットもついてゆく。
 城の中はひんやりとしていて天井が高く、長い回廊にはたくさんのろうそくが灯っていた。ときおり城の侍女や、剣を吊るした騎士がミミーたちの横を通りすぎる。その度に、誰もがこちらに丁寧に礼をしてゆくのは、おそらくこの女性が身分が高いからだろう。
(確か……レナーテさまっていったかしら)
 どのくらい歩いたろうか。石壁に挟まれた廊下を何度か曲がり、ぐるぐると螺旋の階段を上り、迷路のような城内をかなり奥まで来ると、ようやく女性が立ち止まった。
「ここよ。この部屋を自由に使ってちょうだい」
 その部屋の扉には、驚いたことに五芒の模様が描かれていた。女性にうながされて部屋に入ると、ミミーは思わず声を上げた。
「すごい……」
「どう、気に入った?」
 部屋は案外広く天井も高かった。壁際には立派な銀の燭台が飾られ、床には東方風の高価そうな絨毯が敷かれていたが、ミミーが驚いたものはそういったものではなかった。
「ええ……なんて立派な」
 部屋の奥にあるかまどとそこに乗っている立派な大釜、占いに使っていたらしいテーブルには、大きな水晶玉に、銀のチャリス(聖杯)、アサミィ(儀式刀)に、ベル、ペンデュラムまで、およそ必要なものはすべて揃っていた。
 ここは、まるで、魔女の部屋そのものだった。
 大きな棚には、薬草や、ハーブの粉末などの入ったビンがぎっしりと並べられ、その中には呪術に使っていたとおぼしき、薬品に漬けられた鳥や動物など入っているビンもあった。町では倹約していた蜜蝋のろうそくも、ここには腐るほど置いてあった。
「ここはね、城の占い師が住んでいた部屋なの」
 それを聞いて、ようやくミミーは納得した。
「城の庭にはハーブ園があるから、必要なものがあったらそこで手に入るわ」
「は、はい……」
 ミミーはすっかり驚き、そして感心しながら部屋を見回していた。デュールは、ここがどこだか分かっているのかどうか、ぼんやりとしたまま突っ立っている。パステットは部屋の隅々を歩き回りながら、さっそくお気に入りの場所を探すふうだった。
「あの……ここにいたというその占い師は、どうしたんですか?」
「ああ、このあいだ処刑されたわ」
「しょ、処刑……」
「そう。占いが外れたんで。でも大丈夫よあなたは。よく当たるもの」
 女性は気楽そうに言って微笑んだ。
「それから向こうには扉でつながっている部屋があるから、そこもお使いなさい。寝台もあるから。二人と一匹には充分な広さでしょう。他に入り用のものがあったら遠慮なく言ってちょうだいな」 
「はい……ありがとうございます」
「それじゃあ、またあとで。そうそう、晩餐のときにでも父に紹介するわ。その他の人たちにもね。私が無理を言ってあなたを城に連れてきてしまったのだから、あなたがいかに素晴らしい魔女かを、ちゃんと皆に見せてやらないと」
 女性が部屋から出てゆくと、ミミーは大きく息をついた。
「なんてことかしら。処刑だって……おお、怖いわ」
「ぼ、ぼかぁ平気さ。ミミーと一緒だもの」
 デュールはのんきそうにそう言って、部屋を歩き回りはじめた。
 しかし、確かにこの部屋にはなんでも揃っていた。念のため持ってきた魔術道具やろうそく、それにハーブなども、ほとんど無用に思われた。ただ、ペンデュラムだけは愛用のものでないと自信が持てない。
「それと、これも……」
 なにかに使うかもしれないと、持ってきたマンドラゴラの入ったビンを棚に置く。ウルスラのせいで、根っこの半分ほどはなくなっていたが、まだこれだけあればいろいろな薬草が作れるだろう。ともかく、ここに来た以上はもうここでやってゆくしかないのだと心を決め、ミミーは部屋の掃除と整理にとりかかった。
「ひゃあ!」
「どうしたの、デュール?」
「あ、あれ……ぼかぁ、あれ……ダメ」
 声を上げたデュールが指さす方を見ると、壁際に小さな虫が動いていた。
「なんだ。クモが怖いの?」
 がたがたと震えているデュールを見て、ミミーはくすりと笑った。
「クモはね、家を守ってくれるよい存在なのよ。昔は魔力を高めるために、魔女はクモをはさんだサンドウィッチを食べたっていうくらいだから。わたしは、それはちょっと気持ち悪いけど……」
 晩餐の支度が整ったと小姓が告げに来たのは、だいたい部屋の整理も終わった頃だった。パステットはカラスになって窓から飛んでいった。城の探検がしたいのだろう。
 ミミーはデュールをともなって、小姓に案内されて広間へと向かった。
 城の三階にある広間には、すでに大勢の人々が集まって席についていた。
 部屋の上手の壁には、この国の紋章だろうか、ライオンのような動物が描かれた豪奢なタピストリーが飾られ、それを背後に領主の座る席があった。その周りをたくさんの給仕が忙しく動き回り、料理を乗せられた皿が次々に運ばれてくる。領主以外の一般の貴族たちは、大きなテーブルの周りに置かれた長椅子に雑多に腰掛け、がやがやと談笑している。楽隊の奏でる音楽と人々の声に、皿を運んだり置いたりする音が混じり、とても騒々しい。
「ようこそ、ミミー」
 ミミーとデュールがおずおずと広間に入ってゆくと、領主の隣の席にいた女性が立ち上がった。豪奢な紫色のドレスを着て、ぐるぐると巻いた金髪を頭のてっぺんに高々と結い上げ、念入りに化粧をした顔は、さきほど見たときよりもずっと派手であった。
「レナーテや、お前がいう腕の確かな魔女というのはこのおちびさんかね」
「そうですわ。お父様」
 レナーテというその女性が笑いかけたのは、口髭を生やした小太りの男だった。金糸を織り込んだたいそう立派な胴着を着て、いかにも権力者らしい雰囲気だ。
「こちらが魔女のミミー。そして、そっちの男の子がええと……」
「デュールです」
 ミミーとデュールがおじぎをすると、小太りの男はふんと鼻を鳴らした。
「わしは、城主にしてこのクセングロッドの領主、ホルガー伯爵である。ところでミミーとやら、ブタの頭は好きか?」
「ええっ?」
 ちょうどそのとき、皿に乗ったブタの頭が目の前に運ばれてきた。
「わしはこれが大好物でのう。たっぷりとした脂がたまらん」
「あ、ああ、あの……」
 ミミーは不気味なブタの頭を見ないようにして、なんとか笑顔をとりつくろった。
「ところで、タンジェリンは今日も具合が悪いのか?」
「そのようです。食事は部屋に運ばせました」
 領主の隣には夫人らしい、真っ赤なドレスに身を包んだ痩せた女性が座っていて、さっきから不審そうにミミーをじろじろと見ている。
「ともかく、ミミーとやら、ま、適当にやるがよい。そういえば前にいた占い師は、けしからぬ予見をしたので処刑したぞ。そなたはそのような失態のないようにな」
「は、はい……」
「さあ、こちらに座りなさいな。私の隣よ。今日は特別。本当なら、魔女や占い師はここで食事をすることは許されないの」
 ミミーはややぐったりとした気分で席についた。隣に座ったデュールもひどく落ち着かない様子でそわそわとしている。
 ミミーの目の前に固そうな平たいパンが置かれた。これは食べるのではなく、皿として使うのだと習ったことがあった。テーブルには肉料理や魚料理、甘いパイや塩辛いパイ、スープ、ワインの壺などが次々に置かれてゆく。町では貴重とされている胡椒やナツメグ、サフランなどがふんだんに使われ、どの料理もハーブや香辛料のよい香りがした。
「すごいごちそうだわ。こんなの初めて」
 運ばれてくる豪勢な料理の数々に、ミミーは目を丸くしていた。
 乾杯が済むと、人々はむさぼるように肉や魚を手でつかみ、パンの皿をぐしょぐしょに濡らしながらがつがつと料理を食べ始めた。なん切れかの肉と魚にパイを少し食べると、ミミーはもうお腹がいっぱいになった。だが、他の人々はまるでなにかにとりつかれたように、運ばれてくる料理に次々に手を付けていた。
 楽隊の音楽とともに、軽業師の曲芸が始まると、食事はもうこれで終わりかと思いきやそうではなかった。
 ひと休みした後に、広間には巨大な皿に乗った船の形をした砂糖菓子が運ばれてきて、人々はそれを拍手と歓声で出迎えた。さらには鳥の丸焼きや、巨大なパイなどが現れると、さすがにミミーはげんなりし始めた。しかし広間の人々は、道化師の余興に大声で笑いながら、肉を頬張り、パンを口に放り込み、がぶがぶとワインを飲み続けていた。
(なんて物凄い食事なのかしら。見ているだけで吐きそう……。まさか、こんなことを毎日しているわけではないだろうけど……)
 いったいどれだけの数のブタや鳥、魚が食べられてゆくのだろう……などと思いながら、広間を見回していたミミーは、ふと広間の下手にいる人たちに目をとめた。 
(あら、あの人たちは……)
 そこにいるのは明らかに貴族とは異なる、みすぼらしい服装をした人々だった。老人から子どもまで年齢はまちまちだったが、みな痩せていて顔色はあまりよくない。
 ミミーが見ていると、ある貴族が皿に使っていた汚れたパンをそちらに放り投げた。すると、そこにいた人たちは我先にと床に落ちたパンに群がった。また続けてパンが投げられ、それを拾った子どもが嬉しそうにむさぼり食べる。
(ああ……)
 ミミーは理解した。彼らは貧民なのだ。
 貴族たちのおこぼれをもらうために、食事の間あそこに立って待っているのだ。床に投げ捨てられた食べ物を、犬と同じように喜んで食べるその姿に、ミミーは衝撃を受けていた。

 ようやく長い晩餐の時間が終わり部屋に戻ってくると、デュールはとても疲れたようで、さっさと奥の部屋へ行って眠ってしまった。ミミーはパステットにもらってきた魚料理の残りをやると、椅子に腰掛けため息をついた。
「はあ……なんだか、わたしも疲れたわ」
 貴族の晩餐というものがあれほど凄まじいものだとは知らなかった。無駄なまでに豪勢で、そして仰々しい。魔女の王国でのカブンの家族たちとの暖かな食事とは、大違いだ。
 それに、あの貧しい人々の姿……ぐしゃぐしゃになったパンを喜んで食べていた子どもの姿が、まだ忘れられない。
(ああ、なんてことかしら。ああいう人たちがいるっていうことを、わたしは今まで知らなかった……貴族とそうではない人たちには、どうしてあそこまで差があるのかしら)
 もうひとつ驚いたのは、あのレナーテという女性が、領主の娘であったということだ。そうであるなら、たしかにミミーを城へ迎えようという彼女の希望も、こうして簡単に叶えられたはずだ。
(わたしは……明日からこの城で、どうやって暮らしてゆくのかしら)
 机の上の水晶玉を眺めながら、ミミーはぼんやりと考えた。なにか、得たいの知れない不安が、のどの奥からゆっくりと持ち上がってくるような、そんな気持がした。

  
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