氷川のろっくん娘は、メタルの無い世界でツーバスを踏む 3


 翌日、私はいつもより少し早く家を出た。
 なにせ重いツインペダルをかついでゆくのだから、普段は十分かからない通学路が、今日は二十分くらいかかるはず。
 学校に着いてからも、私はなんとなくそわそわとしていた。今日は、いつにもまして放課後が待ち遠しかったのだ。
「おー、みずっち、さっそく持ってきたんだね。ツインペ」
 音楽室には私が一番乗りだった。続いて、なっき先輩、あかねん、たーや先輩がやってきた。
「いよいよ、学校でもツーバスデビューかあ」
「これで、キミもホンマモンのメタルドラマーですな」
「へへへ」
「そうだ、みずっち、髪伸ばしてツインテにしたら?」
 あかねんが、ぼそっと言った。
「ツインテでツインペ……なんかいいじゃない」
「ツインテでツインペか。それいい!」
 なっき先輩が手を叩いて、けらけら笑う。
「いやー、ロングは似合わないし」
「そんなことないよー。みずっち可愛いから」
「なに言ってんの。あかねんの方が、髪長いからすぐツインテできるでしょ」
「あたしはほら、ジョン・ミャングだから」
「そうそう。黒髪のおさげなんだよな。あとは六弦待ちか」
「そうなんです」
 横で聞いていたたーや先輩がけらけらと笑う。私もつられて、くすりと笑ってしまった。
「ところで、みずっちはラウパーは行くの」
「ラウパ……ってなんですか?」
「ラウダー・パークだよ。ほら、スーパーアリーナで毎年秋にやってるメタルの祭典」
「へー、そんなのがあるんですね」
「そうさ。世界中のバンドがやってきて、朝から晩までメタル一色に染まるのさ。日本全国のメタラーが集まるんだぜ。我がさいたまの誇りだね」
「すごいんですねえ」
「先輩は行くんですか?」
 なっき先輩は悲しそうに首を振った。
「じつまだ行ったことないんだよ。なにせ、チケ代も一万以上するうえに、ちょうど中間テストの時期なんだよな」
「そうなんですね」
「でも、卒業したら絶対行く。いや、いずれメタルバンドで出てやる!」
「まあ、夢は大きい方がいいからね」
「たーや、てめー、バカにしてんな」
「してないってば」
「このー、プログレ好きだからって、ラウパーには興味ないんだろ」
「うーん、キース・エマースが出るんなら行くけどね」
「へ、エマースって、この前死んだんじゃね?」
「ううん。私の心の中で……永遠に生きているの」
 両手を組み合わせ、真顔で言うたーや先輩に、なっき先輩はやや引き気味に苦笑していた。

 晴れてツーバスドラマーとなった私は、それからますますドラムが楽しくなり、学校での練習の他、ときおり参道の広場を走ったりして、それなりに足腰を鍛え始めた。
(YOSHIみたいになるには、もっと速くツーバス踏めるようにならないと)
 ときおり早起きして、ランニングに行く私の姿を、両親は目を丸くして見守り、運動のおかげでたくさん食べるようになったことで、我が家の炊飯器は毎日フル稼働することとなった。もちろん、親から「もうドラムなんかやめろ」というクレームが来ないよう、適度に勉強もしたし、時間があるときはお店を手伝ったりもした。
 ドラムを始めただけで、これだけ頑張れるようになるとは。自分でもびっくりであった。ランニングに、学校に、放課後のリハに、日々がとても忙しく、ときにへとへとになりながらも、私は楽しく充実した日々を過ごしていた。
「あー、終わったあ!」
 中間テスト終了。答案が回収されると、私は机の上にばったりと倒れた。ほっとしたのか疲れからか、ともかく、ひどくぐったりとした気分である。
「どうだった、みずっち」
 ハナちゃん(三橋華美)がそばに来た。
「うーん、英語はまあまあだったけど、古文とか数学とか、ぼろぼろー」
「そっか、わたしもー。みずっちは英語できたんだ。すごいじゃん」
「まあ、できたってホドでもないんだけどさ。ただ最近英語の曲を聴くことが増えて、なんとなく前ほど苦手じゃなくなったっていうか」
「ふーん、そういえばロック研に入ったんだよね」
「まあねー。部活と勉強を両立させる、みんなの苦労が分かってた来たよ」
「でもまだ一年だしね。これが二年、三年ってなっていくと、今の時期は成績とかずっと気になるんじゃないかな」
「そっか」
 私はふと、先輩たちのことを思い出した。先輩たちも楽器の練習しながら、勉強したりバイトしたりしているのだろうか。そう思うと、いままでの私は、なんとぐうたらに過ごしていたのだろう。
「今日は、コーラス部ないみたいだから、一緒に帰る?」
「うーん、私はちょっとロック研寄ってこうかな」
「そっか。じゃ、またね」
 ハナちゃんに手を振り、カバンからドラムスティックを取り出す。
「頭は疲れてるけど、身体はそんなでもないもんね」
 今日も練習するかと、私は教室を出た。音楽室へと続く階段をあがってゆくと、ふとギターの音が聞こえてきた。
(なっき先輩、もう来てるのかな)
 きれいで伸びやかなギターのトーン、そして突き抜けるような鋭さ。思わず立ち止まって、聴き入りそうになってしまう。
(上手いなあ。すごいなあ……)
 演奏がいったんやむのを見計らって、教室の扉を開けると、
「おや」
 そこにいたのは、なっき先輩ではなかった。
 赤いレスポールを肩にかけ、長い黒髪をふわりとかき上げる。きりっとした眼つきが印象的だった。上履きの色から、それが三年生であることが分かった。
「あ、こ……こんにちは」
 あいさつをすると、ふっと相手の顔がなごんだ。
「ああ、もしかして、新しく入ったっていう子ね」
「は、はい。氷川みずみです」
「よろしく。 私は浅間來美」
「あ、センゲン先輩ですか。なっき先輩からお話はよく」
「ああ。そうなんだ。よろしくね、みずみさん」
「あの、みんなはみずっちって呼びます。この九月からドラム始めて……あの、頑張ってます」
「うん。聞いたよ。ツーバスだってね。ロック研始まって以来だ」
「そ、そうなんですか」
 私の中では、浅間先輩はなっき先輩が尊敬する、伝説の先輩と化していたので、少々、というか、かなり緊張していた。
「あの、先輩……ギター上手いですね。いや、凄いってうか」
「ありがと」
 音楽に対しての自分の語彙力のなさにがっかりとする。上手いですね……なんてえらそうな言葉ではないか。だが、浅間先輩はとくに気にしたようでもなく、にっと笑った。
「でもまだまだだよ。やっぱり、ちょいブランクあるからね」
 とてもそんなふうには聞こえなかった。なっき先輩のギターも好きだが、なんというか、浅間先輩の音は、とても鋭いのに優しいような、そんな感じがした。 
「中間テストも今日で終わりだし、久々に自分のギターかついできたんだけど。やっぱり指がなまってたかな。もうすぐ学祭だからね。そろそろラストステージの練習をと思ってさ」
「そうなんですね」
 学園祭……そうか、もうそんな季節なのだ。
「他の三年……カオルやタカコもそのうち来るよ。悪いけど、学祭までは練習させてね」
「は、はい。もちろんです!」
「みずっちゃんか、よし。ちょっとドラム叩いてよ、合せてみよう」
「ええっ」
「どんな曲できるの?」
「ええと、スモコンと、キル・ユア・キング、エンター・サンダーマンに、あと最近ではエイジズ・ハイなんかもやってます」
「おっ、いいねー。メイデンか。じゃあ、それやってみよう」
 そう言うと、浅間先輩は、軽くイントロのリフを弾き始めた。
「うん、たぶんできるよ」
「は、はい」
 私はうながされて、ドラムチェアーに座った。ツインペダルはずっとセットしてある。そのうちツーバスをドコドコやる曲もやりたいな。
「じゃあ、カウントちょうだい」
「はいっ」
 イントロはきっちりとリズムを合わせて、ギターが伸ばしているところで、ドタン。私のスネアに合わせて、センパイのギターがあの特徴的なフレーズを奏で始める。
(か、かっこいい!)
 思わず私のドラムにも力が入ってしまう。
 と、先輩がヴォーカルパートを鼻歌で歌い出した。
 すごい。これだけで曲になって聞こえる。歌のおかげで曲の展開も分かるし。なんとかミスることなく、最後までドラムを叩くことができた。
「なかなかいいよー。初心者でこんなにすぐメタル叩けるなんて、すごいよ」
「ありがとうございます」
 私は嬉しくなった。そして何より、鼻歌とはいえ、歌いながらも楽々とギターを弾きこなす先輩の腕前に感心しきりだった。
 そのとき、なっき先輩が部屋に入ってきた。
「あー、いまメイデンやってたなー。先輩来てたんすね。どうりでいい音がしてると思った。ずるい、メイデンやるなら私はも混ぜてよー」
「あー、なっき。相変わらず元気だねえ」
 二人は互いに笑いあった。同じギターということもあるのだろうが、とても仲が良さそうに見えた。
「今日はカオルとタカコも来ると思うからさ、そしたらなっきも入ってよ」
「ああ、学祭のレパートリーそろそろ決めないとですね」
「そうそう。ツインギターならさ、ヘルウィーンのイーグル・フライリーとか。普通にメイデンでもいいし」
「そうっすねー。なるべくわかりやすい曲の方がいいですよね。見てる人にもメタル好きになって欲しいし」
「ふむ。じゃあ、メイデン、ジューダス一曲ずつ入れて。あと、パープルのバーニンと、ヘルウィーンだったら、アイ・ウォンターとか」
「ですね。カオル先輩はワンバスだし。その方がいいかも」
 二人の熱いメタルトークを横で聞きながら、私はニヤニヤとしていた。ちょっと前なら、なにを言っているのかさっぱり分からなかっただろうが、いまはバンド名も曲名もだいたいは分かるのだ。
「どうもー、あっ、來美センパイ、お久しぶりでーす」
 そこへあかねんが入ってきた。それから、たーや先輩も。
「お久しぶりです」
「おー、みんなゲンキそうだな。試験も終わったし、学祭までまたお邪魔するよ」
 浅間先輩がにかっと笑う。その間にも、なっき先輩は自分のギターの準備を始めていた。
「こんにちはー。あ、來美。もういたの」
 続いて部室に入ってきたのは、ドラムの堀之内先輩だった。
「おー、ブチョー。どうぞどうぞ」
「何言ってる。部長はもう実質的にお前だろ。なっき」
 ショートヘアーで、見た目も雰囲気もボーイッシュな堀之内薫先輩は、ロック研究部の部長さんなのである。この前、一度お会いしていたので、私のことも覚えてくれていたようだ。
「お、みずっちちゃん。ドラム叩いてたのね。どう、私の代わりに学祭出ない?」
「い、いい、いいえっ……私なんかまだまだとても」
 私は慌ててドラムチェアーから立ち上がった。そうか、じゃあ今日は、薫先輩のドラムを初めて見られるのだ。
「タカコはまだ?」
「あー、そのうちくんじゃね。あいつ生徒会役員だからさ、試験終わってもいろいろ雑用があんじゃないの」
 なっき先輩が、私とあかねんを見てにやりと笑う。
「ベースもドラムもここにもう一人ずついるんだし。練習はできるっしょ」
「カンベンしてくださいよー、私も初心者にか変わりないっすから」
 あかねんが苦笑いする。一年生の私とあかねんは、今年の学祭は機材運びなどの裏方を務めることになるはずだった。
「たーやのシンセも準備できたみたいだし、じゃー先に始めてるか」
「ちょっと待ってくれいどる」
 薫先輩がドラムのセッティングを始めた。私はそれを、興味津々に見つめる。
「へー、ツインペダルだ。このまま使っていいかな?」
「は、はい。もちろんです」
 先輩は、椅子の高さを慎重に決め、それからスネアの高さを決め、ハイハットの高さ、シンバルの高さ、タムの角度を念入りに調整していた。それらのすべてに意味があるのだろう。私は、その様子を真剣に観察した。
「ごめん。遅くなったわ」
 そう言って現れたのは、もう一人の三年生、ベースの宮原貴子先輩だ。
「宮原です。みなさんお久しぶり」
 私たちに向かって丁寧にあいさつをする。こうして部室で会うのは初めてだが、貴子先輩は生徒会役員だし、美人で優秀な生徒として学校ではけっこう有名な存在なのだった。
「またしばらくの間、よろしくお願いします」
 まっすぐな黒髪をきっちりと後ろに束ね、メガネをかけた知的な顔つきからは、到底メタルを聴くようには思えない。まして、五弦ベースを弾くなんて。
 ベースのセッティングをする貴子先輩を、横であかねんが穴の開くように見つめていた。そうか、あかねんにとっては、同じベースの貴子先輩があこがれなんだ。なっき先輩が、來美先輩を見るように。
「さーって、ではやりますか」
「ヴォーカルはどうすんの?」
「さらは、今日は来られないかもね。まあ、あの子なら、一回か二回合わせれば、普通に歌えるっしょ」
「じゃあ、今日は私が歌いますか。先輩はリードギターだし」
 なっき先輩がマイクを自分の前に立てる。
(そうか、二人ともギター弾きながら歌えるんだ。すごいなあ)
 私とあかねんは、さしずめ「オールスター勢ぞろい」といった豪華な演奏陣を、わくわくしながら見つめていた。
「いやー、すごかったねえ」
「うん」
「練習でこれだもんね。本番はどんなんだろう」
 あかねんがため息まじりにつぶやく。それもそのはずである。ツインギターにキーボードも加わって、その音の厚さと演奏の迫力は、私たちを圧倒した。
 なっき先輩と來美先輩のツインギターは息がぴったりで、メイデンのエイジズ・ハイは、私と演奏したときとは比べ物にならない迫力だった。なにより、薫先輩の安定感あるドラムときたら、当たり前だが、初心者の私とは雲泥の差だ。ハイハットを鳴らす音一つ、スネアの音ひとつからして全然違う。唯一、私が勝てるのはバスドラの音の大きさくらいだろうか。
 私はあらためて、基礎のリズムの大切さを知った気がした。そして、気持ちよいグルーブというやつだ。学祭までの三週間ほどの間、しばらくはこんな演奏を間近に見られるのだと思うと、ラッキーと言いたい気分だった。
「じゃあ、私たちはこれで」
「またお邪魔するよ」
 三年生たちは、これから予備校があるからと、一時間ほど練習して帰って行った。残った四人、なっき先輩、たーや先輩、あかねん、そして私は、さっきまでの音の余韻に浸るように、しばらく黙っていた。
「さって、みずっちとあかねも、やりたくなっただろ」
「はい」
 私は素直にうなずいた。私も、あんな風にノリノリの演奏をしてみたい。そして、お客さんを驚かせ、楽しませたい。そんな気持ちがふつふつと湧き起ってくる。
「よーし、やろやろ。学祭で先輩たちとできるのは、せいぜい五曲くらいだからさ。残りの時間で、二、三曲はできるよ」
「えっ、私たちも楽祭のステージ出るんですか?」
「出たくないか?」
「……」
 昨日までの私だったら、もしかしたら怖気づいて「無理です」 と言ったかもしれない。でも……
「で、出たいです」
 私の言葉に、驚いたようにあかねんが目を丸くする。
「おー、ならやろう」
 なっき先輩がにこっと笑う。言ってしまったからにはもう後戻りはできない。
「そうだなー、スモコンとキルキン、それにあと、みずっちの好きなレックスでもやろっか」
「えー、ホントですかあ?」
「ああ。グレイ・ナインだったら、あたしも好きだしさ」
(うわー、大好きなレックスをついに)
 自分の心の奥から、なにかが燃え上がるようにして昇ってゆく。
「わ、私、頑張ります!」
 ついにレックスの曲をバンドでできることになった。その喜びは、私をますますドラムにのめり込ませた。
 放課後はもちろん、家に帰ってからも、部屋でツーバスを踏む練習をしたりして、一階の両親から何度かクレームがきたりしたし、お風呂に入っているときも、バスタブにつかりながら、両足で向こうの壁をドコドコと踏むほどであった。
「ごめんねー、たまにしか来られなくて」
 ヴォーカルのさら先輩がやってくる日は、先輩たちの演奏にもさらに熱が入った。なっき先輩のギターは生き生きとしていたし、來美先輩のギターはただただ素晴らしかった。
 先輩たちの演奏が終わると、それを見ていた私とあかねんは、お世辞でもなんでもない心からの盛大な拍手を贈るのだった。私は急いで駆け寄っては、カオル先輩にいまのドラムはどうやったのか、どんな風にすればそれを叩けるのかを訊いて、少しでも自分のものにしようとした。
 三年生が帰ってゆくと、残りは私たちの練習時間であった。スモコンはもう楽々と演奏できたし、キルキンもはじめの頃よりは、ずいぶんいい感じに叩けるようになったと思う。そしてレックスのグレイ・ナインだ。
 さら先輩の伸びやかな歌声で聴くレックスというのは、なんというかホンモノの荒々しい感じとは異なって、むしろ優雅な雰囲気で、元曲とは別の感じで素晴らしかった。私のツーバスのドコドコは、お世辞にも上手くはなかったが、ここのところの練習のおかげかなんとか最後まで止まらずにできた。ただ、問題は……
「あの、ドラムソロんところだよねえ」
「やっぱり」
 なっき先輩に言われるまでもなく、それは自分でも分かっていた。YOSHIの見せ場となるドラムだけのパートが曲の途中にあるのだが、私はそれを意識しすぎてしまって、前後のリズムが走ってしまいバラバラになるのだ。これは何度やってもなかなか直らなかった。
「あんまりさ、ドラムソロって意識しないで、むしろフツーにエイト・ビートを続けるくらいの感じでやるといいんじゃない?」
 あるとき、カオル先輩に相談したら、そんな答えが返ってきた。なるほど、ドラムソロではないと思えばいのか。それを聞いて、私は少しだけ気が楽になった。
 そうして、気付けばもう、十一月になっていた。

「もう来週だねー。学祭」
 三年生が帰った音楽室、私とあかねん、なっき先輩の三人でお茶を飲んでいた。たーや先輩は、お家の事情で今日は来なかった。
「うん。なんだか、不安になってきたよ」
 棚からティーパックを取り出しながら、私はぽつりと本音をもらした。
「あら、みずっちが?いつも楽しそうにレックス叩いているくせに」
「うん、でもさー。私みたいな初心者が、いきなり人前で演奏してもいいのかなって」
「なに言ってんのさ。この一か月、みずっちが一生懸命練習してるのみんな知ってるよ」
「そうそう。上手かろうが下手だろうが関係ない。要はジョーネツよジョーネツ」
 なっき先輩がそう言って親指を立てる。
「それに、みずっちゃんはさ、最初の頃よりもずっと上手くなったよ」
「そうですかねえ」
「そうさ。カオルに比べればそりゃ、グルーブや安定感は足りないけどさ、その分迫力ってのかね、おりゃー、イケー!みたいな感じが伝わって来てさ」
「おりゃー、イケー……ですか」
「そうそう。それがメタルってもんだよ。うん」
 励まされたのか、笑われてるのか、ビミョーな感じに私は苦笑いした。
「いやホント。なんつーか、みずっちゃんは、すごいメタルに向いてると思うよ」
「そうでしょうか」
「うん。普段は天然ぽい、のんびりしてる感じでも、いきなり人が変わったような迫力でドラム叩くって、なかなかいないよ」
「それって、なんか、アブナイヒト……みたいじゃないですか」
 横であかねんがけらけらと笑う。
「でも、YOSHIだってそうでしょ。優雅にピアノ弾いてたと思いきや、おもむろにドラムの所に行って激しく叩き出す。あれだよあれ」
「ああ、恰好いいですよねー。YOSHIのピアノからの激しいドラム」
「そういえば、もうすぐ復活してからの新作出すんだよね」
「そうそう。ちょー楽しみです!」
 結局のところ、私はレックスの曲が叩けるのがとても楽しみであった。
 まだカンペキにはできないけど、緊張も不安もあるけど、それはドキドキなワクワクでもあった。

 ついに学園祭の日がやってきた。
 我が氷川女子高校は、市立ながらわりと優秀な学校なので、普段はマジメな空気に包まれているのだか、この日ばかりは校風はがらりと変身する。
 日頃の制約から解放された自由な風と、飾り付けられた華やいだ色合いが、非日常の楽しさとなって校内を吹き抜け、彩っている。日頃は見慣れない男子の姿に、男慣れしていない女子たちは、イケメンを見つけると、きゃあきゃあと、まあおおはしゃぎだ。むろん話しかけたりする勇気は当然ないので、遠目に見ながら、あれがイケてるだと、あっちの方がステキだのと、女同士で値踏みして楽しむくらいなのだが。
 中には男子に声を掛けられて、ラインでつながって知り合いになったり、付き合ったりするリアルな人もいるのだろうけど。それは私にはさして関係のない話であった。男子に興味がないワケではないのだが、いまのところYOSHIに恋して、愉快にドラムを叩くのが私の生き方であって、さしてナマモノは欲しいとも思わない。そんなことを、親友のハナちゃんに言うと、くすりと笑われてしまうのだが。
「じゃあ、ハナちゃんは付き合ったことあるの?」
「うーん、ないけど。ラインの友達ならいるよ」
「ええっ、初耳」
「うーん、でも、そんなんじゃないから。ネットで知り合った、趣味の友達だから」
「そうなんだー」
(私はラインなんて、親とハナちゃんくらいしかやってないぞ)
 それで充分だったし、とくに男の子とやり取りしたいとも思わない。まあ、レックス好きの奴なら友達になってもいいかな。
「ところで、私はステージが午後一時からだから、お昼過ぎたら抜けていいよね」
「うん。大丈夫だよ」
 ウチのクラスは、とくに面白みもなく、無難に喫茶店をやることになった。パンケーキの仕込みも終わっているので、交代で調理係とウェイトレスをやればいい。
「私も抜けられたら、バンド見に行くね」
「ホント。嬉しいな。コーラスの舞台は三時くらいだっけ。私も見に行くね」
 時間がたつにつれ、一般のお客が増え始め、ウチの店にもけっこう客が入ってくる。照れくさそうな男子の三人組や、別のクラスの友達や、誰かの父兄らしき人々などなど。私は、家がプリン屋ということもあって、たまにレジを手伝ったりしていたので、お客の扱いにもわりと慣れていた。
「そろそろ交代ね。氷川さんは、調理をお願い」
「はーい」
 ウェイトレスと調理を一時間ずつ受け持てば、あとはおおむね自由時間に使ってよいという取り決めだった。
 私は張り切ってパンケーキを焼き、ハナちゃんがクリームやジャムでデコレートする。次々に入ってくる注文に、私は忙しく生地を付け足し、電気コンロのフライパンでそれを焼きながら、今日これから演奏する曲のリズムを、頭の中で鳴らしていた。
「そろそろリハの時間だよー」
 お昼を過ぎた頃に、あかねんが迎えに来た。いよいよだ。
「頑張ってね。みずっち」
「うん、いってくる!」
 本番のステージは体育館。その前に、部室の音楽室でリハをやるのだ。
 あかねんと二人で部室に入ると、すでに先輩たちのバンドが、リハと打ち合わせを始めていた。なっき先輩も、來美先輩、カオル先輩も、タカコ先輩も、みんな気合が入った顔つきだ。目を輝かせてうなずき合う様子は、とても恰好よく、いつもの先輩たちよりもさらに素敵に見えた。
(本気で音楽やるときの顔って、こんなに輝いて見えるんだな)
「あれ、さら先輩がいない」
「いま声楽部の本番だからね。さらはぶっつけになるかな」
 とくに困ったようでもなく、なっき先輩がそう言う。
(リハなしで本番なんて…でも、さら先輩なら普通にできそう)
 私は感心しつつ、ということは、私たちのリハも歌無しでやるってことなのだと気づいた。
「まー、いまはあたしがテキトーに歌うからさ」
「お、お願いします」
 すでに緊張で、どきどきしている私とは違い、なっき先輩はホント頼りになる。
 先輩たちのリハは、まったく問題なく、いつものように完璧な演奏だった。だが、來美先輩はどこか不満げな様子である。
「バーニンのAメロのとこさ、ドラムがタム回しして音数多くなるとこ、あそこもう少しツッコミ気味にしようよ。その方が迫力でるから」
「オッケー」
「あと、間奏の、シンセソロんとこ、あそこオルガンの音色なんだから、もう少し歯切れよく弾いた方がメロディ伝わりやすいよ」
「はーい」
(これだけの演奏なのに、まだ満足できないなんて、すごいなあ)
 ツッコミ気味とか言われても、私ならたぶん、なんのことやら首をかしげてしまうだろう。それを言われてすぐに修正できるカオル先輩のドラムは、見ていていつも勉強になる。
 先輩たちのリハに続いて、私とあかねんが入ってのリハもとくに問題なく……というか、これ以上やっても上手くなるはずがないので、
「よーし、おっけー。じゃあ、これでいこう」
 いよいよ、本番の時間がきた!
(うう、どきどきしてきたあ)
 私たちは、楽器を持って体育館に移動した。
 体育館のステージ……いつもは先生とか、生徒会委員の人が立っているのを下から見ていた私が、いまはその舞台袖に立っているのだ。
 幕の後ろから覗き込むと、
「わあー。けっこうお客さんは入っているね」
「まあ、さっきまで吹奏楽がやっていたんだしね」
 そう言うあかねんは、わりと冷静そうであった。私よりもずっと肝が据わっている。
「それでは、これよりロック研究部の演奏を行います」
 アナウンスがそう告げると、客席から拍手と歓声起こる。
「よーし、行くよ、」
 直前に合流したさら先輩も含めて、みんなで手を合わせる。
「おーっ!」
 この日のために用意をした、おそろいのロック研究部のTシャツ姿で、先輩たちがステージへと飛び出した。ディ・パープルの「バーニン」のリフが始まると、客席から「おおー」と反応が起こる。
 私は、ドキドキしながら先輩たちの演奏を見つめていた。
 さら先輩は、ぶっつけ本番なのを感じさせないような堂々とした歌いっぷりで、それにつられるようになっき先輩のギターもノリノリだ。
(すごい、すごいなあ……)
 曲が終わると大きな拍手。
「私たちはロック研究部。だけどー、メタル大好きデース!」
 さら先輩のMCに、観客から笑いや口笛が飛び交う。
「ここにいる三人の先輩は、今日がラストステージ。あとは私たちが引き継ぎます」
「おー、頼むよ。後輩よ!」
 ライトに照らされた赤いレスポールをきらめかせ、來美先輩がマイクに向かって告げる。
「今日このあとは、一年生も加わっての演奏もあるからね。最後まで聴いてくださいな」
 また大きな拍手。さすが、お客を盛り上げるのが上手いなあ。
 先輩たちはみんな、素晴らしく恰好よく、とても輝いている。普段はマジメなタカコ先輩も、いまは立派なロッカー……いや、メタラーに見える。
 続いて、ヘルウィーンの「アイ・ウォンター」、アイアム・メイデンの「エイジズ・ハイ」、そしてラストはジューダス・グリーフトの「ヘルオン〜エレクト・アイ」だ。女子高生が、こんなにも本格派のメタルをやるのだから、お客さんもきっと驚いたに違いない。
「いいぞー!」
「すげえ、上手いな!」
「それに可愛いー!」
 盛大な拍手の中、先輩たちがステージを後にした。
「さ、次はきみたち。頑張れよ」
 いくぶん頬を紅潮させた來美先輩が、入れ替わりで、これからステージに向かう私とあかねんの肩をぽんと叩く。
「リラックス、そして楽しんでいこー」
 汗びっしょりのカオル先輩が、私にうなずきかける。
「はいっ」


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