ケブネカイゼ 7/10ページ
//リュプリック//
その翌日、キルティスは久しぶりにレイナルドのもとを訪れた。
「やあ、久しぶりだな」
変わらぬ様子で、彼は笑顔でキルティスを出迎えた。
数週間ぶりに訪れたレイナルドの隠れ家は、前にもましてオンボロで、今にも壊れそうに見えた。通された部屋は相変わらず殺風景だったし、かつて向かい合って食事をしたテーブルには、食べ物の残りや、ワインの瓶などが乱雑に転がっていた。
「何もないがまあ座れ」と、ハーブのお茶とつまみの煎り豆をテーブルに置くと、レイナルトは改めてキルティスの顔を見た。
「へえ、それが本来のあんたってわけだな」
茶色の髪をきりりと束ね、すっかり男のいでたちをした、一部の隙もないその姿をまじまじと眺めて、彼は一言付け加えた。
「でも、髪の色は、そうやって染める前の金髪の方が好きだがね。俺は」
「ありがとう。ところで、今日はお前にお別れを言いにきたんだ」
「お別れ、だって?」
聞き返すレイナルドに、キルティスはその理由を話して聞かせた。
「ははあ。そりゃまた、おもいきった、というか、唐突なことを決めたもんだな」
「ああ。もう決めたんだ。このさい何もかも捨てちまおうってね」
キルティスは晴々とした笑顔で言った。
「それで、そのなんとかって女の子と二人でかけおちか」
「シャルラインだよ。何度いったら覚えるんだ」
「ああすまん。それにしても、ううむ。そりゃ、大変だな。あんたは偉いところの奥さんかなんかなんだろう?それがある日いきなり失踪しちまったら、大騒ぎになるんじゃないのか」
「ふん。かまうものか。勝手に騒げばいい。それに、どうせそのうち僕のことなどは忘れて、別の女のことで頭がいっぱいになるのだろうから……あの豚野郎は」
キルティスは毒気を込めて笑い飛ばした。最後のところはつぶやきになったが、レイナルドはそれについては何も問わなかった。
「それにしても、そうか、明日か。また急な話だな」
「うん。それで、出発する前に、一応お前に会っておこうと思ってね。お前にはいろいろと世話になったし。ああ、でもこの前借りた服を持ってくるの忘れちまったな」
「そんなものはいいんだが。しかし、俺のことを忘れずに、こうやってあんたが来てくれるだけでも嬉しいよ」
レイナルドはにやっと笑った。
「ところで、あんたの方は仕事はどうだい?まだ泥棒をやってるんだろう」
「ああ、まあな。しかし、最近は不景気なのか、なかなかいい獲物がなくてな。見ろ、あの落ちそうな天井を。そこの壁の穴もだ。つまりこの隠れ家の修繕費用もなかなか稼げないときてる。もうこうなったら廃業して、別の副業でも見つけようかとも思っていたところだ」
レイナルドがため息まじりに言うと、キルティスは金の指輪をはずして差し出した。
「これで、この隠れ家を直すためのなにかの足しにしてくれ」
「なんだって?そんなものもらえるか」
レイナルドは怒ったように言った。
「いいんだ。本当はこんな指輪、とっとと捨ちまいたいんだよ。昔、無理やり結婚させられたときに付けられたものだけど。私にとってはもう何の価値もない。そして、明日からはじっさいに本当になんの意味もなくなるんだ。貴族の夫人なんてもうおさらばだ。だからお前にやる。捨てたければ捨てておいてくれ」
奇妙な顔つきでレイナルドは黙り込んだ。そして「分かった」と、その指輪を手にした。
しばらくたわいのない雑談を交わして、キルティスは立ち上がった。
「さて、僕はそろそろ帰るよ。明日の支度もしなけりゃならない」
レイナルドは戸口まで送り、「気をつけてな」とだけ声をかけた。キルティスはうなずき、最後に握手を交わすと、軽快に走り去っていった。
レイナルドは隠れ家の門の前に立ったまま、キルティスの去っていった通りをながめていた。向かい狭い路地にひっそりと馬車がとめられていた。彼はそちらにのろのろと歩いていった。
その晩、キルティスは今までに感じたことのない、心の高ぶりを味わっていた。
それはひとことでいうと、「希望」そして「自由」であった。
食事のあと一通り荷物をまとめ終え、彼女はごろりと寝台に寝ころんだ。荷物といっても、目立つようなものは持ってゆけないので、当分の簡単な着替えと、固パンや乾果といった食料、それに水筒くらいのものだったが。
寝台から天井を見上げながら、彼女は色々なことを頭に思い描いた。
草原を走る馬や、シャルラインの笑顔、青い空、流れゆく雲、澄んだ空気と風の匂い。
そんな情景を思い浮かべては、彼女は幸せそうなため息をついた。そして、にわかに突き上げてくる胸の高鳴りに耐えられず、飛び起きては部屋をぐるぐると歩き回るのだった。
幸いなことに、今日は侯爵は屋敷に戻らなかった。おかげでキルティスの姿のまま、一人でたっぷりと夢想にふけることができた。
一番の心配事、というか気懸かりなことは、外に出ればこの髪を染めることができないので、いつかはシャルラインにも自分の本当の姿を見せなくてはならないということだった。それにこれから一緒に生活してゆけば、おのずとキルティスの体が実は女性のものであるという、その事実に突き当たるときもこよう。そのとき「いくら体は女でも、自分はキルティスという名の一人の男であり、君を愛していることにはなにも変わりがない」と言ったとして、彼女がそれを受け入れてくれるかどうか。
だが、彼はそうした不安を打ち消した。そんな後々のことよりも、自分にとっては、「ここを抜け出して自由になること」、その甘美なまでの解放感の方が、がはるかに勝っていたのだった。
(こんなことならもっと早くこうするんだった)
(ああ……自由ってどんなだろう。なにものにも縛られず、彼女と二人で草原を駆けるとき、僕はいったい、どんなふうに世界を感じるのだろう)
(もしかしたら、僕は……生まれて初めて、神に感謝するのだろうか……)
興奮のため、とても今夜は寝つけそうもない。
(シャルライン……)
その名をつぶやくと、いままでの人生の中で、もっとも安らかな気分になる。
夢想の中で、キルティスは寝息を立てはじめた。
翌朝、朝食を取ると、普段通りにサロンに行く風を装って屋敷を出た。
着替えや食料を詰め込んだ革袋を肩に下げて歩きながら、彼女はお目付であるリュプリックが付いてきていないことを、時々振り返って確かめた。また当然だが、屋敷の馬を持ち出せば怪しまれるので、ウィックリフ伯夫人から借りることにしていた。
早い時間にサロンのある伯爵夫人邸に着くと、屋敷の侍女に取り次いでもらい、夫人に会うことができた。ウィックリフ伯夫人は三十も半ばをすぎた歳ながら、見かけはまだ充分に美しく、大貴族にしては珍しいおおらかさを感じるような女性だった。キルティスは、このふくよかで、少しおっとりした夫人が嫌いでなかった。
軽い挨拶のあと、キルティスが馬を借りたいと頼むと、夫人は何も訊かずに、所有する中で一番良い馬を貸すようにと下男に言いつけてくれた。キルティスは内心では強く感謝の言葉を述べながら、口ではただの遠乗りにゆくようなそぶりで、軽く礼を言うにとどめた。
馬を受け取ると、キルティスは手綱をひいて庭園へ向かった。まだ昼前なので、サロンにやってくる客などは見えず、誰にも見とがめられることもない。
近くに馬をつないで、キルティスは木立の奥に入った。この前シャルラインに手を引かれ連れてこられた、緑に囲まれた小さな自然の花畑。ここが待ち合わせの場所だった。
ベリスやバーベナが咲く草の上に腰を下ろす。時間まではまだ早い。それまではのんびりと待つことにした。
じっとしていても、どうしようもなく心が沸き立ってくる。見上げると、梢の間に晴れ上がった空が覗き、白い綿雲がゆったりと流れてゆく。鳥のさえずりが二人の旅立ちを祝福してくれている気がした。花の香りに包まれて、キルティスは目を閉じた。
正午の鐘が鳴った。間を置かずして、かさりと草を踏むような音を聞き、キルティスは飛び上がった。シャルラインが来たのかと思ったが、そうではなかった。
「なんだ……」
また幹を背にして腰を下ろすと、彼は気を落ちつかせるように大きく息を吐いた。あせってもしかたがない。どちらにしても、すぐに彼女は来るのだ。
(彼女に会ったら、まずなんと言おうかな。やあ、こんにちは……じゃありきたりだし、かといって、さあ、僕等の旅立ちの時だ、なんていうのも大仰だな。ううむ)
しばらく悩んだすえ、とりあえず抱きしめてキスをしている間にでも考えよう、という結論に達した。頭のなかでは、楽しい思いつきが次々に浮かんだ。
都市の門を出たら、東の街道を行ってみて、こういういい天気の日は海沿いの道を景色を楽しみながらゆったりと馬を歩かせようとか、いろいろと想像をめぐらすのは実に楽しい。一方では、出発してから夜までにはどこかの町なり村なりに辿りつきたいので、そうなると山間部をゆくよりはむしろ港町を目指すべきだろうかといった、実際的な計画もしっかりとめぐらせていた。
「まだかな、シャルラインは」
午後の二点鐘が聞こえてきた。
太陽はとうに中天を過ぎている。思いめぐらすかぎりの想像を一通りしてしまうと、彼はけっこうな時間が経過していることに気づかざるをえなかった。
「まあな。女性ってやつは、いつだって男を……まあ実際の男かどうかは別として、待たせるものだと決まっているんだ。いろいろと準備があるのだろうさ」
そうつぶやいて花の上に寝そべる。離れた所で馬が軽くいなないた。
キルティスは、ときどきまた草を踏む音を聞いた気がして、何度か飛び起きた。だが、いくらじっと耳を澄ませても、木々の間から彼が待つ姿は現れなかった。
午後の三点鐘が鳴るころには、屋敷にはサロンの客たちが集まりはじめているようだった。誰々の到着を告げる下男の声や、にぎやかな雰囲気が遠くかすかに聞こえてくる。
ゆるやかに、空の色が深みを帯びてゆく。
日が傾きはじめる時分になり、彼は立ち上がって木々の間を歩きはじめた。待ち合わせは午後とはいったが、時間までは決めなかった。それが少しの望みだった。日が沈む前には、きっと彼女は現れるだろう。そして、「ごめんなさい」と、申し訳なさそうに微笑むのにちがいない。
キルティスは待った。空が少しずつ紫に変わり、庭園の木々たちを夕日が赤く染めはじめても。キルティスは待った。
日が沈み、肌寒くなった暗い庭園の木立の中、キルティスは立っていた。沸き立つような旅立ちへの期待や、わくわくとした高鳴るような気持ちはもう消えかけていたが。
雲の合間から月が顔を出した。旅立ちには青空の方が似合うだろうが、三日月の夜空というのも悪くはない。彼は、そう思い込もうとするように、薄く微笑んだ。
静まり帰った庭園には、まるで人の気配はない。まだ立ち去りがたく、うろうろと木立の中を歩き回り、キルティスはは地面に咲いた白いベリスの花を一本摘んだ。
「……今日は、戻ろうか」
つないであった馬の手綱を引いて、キルティスは歩き出した。
屋敷の従者に馬を返して、夫人に礼を言った。「遠乗りはいかがでした?」と、尋ねてきたウィックリフ伯夫人に、キルティスは一言だけ、「はい」と答えた。
「あの、シャルラインは今日はサロンに来ていたようですか?」
「ああ。あの、おとなしいお嬢さんね。さあ、今日は見なかったようだけど」
「そうですか」
キルティスとの仲が噂になっている年若い令嬢のことは、夫人も知っているらしい。彼の浮かない顔を見て、夫人は、「明日はきっと来るでしょうよ」と、元気づけるように笑いかけた。
「ところで、あの、これ。ベリスの花言葉をご存じですか?」
キルティスが恥ずかしそうに手にしていた花を見せると、夫人は目を丸くした。その花がどうやら自分に差し出されたものではないと気がついても、夫人は親切に、「自分は知らないが、クリセンテなら分かるでしょう」と言って、下男に呼びに行かせた。夫人の従姉妹であるクリセンテは、サロンの帰りなのか、めかし込んだ顔を紅潮させてやってきた。彼女は、少しの間でもキルティスと話ができることが嬉しそうだった。
「はい、ベリスの花言葉ですね。ええ、知っています。私、お花は大好きで、花言葉とか、そういうことにとても興味がありますもの。ロマンチックな花言葉を思い浮かべながら、庭園のお花を見るのはとても楽しいですものね」
夫人が、「おしゃべりですよ。それより早く教えて差し上げなさい」と口をはさむと、彼女は気を取り直したようにうなずいた。
「ええと、ベリスの花言葉は……純潔、ですわ」
「純潔……」
「ええ。昔は恋人たちが自分の清らかさを示すために、その花を渡して相手に思いを伝えたという言い伝えもあるんです。とくに白いベリスの花は、結婚のときにも使われるくらい、純潔と無垢の象徴とされていて、今でも使われる事があるそうですわ」
「ありがとう。クリセンテ」
キルティスは手にした花をクリセンテにやると、屋敷を後にした。
荷物を詰め込んだ革袋を背負い、足取りは重かった。とにかく疲れていた。一日中待ちつづけたからというだけではなく、ひどい失望感が彼の心を痛めつけていた。まだ頭のなかが混乱していて、なにを考えたらよいのかも分からない。
他に帰るあてもない屋敷への道を、よたよたとおぼつかない足で歩きながら、今夜だけはどうか侯爵が戻らないことを神に祈るだけだった。
その翌日、キルティスはまたサロンに出掛けていった。もしかして、彼女が日にちを間違えたのかもしれないと考えたのだ。
木立の中にある花畑には、昨日から誰かが来たような様子はない。しばらくそこで待ってみてから、キルティスは今度はサロンの方を覗こうと、屋敷の扉を叩いた。
広間にはまだ人がまばらだったが、早く来ていた顔見知りの婦人に挨拶をしたり、お茶を飲みながら時間を過ごした。それからまた庭園に出てシャルラインを探す。そんなことを何度か繰り返した。
その翌日も、またその翌日も、彼は同じことを繰り返した。
だが彼女は来なかった。
四日がたち、五日がたつと、しだいにキルティスは不安を覚えた。
(待ち合わせの場所に来ないのはもういい。でも、なんであれ以来、彼女はサロンにも顔を見せないんだ?)
一日ごとに、彼は疲れてゆくように見えた。目の下には隈が濃くなり、いつもは綺麗に束ねる自慢の髪も、ときどき乱れることがあった。サロンで婦人たちと話している最中にも、彼はときおり唇を引き結び、厳しい顔になった。婦人たちは、そんな彼の様子を訝しがった。
近しい友人であるオードレリン伯夫人はキルティスを心配して、ある時そっと外に連れ出した。なにか悩みがあるのなら、どうか自分に話してくれるようにと涙目で頼む夫人にも、彼は弱々しく首を振るだけで、なにも語ろうとはしなかった。
一週間がたった。
シャルラインは現れなかった。キルティスは、サロンだけでなく町を歩き回って、その姿を探しつづけたが、それもみな徒労に終わった。
彼はいかに、自分が彼女のことを何も知らなかったかを、今更ながら気づかされた。彼女を訪ねようにも、手紙を出そうにも、住む家も知らない。自分と彼女とを結び付けていたのは、ただあのサロンでしかなかったのだということに、キルティスは呆然とした。
疲れていた彼は、その日ついにお目付を部屋に呼んだ。虫の好かない相手であったが、他に用をことづけられる相手もいない。
「リュプリック」
黒ずくめの執事を前に、キルティスは寝台に腰をかけたまま言った。
「今日はちょっと疲れていて、サロンにゆけそうもない。すまないけど、お前。ちょっと行ってきてもらえるか。もしシャルラインがいたら、その場にひきとめて、すぐに僕に使いをよこしてくれ」
「かしこまりました」
男は無表情で頭を下げた。
一人になると、キルティスはため息をついた。
いったい彼女は、何故こうまで姿を見せないのか。それが気になってしかたがなかった。病気かなにかなのだろうか。それとも、自分に愛想をつかしてしまったのか。そんな不安が次々に浮かんでは消える。
(シャルライン……)
(なんでもいい……、とにかく、会いたいんだ。君に……)
彼は窓辺に近づいた。空に流れる雲を見上げながら、胸を焦がすその思いに体を震わせる。
(シャルライン……君は、いまどこにいるの)
夕方になり、戻ってきたリュプリックは、なんの収穫もなかったことを告げた。キルティスは、翌日も同じように自分の代わりに男をサロンに行かせた。面倒に着飾って、婦人たちに作り笑いをし、したくもないダンスをするよりは、こうする方がずっとましだった。与えられた仕事だとばかりに、執事は黙々と屋敷とサロンを往復し、その日一日の報告を済ませ、さっと下がっていった。ときおり、キルティスはいらだって怒鳴り散らしたりしたが、男は何も言い返すことなく、また翌日にはサロンへと出掛けてゆくのだった。
シャルラインが姿を見せなくなってから、はや十日余りが過ぎた。
「リュプリック」
いつものように、報告を終えて出てゆこうとする執事を、彼は呼び止めた。キルティスは、この数日の間でまた痩せたようだった。その頬はこけ、目はぎらついている。
「本当はさ、お前に何かを頼んだりするのは真っ平なんだけどね。でも仕方がない……」
「シャルラインは何者なの?」
「それは、どういう……意味でしょう?」
「言葉どおりの意味だ。彼女はどこの誰だ?お前はそれを知っているんだろう?」
鋭いまなざしが男をとらえていた。
「ですから、あの方は以前にも申しました通り、さる貴族の遠縁にあたられる……」
「では、そのさる貴族、というのはどこの誰か」
「存じません」
「彼女を私に紹介したのはお前だろう。何故知らぬことがある」
「と、申されましても。存ぜぬものは存ぜぬとしか」
「あの娘は貴族などではない。そうだな?」
「なにを……申されます」
「私を見くびるなよ、リュプリック」
血走ったキルティスの目が、鋭く相手を睨みすえていた。
「彼女と言葉を交わし、一緒に時間を過ごせば、おのずと分かること。あの娘には一片の貴族らしさもない。富や名誉、着飾ったドレス、宝石、高価な菓子や料理、ダンス、そんなもののすべては、彼女にとってなんの価値もない。彼女のしぐさ、表情、言葉のひとつひとつを見れば明らかなこと」
「……」
「私は騙されないぞ。彼女は断じて貴族などではない。少なくとも、この都市にのさばる貴族たち、サロンに集うような金持ちの令嬢たちとは、彼女は別の人間だ。違うか?」
執事は黙ったままだった。
キルティスは大きく息をついた。それから、目の前にじっと立つ、その石のような男に向かって今度は静かな口調で言った。
「リュプリック。さあ教えてくれ。彼女はどこの誰なんだ?そして、彼女は今どこにいる?教えてほしい。お前は知っているのだろう。頼む……」
いままで耳にしたことのないようなキルティスの声にも、男は表情を変えることはなかった。
室内に沈黙がおちた。
息のつまるような時間のあと……男はひとこと、主に告げた。
「存じかねます」
男の出ていった扉を睨みながら、唇を噛みしめ、彼はじっとそこに立ちつくしていた。
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