ミミーの魔女占い 後編 1/7 ページ

登場人物

ミミー・シルヴァー…魔女見習い
パステット…ミミーの使い魔の黒猫
シビラ…魔女の王国の女王
シーン・ゴールド…先輩魔女
エルフィル・ムーン…ミミーのライバル魔女
デュール…ミミーの家に住む少年
ウルスラ・ブラッド…町の魔女
リミー…ミミーの友だち
レナーテ…領主の娘


 

 そしてまた、一年の変わり目である冬の始まりがきた。
 ミミーは、魔女となって初めて迎えるソーウィンの祭りを、心ゆくまで味わった。王国の森にはたくさんの魔女たちが集い、みなが輪になって、女王シビラの厳かな詠唱とともに、死者と精霊に祈りを捧げる。
 見習いを卒業したミミーは、去年までよりはひとつ内側の魔女の輪にまじり、そこから美しきシビラ女王の姿をうっとりと眺めた。
 ミミーにとっては、あのアストラル体での会話以来、以前よりも少しだけであるが、女王の存在が身近に感じられていた。もちろん、崇高なる気高さと、すべての魔女の頂点に立つ霊力を備えた女王は、すべての魔女たちにとって、はるか高みに立つ存在であり、大いなる憧れと忠誠の対象であるには変わらなかったが。それでも、ミミーは確かに女王と言葉を交わし、「人々の中にあって、孤独であれ」というその言葉を、深く胸に刻んだ。ミミーの中に、強く、消えることのない炎が宿ったのは、そのときからだったのだ。
(わたしは、きっとこれからもやってゆける。シビラ女王の言葉とともに)
 ソーウィンの儀式が済むと、例年通り愉快な祝宴が始まるはずであった。だがその前に、今年から正式に魔女になった者たちの名前が、女王の口から読み上げられた。
「シルヴァーのカブンから、ミミー・シルヴァー」
 自分の名前が呼ばれると、ミミーは嬉しさと誇らしさに、卒倒しそうになった。
「さあ、こちらにいらっしゃい。ミミー」
「は、はい」
 おずおずとミミーは進み出た。ぎくしゃくとした足取りで、ひどく緊張しながら、女王シビラのもとへと歩いてゆく
「ネネ・ウインド、マルタ・クリステル、キラン・シャムロック、ミミー・シルヴァー」
 名前を呼ばれた四人の少女が、それぞれ緊張の面持ちで、女王の前に整列する。
「あなたたちは、晴れてこの王国の魔女となり、今日から私たちとともに王国を支える側に立ったのです。これまでに学んだこと、そしてこれから学ぶであろうたくさんのことを、しっかりと胸にとめ、魔女としての誇りと心の強さと豊かさをもって、それぞれの役割を果していってください」
「はい」
 四人の少女が声を揃えて返事をすると、女王はにっこりと微笑んだ。それから、きらきらと輝く銀のアサミィを持ち、一人ずつ祝福するようにその剣先で肩に触れていった。
「大いなるアラディアの加護のもと、汝がいつなりとも勇敢であることを。そして身も心も壮健であることを」
 息がかかるくらいの近さで女王の祈りの言葉を聞き、祝福を受けた少女たちはうっとりと目を閉じた。
(ああ……)
 自分の番を待つミミーは、胸をどきどきとさせながら、目の前に来た女王を見上げた。金の刺しゅう入りの黒ビロードのローブに身を包んだその姿は、優雅で高貴、そして輝くように美しかった。艶やかな黒髪を高く結い上げた額には、ティアラのような銀の飾りが光り、アサミィを持つその指先は細くしなやかであった。
(きれい。なんてきれいなんだろう……)
 ミミーがうっとりとなっていたとき、
「ミミー」
 女王が耳元で囁いた。
「塔の上で、私と話したことを覚えている?」
「は、はい」
「あのときのあなたは、まるで泣きそうな顔をしていたわね。でも今は……そう、とても輝いている」
「あ、あの……」
 女王からじかに話しかけられて、ミミーは緊張に口ごもった。
「きっと、あなたはよい魔女になるでしょう。ミミー・シルヴァー。なにがあっても、投げ出さずに、そしてあきらめずに、ひとつずつでもやり遂げなさい。そうすれば、必ず道はひらけるでしょう」
「は、い……」
「汝の上に、大いなるアラディアの加護があらんことを」
 祝福の文句とともに微笑んだ女王の顔は、まるでミミーを包み込むように優しかった。
(ああ……わたし、今日のことを一生忘れないわ)
 それから少女たちは、晴れやかな顔で、正規の魔女としての証であるガーター(服を留める輪)を受け取った。赤いものは魔力を防ぎ、緑色のものは妖精に通じ、銀色のものは月の魔力を受けるとされる。ミミーが受けとったのは銀のガーターだった。
 ソーウィンの祝宴は、夜が更けるまでにぎやかに続いた。ミミーはカブンの家族たちと一緒に、踊ったり歌ったりしながら、その間もずっと、女王との会話を思い出していた。
(投げ出さずに、あきらめずに……)
 その言葉をつぶやくと、また新たな勇気と力とが、少しずつ湧いてくるような気がした。

 王国に冬が到来すると、働きに出ていた魔女たちも、その多くがそれぞれのカブンに帰ってくる。そうしてひとときの団欒を過ごし、また新たな年を迎えれば、それぞれの魔女は、また新たな任地である町や村へと赴いてゆくのである。
 今年の冬は、その意味でもミミーにとっては特別な年越しであった。正式に魔女となって迎える初めての年であるから、自然と気持ちが高ぶってくるのである。
(わたしは、今度はいったいどんな町や村へゆくのかしら)
 期待と不安に胸を高鳴らせながら、ミミーは時の流れを待った。
 樫の王が復活し、柊の王を銀の車輪の城へと追いやる季節を迎えると、ひとときのくつろぎの時間を過ごしていた魔女たちは、再びそれぞれの場所へと旅立っていった。
 ミミーのいるシルヴァーのカブンも、一人が戻るとまた一人が旅立ちというふうに、十一人全員が揃ったのはわずか十日ほどの間だけだった。隠居したヘレン婆と、カブンをまとめる母親役のイバネス、それにまだ小さなトルカとカンパス以外は、やがてみな家からいなくなる。十九才になったケイトも、新しい町への赴任状が届くと、慌ただしく支度をして出発した。
「それじゃ、行ってくるね」
「はいはい、気をつけてね。新しい町ではまず愛想よくふるまうんだよ。そうしないとお客がつかないからね。あんたは顔だちがつんとして見えるんだから、笑顔を忘れずにね」
「分かってるわ、イバネス。それじゃ、先に行ってくるけど、あんたの方もしっかりやるんだよ、ミミー」
「うん。ありがとうケイト。わたしも、きっと頑張るから」
 ミミーより四つ年上のケイトは、いつも一番身近な姉だった。きっと彼女も四年前は、初めて魔女となっての旅立ちに、同じように不安と期待でどきどきだったのだろうから。
「いってらっしゃい、ケイト」
 そうして手を振って姉を見送った、その翌日である。ついにミミーのもとにも正式な通達が届いた。
「クセングロッドの町かい?」
 行く先を聞かされたイバネスが声を上げた。
「おやまあ、けっこう大きな町だよ。ひよっこのお前さんには大変なんじゃないかねえ」
「大丈夫よ」
 少しむっとしてミミーは言った。
「去年の村での実習で、だいたい魔女の仕事も飲み込めたし、それに自信もついたわ。きっとやっていけるわ」
「そうだねえ。でも、王国からも少し遠いし、おいそれとは帰ってこられないからね」
「平気だったら。去年も一度も帰らなかったでしょ。今度もちゃんと一人で頑張れるわ」
 自分はもう見習いではなく、れっきとした魔女なのだとばかりに、ミミーは力強くうなずいてみせた。
 出発は三日後に決め、ミミーはさっそく飛行の練習を始めた。
「なにしろ、今度の町はずっと遠いらしいから。途中で落ちないようにしないとね。パステット、お前はちょっと待っていてね。これは練習だから。分かるわよね?」
 ほうきにまたがったミミーは、パステットを残して北西の塔から飛び立った。
「ようし」
 王国の上空を円を描くようにして旋回する。魔力を集中させほうきへと伝達すると、ぐんとスピードが上がってゆく。
 王国を囲む五つの塔の外側を、すり抜けるようにして一周。さらにもう一周。
「いい感じだわ。それ、もっと速く!」
 やがて東の地平に一条の光がさし、暁の空はスミレ色へと変ってゆく。
 耳元で風が吹き抜けるのが心地よい。ミミーのほうきはさらに加速した。
 南の塔のぎりぎりを、びゅんと風を切って飛び抜けようとした、そのとき、
「あっ」
「きゃあっ!」
 二つの悲鳴が交差した。
 塔から飛び出してきた相手を避けて、ミミーは吹き飛ばされるようにして、くるくると空中を回った。
「危ないじゃない!」
 頭上から怒声が聞こえた。といっても、ミミーの頭は地面を向いていたので、その相手にとってはミミーの方こそが頭上であったに違いないが。
「あ、あなたは……」
「ミミーね。やっぱり。こんな乱暴なことをするのは」
 きらきらと輝くプラチナの髪をなびかせ、ほうきに乗った少女が言った。
「エ、エルフィル」
 眉をつり上げてこちらを睨んでいるのは、エルフィル・ムーンだった。
「ご、ごめんなさい」
「ごあいさつね。久しぶりに会ったというのに」
 ほうきの上で胸をそらし、つんとあごをもたげるその様子は、いかにも彼女らしい。
 十五才になったエルフィルは、いっそう美しくなっていた。気位の高そうな言葉づかいや、挑戦的な目つきは相変わらずだが、そこにいくぶん女性らしい優雅さも加わって、その銀色に輝く豊かな髪とともに、見るものをはっとさせるような、華やいだ空気をまとっていた。
「ごめんなさい、エルフィル。急に出てきたから私も驚いちゃって」
「驚いたのはこっちだわ。まったく。大切な旅立ちの朝だというのに。おごそかな気分がだいなしだわ」
「ごめんなさい。あれ、じゃあエルフィルは今日が出発だったの?」
「だからそう言ったでしょう」
 エルフィルのほうきの後ろには、彼女の使い魔である白フクロウのトラッポが、つかず離れず飛んでいる。
「トラッポも大きくなったのね。うちのパステットもね、それは大きくなったのよ」
「ミミー。どこまでついてくるの?」
「えっ?あ……」
 回りを見渡すと、王国を囲む黒い山々を越えようというあたりまで飛んできていた。
「あなたの出発はまだ先なんでしょ?」
「ええ。三日後」
「そう。それじゃまた、次に会うときまでお互いに頑張りましょう。……そうそう、忘れていたわ。正式に魔女になれたのね。おめでとう」
「あ、ありがとう。エルフィルも元気で。私も頑張るわ」
「……」
 エルフィルはそのまま飛び去ろうとしかけたが、思い直したように振り向いた。
「ところで、あなたはどこへ赴任になったの?」
「ああ、ええと、クセングロッドという町よ」
「クセングロッド。まあ、そうなの」
 エルフィルは少し驚いたような顔をした。
「大きな町だわ。それにあそこには魔女がもう一人いるはずよ」
「えっ、そうなの。知らなかったわ」
「町の東と西で分かれた管轄があるのよ。たしか西にいる魔女はウルスラ・ブラッドよ。つまり、あなたは東の方に入るのでしょうね」
「そういえば、そう書いてあったかも」
「のんきなものね」
 ふんと鼻で笑い、エルフィルは言った。
「同じ町に魔女が二人いるというのは、なかなか大変なことだわ。分かって?」
「そうなの?いろいろ助けてもらったりできないかしら」
「まさか。同じカブンの家族ならともかく、そうでなければ相手はライバルだわ。そう、私とあなたのようにね」
 そう言って、不敵な笑みを浮かべたエルフィルだったが、きょとんとしているミミーを見て、力が抜けたようにため息をついた。
「でも、そうね……クセングロッドなら、私のゆくリンゲの町からはお隣みたいなものだから。もしかしたら、またすぐに会うかもしれないわね」
「そうなの。嬉しいわ」
「私は別に嬉しくないけど」
 エルフィルはつんと横を向いた。
「じゃあまた、そのうちにね。シルヴァーのミミーさん」
「うん。じゃあまた」
 トラッポを連れて、彼女はほうきで飛び去った。
(大人っぽくなったなあ、エルフィル。わたしとひとつしか違わないのに)
 魔女として過ごす一年というのは、大変な経験の積み重ねなのだ。だからきっと、たくさん成長もする。自分も彼女に追いつくように頑張りたいと、ミミーは思った。

 そして、旅立ちの日がきた。
 真新しいローブに身を包んだミミーは、シーンからもらったペンタクルを首にかけ、魔女の帽子をかぶった。ストッキングを銀のガーターで留めたときは、なんだかとても大人になったような気分がした。
 カブンの家族たちに見送られ、ミミーはほうきを手に意気揚々と家を出た。十才になったトルカは憧れるような目を向けて、「ミミー姉、頑張ってね」と声をかけてくれた。そういえば、ケイトの初めての旅立ちのときには、自分もああして目を輝かせていたものだ。
(こうして、また妹たちへと、魔女の精神が受け継がれてゆくのね)
 神聖なるときの流れに思いを馳せると、なにやら高揚した気分がじわじわと体に満ちてくる。魔女になるために生まれてきた自分であるが……そういう少女たち、赤ん坊たちがまた、今もきっと、どこかで生まれているのだ。
「行きましょう。パステット」
 真新しいほうきを手に、ミミーは塔への道を歩いていった。
 同じ旅立ちでも一年前と異なるのは、今回は不安よりも、むしろ楽しみな気持の方が強い。なにもかもが初めてだった去年よりは少しは経験も積んだし、人との関わり方やものごとのやり方もだいぶ分かってきた。正式な魔女となって、胸の中には小さな誇りもある。
「それに、パステットも。ずいぶんと大きくなったものね」
「みゃあ」
 すっかり大人のネコ程の大きさになったパステットは、今やつやつやと黒い毛並みのしなやかな美人だった。その鳴き声もどことなく気品が漂い、くりくりとした緑がかった目には、まるで知性を感じさせるような光がある。
「お互い、一年前はおどおどした子どもだったものね。わたしも、お前も。一年は長いようで短かったわ。今度もそうなのかしら」
 森の向こうにそびえるシビラの塔を一年前と同じように見つめながら、少しだけ伸びた背の十四歳のミミーは歩いていった。
「ミミー。行くのね」
 塔の前に立っていた白い姿の魔女が近づいてきた。
「シーン。来てくれたの」
「なんだか早いわね。一年前もこうして、あなたを見送ったのだったわね」
「ええ。わたしもそう思っていたの。あっと言う間だったって。でも、わたしは正式に魔女になって、今度はもう、誰にも頼れない世界へ出てゆくのだわ」
「そうね」
 シーン・ゴールドは、その変わらぬ優しいまなざしで、じっとミミーを見た。
「もう、私の軟膏はいらないみたいね」
「そんなことないけど……でも、もらったらまた、ついシーンを頼って戻ってきちゃいそうだから」
「ふふ。そう言えるくらいに成長したのね。立派になったわ。とても。もう私が教えることはなにもないくらい」
「ありがとう。シーン」
 自分の先生でもあったシーンの言葉に、ミミーは涙ぐみそうになった。
「でも、まだまだわたしの魔女としての経験は始まったばかりだわ。次に帰ってきたら、また色々なことを教えてちょうだい」
「ええ。いってらっしゃい、ミミー」
 二人は手を取り合った。それは教え子と教師のではなく、同じ魔女同志の握手だった。
「いってきます」
 ミミーがほうきにまたがると、ひらりとパステットもその後ろに飛びつく。
「パステットも、いってらっしゃい。お前にとっても、きっと、新しい始まりね」
 それに「みゃあ」と、ひと鳴きしたパステットは、前足をまるで羽のようにぱたぱたと動かした。
「こら、パステット。危ないから静かにしていて」
 ミミーのほうきはふわりと飛びたった。見送るシーンに手を振り、さらに上昇する。
 塔の上空に出た。西の空が少し曇っていたが、風向きは悪くない。飛行の練習をしたおかげで魔力の集中も充分。この分ならどこまででも飛べそうだ。
「よし、いくわよ、パステット。今日は少しスピードを出して飛ぶからね」
「みゃ」
 ミミーは、南西の方角へ向かって、風を切るように飛びはじめた。
 王国の周囲に広がる森を越え、緑の野原と川を見下ろしながら、さらに南へ。
 いくつかの違う山を越え、はじめて見るような大きな谷を越えてゆくと、地形は下りの傾斜が多くなる。川の流れにそって、さらにしばらく飛ぶと、ようやく視界の彼方に町らしきものが見えてきた。
「でも、あれじゃないわね。わたしの行く町はもっと先だわ」
 地図を取り出して確かめると、ミミーはまたほうきの高度を上げた。
 しだいに、空気が少し湿りけを含んで冷たくなってきた。頭上の空が灰色の雲に覆われだした。あまり高く飛ぶと前が見えない。
「けっこう遠いなあ。これじや確かに、おいそれと王国に帰ったりはできないわね」
「みにゃあ」
 ほうきの尻につかまりながら、パステットは寒そうにぶるぶる震えている。
「たぶんもうすぐ着くから、我慢してね」
 だか、良くないことに、頭上を覆う雲はしだいにその暗さを増していた。横から吹きつける風も強くなってきた。
 ぽつりと、頬に水滴が当たった。かと思うと、辺り一面に大粒の雨が降りだした。
「ひゃあ」
 たちまち吹きつける雨風で前が見えなくなる。ミミーはたまらず高度を下げて、どこかに雨をしのげそうな所を探した。
 このあたりは、もうそろそろ目指す町にも近いはずだった。降りてゆくと、眼下には木々の間に街道らしき道が続いている。ミミーはその道沿いにほうきを着地させると、近くの木の下に逃げ込んだ。
「はあ、助かったわ」
 帽子とローブの水を払う。幸い服の中までは濡れていない。
「ここでしばらく雨宿りしましょうか」
「みゃあ」
 ミミーは木の根元に腰を下ろした。長いことほうきの上にいたので、足の間が少し痛い。これだけの距離を続けて飛んだのは初めてのことだった。
 雨足は強まるばかりで、しばらくやみそうにない。クセングロッドの町は、この道をどのくらいゆけば着くのだろう。ミミーは雨の音を聞きながら、しばらくぼんやりと辺りを見つめていた。
 どのくらいそこに腰を下ろしていただろうか。朝からの飛行の疲れでうとうととしかけていると、道の向こうから何かがやってくる気配がした。
「ふにゃっ」
 ぴんとしっぽを立てたパステットが、ミミーを起こすようにローブに爪を立てた。
「んん、なにかしら……」
 雨の中を近づいてくるものに目をこらすと、それはどうやら馬車だった。濡れた地面を転がる車輪の音が大きくなり、馬車はミミーたちのいる木の前を通りかかった。
「待って、行かないで!」
 ミミーは慌てて走ってゆき、通りすぎようとする馬車の前に出た。馬車が止められ、御者席にいた老人がじろりととミミーを見た。
「あのっ、すみません。わたし、ミミー・シルヴァーというものです」
「……」
「クセングロッドの町というのはこの先でしょうか?」
「……ああ、そうだよ」
「あの、この馬車もその町へゆきますか?」
「ああ、そうだが」
「あの、申し訳ありませんが、どうか、町まで乗せていってもらえませんか?」
「……」
「わたしは、怪しいものではありません。その……魔女ですけど。でもれっきとした魔女で、クセングロッドの町へゆくための赴任状もちゃんとあるんです」
 だが、老人はうんともすんとも言わないので、ミミーは少し不安になってきた。
「あの、こんな雨なので、ほうきでは飛べそうもなくて、でも日が沈むまでには町に着きたいんです。ご迷惑をおかけしますが、どうか……」
「その、猫もかね?」
「え?はあ、はい。これはパステットです」
「後ろの荷物には食べ物もあるでな。悪さをせんならいいがな」
「もちろんですっ。パステットはお行儀よくしています。ね、パステット」
「みゃあ」
 老人は口ひげをもさもさとゆすると、あごをしゃくるようにうなずいた。隣に乗れということだろう。
「あ、ありがとうございます」
 ミミーは心からほっとして、老人の気が変わらぬうちに急いで御者席に乗った。
 老人が手綱を振るうと、馬車はまたゆるゆると動きだした。荷車の屋根が張り出しているので、ゆっくり走っているぶんには御者席はあまり濡れずにすむようだ。馬車の荷台には木箱や樽などがぎっしりと積まれている。
「すごい、たくさん荷物を積んでいるんですね」
 パステットを膝の上に乗せて、ミミーは老人に訊いた。
「これ全部、町で売れるんですか?」
「ああ、こんなものは店数軒の分さ」
「クセングロッドというのは、そんなにたくさんのお店があるんですか」
 ミミーは思わず感心して言った。
「それじゃあ、きっと人もたくさんいるんでしょうねえ」
 あまりにも馬鹿げた物言いに、老人は首をかしげてちらりとミミーを見た。きっと、少し頭がおかしいのだろうと思ったのに違いない。
 だが、老人は笑いもせずに言った。
「人はたくさんおるわな。いいのも、わるいのも」
「へえ、そうなんですか」
 素直に感心するミミーだったが、手綱をとる老人は、まるで可哀相な少女をでも見るような目で首を振った。
 しばらく馬車に揺られていると、辺りはしだいに開けてきて、それとともに道幅も広くなった。雨はやや小降りになったものの、相変わらず降り続いている。やがて、行く手には灰色の壁が見えてきた。
「あれが、クセングロッドの町だよ」
 老人が言った。雨粒の先に目をこらすと、石造りの市壁が少しずつ大きなる。それは、町の外側をぐるりと壁に囲まれた城塞都市だった。
「すごい。大きいわ……」
 ミミーの住まう魔女の王国よりもはるかに大きい。町を囲む石壁は、堅固な要塞のようにそびえ、その内側に住むものを外界から守っている。そこに入るためには、厳重に監視された門を通るしかなく、入るのにも出るのにも手続きがいる。ここはそんな町なのだ。
「さて、これから市門を通るが、お前さんは都市民ではないようだからの。ここで降りておくれ。なにか面倒があったら一緒にされると困るでの」
「は、はい。わかりました。ありがとうございました」
 ミミーは老人に礼を言い、ほうきと荷物を手に雨の中に降り立った。パステットは泥の上に降りるのは嫌そうだったが、仕方なさそうにミミーに続いた。動きだした馬車は、市門の前までゆくと見張りの兵士らしき人間に呼び止められたが、すぐに門が開いて、そのまま町の中へと入っていった。
 ミミーが門の方へ歩いてゆくと、槍を手にした見張りの兵士がじろりとこちらを見た。
「なんだ、お前は?町の人間か?」
「いえ、あの。わたしは魔女のミミー・シルヴァーです」
「魔女だって?通行証はあるのか」
「いえ。あの、通行証ではなくて、赴任状ならあります」
 丸めた羊皮紙を取り出して、それを兵士に見せる。
「赴任状?俺にはよく分からんな。ちょっと待っていろ」
 兵士がコツコツと門の扉を叩くと、内側から小窓が開いた。兵士はミミーの委任状を見せて、そこにいる者と何事かを話して、うなずいていた。
 ミミーの前に戻ってきた兵士は、その態度が変わっていた。
「大変失礼いたしました。女王シビラさまの直々の赴任状、確かに拝見いたしました。どうぞお入りください。クセングロッドへようこそ」
 頑丈そうな二重の扉がゆっくりと開けられた。兵士にうながされて、ミミーはおずおずと門をくぐった。パステットもそれに続く。
 門を抜けると、そこには家々のひしめく町が広がっていた。
「わあ、すごい」
 広々とした大通りがまっすぐに伸び、その両側には、屋根の尖った石造りの家がずらりと立ち並ぶ。通りには何台もの馬車が行き交い、人々が早足で歩いてゆくのが見える。
「こんなに大きい町は初めて見たわ」
 緑豊かな中に家が点在する魔女の王国とは違い、この町にはおそろしくたくさんの人が住んでいるのだろう。ぎっしりと、ひしめくように並んでいる家々を見ているだけで、なんだかくらくらとしてくる気がした。
「ご覧なさいよ、パステット。こんなにたくさん家があるわ。いったいどのくらいの人が住んでいるのかしら。それに、地面が土でなくて石畳なのよ。これなら雨が降っても泥だらけにならないわね」
 木靴で石畳の上を歩いてみると、コツコツと音が立つのが楽しい。パステットの方はそんなことには関心はなさそうに、雨に濡れた体をふるふると揺すっている。
「これが都会っていうものなのね」
「ふにゃっ、みゃあ」
「雨に濡れるって?はいはい、わかったわ。じゃあ、いきましょう」
 ミミーはパステットを連れ、うきうきと通りを歩き出した。
 もう夕暮れに近い時間であったし、なにせ雨降りなので、通りにいる人の数はそう多くはなかったが、それにしても、最初の村に比べればはるかににぎやかであった。ときおりすれ違う人々の服装もずっと洒落ていて、女性たちの着ている色とりどりのローブや胴着、華やかなスカートなどを見ているだけでも楽しく、新鮮な気分になれた。
「ええと、ここを曲がるのね」
 赴任状と一緒にもらった町の地図を頼りに、ミミーは大通りをそれて路地に入った。細い路地をしばらくゆくと、表通りよりもややさびれた感じの商店街のような場所に来た。
「あ、きっとここだわ」
 ミミーが立ち止まって見上げたのは、通り沿いに並んだ一軒……赤茶けた屋根の三階建ての家だった。表通りの立派な家に比べるといくぶん窮屈そうに狭く、全体的に古ぼけている。一階が店になっていて、そこが魔女の家であったことを示すように、扉の上方に五芒の形をしたペンタクルが飾られてあった。
「ともかく、入ってみましょう」
 ミミーが扉を開けると、さっとパステットがすき間から先に滑り込んだ。よほど雨に濡れているのがいやだったのだろう。
 家に入ったとたん、ふわりとよい香りが漂った。
「ハーブだわ」
 ミミーは鼻をくんくんとさせた。前にここにいた魔女の心遣いだろう、壁には乾燥したハーブの入った袋がたくさん吊るされていた。
 家の中は思ったよりも奥行きがあって、通りから見ると横幅が狭いが、奥に広い造りであるらしい。部屋の奥には大きなかまどがあり、そこに大釜が置かれていた。やはり次に来る魔女のために、残すものはちゃんと残しておいてくれる。
「これなら、たっぷりと薬草や軟膏の調合ができるわ」
 大釜を覗き込んだでミミーは、満足そうにうなずいた。仕切りをはさんだ奥の小部屋は台所になっていた。大きめのテーブルと椅子があり、壁には小さな暖炉があった。
「すてき。これだけあればお料理もできるし、肉の燻製も作れる」
 この何ヵ月かで、ヘレン婆やイバネスから肉や魚の燻製の仕方も習ったし、スープなどもずっと美味しく作れるようになったのだ。
「でも燻製はもうちょっと先ね。明日までは、持ってきた塩漬け肉と固パンで我慢して」
「みゃあっ」
 パステットは暖炉に入ったり出たりしてはしゃいでいる。どうやらこの新しい家が気に入ったようだ。台所の奥の扉を開けると、そこは階段になっていた。確か三階の部屋を寝室に使ってよいはずであった。
「行ってみましょう」
 ミミーが階段を上って二階まで来たとき、扉の前でかすかな人の声が聞こえた気がした。二階には誰かが住んでいるらしい。
「どんな人が住んでいるのかしら」
 ミミーは少し興味を持ったが、挨拶はあとでしようと、ひとまず三階へ上がった。
 三階の部屋の扉は開いていた。中に入ると少しだけカビ臭かったが、室内はきれいに片づけられていた。最近まで前の魔女がここに住んでいたのだろう、棚には薬草や軟膏の瓶がそのまま置かれ、本も何冊か残されていた。寝台も清潔そうで、亜麻布のシーツに毛布もあって、このまま使えそうだ。
「よかった。前の魔女はとてもいい人のようだわ」
 窓際に置かれたハーブの植木鉢に急いで水をやると、ミミーは落ち着いて室内を見渡した。一階の店も立派だったが、この部屋も一人と一匹で暮らすには充分すぎるほどだ。
 パステットは室内をぐるぐると回り、片っ端からくんくんと匂いをかいでいたが、どうやら満足したのか、寝台に上がると大きなあくびをした。濡れた帽子とローブを脱いで着替えると、ミミーにも疲れと眠気がやってきた。
 あれだけ長い間飛び続けたのだ。今日はこのまま寝てしまおう。
「明日から……頑張るわ」
 窓の外の雨音を聴きながら、ミミーは新たな町での最初の眠りについた。


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