ミミーの魔女占い 後編 2/7 ページ



 翌朝早く起きると、ミミーはさっそく部屋のそうじに取りかかった。
 木窓を開けると、雨はやんで空はすっかり晴れ渡っており、朝の空気が心地よく部屋に流れ込んだ。三階から見下ろす通りの店店には、起き出してきた人々の姿がちらほらと見える。通りの向こうに目をやると、ひしめき合った家々の屋根の先に町の城壁が広がり、さらにその先の川向かいの丘の上には、朝もやにかすむ美しい城の姿が見えた。
「わあ、あれがクセングロッド城ね……きれいだわ」
 緑の丘の上にそびえる、尖塔に囲まれた青屋根の城を、聞こえてくる朝の鐘の音とともにミミーはうっとりと眺めた。
「おや、あんたかい、新しくきた魔女ってのは」
 声が聞こえた。窓から下を見ると、通りからこちらを見上げている女性がいた。
「あ、はい。魔女のミミー・シルヴァーです。どうぞよろしく」
 「見習い」と付けなくてよいことが、ひどく誇らしげな気分であった。
「そうかい。じゃあ、降りておいで。朝食のパンをあげるから」
「えっ。あ……はい、ありがとうございます」
 まだ寝ているパステットをそのままにして、ミミーは部屋を出た。二階の扉の前に来ると、中から歌声のようなものが聞こえてきた。
「お二階さんも起きているみたい。あとで挨拶しよう」
 ミミーが一階に下りてゆくと、さっきの女性はすでに台所に入ってきていた。
「やあ、おはようさん。ミミー、だったね」
「は、はい。おはようございます」
「あたしは、向かいに住んでいるポボルってんだ。ここに住む魔女の世話はさ、あたしの仕事みたいなもんなんだよ」
 少々横に大きい、気のよさそうなその女性は、ミミーを見てにっかりと笑った。
「前にいた魔女さんとも仲がよかったよ。掃除が苦手らしかったから、いつもあたしが手伝ってやったし。ときどき食事は一緒に食べていたしね。魔女ってのは面白いねえ。水晶占いとか、薬草作りとか、大釜をかき混ぜていたと思うと、召喚なんたらとかいって、妖精と話をしているとか言うし。全部は信じられないけど、そう悪いこともない。なにより、咳止めの薬がことのほかよく効いたよ。他のところのじゃだめだった。あんたは薬はできるのかい?」
「え、ええ……あの、少しは」
「そりゃよかった」
 ずいぶん話好きで、世話好きらしい。女性の気取らない様子に、ミミーははじめ面食らっていたが、悪い人ではないと分かると気が楽になった。
「そら、お食べよ。あたしんとこはパン屋だから。焼きたてを持ってきたよ。チーズにミルクもあるよ」
「あ、ありがとうございます。ポポルさん」
「ポポルじゃなくて、ポボルだよ。まあどっちでもいいけどね」
 そう言って女性はかっかと笑った。気配を感じて起きてきたらしい、パステットが台所に入ってきた。
「おや、これがあんたの使い魔ちゃんかい。可愛らしいねえ」
「みゃあ」
「ほほう。それにかしこそうだよ。ともかくコウモリやヒキガエルじゃなくてよかった。前の魔女は性格は良かったけど、なにせ使い魔が大きなヒキガエルでね。あれだけは慣れなかったよ。台所の奥からぬっそりと出てくると、ひゃっと腰を抜かしそうになったもんさ。こんなネコちゃんなら大歓迎さ。ほら、ミルクをお飲みかい?」
 女性が木皿にミルクをたっぷり入れると、パステットは美味しそうにそれを舐めだした。
「さあ、あんたもお座りよ。パンをお食べ」
「はい。ありがとう」
 ミミーがパンを食べる横で、ポボルは勝手知ったる台所という様子で、湯を沸かしはじめた。
「もともとこの家は、あたしの祖父が店に使っていたのでね、ここに住む魔女はあんたで三人目だけど、みな家族のようなもんなのさ。なにか不都合があったら遠慮せず言うといい。うちはパン屋だから、パンはもちろん、塩や砂糖も分けてあげられるし、うちの隣はチーズとミルクの店で、その隣は菓子屋だよ。あそこのウエハースはなかなかのもんさ」
ポボルは 棚に残っていたはちみつと、ビンに入った乾燥ミントを取り出して、どうやらハーブティをいれるらしい。魔女顔負けだ。
「そうそう、この家の右隣はハーブや香辛料を売る店だからね。必要なものがあったら、そこで買うといいよ。店で使うものだといえば安く分けてくれるから。あ、香辛料はだめだけどね。なにせ胡椒一粒でパンが一ダース買えちまうから。この通りは狭いけど、お客は多いよ。食べ物から服から小物まで、いろいろな店があるからね。しかも大通りよりも安いってんで、通な客が集まるんだ。だから<探しもの通り>って呼ばれているのさ」
「探しもの通り……」
「そう。だからあんたはそう……さしずめ<探しもの通りの魔女ミミー>ってこったね。ほら、はちみつ入りのミントティーだよ。これも前の魔女に教わったんだ。朝はこれにかぎるねえ」
 爽やかな香りのするお茶を一口飲むと、頭がすっきりとしてくるようだ。
「あの、ポボルさん。ところでこの家の二階には人が住んでいるんですね。あとで挨拶に伺おうかと思っているんだけど」
「ああ……」
 ポボルは急に顔つきを変え、口をへの字にした。
「ちょっとね。変わった子がいるよ。そのうち会うだろう。まあね、悪い子じゃないよ」
「そうなんですか」
 それ以上は話してくれそうもないので、ミミーはその「変わった子」というのによけいに興味をもった。ともかくあとで挨拶にゆけば分かるだろう。
「さてと、そろそろあたしは戻るよ。店を開けないとね」
「はい。いろいろと、ありがとうございました」
「あんたも、今日から魔女の店を始めるんだろう。なにか手伝うことや、必要なものがあつたら遠慮なく言っておくれよ」
「ありがとう。ポボルさん。これからもどうぞよろしくお願いします」
「じゃあね。ネコちゃんも、パステットだったかい。またね」
 きれいにミルクをたいらげたパステットをひと撫でして、ポボルは去っていった。
「とってもいい人だわ。前の村のナミルさんもいい人だったけど。ねえパステット」
 焼きたてのパンと、美味しいチーズで朝食を済ませると、俄然やる気がわいてきた。
「よし。まずは、そうじと店の準備をしよう」
 三階へ戻る途中、二階の部屋の前まで来ると、ミミーは思い切って扉をノックした。
「こんにちは。上の階に住むことになりました、魔女のミミー・シルヴァーです。ご挨拶にきました。こんにちはー」
 だが、部屋から返事はない。さっき聞こえていた歌声も、今はもう聞こえない。
「変ねえ。出かけてしまったのかしら」
 ノックしてみても出てくる気配がないので、ミミーはそのまま三階の自分の部屋へと戻った。
「まあいいわ。そのうち挨拶できるでしょうから」
 部屋のそうじは思いの外楽にすんだ。前の魔女がきれいにしていたのか、汚れや痛みは少なく、板張りの床も魔法のほうきで何度かはくと、すっかりきれいになった。
「そのうち、ここに綺麗な絨毯でも敷きたいわ。ちょっと神秘的な模様のやつを。そう思わない?パステット」
 パステットはそれにはあまり興味はなさそうに、ひらりと窓枠に飛び乗ると、そこから外を眺めていた。
「お前はここからの景色が気に入ったようね。たしかにそうね……たくさん家があって、人がいて。町の様子を見渡していると、それだけで飽きないわね」
 窓辺から外を見ると、向かいの煙突からはパンを焼く煙が上がり、営業を始めた通りの店店からは、活気に満ちた声や物音が聞こえてくる。通りをゆく人の数も増えてゆき、しだいに町全体が本格的に動き出してゆくようだった。
「さてと、次は一階のお店の方の準備をしましょうか。ああ、その前に……」
 ミミーは思い出してぽんと手を叩いた。
「忘れるところだったわ。市庁舎でお店の登録を済ませないと。イバネスにも何度も言われていたわ。もうわたしは見習いでなく、本格的に魔女なんだから」
 急いで身支度を整えるとミミーは家を出た。通りに出ると、黒いローブと尖った帽子姿のミミーは、人々の目にとまった。
「おお、魔女だ」
「魔女だよ」
「はい、魔女のミミー・シルヴァーです。よろしくお願いします」
 人々が囁くのへ振り返り、ミミーは挨拶をした。なにごとも最初が肝心なのだ。
「ええと、市庁舎はたしか広場にあるのよね。あっちだわ。ゆきましょう、パステット」
 市庁舎のある中央広場は、朝から多くの人々でにぎわっていた。広場の中央には大きな教会があり、三時間ごとに鐘の音を町中に響かせる。石畳の大通りには、行き交う馬車のひづめの音に人々の喧騒が入り混じり、職人の打ち鳴らす金槌の音に、商人たちの威勢のいい声が重なって、たいへんなにぎやかさだった。
「うわあ、さすがに大きな町は違うわね。昨日来たときは雨だったから、人通りも少なかったけど、今日はほんとにたくさんの人がいる」
 道ゆく人々は、ほうきを手にして歩いてゆくミミーを見て振り返ったり、指を指したりしたが、前の村のように後を付いてきたり、石を投げたりする者はいなかった。人々の多くは忙しそうで、すぐに魔女などには興味が失せたように通りすぎてゆく。
「ここだわ」
 市庁舎は大層立派な建物だった。それは普通の家の五倍くらいはあろうかという大きな建物で、この町の権勢を誇示するようにして高くそびえている。流れ屋根が広場に向いたドーマー型の造りで、赤く塗られた屋根から突き出たいくつもの塔の上には、自治都市を示す旗が誇らしげになびいていた。
 ミミーはしばし息をのんで、その巨大な建物を見上げていた。高さだけならシビラの塔の方があるかもしれないが、こんなにも横にも大きい家というのは見たことがなかった。
「パステットはここで待っていてね。怒られるといけないから」
「みゃ」
 やや不満そうだが、パステットはおとなしくその場にちょこんと座った。
「いい子ね。じゃいってくる」
 ミミーは大きく息を吸い込み、立派な円柱の立ち並ぶ市庁舎の入り口に足を踏み入れた。
「次の人どうぞ」
 一階の受け付けで順番が回ってくると、市参事会の職員はじろじろとミミーを見て、横柄な態度をとった。しかし、正規の赴任状があったので、手続きにはさほど手間取ることもなく、都市の居住権に魔女としての店の営業許可もすぐに下りた。最後に職員は、じろりとミミーを見ると、「くれぐれも商業で得た収入からの十分の一税を払うことを忘れぬように。魔女はギルドもないのだから、脱税や不正があった場合は即裁判になるぞ」と、脅すように言った。
「税金、ですって!まだお店を始めてもないのに。それに、そんなに商売でもうかるわけがないわ。なにしろ、ちゃんと魔女になって初めての赴任なんだから」
 ミミーはややぐったりとした顔で市庁舎を出ると、憤慨してからため息をついた。
「でも……これが始まりなんだわ。ああ、仕事として魔女をやってゆくというのは、お金とか税金とか、手続きとか、そういうのがいろいろ複雑に関わってくるものなのね。さあ、頑張りましょう、パステット」
 ふと見ると、そこに待っているはずのパステットがいない。
「あら、パステット?」
 柱の影を探してみても見つからない。
「あの……ここにいた黒猫を知りませんか?」
 近くにいた人に訊いてみるが、通りゆく人々はただ物珍しそうにミミーを振り返るだけで、応えるものはない。
「ああもう……どこへ行っちゃったのかしら」
 もう子猫ではないのだし、なにより魔女の使い魔なのだから、簡単に迷子になることはないだろう。もしかしたら、先に家に戻っているのかもしれない。
「ほうきを持ってきておいてよかったわ」
 ミミーはほうきにまたがった。ふわりと浮かび上がると、周りには人が集まってきた。
「あ、えーと……こ、こんにちは。魔女のミミー・シルヴァーです」
 思いがけない注目を受けて、ミミーはとっさに笑顔で宣伝をした。
「よく効く薬草に魔法の軟膏、ハーブのお茶に、占い、なくしもの探しなど、ご用の際は<探しもの通り>のミミーの店へどうぞ!」 
 人々が見上げる中、ミミーのほうきは上空へと舞い上がった。
 市庁舎の屋根の高さを超えると、広場にいる人々がまるで人形のように小さく見える。
「うわあ、いい眺め」
 家々がひしめく町の様子を、こうして一望するのはとても気持がいい。
「さて、あの子はどこへいったのやら」
 気配を探そうと魔力を集中させる。上空から町の通りを見下ろしながら飛んでゆくと、
「あら、なにかしら」
 高くそびえる教会の鐘楼塔のてっぺん……その尖った屋根の上に、黒いものがとまっているのが見えた。ミミーがほうきで近づくと、ぱっとそれが飛び立った。
「あれは……カラス。いいえ、使い魔だわ」
 ミミーにはそれが分かった。カラスの使い魔というと、女王シビラのパイワケットが思い浮かぶが、もちろんあれが女王の使い魔のはずがない。
「そういえば、エルフィルが言っていたわね。この町にはもう一人魔女がいるって……たしか、ウルスラ・ブラッドって」
 その名を口にしたとたん、耳の奥で高い笑い声が聞こえた気がした。ミミーは驚いて周囲を見渡したが、空を飛んでいるものはミミーの他にはいない。
「ああびっくりした……」
 魔力の強い魔女であれば、どこにいても自分の名前を呼んだ相手の存在を感じ取れるという。もしあのカラスが使い魔であれば、魔女の目と耳の役目もするのだからなおさらだ。
「どんな魔女なんだろう……」
 そのうち挨拶にでも行くべきなのだろうか。同じ魔女の仲間として、できれば仲良くやってゆきたいとは思うのだが。
 いつのまにか、さっきのカラスが消えていた。魔力の気配も消えた。
「……パステットも見つからないし、とりあえず戻ってみようかな」
 ほうきに乗ったミミーが、<探しもの通り>に帰ってくると、道行く人々が振り返って空を見上げ、店店からは商人たちが顔を覗かせた。向かいのパン屋から出てきたポボルが手を振った。
「おや、お帰り。ほうきで飛んでくるとは優雅でいいねえ」
「いえ、あの……本当はあまり町の中でほうきに乗るのはよくないんですが」
 ミミーはいそいそと地面に降りた。
「あの、パステット帰ってますか?」
「あのネコちゃん?ああ。ほら、そこにいるよ」
 ポボルが指さした方を見ると、店の戸口にパステットがちょこんと座っていた。
「まあ、パステット。お前いつのまに……」
「ちょっと前から、そこに座っていたみたいだよ。パンのふすまカスをやったら喜んで食べたからね。お腹かが減っていたんだろう」
「まあ、すみません。朝食を食べたばかりなのに、この子は……」
 ミミーが近づくと、パステットは開けろというように扉を引っ掻いた。  
「もう。心配させておいて、勝手に戻ってくるなんて。こういうことはもうしないでちょうだいね」
 分かったというように軽く鳴くと、パステットは扉の隙間からさっと中へ入っていった。
「ところで、ミミー。市庁舎へ行ったんだろう?手続きは済んだのかい」
「はい。営業許可証ももらいました」
「そう。よかったね。じゃあさっそく開店だ。頑張りな」
「はい。これから準備します。ポボルさんも時々お店に遊びに来てくださいね」
「ああ。それじゃ焼きたてのパンと交換に、そのうち占ってもらおうかね」
 ポボルに手を振って家に入ると、ミミーはさっそく店の準備を始めた。まずは、魔術用具をそれぞれの定められた方角に……ペンタクルは店の入り口となる北側の壁に飾り、儀式刀は南の棚に、聖杯は西の棚に置き、杖は東の壁際に立てかける。ここは前の村の家よりはずっと広いので、なかなか本格的な店ができそうだ。大きな棚に並べられたビンには、ハーブの粉末や軟膏の残りなどが入っていてまだ使えそうだった。
「あとで挨拶がてらにお隣のお店に行って、いろいろハーブを仕入れましょう」
 テーブルに水晶玉を置き、その両側にろうそくを立てる。持ってきた占い用のペンデュラムと文字盤は、この町ではさらに活躍しそうな気がする。
 よろいど戸を上下に開けると、上の戸は日除けに、下の戸は陳列台になって、いかにも店らしくなった。ミミーは通りから見えるその陳列台の上にに、部屋にあった小洒落た銀の燭台や、ハーブの入ったビンなどをを並べた。
「んん……まだなにか足りないわね。あ、そうだわ。あれもここに置こう」
 前の村から持ってきた、人の形の根をもつ魔法の植物、マンドラゴラが入ったビンもそこに置いた。少し不気味だが、それも魔女の店らしくていいだろう。
「さて、あとは、お前にも協力してもらうわよ」
 部屋の隅で眠そうにしているパステットを指さす。
「お前はときどき、この陳列台から外を覗いていてくれればいいわ。店に黒猫がいるというのも、魔女らしいシンボルになるもの」
「ふみゃあ」
 仕方なさそうに、パステットは陳列台の上にぴょんと乗った。
「そこで寝ちゃってもいいわよ。そのうちお昼寝用のバスケットでも買ってあげる」
 それからミミーは棚を整理したり、椅子やテーブルを動かしたりしながら、店のレイアウトを決めていった。
「そうそう、占いの料金も決めなくちゃね」
 前の村では見習いとしてやっていたので、ときどきお礼の作物や食料などはもらったが、基本的には無料だった。しかしこの町では、税金を払いながら営業を続けてゆくには、相応の代金をもらわなくてはやってゆけない。
「ええと、簡単ななくしもの探しは銀貨1枚、人生や恋愛の占いは銀貨2枚、それに薬草とハーブを付けると銀貨3枚……そんなところかしら」
 料金も決まりいよいよ開店と、「魔女ミミーの店。占い、なくしもの探しなど請け負います」と書いた板を扉に下げようとしているところに、一人の女性が駆け込んできた。
「ああ、ここね。あなた、確かにさっきの魔女だわ」
「あ、あの……」
「さっき、市庁舎の前で見たわよ。なくしもの探し、してくれるんでしょ?」
「は、はい。お客さんですか。どうぞ」
 いきなりのお客に驚きつつも、ミミーは女性を店に招き入れた。
「私の指輪を探してちょうだい」
 水晶玉を置いたテーブルに向かい合って座るや、女性はそう言った。
「指輪をなくしたの。大切な指輪なのよ。あの人が帰ってくる前に見つからないと、わたし殺されるわ」
「そ、そうなんですか。大変ですね」
 つとめて冷静を保ちながら、ミミーはにこやかに笑いかけた。仕事として魔女をするには、こうした落ち着いた対応で客をなごませるのも大切だと、姉たちから教わっている。
「そう大変なのよ。とても。さあ、早く探してちょうだい」
 三十過ぎくらいのその女性は、ひどくせわしない様子で足を踏みならした。
「は、はい。ではまず、その指輪の特徴を教えてもらえますか?」
「結婚指輪よ。銀のリングにルビーが入っているわ」
「いつなくされました?」
「それが分かれば苦労しないわ。さっき、町を歩いていたらないのに気づいたのよ。きっとどこかで落としたのだわ」
「なるほど、分かりました」
 ミミーは机の上に町の地図を広げた。
「ちょっと探してみます。わたしが地図の上でこのペンデュラムを移動させますから、静かにその指輪のことを頭に思い描いていてください」
「ええ……」
「では始めます」
 水晶のペンデュラムを手に、ミミーは魔力を集中させた。顔を上げたパステットが、陳列台の上からじっとこちらを見ている。
 ペンデュラムの先端を地図上にゆっくりとすべらせてゆくと、
(あっ、きたわ)
 くいっと引きつけられるような感覚とともに、女性のイメージが伝わってくるのが分かった。コツリと、先端の水晶が地図を叩いた。
「ここです」
 ミミーは自信をもって地図の一角を指さした。
「きっとその指輪はこのあたりにあります」
「まあ、本当?」
 だが地図を覗き込んだ女性は、ふと眉をひそめた。
「そこは、私の家があるあたりだわ」
「そうなんですか?」
「まさか、私の家に指輪があるっていうの?馬鹿にしているわ」
「じゃあ、もう一度やってみます」
 ミミーは再びペンデュラムをかざした。目を閉じて、余分なことを考えないように魔力を集中させる。
 すぐに引き寄せられる確かな感覚が来た。
 だが、水晶が指したのはまたしても同じ所だった。
(やっぱり。ここにあるのだわ)
 不審そうな顔をしている女性に、ミミーはにこやかに尋ねた。
「あの、すみませんが。お宅はどのような家でしょうか?」
「うちは、仕立屋よ。そう大きくはないけれど」
「すみませんが、簡単な家の間取りのようなものを書いてもらえませんか?」
 女性は面倒くさそうな様子をしたが、ミミーが紙とペンを渡すと仕方なく書きはじめた。
「こんな感じでいいのかしら?」
「ありがとうございます」
 ミミーは、紙に書かれた家の間取り図の上にペンデュラムをかざした。
「まさか、本当に私の家にあるっていうの?そんなことがあるはずないわ」
 この魔女を信用したばかりに無駄に時間をつぶしてしまったかしらと、そんな目をして見ている女性の前で、ミミーはこれまでになく精神を研ぎ澄ませた。
(ここまで細かいダウンジングは初めてだけど、でも……なんだかできそうな気がする)
 パステットの深い緑の目が、じっと自分を見ているのが感じられる。
(お前はやっぱり使い魔なのね。わたしに魔力を貸してくれる)
 さらに集中すると、紙に書かれた間取り図の家に、実際に飛び込むような感覚があった。
(ああ……この感じ。すごいわ。高められた自分の魔力が、物事に関わってゆくような)
 ミミーの額にじっとりと汗がにじんだ。震えのような、細やかな感覚が指先を引っ張る。
「ここです……」
 ミミーのペンデュラムがコツリと置かれた。それを女性が覗き込む。
「ここは……」
「指輪はここにあります」 
 ふっと息をついたミミーは、そう静かに告げた。
 半信半疑で店を出ていった女性が戻ってきたのは、それから半刻もたたないうちだった。
「あったわ!あったわよ」
 店に入ってくるなり女性はそう叫んで、指輪をした手を高々とかざして見せた。
「信じられないわ。本当にあんなところにあるなんて」
「よかったですね」
 女性は、仕事で布を切っているとき細かい切り込みを入れるのに指輪が邪魔で外して置いておいたこと、そのあと外出したときにすっかりそれを忘れていて、その間に店で預かっている徒弟が作業場にあった指輪を見つけて、なくしたら大変だと包みに入れて帳簿台の上に置いたということを、興奮気味に話して聞かせた。
「もとはといえば私が悪いのだけど、このまま見つからなくて、あの包みを主人に先に見つけられたら、面倒なことになっていたわ。私が指輪を外したことで、きっと怒るに違いないもの。ともかくよかったわ。ありがとう。代金は銀貨一枚でよかったのかしら?」
「ええ。ありがとうございます。またなにかありましたらどうぞ」
 ミミーは最初の客となった女性を見送り、ほっと息をついた。
「思いがけない初仕事だったけど、うまくできてよかったわ。ありがとうパステット。なんだか、お前のおかげて魔力が強まったみたい」
「みゃあ」
 受け取った代金の銀貨を、当座の金庫代わりのビンの中にカチャンと落とすと、嬉しさが込み上げてきた。魔女として最初に成し遂げた仕事である。
「なくしもの探しは、やっぱりわたしに向いているのかもしれないわ。ペンデュラムを持つととても集中できるし、それに、お客さんが喜んでくれるとすごく嬉しいもの」
 それから、ミミーは隣の店に挨拶に出かけていった。ポボルの言ったとおり、右隣の店はたくさんの種類のハーブや香辛料などを売っていて、買い付けの客でなかなか繁盛していた。客の合間をぬってミミーが挨拶をすると、店の夫婦は魔女に理解があるようで、なんでも必要なものがあったら持ってゆくといいと言ってくれた。
「ほら。パステット。お隣からペパーミントとローズマリーをいただいたわ」
 店に戻ってきたミミーは、袋にたっぷり入った乾燥ハーブをビンに移しながら、嬉しそうに言った。
「それに、すごい種類があるの。ハーブだけでも、レモンバームに、セージ、カモミール、
ラベンダー、それにエキナセアもあったわ。薬になるヨモギにジキタリス、グランドアイビー、クマツヅラ……なんでも揃っているの。これならいろんなハーブティーや薬草が調合できるわ。ああ、楽しみ。今度はちゃんとお金を持っていって買いましょう」
 左隣の店は、金物や小道具を売る店で、鍋や皿、ナイフ、ろうそくや羊皮紙など、生活に必要な品物がたくさん置いてあった。ミミーが挨拶をすると、老年の痩せた店主は、気前よく自家製の石鹸とろうそくをくれた。
「蜜蝋のろうそくは都会だとけっこう高いのよ。これはサバトのときに大切に使わせてもらいましょう。それにしても、さすがに<探しもの通り>だわ。ここならたいていものはなんでも手に入りそうね。そうだわ。そのうち、看板職人にお店の看板を作ってもらいましょう。魔女の店らしいすてきなやつを」
「みゃあっ」
「はいはい。パステットも入れるわよ。魔女とネコの透かし看板ね」
 棚の整理もだいたい済んで、ひと休みしてハーブティーでも入れようかとしているところに、家の奥でガタンと物音がした。
「あら、なにかしら」
 ミミーが台所の方を覗くと、奥にある扉が開いていた。暗がりの中に誰かが立っている。
「あの……どなたですか?」
 気配を感じさせないその相手に驚きながら、ミミーはおそるおそる近づいた。
 無言のままそこに立っているのは、はじめは痩せこけた老人かと思ったが、どうやらそれは少年のようだった。ひょろりとした体型に、古びたグレーのチュニックを足通しの上にだらしなく垂らした格好で、元々は銀色だったと思われる灰色の髪の毛をぼさぼさに乱している。よくよく見れば、まだ十五、六歳といったくらいの年齢に見えるが、おおよそ子どもらしさを感じない。
 少年は、どんよりとした精気のない顔つきで、ミミーの方をじっと見ている。
「あの……もしかして、二階に住んでいる人ですか?」
「……」
 少年はゆっくりとうなずいた。
「食べ物……」
 ひと言言うと、ゆらゆらとした、まるで病人めいた足どりで台所をうろつきはじめた。
「お、おなかが減っているの?ポボルさんからもらった朝食のパンの残りならあるけど」
「それ、ちょうだい」
 まるで感情というものが欠如したような抑揚のない声で、少年は要求した。
「それ、食べる」
「はい。ちょっと待ってね。ついでにハーブのお茶もどうかしら?」
 少々不気味に感じながらも、ミミーはポボルの言っていた「悪い子じゃない」という言葉を思い出していた。
「あの……わたしはミミー・シルヴァー。昨日からこの家に住むことになったの。どうぞよろしく」
「ぼ、ぼかぁ、ぼかぁ……ね」
「ボカーさんというのね。よろしく。わたしのことはミミーって呼んで」
「いや。ぼかあ……」
 少年は首を振った。
「ぼかあ、デュール」
「えっ、ボカーさんじゃなくて、デュールさん?」
「うん。デュール」
「そうなの。じゃあよろしくね。デュール」
 ミミーが手を差し出すと、少年は首を傾けたり、ぎくしゃくと体をよじって、おずおずと手を出した。触れると、痩せて骨ばった手は冷たかった。
「よ、よろ……」
 少年は言いかけてぷいと向こうを向いた。それが照れたのだとミミーが気づいたのは、ハーブのお茶を淹れおえた頃だった。
 もそもそとパンを食べ、無言でお茶を飲みおえると、少年はまたぎくしゃくと二階へ上がっていった。
 話してみて分かったのは、彼が十七歳であること。何年か前からここに住んでいることであった。それ以上のことはうまく話せないのか、彼は黙り込んだり、ただ首をかしげるだけだった。
(なんだか、変わった子だわ)
 自分より年上なのだから、変わった子というのも妙な言い方であったが……ミミーはむしろ、自分の方が年上の姉ででもあるような気分になっていた。
(不思議だわ。それに、これから男の子と同じ家に住むのだから、もっと緊張したり、怖かったりするはずなのに、そんな感じはしない)
 いったいあのデュールは、どんな訳があって一人でここに住んでいるのだろう。今度ポボルに会ったら訊いてみたくなった。


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