騎士見習いの恋  5/10 ページ

      

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 試合は進んでいった。
 リュシアンは自分の試合が終わると、隣の試合場で行われるカルードの試合を応援に行った。自分が勝ったことを報告すると、カルードは鎧の準備をしながら、「ここから見ていたぞ。よくやったな、リュシアン」と、嬉しそうに何度もうなずいた。
 カルードの試合が始まると、リュシアンは食い入るようにしてそれを見守った。彼の隊長は、期待通りの見事な試合をした。
 大きなカイトシールドを巧みに操り、カルードは攻撃を受け止めると、素早い突きを相手の騎士に打ち込んでいった。その戦いは、試合を見ているリュシアンらの見習いたちに、まるで戦いの基本の動作を教えるかのような、的確で、そして理にかなったものだった。
 一方の、相手騎士側の実力も、相当なものであることは見て取れた。凄まじい速さのカルードの突きを、相手騎士は剣先ではじき、巧みに盾の端で受け流した。それは見習い騎士の試合などとは比べ物にならないような激しさで、互いの体力を削り取るかのような、互角の戦いだった。リュシアンは、いつしか己の拳を握りしめ、さかんにカルードを応援する声を上げていた。
 拮抗した試合も、ついに勝負ありのラッパが鳴らされた。観客たちは立ち上がり、拍手喝采で勝者を讃えた。
「すげえ試合だったよ。カルード」
 試合場から下りてきたカルードを、すっかり興奮しきった顔のリュシアンが迎えた。
「ああ。相手の騎士も見事な使い手だった」
「でも最後は、相手の剣と盾を両方たたき落としちまうんだからな。さすがカルードだ」
 教え子に褒められて、まんざらでもなさそうにカルードは笑顔を見せた。
「それより、フィッツはどうなった?奴の試合もそろそろ始まったころだろう」
「あ、いけね。忘れていた」
 フィッツウースの試合は、トーナメント史上類をみない早さで決着した。それは、ある意味では見事なものといってもよかった。
 試合開始のらっぱが吹き終わるか終わらないか、という時間のこと。相手の最初の一撃をひらりと見事にかわし、その態勢から剣を打ち込もうとしたフィッツウースは、踏ん張った足をすべらせて、そのまま試合場から落ちた。一瞬、しんとなった会場からは、やがてくすくすと控えめな笑いがもれ、審判が高らかに勝敗を告げる頃には、客席からは拍手と喝采、続いて大きな笑いとが巻き沸き起こったのだった。
 カルードは教え子のその酷い敗退に対して、何を言うべきかを真剣に悩んでいた風だった。フィッツウースを叱るべきか、それとも慰めるべきか。しかし、騎士隊長が何かを言う前に、横にいたリュシアンが大声で笑いだした。顔を赤くして、むっつりと押し黙ったフィッツウースだったが、そのうちに彼も声を上げて笑いだした。笑いながら肩を組んで休憩場へ去ってゆくその二人を、彼らの隊長は茫然として見送ったのだった。
 さらに試合は進み、昼過ぎには一回戦すべての試合が決着した。それぞれのトーナメントで勝ち上がった八名は、しばらくの休憩の後二回戦に入ることになる。
 次のリュシアンの相手となるのは、東第二大隊の騎士見習いだった。やはり、二回戦に勝ち残ったのは、そのほとんどが大隊所属の騎士と見習い騎士だった。中隊所属者で勝ち上がったのはリュシアンの他にはいなかった。
 敗れた騎士たちは悔しそうな顔で、同じ隊の勝ち残りを応援するかまえだったが、一人フィッツウースだけは晴々とした表情を浮かべ、用のなくなった剣と鎧を放り出した。
「ああ、暑かった。もう七月だってのに、こんな鎧を着込んで剣を振り回すんじゃ暑くてたまらん。もうトーナメントなんざこりごりだぜ。ああ、負けて良かった。おいリュシアン、お前もとっとと負けろよ」
 そう言って彼は、苦笑するリュシアンの肩を叩いたものだった。

「これより見習い騎士の部、二回戦第二試合を行う。両者前へ」
 審判の声に習い、剣を手にしたリュシアンは試合場に上がった。
(相手は東第二の奴か……)
 一回戦を勝ち上がってきた相手だけあって、見習いといえども鎧を着たその姿は、正騎士とほとんど遜色ない。
(……やっぱでかいな。背はフィッツと同じくらいか)
「両者向き合い、騎士の礼」
(これに勝てば、準決勝だ……)
 剣を手にした右手を胸に当て、騎士の礼を行いながら、リュシアンは考えた。
(母様もきっと喜ぶぞ。カルードだって、これに勝てばきっと俺をずっと見直すだろう。それに……)
「始め」
 客席からの歓声とともに、二人の見習い剣士が剣を振り上げ、相対した。試合は、まずは定石通りの打ち合いとなった。相手の剣を受け止め、返す剣で打ち込む。いかに腕に負担をかけず、剣先を傷めないように相手の剣を受けるかが大切なのだ。受ける剣はやわらかく、返す剣は鋭く速く。こうした基本を、彼はこのひと月で、カルードも驚くような根気強さで繰り返してきた。
 ガシッ、ガシン
 剣の合わさる鈍い音が、規則的に場内に響き続ける。
 強く打ち込んでくる相手の剣を、リュシアンはやや下がりながら受け止める。そんな攻防がしばらくの間続いた。
 相手も相当の訓練を積んでいるのだろう、その突きは鋭く、上段から振り下ろされる剣はとても重かった。
(くそ。腕がしびれてきた……)
 木剣とは違い、錬鉄でできた剣はずしりと重たい。それに、これほど激しい打ち合いを長く続けたことは、練習でもそうはなかった。
(ちくしょう……やっぱ、強いや)
 リュシアンは心の中でつぶやき、歯を食いしばった。
(ここで負けたんじゃ……)
 いったん下がって剣を握りなおすと、掛け声もろとも相手に打ちかかる。
 ガッ、ガガッ、と激しく剣がぶつかる。
 力では明らかに相手の方が上だ。普通にやっていては勝てない。
(いてて……ダメだな。これは)
 これまでの彼であれば、とっくにあきらめていたかもしれない。
(こうなったら、やってみるか……)
 何を思ったか、リュシアンは剣を片手に持った。両手ですら受け止めるのが精一杯だというのに。
 それを見た相手が、正面から打ち込んでくる。リュシアンは、その剣を受ける代わりに、ひょいと体を横にしてかわした。そして、くるりと回転するように横凪に剣を振った。
 意表を突かれた相手がわずかに態勢を崩した。
 ここぞと、リュシアンが突進しようとしたとき……
(……!)
 正面の客席が目に入った。上段に剣を振り上げた格好で、リュシアンは一瞬、動きを止めていた。
 兜の中の彼の目が、大きく見開かれる。
(マ、マリーン……)
 見間違えようもない。
 確かにそこに、彼女の顔が見えたのだ。
(マリーンが……)
「何をしている、リュシアン!」
 カルードの声を聞き、リュシアンは我に帰った。
「あ……」
 ほんの数秒のことだったが、相手には十分な時間だった。リュシアンは振り上げた剣を、のろのろと相手に向けた。
「ダメだ。よけろ、リュシアン!」
 カルードの叫び声が耳の片隅で聞こえたが、もう遅かった。
 リュシアンの剣をかわした相手が、そのまま間合いに飛び込んできた。
「うわっ!」
 よける暇もなかった。
 剣が頭上から落ちてきた。
 ガッ、ゴッ、
 いやな音がした。
 右腕に激痛が走る。
 何が起こったのか、彼には分からなかった。
「ああっ!」
 絶叫が聞こえた。
 それが自分の声であるとは、気づく間もない。
 きな臭い匂いと、しびれるような痛みに目を閉じる。
 どん、という強い衝撃。
 自分の体が地面に転がるのが分かった。
「リュシアン!リュシ……」
 カルードのものか、それともフィッツのものか、悲鳴のような叫びがかすかに聞こえ……
 わーんと耳の奥に響くような喚声が、しだいに小さくなってゆく。
 彼が最後に見たのは、ただ真っ青な空だった。

 目を開けるとカルードがいた。
 心配そうにこちらを覗き込むようにしている。
「大丈夫か?リュシアン」
「ああ……カルード」
 口を開いたリュシアンに、隊長はほっと息をはいた。
「俺、どうしたの?」
 体を起こそうとすると、とたんに右腕に激痛が走る。
「痛っ、いて……いでぇーっ。うう」
「無理するな。しばらくじっとしていろ」
 リュシアンは激痛に顔をしかめながら、たまらずまた横になった。
「うう……、すっげえ痛いよ、カルード」
「無理もない。試合用とはいえ鉄の剣をじかに腕で受けたんだからな。あれが真剣だったら、肩から右腕が飛んでいたところだぞ」
「うう、そうか……」
 ぐるぐるに包帯が巻かれた右腕を見下ろし、彼はつぶやいた。
「俺、負けたのか……」
 試合場からの歓声が遠く聞こえてくる。
「ああ……だがお前はよくやったよ」
「そうか。ちくしょう」
「大隊所属の騎士見習いに勝って二回戦に進んだんだからな。それだけでもたいしたもんさ」
 カルードはなぐさめるように言った。
「試合内容ではお前が上だったよ。負けたのは、ちょっとした油断のせいさ」
「うん……」
 油断と聞いて、リュシアンの脳裏には、あのときの光景がうっすらと浮かんできた。あの時、客席に見えた「彼女」の顔を。
(あのとき、確かに……マリーンが見えたんだ)
 黙り込んだ少年を、カルードが少し心配そうに覗き込んだ。
「当分は安静らしいぞ。折れてはいないがひどい打撲で、もしかしたら骨にもひびが入っているかもしれないそうだ」
「そっか。うう……本当に痛いよ。カルード」
「とにかく、試合が全部終わるまではここでおとなしく寝ていろ。右手はしばらくは絶対動かすなと、医者が言っていたからな」
「動かせって言ったって、無理だよ。これじゃ」
 リュシアンは、ぐるぐる巻きにされた右手を見せた。
「そのくらいの軽口が叩ければ大丈夫だな。なあに、ほんのふた月もしたら、また剣が振れるようになるさ。それまでは騎士の稽古はお休みだな」
「本当?そりゃいいや。……痛てっ」
「馬鹿。動かすなと言ったろう」
「うーっ、こりゃ本当に痛いぞ」
 リュシアンはベッドの上で顔をしかめた。
「まったく、なんてついてないんだ。優勝したらカルードや皆を見返せると思ったのにな」
「あのな。優勝なんてそう簡単にできるもんじゃないぞ。いいか。大切なのは常日頃からの積み重ねとだな……」
 またカルードの説教が始まろうかというそのとき、「わーっ」という大歓声がこの医務室にまで聞こえてきた。
「どうやら前の試合が終わったようだな」
「あっ、そういえば、カルードの試合は?」
「おお、次だな。そういえば」
「しっかりしろよ、隊長」
 リュシアンはくすりと笑った。カルードは慌てて手にしていた兜をかぶり直す。
「じゃあ俺は試合に行くが、一人で大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だよ。それより早く行かないと。俺たちの隊長が遅刻で失格じゃ、恥ずかしいよ。ほら早く行けよ」
「おお。じゃ行ってくるが、ちゃんと安静にしてるんだぞ」
「うん。絶対勝てよ」
 カルードが出てゆき一人になると、リュシアンはベッドで目を閉じた。かすかに試合場からの歓声が聞こえてきた。カルードの試合が始まったのだろう。遠くにざわめきを感じながら、リュシアンはそのまま眠りに落ちた。

 どれくらい時間がたっただろう。
 ベッドの上でまどろんでいるつもりが、実際は長い間眠っていたのだろうか。それとももしかしたら、カルードが出ていってからまだ、少しもたっていないのだろうか……
 夢ともうつつともつかない、まどろみのなかで、
(リュシアン……)
 自分を呼ぶ声が聞こえた。
 ……いや、そんな気がした。
「……んん」
 リュシアンはゆっくりと目を開けた。
 薄暗くなった室内は静かだった。試合場からの歓声も、今はほとんど聞こえない。
 ベッドに寝たまま首を回して、天井から壁に目を向ける。
 扉の方を見たとき、
「あ……」
 ぼんやりとした視界に、人影が映った。
「ああ……」
 これは……夢だろうか。なかなか言葉が出ない。
 扉の前に立っている……その姿。
「マ……」
「彼女」がそこにいた。
「マリーン」
 かすれた声で、その名をつぶやく。
 彼女は、そこにいた。なんともいえない表情で、静かにこちらを見ている。
「本当にマリーンなの?これは夢じゃなくて……うっ、痛てっ」
 リュシアンは体を起こしかけて、右腕の痛みに呻いた。
「リュシアン」 
 彼女が自分の名を呼んだ。
 その声……その声を聞くだけで、体が震える。
「リュシアン……こんな怪我をして」
 彼女はベッドの脇に来ると、心配そうにリュシアンを覗き込んだ。
「マリーン……本当にマリーンだ」
 リュシアンはおそるおそる手を伸ばした。少年の手が触れるとマリーンはぴくりとしたが、彼女はそれを拒まなかった。
「ああ、夢じゃない」
 目の前の存在を確かめるように、リュシアンは彼女の髪を撫で、その肩から手をなぞるようにして触れた。
 こうして、最後に彼女に触れたのはいつのことだったろう。たった数カ月前のはずのことが、まるで数年もの昔に感じられる。
「マリーン……」
 リュシアンの目に涙が浮かんだ。
 彼女の深い緑がかった色の瞳も、長いつややかな黒髪も以前のままだった。その肌も、唇も、香りも、この数カ月ずっと想像してきたとおり……。自分が愛した初めての女性が目の前にいた。
「会いたかったよ。マリーン」
「私も。リュシアン」
 二人は照れくさそうに、互いにはにかんだ。
「元気だった?」
「うん。マリーン……ずっと見ていたの?」
「試合?ええ。最初からずっと」
「そうか……」
 思うように言葉が出ない。ぎこちなく顔を見合わせては、また視線をそらす。
「情けないな……俺。あんなに驚いて馬鹿みたいだ、試合中にさ、客席にマリーンの顔が見えたから、それで驚いちゃって……よそ見して、このざまだよ」
「そう……だったの」
「本当に馬鹿だよな。考えてみれば、カルードも出場しているんだから、マリーンが応援に見に来ていても、不思議じゃないんだし」
 リュシアンは自嘲ぎみに笑った。
 遠く試合場からの歓声が、再びかすかに聞こえてくる。
「カルードが試合してるよ。応援に行ったら?」
「リュシアン……」
 ベッドで背を向けたリュシアンに、マリーンは静かに言った。
「さっきあなたが試合で倒れるのを見ていて、私……とても動転したわ」
「……」
「でも……無事で良かった」
 マリーンが自分を抱きしめてくれるのではないかと、リュシアンは一瞬期待したが、彼女はそうしなかった。
「それじゃ、もう行くわね」
「待って、マリーン!」
 立ち去ろうとする彼女に、たまらずリュシアンは身を起こした。手を伸ばしたとたん右腕に激痛が走る。
「うっ、いっつつつ」
「リュシアン。無理してはだめよ」
 ベッドから立ち上がろうとする少年を、マリーンが横から支えた。
「大丈夫?」
「ああ……平気さ」
 腕の痛みなどはどうでもいい。それよりもマリーンの体に触れ、そのぬくもりを感じられたことがうれしかった。
「マリーン、俺、俺やっぱり……」
「リュシアン……」
 込み上げてくる感情を抑えられず、マリーンを引き寄せる。こちらを向いた彼女の目には、うっすらと涙の跡があった。
「ああ、マリーン!」
 腕の痛みなど忘れたように、そのまま強く抱きしめる。やわらかなマリーンの体……かぐわしい香りがなつかしい。
「リュシアン、だめよ。怪我が……」
「マリーン……やっぱり駄目だよ。俺、マリーンでないと」
 彼女の手も、おずおずとリュシアンの背中に回される。
「リュシアン……」
 二人の顔が、互いの唇を求めるように近づいた。
「……」
 そのとき、部屋の外から足音が聞こえてきた。
 二人が慌てて体を離すと、間髪おかずに扉が開かれ、フィッツウースがぬっと顔を出した。
「よう、リュシアン。怪我は平気か?」
 どやどやと部屋に入ってきたのは、フィッツウースと騎士隊の仲間のソランだった。
「フィ、フィッツ……それにソランも」
「なんだ、元気そうだな。せっかく、女の子も連れて来て元気付けようと思ったのに。その必要もないみたいだな」
 二人の後から入ってきたのは、見知らぬ二人の女の子だった。
「こんにちは、リュシアン」
 そう言ってにっこりと笑ったのは、蜂蜜色の金髪を三つ編みに結った少女だった。
「私のこと覚えている?」
「ええと、あの……」
「俺のいとこのコステルだよ。前にパーティで紹介したろ」
 ソランが言うと、リュシアンはほっとしてうなずいた。
「ああ、そうそう。思いだした」
「もう。ひどいわ。忘れるなんて」
 少女は可愛らしく口を尖らせた。確か歳はリュシアンと同じくらいだったはずだ。
「ご、ごめんよ」
「で、こっちがトルーデ……俺のガールフレンド」
 ソランがもう一人の少女を紹介した。
 ぺこりと会釈をしたのは、ブラウンの髪を清楚にまとめた、おとなしそうな感じの少女だった。
「……ったく、こいつはよー。俺らの試合の応援に来るのにてめえの女を連れてくんだからよ」
 横からフィッツウースに小突かれ、うぶなソランは赤くなった。
「でも、思ったより元気そうだな。ひどい怪我じゃなくて良かったじゃんか」
「ああ、まあね」
 リュシアンは不機嫌そうに答えた。彼にすれば、マリーンとの二人きりの時間を邪魔されているとしか思えなかったので、一刻も早くこの連中が出ていってくれることを願わずにはいられなかった。
「おいリュシアン。ところでその人は誰なんだ?早く紹介しろよ」
「あ、ああ……」
 そう訊かれるだろうとは半ば予期していた。
「えーと、こちらはマリーンさん。カルード隊長の姉上で……」
「なんだって?」
 頓狂な声を上げたのはフィッツウースだった。彼はとたんに訳知り顔になると、目の前の女性をしげしげと見た。
「よろしく。いつも弟がお世話になっています」
 マリーンはにっこりと微笑んだ。
「へえ。隊長のお姉様かあ。すごい美人だよなあ」
 目を輝かせてソランが言った。横からガールフレンドにじろりと睨まれると、彼は慌てて口元の笑みを消した。
「でも、本当に綺麗な方だわ。あの、失礼ですがお歳はおいくつなんですか?」
 ソランの従姉妹の少女、コステルが尋ねた。
「ええと、もうすぐ二十四になるわ」
「わあ、やっぱりお姉さんなんですねえ」
 両手を組み合わせ、彼女は無邪気そうに声を上げた。リュシアンは少しはらはらしたが、マリーンはただ微笑んだままだった。
 フィッツウースはさっきからじっとマリーンを見ていたが、リュシアンと目が合うと、口を突き出すようにして何事かを伝えた。
 リュシアンは苦笑した。自分とマリーンとのことを知っている親友に、このような形で彼女を紹介したことは、なんとなくくすぐったいような、奇妙な気分であった。
「さて、申し遅れましたが、俺はフィッツウースといいまして、リュシアンと一緒の隊で、彼と日々切磋琢磨して……」
 いっぱしの紳士を気取るようなフィッツウースの口調に、マリーンはくすりと笑いをもらした。
「知っています。リュシアンのお友達ね。あなたのことはよく聞かされているわ。いろいろと」
「あ、そうなんすか。なんだ……」
 フィッツウースは、そっぽを向くリュシアンを睨み付けた。
「ところで、カルードの試合はどうなったんだろう?」
「ああ、勝ったよ。隊長は。これで決勝進出だよ。すごいよな」
「へえ決勝かあ。すげえなあ。カルードってやっぱ強かったんだ」
 リュシアンは素直に感心した。
「もし優勝したら、どえらいことだよなあ。そうなったら俺ら、王国一の騎士隊の見習い騎士ってことになるんだぜ」
「まあな。でも決勝の相手は去年の優勝騎士だそうだぜ」
「うーん。でも勝ってほしいなあ、カルードに」
「じゃあ、応援にいこうよ。決勝戦」
 コステルが提案した。
「うん、でもカルードはここで安静にしてろって」
「大丈夫よ。私が支えてあげるから。それなら平気でしょ?」
「うん、でも……なあ」
「よし。じゃあ決まりね」
 にこっと笑った彼女は、リュシアンの横に回ると、ぴたりと体をつけてきた。
「こうして……右腕の添え木に当たらないようにして、支えればいいのよね」
 皆が見ている前にもかかわらず、コステルは恥じらいもない様子で、リュシアンの左腕を自分の肩にかけた。
「ああ……ええと、大丈夫だから。ほんとに。その……離しても」
 赤くなったリュシアンはしどろもどろに言った。
「おいおい、そんなにくっついて。まるでお前ら恋人みたいだぞ」
 ソランが笑いながら二人をはやし立てる。その横ではフッィツウースが、「やれやれ」というように顔をしかめた。
「それじゃ、私はそろそろ失礼するわね」
「マリーン……さん、いっちゃうの?」
「リュシアン……くん、くれぐれも安静にね」
 マリーンは皆に向かって軽く貴婦人の礼をすると、部屋を出ていった。
「ああ、綺麗だったなあ。マリーンさん」
 彼女が出て行ってから、しみじみとソランが言った。
「本当にあれが隊長の姉上なんだな。なあ、リュシアン」
「あ、ああ……」
「しとやかで、でもどこか凛としていて、気品もあるし。清艶たる美人って、ああいうことを言うんだろうな」
 ソランはすっかりマリーンに憧れてしまったらしい。うっとりとして言った。
「でも、なんで隊長さんのお姉さんが、わざわざリュシアンのお見舞いにくるのかしらね」
 コステルの言葉に、リュシアンはどきりとした。
「だって、リュシアンはさ、三ヵ月の間、カルードのおっ母さんの屋敷で働いてたんだぜ。あのマリーンさんとだって知り合いなのは当然だろ」
 フィッツウースの説明に、皆が「なるほど」とうなずき合った。リュシアンはほっとした。
「ということは、リュシアンはずっとあのマリーンさんと同じ屋敷に寝泊まりしていたのか。いいなぁ、こいつ」
 うらやましそうに言ったソランだったが、ガールフレンドのトルーデにじろりと睨まれて押し黙った。
「ほんと、男の子って不潔だわ。そういういやらしい想像するんだから。ねえコステル」
「ええ。でも、仕方がないんじゃない。マリーンさんはあんなに素敵な人なんだし。ソランとかフィッツウースたちの年頃だと、ああいう年上の女性にあこがれるものなんでしょう?」
「おいおい、俺はそういうわけでもないぜ」
 フッィツウースは大人びた口調で抗弁した。
「それに、もとはリュシアンの話だったんだから、その質問はこいつに向けるのが道理だろ。なあ?」
 片目をつぶって見せるフィッツウースに、リュシアンは力なげに首を振った。
「いや、俺は、そんなんじゃ」
「そうよ」
 その横でコステルが声を大きくした。
「リュシアンはそんなんじゃないわ。あんたと違ってね、女なら誰でもいいってタイプじゃないもの」
「なんだって?俺がどんなタイプだっていうんだよ」
「知ってるわよ。私のお友達に、あなたに、その……されたって子がいるもの」
 顔を赤らめながらコステルは言った。
「そんなの。不潔だわ。本当に好きでもないくせに、そんなこと」
「そんなことって、どんなことだ?」
「それは……その」
 にやにやとするフィッツウースに、コステルは何も言えなくなった。
「大人になりゃ、誰だってすることさ。なあ、リュシアン。ソランだってそうさ」
「えーと、僕はまだ、そんなのしたこともない……けど。でもいずれは、その……したいかな、と」
 ソランは、トルーデの方をちらりと見た。
「不潔だわ。そんなの。それにまだ早いわ。だって私達はまだ」
「もう十六だぜ。来年にはみんな」
 フッィツウースは珍しく真面目な顔で言った。
「もうそろそろ、自分で自分の責任を全部とる歳だ。正騎士になる歳だもんな。それに女とか、恋人とか結婚とかさ。これからはそういうことを考えるようになっていくんだよ」
 ソランもリュシアンも黙り込んだ。普段はいいかげんそうなフィッツの言葉だけに、かえって不思議と重みが感じられる気がした。
「そんなの……」
 コステルは唇を引き結んだ。薄緑色の綺麗なサテンのスカートを握りしめ、彼女は少年たちを睨むように見つめた。
「嫌よ、私」
 そう言うと、彼女は部屋を出ていった。
「なんだろうな?俺そんなに悪いこといったかね」
 フィッツウースが首をかしげる。
「それじゃ、俺たちも先に行ってるよ。もうすぐ試合も始まるし」
「ああ、じゃあな」
 ソランとトルーデも出てゆくと、部屋にはリュシアンとフィッツウースだけになった。
「でも、けっこう可愛い子だな。コステルって」
「まあな。ソランの従姉妹ってことは、やっぱりいいお家のお嬢様なんだろうさ。前に俺とパーティに行ったときに会っただろう」
「そうだったっけ?でも、ほとんど話はしなかったと思うよ。フィッツはもう何度も会ったことあるんだろ?」
「何度もっていうか、ソランのとこのパーティに行ったときなんかはな。高そうなすげえドレス着て、綺麗な金髪で、顔もまあそれなりにかわいいし、それに性格も明るいしで、ちょっと目立つ娘だなとは思ったね」
「こいつ。ちゃっかりチェックはしてたんだな。で、あの子もお前の狙いの一人なのかよ?」
「いいや」
 フィッツウースは奇妙な顔つきになると、むっつりと口を歪めた。
「……ったく、鈍い奴だな」
 リュシアンの顔に指を突きつける。
「あの娘はな、お前に気があるんだよ」
「へ?うそ」
「本当だ。今日だって、お前の試合が始まると、とたんに真剣に試合を見はじめたし、お前がやられて倒れた時なんかな、こう、ぱっと立ち上がって悲鳴を上げたんだぜ、あの娘」
「本当に?」
「ああ。こっそりソランに聞いたら、騎士のトーナメントになんか興味ないって言っていたのに、お前が出るという話になると、突然応援に行くって言いだしたらしい。この野郎」
「な、なんだよ」
 背中をひっぱたかれて、リュシアンは咳き込んだ。
「痛えな。これでも俺は怪我人なんだぜ」
「あの子といい、さっきのマリーンといい、なんでまたこんな奴に……まったく」 
「おい声を小さくしろよ。カルードが聞いていたらどうすんだよ」
「大丈夫さ。すぐに決勝戦が始まるんだ。いちいち戻っては来ないよ。試合が終わってから来るって言っていたんだから。それより、よう、この野郎っ」
 今度は叩くふりだけをして、フッィツウースはにやにやと笑った。
「見たぜ、マリーン。うう、まったく、あんな美人だとは思わなかった。カルードの姉さんっていうからよ。くーっ、ちくしょう!この野郎。あんないい女とやったのかよ。うらやましいぜ、このっ」
「だから大声はよせって」
「でもまあ、カルードも良家のおぼっちゃんなんだし、よくよく見れば顔だちも整っているしな。似ていなくもないか。それにしてもいいよなあマリーンさん。やっぱり大人の魅力っていうかさ。まあ、それにくらべりゃ、確かにコステルもあのソランの女、トルーデもガキだな。ガキ。胸なんかもマリーンさんの方がずっと大きかったし。ううっ。くそっ、あんな女、一度でいいから抱いてみてえ」
「へへっ、うらやましいか」
「ああ。うらやましいとも。こいつ。そういや俺たちが来る前にこの部屋で二人きりだったよな。おい、もしかして仲直りしたのか?マリーンとよりが戻ったのかよ?」
「いや……。よくわかんない」
「なんだそりゃ?」
「うん。もうちょっとだったんだけどな。抱き合って……キスってときに……お前らが入ってきた」
 フッィツウースはたまらず吹き出した。
「そうか。そりゃ……悪かったな。そうか、俺たちのせいか。まったく。ソランのやつが……いやあの子か、コステルが怪我したお前を心配して、早く早くってせかすもんだからさ」
 フィッツウースは深刻にうなだれるリュシアンを見て、笑いを抑えた。そのとき、試合場からの歓声が大きく聞こえてきた。
「そろそろ、決勝が始まりそうだな」
「みたいだね」
「……で、どうすんだ?」
 何気ないふうにフィッツウースが訊いてきた。
「どうするって、応援に行くかどうか?」
「ばっか。そうじゃねえよ」
「マリーンさんのことはあきらめるのかどうか、ってことだよ」
「ああ……」
 リュシアンは少しまた黙り込み、
「……分からない」
 つぶやくようにそう言った。
 聞こえてくる拍手と歓声とが、静まった部屋の中に響いていた。

 結局、決勝戦で惜しくも敗れたカルードは、準優勝に終わった。優勝したのは昨年と同じ、東第一大隊の騎士だった。
 リュシアンはなんとなく試合を見にゆく気にはなれず、その結果をソランたちに聞かされた。
「なんだ、皆ここにいたのか」
 試合を終えたカルードが部屋に入ってくると、リュシアンの周りに集まっていた少年たちが一斉に振り向いた。
「あ、隊長お疲れさまです」
「惜しかったですね。もうちょっとで優勝だったのに」
「うむ。まあ、こればかりは仕方ないな。相手の実力が上だったということだ。しかし、私自身も良い経験になったし、試合に出たものも出なかったものも、それぞれに得るところはあったと思う。明日からまた、精一杯稽古に励み、精進をしてゆこう」
 彼らの隊長の言葉に、少年たちは、「はい」と声を揃えた。
「どうだリュシアン。腕の方は。試合の参加者はこれから閉会式があるのだが、出られそうか」
「うん。大丈夫」
 リュシアンは、多少痛みのひいてきた腕をさすってみせた。
「でも、カルード……残念だったね」
「まあな。だが、去年は三回戦で負けた。今年も負けたが決勝戦でだ。さて、では来年は?」
 カルードは晴々とした顔で片目をつぶってみせた。その笑顔は、騎士らしい自信と、そして誇りに満ちていた。
 口笛を吹き、手を叩く少年たち。リュシアンも笑顔でうなずいた。
 

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