ミミーの魔女占い 前編 2/6 ページ




 黒い山を越えると、周囲には見渡すかぎりの森が広がっていた。
 広く、どこまでも広く、緑の森が続いている。眼下に広がるこのはじめての景色に、ミミーは目を奪われた。
「きれい……」
 空はしだいに明るさを増してゆき、澄んだ空気と風が耳に冷たい。鳥たちの鳴き声に、森をわたる風の音……世界は広く、そう、とても広かった。
「今までは王国の上しか飛んだことはなかったけど、森がこんなに大きいなんて知らなかったわ。あっ、見てパステット!」
 思わずミミーは指さした。片手を離したせいで、ほうきが不安定にぐらりと揺れる。パステットが不安そうに「ふみゃあ」と鳴いた。
「ほら泉よ、あそこに泉があるわ」
 森の切れ目に小さな泉が見えた。上空からでは、それはほんの水たまりくらいにしか見えないが、それでもミミーにとっては初めて見る自然の泉だった。
「見て。その向こうに、家みたいのが見えるわ。きっとあそこが私の行く村よ」
 泉から少しいったところで森は開けており、そこにいくつもの家らしきものが見えている。方向からしてあの村に間違いなかった。見習いとしての最初の修行には、王国にほど近い村が選ばれるが常だった。
「下りてみよう」
 ミミーはほうきを降下させた。飛ぶときよりも下りるときの方がやや苦手で難しかったが、わくわくとして心踊らせるミミーには、少々の荒っぽい着地も問題ではなかった。
「みぎゃっ」
 悲鳴を上げるパステットにもかまわず、ほうきは草の上に滑り落ちるように着地した。
「わあ、空から見るよりずっと大きい泉だわ。ねえ、パステットも来てごらんなさいよ」
 ほうきを放り出して泉に駆け寄るミミーに、仕方なさそうにパステットもついてゆく。
「水が冷たい!それにすごく透き通っていて、きれいだわ。あ、見て。ちっちゃい魚もいっぱい泳いでる」
「みゃあ」
 魚と聞いてパステットは目を輝かせたが、泉は案外深そうで、水の中に入ってゆく気にはなれないようだった。
「あら、お前は水が苦手なの?それはそうかもね。私だってずっと魔女の国で育ったんだから、もっと大きな湖や、川なんかだったら、とても怖いと思うかもしれないものね」
 ミミーは水をすくって一口飲んだ。
「美味しい。なんだか森の味がするみたい」
 パステットもおそるおそる、泉の水に口をつけた。
「よし、ここからは歩いてゆこうか。村まではそんなに遠くなさそうだし」
 そう決めて、ほうきを拾おうとしたところへ、「あっ、魔女!」と、人の声がした。
 見ると、水を汲みにきたらしい少女が、驚いたような顔でそこに立っていた。
「あら、村の人?」
「ひ……」
 少女はミミーの姿を見て恐ろしそうにあとずさると、水桶を放り出して逃げるように走っていってしまった。
「あの、ちょっと……」
「魔女よ。魔女が出たあ!」
 ぽかんとして立ち尽くすミミーの耳に、少女の叫び声が聞こえてきた。
「もう……なにも、そんなに驚かなくてもいいのにね」
 自分の姿がそんな怖かったのだろうか。かぶっている黒い帽子とローブに触れてみる。確かに全身黒ずくめであるが、ミミーにとってはこれがごく普通の恰好に違いない。
「ともかく、行きましょうか」
「みゃあ」
 ミミーはパステットを連れ、少女が走り去った方向へと歩きだした。
 両側を森に囲まれた道の上に、荷車の車輪でつけられた跡が続いていた。それをたどってゆくと、やがて森は途切れて、その先に村が見えた。
「あそこだわ」
 小川にかかった小さな橋を渡ると、村の入り口らしき木柵があり、その向こう側に藁ぶき屋根の家がいくつも並んでいる。
「これが、魔女でない人たちの村なのね……」
 村の周囲には畑が広がり、きれいな小川が流れ、緑の森へと続いている。ここは自然の光に満ちあふれており、山に囲まれていつも薄暗い魔女の王国とはまるで違っていた。
「ここに、いろいろな人々が、男も、女も、みんなが一緒に暮らしているのね」
 小さな感動に包まれながら、ミミーは橋の上から村を見つめていた。
 ミミーの育った魔女の王国には、当然ながら魔女しかいない。男の姿を見ることなどはめったになく、行商人か、手紙の配達にくる人間くらいしかミミーは知らなかった。
「さあ行こう、パステット。ここが私の最初の仕事場よ」
「みゃあ」
 ミミーが村の入り口に歩いてゆくと、そこにはすでに大勢の人が集まっていた。大人に老人、それに子どもたちもいる。みな村の住人だろう。彼らはこちらを見て指をさしたり、ひそひそとなにか言い合う様子だった。
「こ、こんにちは」
 人々を前に、少し緊張しながらミミーは言った。
「私は、魔女の王国から来ました、ミミー・シルヴァーと申します」
 それを聞いて、村人たちからとたんにざわめきが上がる。
「おお、やはり魔女だってさ」
「魔女だってよ」
「魔女だ、魔女だ」
 女たちが顔を見合せ、子どもたちが口々に声を上げる。泉で見かけた少女もいた。
「あの、よろしく……まだ見習い魔女ですが、こちらの村でしばらく修行を……」
 ぺこりと頭を下げるミミーを、村人たちは離れた所からじっと見つめている。
「あのう、村長さんはおられますか?」
 ミミーはおずおずと尋ねた。だが、人々はそれに答えるでもなく、ひそひそと囁き合っている。
(言葉は通じているわよね……たぶん)
 なにぶん、王国の人間以外と接するのは、ほとんどはじめてである。ミミーの中に、しだいに不安な気持ちがつのってきた。
 それでも、なるべくそれを顔には出さず、安心させるように笑顔でうなずきかけてみる。先輩や姉たちから教わった魔女としての心得のひとつだ。まずは、相手に安心してもらうこと。そうすれば自分も安心して仕事ができるようになる。
(そうだわ。これも、見習いの修行のうちなんだ)
 自分にそう言い聞かせ、ミミーはにこりと人々に笑いかけた。すると、白髪のまじった髭を伸ばした老年の男が、人々の間から進み出た。
「わしが村長のカートンだがの」
「こんにちは。見習い魔女のミミー・シルヴァーです。このたびはこちらの村にお世話になります」
「ああ、聞いとるよ。この村にはあんたのような魔女さんが、ときどき来るのじゃ」
「そうですか」
「ふむ。といっても、このあいだ村に魔女が来たのはもう、かれこれ三年くらい前になるかの。しかし、まだ使っていた家はちゃんと残っておるはずだ。案内しよう」
「ありがとうございます」
 ミミーはほっとして、人々にうなずきかけながら、村の入り口をくぐった。
 村長のあとについて歩いてゆくと、ミミーの後ろからぞろぞろと村人たちが付いてくる。とくに小さな子どもたちは、よほど魔女というものが珍しいのだろう、ミミーのすぐ後ろをはしゃぎながらついてくる。それに振り返って笑いかけると、子どもらは怖がるようにしてさっと大人の影に隠れてしまうのだが、それでもミミーと一緒に黒猫のパステットがとことこと歩いてゆくと、また目を輝かせて後ろをついてくるのだった。
「さあ、こっちだよ。この村はごく小さな村だからの。すぐに村の連中の顔も覚えてしまうだろう」
 村長に案内されたのは、村のはずれにある古びた一軒の家だった。
 それは他の家と同じように藁ぶきの屋根で、壁は泥で固められたごく簡素な造りの家だった。家の前には大きな柳の木が生えていた。
(柳は月の恵みをもたらす木だわ)
 その柳の木の下にゆくと、長く垂れた枝葉が、ミミーの顔の前でさわさわと風に揺れた。それはまるで、ミミーを歓迎してくれているかのようだった。
(最初にこの村に来た魔女が、この場所を選んで住むことに決めたのもよく分かるわ)
 ミミーはその木が好きになった。
「それじゃあ、今日からここに住まわせていただきます。どうぞよろしく」
 ぺこりと村長に頭を下げると、ミミーは家の扉を開けた。
「わっ、すごいほこりだわ」
 中に入ったとたん、もわっとした空気があふれてきた。家の中は薄暗かったが、目が慣れてくるとそこは、いかにもかつて魔女が住んでいたような場所だった。
 壁際には何段もある木製の棚があり、そこには割れた食器やら得体のしれない石やら、何かが入っていたらしいたくさんのガラス瓶などが雑多に置かれていた。その横にはほこりをかぶったかまどがあり、その上に古びた大釜が乗っていた。
「まあ、すてき!」
 ミミーは目を輝かせて、その大釜を手に取った。
「よかったわ。まず大釜をどうしようかと思っていたのだけど、これで買わずに済んだわ。当分の生活費にともらったお金も使わないで済むし。なんてありがたいのかしら」
 ふっと息を吹きかけると、ぱっとほこりが飛び散り、黒光りする釜の表面が現れた。かなり使い込んではあるが、底も深く、なかなか立派な代物である。
「きっと、先代の魔女が使っていたものね」
 顔を突っ込むようにして大釜を覗き込むと、ミミーは満足してうなずいた。足元ではパステットが、舞い上がったほこりに鼻をむずむずとさせている。
「ようし。今日からここが私の仕事場になるんだわ。きれいに、きれいにしましょう!」
 ミミーは部屋の木窓を開けはなつと、さっそくほうきで床を掃き始めた。大掃除の始まりである。
「魔女のほうきはよいほうき。なんでも掃けるよいほうき」
 歌いながらほうきを滑らせると、部屋の隅にたまっていたほこりたちがいっせいに舞い上がり、窓の外へと飛んでゆく。黒猫のパステットは、襲いかかる塵とほこりから逃げるようにして、ととっと家の奥へ逃げ込んだ。
「まあ、パステットったら。なにか手伝ってくれてもいいのに。でもいいわ。お掃除は得意なの。カブンでも姉さんたちよりもずっとほうきの扱いは上手だったし。飛ぶのはずっと下手だったけど……ふふふ」
 ミミーはうきうきとしてほうきを動かした。はじめて持った自分だけの家というものが、とても嬉しくてたまらない。
 一通りほこりを掃いてしまうと、次は棚の整理にとりかかる。棚には古びた瓶が所狭しと置いてあるが、その中には得体のしれない植物やら、粉やら、不気味な色の液体やらが入っている。かつてここに住んでいた魔女が使っていたものだろう。どれも怪しげなものばかりだ。
 ミミーはその中でまだ使えそうなものは残し、そうではないものは整理することにした。
「これは、まだ腐っていないわ。こっちのは……だめね」
「これは……ひゃあ。トカゲのしっぽだあ!」
 ひとつひとつの瓶のふたをあけ、匂いを嗅いだり、触れてみたりして確かめる。
「あら、これはマンドラゴラね。すごいわ。まだ生きている!水を取り替えればまだもちそう」
 人の形をしたような根を持つその奇妙な植物は、毒にも薬草にも使える貴重なものだった。その他にも、ハーブを乾燥させて粉にしたものや、貝殻の入った瓶、得体の知れない毛の束や骨が入ったものもあった。それらは薬草や毒薬や軟膏などの材料になりそうなものなので、そのまま残しておいた。
 それから、部屋の隅にあった大きな木箱を開けてみた。中にはガラクタのようなものに混じって、虫が閉じ込められている大きな琥珀や、きらきらとした水晶の固まり、ルーン文字の彫られた銀盤や錆びついたペンタクル、さらには人間の頭蓋骨まで出てきて、ミミーは思わず悲鳴を上げた。
「これは……すぐに全部の整理整頓は無理だわっ」
 ばたんと木箱の蓋を閉め、ミミーはため息をついた。
「前にここにいた魔女っていうのは、どんな人だったのかしら。私と同じ見習い魔女だったのかな。それとも……もっと立派な魔女だったのかな」
 はたして、自分はここで上手くやってゆけるのだろうか。そんなことを考えながら、ミミーがぼんやりしていると、
「あら、本当にまだ子どもみたいな魔女だこと!」
 家の戸口から女性がこちらを覗き込んでいた。
「それに、たいそうほこりっぽいわ。こんな汚らしいところに住んでは、あたしだったら三日ももたず死んじまうわね」
 村人らしきその女性は眉を寄せて言った。その顔つきからは、ミミーのことを歓迎していないことが一目で明らかだった。
「あの、すみません。お店は明日からで……」
「まあ、お店ですって!」
 女性は、わざとらしく驚いたように声を上げた。
「あなたのような小さな子どもの魔女が、いっちょうまえにお店を開いて、仕事をしようというの?まあまあ、なんてことかしら!」
「あの、私はまだ見習い魔女で、その修行としてこの村に……」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。見習い魔女の修行!そんなことだろうと思ったわ。まったく。じゃあ、あなたはこの村に来て、適当に薬草でも売っていれば、それでいいんでしょうけどね。でも、魔女なんていうものは、子どもたちにも影響がよくないし、そんな怪しい、いったいどこの生まれともつかないようなものが同じ村に住んでいるというだけで、なんだか気味が悪いのよ」
 女性はまるで、ミミーに恨みでもあるかのような剣幕でまくしたてた。
「そうよ。前にいたあの女だって!自分はワイズウーマンだとか言って、偉そうに薬草やハーブを売りつけて、儲けるだけ儲けたら、村の若い男とねんごろになって、子どもを孕んでさっさと消えちまったよ。まったく、ろくでもないわね。魔女ってやつは。ただの自分勝手な色狂いの堕落女だよ!」
「……あ、あの」
 女性のあまりの言いぐさに、ミミーはしばらくあっけにとられていたが、それから両手を握りしめ立ち上がった。
「そ、そんなことありません!」
「おや、子どものくせに、言い返そうというのかい?」
「私は、私は……魔女であることに誇りをもっています。まだ正式になってはいませんが……でも、いつか立派な魔女になって、色々な人の役に立ちたいと思っているんです。魔女だって……魔女だって、あなたと同じ人間です!」
 ミミーは思わず叫んでいた。
「おお、なんて怖いんだろう……子どもとはいえやっぱり魔女だわ。怖い、怖い。このあたしを邪眼で呪おうとでもいうのかい」
「そんな……そんなつもりじゃ」
 姉たちから言われていた「村の人々とうまくやるんだよ」という言葉を思い出す。
「あの……すみません」
「あたしには大切な、約束を交わした相手がいるんだからね。魔女なんかの手にかかって死にたくはないよ!怖い怖い、おおいやだ……」
 女性は何度も首を振りながら、戸口から出ていった。
「……」
 ミミーはその場に立ったまま、涙が溢れそうになるのを必死にこらえていた。
「にゃあ」
 家の奥から歩いてきたパステットが、足元でミミーを見上げていた。
「パステット」
 ミミーは、唯一の友だちである黒猫を抱き上げると、声を震わせた。
「失敗しちゃった。わたし……来たばっかりなのに、もう村の人から嫌われて。だめだわ。姉さんたちからもあれほど言われていたのに。なにを言われてもあまり口答えしないで、つらくても耐えるのよ、って……そう言われていたのに」
 ミミーの目からぽたりと涙が落ちた。
「みゃあ」
 パステットは、じっとミミーの顔を見つめていたが、それからぺろりと頬をなめた。
「うん、分かってる……頑張らないとね。こんなことじゃ、だめだわ」
 涙をこすって顔を上げる。ミミーはまた店の準備にとりかかった。
 持ってきた革袋から魔術用具を取り出して、それぞれの道具に軽く祈りの文句を唱えてから、ペンタクルは北の方角に、儀式刀は南に、聖杯は西に、杖は東にと、大切に置いてゆく。部屋の隅にあった壊れかけたテーブルを持ってきて、その上に水晶玉を置き、両側にろうそくを立てると、いかにも魔女の祭壇らしくなった。家の外に、「魔女見習いミミーの店」と書いた立て看板をかけると、なんとか体裁が整った。
「はぁ……つかれた。なにもかも一人でするって大変なのね」
 ミミーは戸口に座り込み、家の前の柳の木を見上げた。
 いつの間にか日は傾き始めていた。ふと見ると、少し離れた物陰から、村の子どもらがこちらを見ている。こちらを指さし、ひそひそとなにかを囁き合っているようだ。よほど魔女というものが珍しいのだろう。ミミーはしばらくはそれを無視していたが、子どもの一人がこちらに向かって石を投げつけた。石はミミーの作った看板にこつんと当たった。
「あなたたち!」
 ミミーが声を上げると、石を投げた子どもはさっと隠れた。
「隠れていないで出てきなさいよ。どうしてこんなことするの!」
「わあっ、魔女が怒った」
 わらわらと物陰から出てきた子どもは、ミミーよりもずっと小さな少年たちだった。
「呪われるぞ!」
「魔法をかけられてヒキガエルにされる!」
 子どもたちはきゃあきゃあと言いながら、一斉に持っていた石を投げ、そのまま逃げていった。石はひとつも当たらなかったが、ミミーの心はひどく痛くなった。悲しくて、怒りたくて、また泣きたくなった。
「平気だわ」
 自分に言い聞かせるようにつぶやく。今度は涙をこらえられた。
「魔女になるっていうのは、こういうことなのかしら。私が思っていたのは、もっと……、もっと……すてきな」
 ミミーは首を振った。泣き言や独り言を言うのは好きでなかった。そうしたら、もっと負けたような気分になってしまう。
 気を取り直すと、ミミーはようやく人が住めるくらいに片づいた家の中に入った。
「おなかが減ったわ。そういえば、まだ着いてからなにも食べてなかったわね。ねえパステット、ご飯にしましょうか」
「みゃあ」
 ヘレン婆が焼いてくれたパンを二つに分け、細かくちぎって水と一緒に木皿に入れてやると、パステットはそれをなめるようにして食べ始めた。魔女の使い魔である動物は、大地からの魔力の保護のおかげで、たくさん食べずとも生きてゆける。それはミミーも同じで、ひとかけらのパンと水があれば、それで十分であった。
「持ってきたパンも明日でなくなるから、そうしたら自分でご飯をつくらないとね」
 食事をしてひと休みすると、よほど気分が落ちついてきた。
「なんだか、疲れて眠くなっちゃった……」
 家は小さかったが、かまどのある土間とは別に、奥には板張りの部屋があった。そこはまだすっかりきれいになってはいなかったが、ミミーは脱いだローブをしいて寝床にした。
「しばらくはこうして寝るしかないわね。ちょっと床が固いけど、我慢しなくちゃ」
 昨日までは、姉たちと一緒に暖かな寝台で眠っていたことを思うと、一人だけのこの家で寝るのは寂しく、不安になる。
「いらっしゃい、パステット」
「みゃあ」
 腕の中にもぐり込んでくるパステットが、今のミミーには一番のぬくもりだった。
「おやすみ。明日も……頑張ろう」

 翌朝、まだ夜が明ける前にミミーは目覚めた。
 たっぷり眠ったせいか、気分はすっきりしていた。隣で眠っているパステットは、ミミーが起き上がるとその耳をぴくりとさせたが、体は丸めたままだ。
「おはよう、パステット」
 家の外へ出てみると、村全体がまだ寝静まっているようで、辺りに人けはなかった。
「そうだわ、いまのうちに水を汲んでおこう」
 ミミーは土間にあった水おけを持ち出し、村の中央にある井戸へ歩いていった。夜明け前のこの時間ではさすがに誰もおらず、もちろんミミーに石を投げる子どもの姿もない。
 さっそくミミーは井戸から水を汲み上げた。
「ひゃあ、冷たいっ」
 顔を洗い、水を一口飲むと、身体中がすっきりと目覚めてくるようだった。たっぷりと水を汲んだ重いおけを手によろよろと家に戻ると、家の前にパステットがちょこんと座って待っていた。
「ごめん、ごめん。黙って出ていっちゃって」
「みゃあ」
 足元にすり寄ってきたパステットだが、ミミーの匂いに安心したようにさっさとまた家の中に入っていった。どうやらまだ眠るつもりらしい。
「まあ、さびしがりやなんだか、ただ高慢なんだかわからないわね」
 ミミーは呆れながらくすりと笑った。
 そろそろ夜明けが近いのか、東の空が白み始めている。ミミーのいた魔女の王国は、周りを高い山に囲まれているので夜明けは遅かったのだが、ここでは最初の光が見えたと思ったら、もうまぶしく太陽が昇り始めている。
「明るいわ。なんだか不安になる……」
 月の力を魔力とする魔女にとって、明るすぎる光は苦手であった。王国でのカブンの家のそばには大きな樫の木がはえていて、それが太陽の光をさえぎってくれていたので、家の中はいつも薄暗く、落ち着いていられたのだが、この村ときたら、村を囲む柵の中にはほとんど木ははえていない。この家の前にある柳の木が、唯一のなぐさめであった。
「でも柳さん。あなたも月の樹木だから、太陽は得意ではないのよね」
 そう柳に話しかけながら、ミミーはしだいに明るさを増してゆく朝の風景を眺めていた。
 (魔女は月を愛する。それでもなお日のもとで、人のなかにあってこそ魔女であれ)
 女王シビラが言っていた言葉が頭に浮かぶ。
「そうね……慣れなくちゃね」
 ミミーは、当分の住みかとなるこの家を、もっとよく知ろうと思った。
 家の裏手へ回ってみると、そこはちょっとした庭になっていた。雑草が繁って荒れてはいるが、土は比較的やわらかい。以前は花壇だったのだろうか。いろいろな種類の草が生えている。
 先の尖ったぎざぎざとした形の葉をちぎって、匂いをかいでみると、
「あら、これはヨモギだわ」
 生えているのは全部が雑草かと思っていたが、そうではなかった。よくよく見ると、ヨモギの他にも、薬などにも使えるクマツヅラなども所々に生えていた。
「あら、こっちにはヒヨスが生えている。毒があるけど麻酔にもなるのよね。きっとここは、前の魔女が使っていた薬草の庭なんだわ。ああそうだわ。ここに持ってきたハーブの種を植えよう。魔女が使っていた庭なら、きっと土にも魔力が効いているわ」
 薬やお茶もに使えるハーブを育てたら、きっと村の人々も喜んでくれるに違いない。さほど広くはないが、ちゃんと整えれば立派なハーブガーデンになりそうだ。
「毎朝ハーブのお茶が飲めたら、とっても素敵だわ」
 そう考えると、少し心がうきうきとしてくる。
 家に入ったミミーが棚の整頓の続きをしていると、もそもそとパステットが起きてきた。
「あら、やっと起きたのね。お腹がへった?」
「みゃあ」
「私はパンがあるけど、じゃあお前のミルクを買いにゆきましょうか。それから、できればチーズも。一緒に来る?ここで待っていてもいいよ」
 また置いていかれるのが嫌なのだろう、パステットはさっと足元に寄ってきた。
「じゃあ、行こうか」
 村の通りは、まだ朝も早いせいか人通りもあまりない。ときおり、これから畑仕事へ出掛けてゆくのか大きなクワを手にした老人や、干し草をたっぷりと乗せた荷車をひく村人を見かけたが、彼らはミミーを見ると一様に眉をしかめて、すれ違いざまにじろじろと無遠慮な視線を投げかけてくる。
 昨日石を投げてきた子どもたちだろうか、通りをゆくミミーを見つけると、少し離れて後を付いてくる。ミミーがくるりと振り向くと、子どもらは慌ててぱっと向こうを向いてしらぬふりだ。またしても嫌な気分がこみ上げてくるのを抑えつつ、ミミーはなるたけ平静を装って歩いていった。
 村の中央にある井戸の周りには、女性たちが水を汲むついでにおしゃべりに興じていた。どの村や町でも、井戸端というのははちょっとしたサロンなのだ。
「あら」
「まあ、魔女よ」
 女性たちが囁き合った。
「しっ、聞こえるわ」
「平気よ。まだ子どもじゃないの」
「あんな子どもなのに、魔女なのねえ」
 ひそひと囁き交わしながら、ちらちらとこちらを見ている女性たちは、皆汚れた長スカートに地味な色の胴着姿で、いかにも炊事洗濯に日々を費やすというふうなごく普通の女たちだった。彼女たちからすれば、黒ずくめのミミーの恰好はさぞ異質に思えるのだろう。
「近づいてくるわ。なにかこわい顔をして」
「ほんと。いやねえ、真っ黒で……」
「子どもたちにも教育に悪いわ。なにせ魔女ってのは……」
 容赦のない視線を受けながら、ミミーはそのまま井戸の前を通りすぎようとしたが、勇気を振り絞って立ち止まった。
「こ、こんにちは。私は魔女見習いのミミー・シルヴァーです」
「まあ、しゃべったわ」
「へえ、魔女というのも普通に話をするものなのね」
 ミミーが挨拶すると、女たちは驚いたように声を上げた。
「このたび、この村で魔女としての修行をさせていただくことになります。占いや失くしもの探し、薬草の調合など、いろいろと致しますので、よろしかったらご利用ください」
 そう言ってミミーが頭を下げると、女たちは互いに顔を見合せて黙り込んだ。
「あの……それから、この村でミルクを売っていただけるお店はありませんか?」
 ミミーは思い切って尋ねた。
 また無視されるかと思ったが、女性の一人が答えてくれた。
「ミルクを売る店はないわ。パン屋と肉屋ならあるけど」
「そうなんですか」
「ああ、でも、通りの向こうにいるナミルさんのところでは、ヤギを飼っているから分けてくれると思うわ」
「本当ですか?」
「ただ、魔女にまでは分けてくれるかは保証できないけれどね」
「分かりました。行ってみます。ありがとうございました」
 ミミーはもう一度ぺこりと頭を下げ、パステットを連れて歩きだした。
「まあ、不気味な黒猫も連れて」
「でも、なんだか思ったより、普通の女の子のようね」
「まあ、そうね。まだ子どもだしね」
 女性たちはやや拍子抜けしたような顔でうなずき合うと、またぺちゃくちゃと、今度はとりとめもない噂話に熱中しはじめるのだった。
「あ、きっとここだわ」
 教わったその家を探して歩いてゆくと、通りのはずれに大きな家畜小屋のある、なかなか立派な家を見つけた。
「扉に蹄鉄が釣り下がっているわ。蹄鉄は幸運のおまじないよ。ここに住んでいる人は、きっといい人に違いないわ」
 ミミーは、自分に言い聞かせるようにつぶやくと、ひとつ息を吸い込み扉を叩いた。扉が開かれるまでの間、どきどきとしながら待った。
「どなたかね?」
 現れたのは、四十がらみの小ぎれいな女だった。髪をきっちりとひっつめて、胴着の上にエプロンを着た姿は、どうやら炊事の最中のようだ。
「こ、こんにちは」
「おや、見慣れない子だね」
 女はややいぶかしげにミミーを見た。
「あんた、この村の子じゃないだろう?」
「はい。私は、ミミー・シルヴァーといいます」
 ミミーはぺこりと頭を下げた。
「あの……私は実は、あの……」
 魔女だと口にしたとたん、冷たく扉を閉められてしまうのではないかと、なかなかそれが口から出てこない。
「ふうん。なんだか黒ずくめで、魔女みたいだねえ」
「え、ええ。そうなんです。私は見習いの魔女で、あの、この村に修行に……」
「ほう!やっぱりそうか」
 女はぱんと手を叩いた。
「やっぱり魔女かい。そうかい。そんな小さいのに。この村に魔女が来るなんて、なんて久しぶりだろう。お前さん、それじゃあほうきで飛んで、ここまで来たのかい?」
「ええ、まあ……そうです」
「ほっ、じゃあ占いやら薬の調合やら、いろいろできるんだろうね。おお、それにそのネコちゃん!」
 パステットを見て女はにっかりと笑った。驚いたパステットがミミーの後ろに隠れる。
「小さい使い魔さんだこと。じゃあ、このネコちゃんも飛んだり変身したりするのかね」
「ええっ?]
「だって、前に村にいた魔女の使い魔の黒カラスは、ネコにもネズミにも変身したんだよ。ほんとさ。あたしゃ、この目で見たんだからね。村の連中は嘘だといってきかないけど。あたしゃ見たのさ。ああ、そうだ。あの魔女、ええと……名前はそう、ミランドラっていったっけね。あたしと歳が近いこともあってさ、色々と助けたりしてやったし、その代わりに薬草やらハーブやらをサービスしてくれたっけ。あれはもう、何年前のことだろう」
 魔女と聞いてよくよく思い出すことが多いのか、女はミミーを前にして一人でしゃべり続けた。
「そうそう、ミランドラの薬はよく効いたねえ。とくに腰痛もちの私にって、特別に作ってくれたやつはすごくよかった。おかげで、いまじゃあすっかり腰の痛みもなくなったからね。でも、あとでその薬の材料がカタツムリだと聞いて、ひっくり返りそうになったわね。ははは。それにハーブ茶の調合も上手で、いつも美味しいお茶が飲めたわね。村の連中は気味悪がっていたけど、あたしは平気だったよ。だって、あんなに美味しいお茶だもの。黒づくめだろうが、わしっ鼻だろうが、ちっとも怖くない。ああ、でもあんたは可愛らしいお顔をしているわね。ますます怖くない」
 女はそう言って笑った。少々……というか、かなりおしゃべりではあったが、どうやら嫌な人ではなさそうだと、ミミーは少しほっとした。
「それで、あんたは、どんなお茶や薬が得意なんだい?」
「あっ、あの……私は」
 ミミーはおずおずと言った。
「私、まだ見習いなんだす」
「見習い?ああ、そう」
「はい」
 ミミーは少し赤くなってうなずいた。すると女は声を上げて笑いだした。
「ははは。そうか、そりゃそうよね。こんなに小さな女の子なんだもの。ははは」
 それから、もう一度まじまじとミミーを見た。
「なるほど、見習いね。つまり、魔女になる修行中ってやつね。なるほど」
「はい」
「ミミーっていったね。いくつなんだい?」
「今年で十四になります」
「ほっ、若いねえ。その歳でもう一人で修行に出されるなんて、厳しいんだねえ。魔女ってのもさ」
「ええ……まあ」
 女の貫祿にやや圧倒されつつも、それでいて、ミミーは少しも嫌な気はしなかった。
「あたしは、ナミルってんだ。よろしくね」
「はい。こちらこそ」
「んで?その見習いの魔女のあんたが、あたしんとこになんの用だい?今のとこハーブの押し売りも薬も、間に合ってるよ」
「いえ、あのう……」
「なんだい?」
「あの、できれば、ミルクをいただけないかと。このパステットのご飯がなくて」
 あつかましくはないかと、ミミーはもじもじとして言った。
「ああ、このネコちゃんのね。いいよ今朝のしぼりたてのをやろう」
「あ、ありがとうございます!」
 ミミーは顔を輝かせた。
「おや、ついでにチーズも欲しいって顔をしてるね」
「えっ?いえ、あの」
「いいさ、やるよ。うちのヤギの乳で作ったチーズは、それは美味しいんだから」
 ナミルは笑って言った。それからミミーを家畜小屋へ案内してくれた。そこには六匹のヤギがいて、もしゃもしゃと干し草を食べていた。
「うちのミルク係だよ。毎日バケツに三杯は乳を出すんだ」
「まあ、そんなに。とってもえらいヤギさんなのね」
「うちだけじゃ飲みきれないんで、よく村の人達にあげたり、あとはチーズにしたり、プリンを作ったりするのさ。美味しいよ、ヤギのミルクプリン」
「へえ、美味しそう。作り方を教えてくださいますか?」
「ああ、いいよ」
 プリンの作り方を教わりながら、ミミーは旺盛に草を食べ続けるヤギたちを眺めていた。
「あら、あの一頭はお腹が大きいみたい」
「ああ、あれはもうすぐ子供を生むんだよ。見たことあるかい?ヤギの赤ん坊」
「いいえ。魔女の国には豚と雌鳥しかいないんです」
「そうかい。じゃあ生まれたら見せてあげるよ」
 ナミルはバケツを手に小屋に入ると、手際よくヤギの乳を搾り始めた。バケツの中にはあっと言う間に、乳白色のミルクがたまってゆく。
「わあ、いっぱい出るのね」
「みゃあ」
 ミルクの匂いに反応したのか、ヤギを怖がっていたパステットがそばに寄ってきた。
「まあ、やっぱりあんたって食い意地がはった子ね」
「そら。これくらいでいいかい。あんたの飲む分もあるだろ」
 バケツ半分ほど入ったミルクを受け取り、ミミーは礼を言った。
「いいよ。あとでチーズも持ってくるよ」
「そんなにしていただいて……本当にありがとう」
「ふふ、いいって。そのうちにさ、あんたに助けてもらうこともあるかもしれないし。そんときはよろしくさね」
「は、はい」
 足元では、パステットが待ちきれないようにバケツのふちをなめている。
「ふふ、ネコちゃんは早くミルクが欲しいらしい」
「もう、パステットったら」
「パステットっていうのかい。なんとも利口そうな名前だね。大きくなったら立派な使い魔になるだろうさ。さて、そろそろあたしはこのヤギたちを村の外の草地に出してやらなくちゃ。それが終わったら洗濯して、畑に出ている旦那の昼メシの支度だ。さあ外で待ってな。すぐ台所からチーズを持ってくるから」
「はい。じゃあ、お邪魔しました」
「ミルクやチーズがいるときはいつでも来な」
 チーズの包みを受け取ったミミーは、何度も丁寧に礼を言ってナミルの家を後にした。
「なんていい人なのかしら。なんだか私、生きる希望がわいてきたわ」
 ミルクの入ったバケツを手に、鼻歌を歌いながら通りを歩く。人々の視線ももうあまり気にならなかった。
 家の前まで戻って来ると、柳の大木がなにかを告げるように、ミミーの前でふわりとその枝葉をたなびかせた。「あっ」と声を上げると、ミミーはバケツを置いて戸口に駆け寄った。地面に少しこぼれたミルクをパスケットが急いでなめる。
「誰が……こんなことを」
 「見習い魔女ミミーの店」と書かれた看板が倒されていた。石をぶつけられ、踏みつけられたような跡がそこに残っていた。
「ひどい……」
 もしかしたら、またあの子どもたちかもしれない。
「……大丈夫。もう泣かない。こんなことくらいじゃ」
 ミルクをなめていたパステットが「にゃあ」と鳴いた。
「そうだわ。少なくとも、今は、私にミルクとチーズをくださる人がこの村にはいるんだ。だから、わたしはもう悲しくない」
 ぐっと涙をこらえると、ミミーは立ち上がった。
「看板はまた作ればいいんだ。それに裏の庭にはハーブの種もまくの。余ったミルクでさっそく教わったプリンを作ろう。たまごとはちみつを買ってこないと……することは山ほどあるわ」
 その夜、ミミーは大釜に慣れるためかまどを使ってみることにした。土間の隅に残っていた薪のかけらを入れて、四苦八苦しながら火をおこす。
「ついたわ」
 さすがは魔女のかまどだ。心に祈りながら何度か石を打つと、ぱっと火がついた。
 ミルクを大釜に入れ、適度に温めると美味しいホットミルクができた。パステットにも分けてやり、自分も一口飲むと、ほっと体が温まった。体の中から、また少し暖かな希望が湧いてくる感じがした。
「美味しいね、パステット」
「みゃあ」
 木皿に入れてやったミルクを美味しそうになめるパステットを横に、ミミーは穏やかな時間を過ごした。静寂に耳を澄ませ、心を平静に保つことも修行のひとつだと、姉の誰かが言っていた。きっとこれからは、こうして過ごす夜も増えるのだろうか。
 月の出るのを待って、ミミーは家の裏庭に出た。
 今日のところは、見習い魔女の店を訪ねてきた客は一人もいなかった。明日は誰か来るだろうか。来るかもしれない。来ないかもしれない。
「それでも、明日もまた掃除をして、また看板を立てよう。だって、誰かが来るかもしれないから」
 月を見上げて、ミミーはつぶやいた。満月はあと何日か先だが、それでも月の力は十分に感じ取れる。革袋から取り出したハーブの種を、指の中で呪文とともに温める。やわらかくほぐした土の中に、種を少しずつ埋めてゆく。
「ペパーミント、レモンバームにローズマリー、月の力で大きくなあれ、太陽の力で大きくなあれ」
 歌うように口ずさみながら、ミミーは一粒ずつ、丁寧に種を埋めていった。
「カモミールにラベンダー、月の力で大きくなあれ。太陽の力で大きくなあれ」
 月の魔力を土に込めるように、
 ミミーは種を埋めていった。


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